思い出
山ほどの洗濯物を抱え、フリックはゆっくりと家路を辿っていた。
6月に入ったとたん、少し動いただけでじわりと汗が滲むほどの蒸し暑さが始まった。春と夏の間のほんの短い時期に感じるこの不快感はどうにも好きになれない。
「まったく……どうせならすぐに夏になってくれりゃあいいものを」
はーっと溜息をついて、フリックは額に浮かんだ汗を拭った。
やがて見えてきた小さな小屋の中からは、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
フリックは中には入らず庭先へ向かい、脇に抱えていた洗濯物を下ろした。木の枝から伸ばしたロープに、たった今洗ったばかりのタオルを掛けていく。洗濯ももう慣れたものである。掃除も料理も、毎日やっていれば嫌でも上手くなる。
そう、毎日が同じことの繰り返しだ。朝起きて、食事を作り、洗濯をして、少しばかり剣を握って汗を流す。街で手にいれた本を読み、日が暮れれば酒を飲む。
青雷のフリックともあろうものが、と昔の彼を知る者が見れば呆れるかもしれないが、フリック自身は今の生活をけっこう気に入ってたりもする。
平和な生活というものは得てして退屈なものだ。
「さ、完了」
風に揺れる洗濯物を一瞥して、フリックは満足そうにうなづいた。
空になった籠を手に小屋の中に入ると、ビクトールを囲むようにして数人の子供たちが声を上げて笑っていた。
「あ、フリックだ!」
「おかえりフリック」
「おかえりー」
皆、口々にフリックに挨拶をする。フリックはただいまと言って、輪の中心にいる男を見た。
フリックを見て、嬉しそうに目を細める。
ビクトールは……少しも変わらないなと思う。
出会ってからもうどれくらいになるだろうか。10年?それ以上?歳を重ねれば少しは落ち着きを見せるかと思ったが、相変わらずお調子者で馬鹿みたいに陽気で、お気楽者だ。
外見も、少しも歳を取ったようには見えない。それは普段何も考えていないせいなのか、それとも彼が所有するあの剣のせいなのか。
「お疲れさん、フリック」
「ああ、今日も暑いぞ」
ハイランド軍と戦ったあの戦争が終り、ビクトールとフリックはまた旅に出た。いくつかの国を回り、また少しばかり戦いにも加わった。その時その時の風に任せるような先の見えない毎日。
そんな風に生きていくのも悪くないと思い始めた頃、唐突にビクトールが言った。
『しばらく一所でゆっくりしてみねぇか』と。
いったいどういう心境の変化かと、さすがのフリックも戸惑いを隠せなかった。
風来坊だなんて妙な渾名をつけられるくらい、一箇所に腰を据えることなどない男が、何を思ってそんなことを言い出したのか。
だがフリックにそれを断る理由もなかった。
ビクトールがそうしたいというならばそれでもいい。
とりあえず住む場所を探そうということになり、トランの片隅の小さな村に落ち着いた。廃屋同然の小屋を見た時、
『砦を思い出すな』
と、ビクトールはどこか懐かしそうに目を細めた。二人で時間をかけて住めるまでに修理をして、必要なものを買い込み、暮らしはじめた。
そしてそろそろ1年がたとうとしている。村の連中とも上手くやっている。たまに畑仕事を手伝ったり、雑用を頼まれたり、そんな中で子供たちからも慕われるようになった。二人が傭兵だと知ると、剣を教えてくれと請われるようになった。
ビクトールは面倒なことは嫌だと言いながらも、元来の子供好きが出たのか、結局週に何度かこうして子供たちを集めては初歩的な剣の稽古をつけてやっているのだ。
もっとも、剣の稽古をするよりも、昔話を面白おかしく話してきかせる時間の方が長いような気はするのだが。
「フリック、あのハイランドの闘いの時の英雄って今どこにいるの?」
「何だ、突然?」
子供からの質問に、フリックはビクトールが昔話をしていたのだということを知る。それもただの昔話ではなく、二人がしばらくの間身を置いていた同盟軍のことを話しているのだろう。
「フリックたちがハイランド軍をやっつけたって本当?」
「すごいねー!」
皆、妙に期待に満ちた表情でフリックを見つめる。
「……ビクトール」
フリックは渋い顔でビクトールを睨んだ。子供たちのキラキラした目からして、この男が昔のことをどんな風に話したのかだいたいの予想がつく。どうせあることないこと、大袈裟に話して聞かせたのだろう。すべてが嘘ではないだろうが、すべて本当ということでもないということを、子供たちはどれだけ分かっているのか。
フリックは子供たちの夢を壊さない程度にそれをやんわりと否定した。
「俺たちは…ほんの少し手を貸しただけだ。ディランは……あー、同盟軍のリーダーだったヤツには、あれから一度も会ってない。どこかで幸せに暮らしてるだろう」
「そうそう、俺たちみたいにな」
「………」
へらりと笑う男に、フリックは肩を落とす。
「えー、英雄なんだから、すっごいお金持ちになって、豪華な暮らしをしてるんじゃないの?」
中でも一番小さな子が首を傾げる。フリックはうーんと困ったように少し考え込む。
「英雄だからってお金持ちになるわけでもないし、それにヤツは英雄だなんて呼ばれたくはないだろうしな」
「ふうん。でも僕たちも剣を持って、悪いヤツらと戦ってみたいなー。それで一番強くてかっこいい人になって、いっぱいお金を稼ぐんだ」
「僕も!だってこの村じゃ毎日退屈だし、畑仕事なんて手伝いたくないよ。もっとかっこいい戦士になりたいよ」
子供たちは口々に他愛ない夢を話し出す。どれも物語にでも出てきそうな突拍子もない夢だ。
