大きな手で頭を撫でた
皆が待ち望んでいた闘いの終結が訪れた。これでもう誰かの血が流されることはない。誰もが安堵し、そして喜んだ。
けれど強大な敵に対峙し、共に戦った仲間の多くは傷つき、これ以上ないほどに疲労していた。それでも勝利を治めた喜びは大きく、これから未来への希望でその表情は明るい。
もう大丈夫だと思える強さがそこにはあった。
明日ここを発とうと思う、と打ち明けると、ビクトールはそうか、といつもと同じ口調で笑い、「ヤツに会いに行くのか?」と聞いた。
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
キャロを追われてからずっと一緒に戦ってくれたこの傭兵は、いつも怖いくらいに人の心を読み、辛い時には慰め、疲れた時には励まし、いつでも自分のことは後回しにして力を貸してくれた。
。それが楽な時もあるけれど、時々とても痛い時がある。
それは自分自身が、どこか後ろめたいからなのだろうか。
「あいつがどこにいるのか分かるのか?」
ビクトールはいつにない優しい口調でそう聞いた。
あいつ、というのが誰のことを指すのか、口に出さなくてもお互いに分かる。
「うん、分かるよ。約束した場所にいる」
「約束?」
「そう、約束」
そうか、とまた一つうなづいて、ビクトールはまぁちょっと座れや、と自分のすぐ横を指で示した。
素直に隣に座ると、ビクトールは真っ直ぐ前を見詰めたまま言った。
「出て行くことは、みんなには言ったのか?」
「シュウさんにはね」
「そうか……何か言ってたか、あいつ?」
「ううん、特には…」
「そうか」
「ビクトールさんは?これからどうするの?」
「あーどうすっかなー。まぁあれだな、あいつがどう言うか聞いてからだなぁ」
そう言ってがしがしと無造作に伸ばした髪を掻き乱して、低く唸る。
あいつ、というのが誰のことを指すのかも、すぐに分かってしまうのがおかしい。
「そっか。そうだね。ビクトールさんの行く末はフリックさん次第だよね」
「………」
黙り込んだビクトールは少しだけ嫌そうな顔をして睨んだけれど、だからといって怒っているようにも見えない。どちらかと言うと、図星をさされてバツが悪いという感じにも見える。いい歳をした立派な男がそんなことくらいで照れるなよ、と思わずにはいられない。
けれど、そういうところがこの傭兵の愛すべきところなのだろうなとも思う。短い沈黙のあと、思い切って聞いてみた。
「ビクトールさん……怒ってる?」
何となくそんな気がして聞いてみると、ビクトールはそれこそふいを食らったように目を見開いて、逆に問い返してきた。
「怒るって何をだ?」
「……」
例えば今、こんな状況の中で同盟軍を離れること。
ハイランド軍に勝利したといっても、まだまだ世の中が落ち着いたわけでもなく。これからもやらなくてはいけないことがいっぱいあって、恐らく、この身に宿している紋章の力が必要なこともあるだろう。みんなも、そして誰より自分自身が一番それを分かっているのに、ここで同盟軍を抜けると決めたことを、一緒に戦ってきたビクトールはどう思うだろうか。
黙り込んでいると、ビクトールは呆れたように小さく笑った。
「怒るわけないだろ」
そう言って、彼は大きな手で頭を撫でた。
彼らしい荒っぽい撫で方で。まるで小さな子供の頭を撫でるように。
そんな風に誰かに頭を撫でられたことなど今までの記憶の中にはなかったから、どうしていいか分からなかった。固まったままでいると、ぐしゃぐしゃと頭を撫でていた手に力が入り、ぐいっと彼の方へと引き寄せられた。ごつい肩先にぶつかるようにして額が当たる。
「誰も怒ったりしない。お前はよくやった。十分にな」
「………」
「ありがとな、ディラン」
「……っ」
胸がつまった。
それはとても優しい声で、今までに聞いたことのないほどの優しい声で、泣くつもりなど、これっぽっちもなかったのに、ビクトールの深い声に目の奥が熱くなった。
がんばってるつもりなどなかった。
平和のためにとか、正義のためにとか、そんな責任感で戦ってきたわけじゃない。
自分には自分の理由があって、ほんの少し力があっただけで、何もすべてが綺麗ごとであったわけじゃない。
それでも、何時の間にかここは自分の居場所になっていた。
ここに集った人たちの暖かさに、強さに、優しさに、何度も力づけられた。
今まで知らなかったことを、ここでたくさん教えられた。
一瞬だけ、ここを離れたくないと思った。けれど、それはもう叶わない願いなのだ。
ここを出て行くと、そう決めたのだ。
ビクトールが何度も頭を撫でる。これから旅立つ者への別れの言葉の代わりに、何度も何度も。
暖かな掌に、涙が止まらなかった。
物心ついた時にはもう父も母もいなかった。見たこともない肉親の温もりなど欲しいと思ったことはない。だから誰かの手の温もりにこんなに安心できるなんて今まで知らなかったのだ。
今思えば、彼は兄のように、父のように、見守っていてくれたのだ。
ビクトールは自分にとって、こんなにも近く、そして大切な存在だったのだ。
今になってようやくそのことに気がついた。
「元気でな。またいつか、どこかで会おう」
彼の手がぽんと背中を叩いた。
涙が止まらなかった。
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