黙ってそれを聞いていたビクトールが、やがて静かに言った。
「だがなぁ、何もない退屈な毎日ってのが本当は一番の贅沢なんだぜ」
「………」
「確かに戦場に出て剣を振るうのは冒険劇みてぇに感じるだろうし、戦士ってのもカッコいいもんに見えるだろうが、でもな、そんな連中を支えてるのはお前らの親が一生懸命作ってる作物なんだぞ。腹が減っては戦はできぬって言うだろ?目に見えなくてもな、カッコいいことをしている人っていうのはいっぱいいるんだ。俺たちはそういう人たちを守ろうとしていただけで、別にカッコいい人ってわけじゃねぇんだぞ」
ビクトールの言葉の意味を、子供たちはどこまで理解できたのか。皆ちょっと拍子抜けしたような、がっかりした様子を見せていた。一見華やかに見える戦士というものは、幼い彼らにとってはやはり憧れの的なのだろう。そう思うことを止めることなどできないけれど、それだけが正しいのではないと知るには彼らはまだ幼すぎる。
「ほら、お前らはもう帰れ。そろそろ昼飯だろうが。家に帰って飯にしろ」
ビクトールが立ち上がり、子供たちの頭を叩く。フリックが洗濯に出る時に、皆手作りの木刀を手にビクトールが稽古をつけもらっていたから腹も減っているだろう。
子供たちは言われて初めて空腹だということに気づいたらしく、次々に立ち上がると床に置いてあった木刀を手にした。
「またね、ビクトール」
「さよならフリック」
元気良く挨拶をし、手を振って部屋を出て行く。フリックは外まで出て彼らが帰っていくのを見送った。笑い声を上げながら走り去る彼らの姿は無邪気そのものだ。
「……まったくいつも元気だなぁ」
「なぁにジジくせぇこと言ってんだよ」
ビクトールがのそりと背後に立ち、フリックの身体に両腕を回した。肩に顎を乗せ、自分の方へと引き寄せて言う。
「……なぁ、腹減った」
「………今日の食事当番はお前だろうが。俺も腹が減った。さっさと作れ」
あっさりとビクトールの腕から抜け出したフリックは、片隅に置かれた野菜の籠を小さな台所へと引き寄せた。
「なぁ、お前もやっぱり戦場の方が居心地がいいか?」
「え?」
じゃがいもの皮を剥きながら、ビクトールが尋ねた。
「何しろ青雷のフリックだもんなぁ、こんなところで燻ってちゃあ剣の腕も鈍るしな。戦士の方がカッコいいだなんてお前は思っちゃいねぇだろうが、そういうことじゃなくて……」
「ビクトール」
「まぁ俺もいつまでもここでのんびりしてようなんて思っちゃいねぇがよ、何ていうか……」
ビクトールは振り返ると、憮然とした表情のフリックに笑いかけた。
「お前と一緒にいるようになってからいろんなことを経験してきたけどよ、どれもこれも血生臭いことばっかだろ?戦場でのことなんて、いつまでも覚えていたくはねぇしよ。どっちかってぇと忘れちまいたい思い出ばっかだしな。もっとじいさんになって、昔のことを思い出すようになった時に、今みたいな退屈だけど平和で穏やかな二人だけの時間ってのがあってもいいかと思ったんだ。そういう時間を……まぁあれだな、いわゆる幸せな時ってのをだな、少しは経験しておくのもいいかと思ったわけだ」
「………」
ビクトールはどこか照れくさそうに笑った。
「まぁ俺の勝手な我侭だけどな」
初めて会ったのは解放戦争の時。そのあとすぐにまた闘いに身を投じた。確かにビクトールとの思い出は戦場で戦っている時のことの方が多い。
人を殺す場にいた時の記憶は、確かにいつまでも覚えていたいものではない。
それはフリックも同じだ。
「ビクトール、俺は……」
フリックはビクトールに近づくと、間近に立ち、とんっとその胸元に拳を当てた。
「俺はお前と出会ってから今までの間に起こったことは全部いい思い出だと思ってる。確かにこんな平和な時間ってのはあまりなかったかもしれないが、でもな、同盟軍のあの本拠地で、ハイ・ヨーの作る美味い飯や、みんなでやった馬鹿騒ぎ。あそこに集っていた仲間たちの笑い声、辛いこともいっぱいあったけど、戦争中だったかもしれないけど、でも俺はそういうことは忘れたくないと思ってる」
「………」
フリックは何かを思い出すように微かに笑った。
「思い出ってのはいいもんだよな。今、こうしてお前と二人でいることも、遠い未来にはいい思い出になる。退屈だなんて思ったことはない。どんな時代でも、どんな状況でも、俺はお前と一緒にいる時のことは全部いい思い出になると思ってる」
ビクトールはまじまじとフリックの顔を見て、どこか面映そうに視線を上げた。
「まいったなぁ、いつの間にお前はそういうことを平気な顔して言えるようになったんだかなぁ」
「そんなおかしなこと言ったか?」
きょとんとするフリックに、ビクトールが素早く口づけた。触れるだけの口づけだったが、フリックは慌てて身を引いた。
「昼間っから何しやがるっ」
「いや、誘ってンのかなぁと思ってよ」
「誰がっ!!!」
憤るフリックを、ビクトールがぎゅっと抱き寄せた。
「おいっ」
「こういうのも思い出になるんだろ?」
甘えるようにフリックに擦り寄るビクトールに、フリックは舌打ちする。
「……口が巧いのはいくつになっても変わらないな、お前」
呆れたようなフリックの口振りに、ビクトールは楽しそうに笑った。
繰り返される口づけに、フリックもくすぐったそうに笑う。
こんな毎日が、すべて二人の思い出になる。
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