初  恋  3


ねぇ、本気で人を好きになったことある?
誰にも渡したくなくて、その人といられるだけで、心臓がつぶれそうなくらいドキドキして、泣きたくなるような気持ち。


 やっと分かった。
 リイナの言ったあの言葉の意味。
 今まで簡単に誰とでも寝てきたし、これが本当の恋なのかな、なんて思ったこともあった。でもあんなのは恋でも何でもなかった。
 最初はちょっとからかうだけのつもりだった。別にハンフリーのことなんて何とも思ってなかったし。フリックのことを見る目があんまり優しすぎたから、悔しかっただけだ。
 だけど、いったいいつからこんな気持ちになっちまったんだろう。
「……ばかみたいだ」
 城の外へ飛び出して、頬を濡らす涙を拭いた。
 おまけに勝手に思い上がってた。今まで誰にでもちやほやされてきたから、当然ハンフリーだって自分のことを好きに違いなんて勝手に思ってた。
 でも、ハンフリーははっきり言った。
 選ぶなら外見ではなく、中身で選ぶ、と。
 はっきり言われたわけだ。俺には中身がないって。ハンフリーが選ぶ対象には入ってない。
「ばかみたいだ」
 こんなにはっきりと振られたのに。おまけにプライドを傷つけられるようなことを言われたのに。なのに、まだハンフリーのことを好きだと思ってる。それが一番ばかみたいだ。


 シーナが飛び出したあと、ハンフリーはあとを追うべきかどうかたっぷり五分は悩んだ。
 そして、部屋を出た。
「どうしたんだ?えらく慌てて」
 風呂から帰ってきたらしいフリックが、階段ですれ違いざまに声をかけてきた。ハンフリーは立ち止まり、一瞬躊躇したあと、聞いた。
「シーナを見なかったか?」
「シーナ?いや、どうかしたのか?」
「あ、いや……」
 ハンフリーはどうしたものかと思った。このままシーナを放っておいてよいものか。だが、追いかけてどうする?
 フリックはそんなハンフリーの様子に小さく笑って、そして言った。
「ビクトールを呼んでくる。探した方がいい」


 サウスウィンドに着いた時は、もうすっかり夜も更けていた。
 昼間の賑やかな様子はまったくなかった。唯一賑やかなのは、酒場くらいなものだ。俺はふらりと酒場の扉を開けるとカウンターで強い酒を頼み、店の隅のテーブルについた。
 一息でグラスを空けると、溢れてくる涙に戸惑った。
 どうしたらいいのか分からなかったんだ。だって、今まで自分から何もしなくても、みんな俺のことを好きだって言ってくれたから。小さい頃からちやほやされてきたし、それが普通だったんだ。欲しいって思ったものは簡単に手に入ったし、手に入らないものは別に深追いしなかった。苦労してまで手に入れようと思ったものなんてなかった。
 だけど。
 ハンフリーのことは、初めて自分のことを好きだと思ってほしいって、心から願ったんだ。
 すごく不思議だ。どうして、ハンフリーじゃないとだめなんだろう。だめなら、あきらめて、別の人にすればいいだけなのに。
「よぉ、シーナじゃねぇか」
 顔を上げると、そこには昼間の連中が立っていた。
 ったく、何だってこうやって現れるんだろう、こいつらは。
「昼間はずいぶんなめた真似をしてくれたよな、え?ちょうどいいや、こっちに来て酒の相手をしろよ」
「いやだね」
「何だと、今はあの用心棒はいないんだろ?力じゃこっちの方が強いんだぞ」
 は、ふざけんなって。言っとくけど、俺は今めちゃくちゃ腹が立ってるし、どうにでもなれっていう自暴自棄な気持ちになってるんだ。喧嘩だって何だってやってやるぞ。
「さぁこいよ」
 男がその汚い手で俺の肩をつかんだとたん、俺の中で何かがぶちっと音を立てて切れた。
 次の瞬間、がしゃんと大きな音をたてて、男が床の上に倒れていた。
 あらら、どうやら無意識のうちにパンチを見舞っていたらしい。ふうん、長い間戦闘にも出てなかったけど、まだまだ戦いのセンスは残っているらしい。
「このヤロ〜」
 ふん。こうなったらとことんまで暴れてやる!俺がぼこぼこにやられたらハンフリーだってちょっとは悪いことをしたって反省もするっていうもんだ。このときの俺は完全に思考回路がいかれていたに違いない。
 相手は三人。店の主人に表にたたき出されてからは、思う存分暴れまくったけれど、やはり男三人を相手にするのは無謀だったのかもしれない。だんだんと、情勢は相手に有利になってきて、やがて、俺は冷たい地面に押さえつけられた。
「へへ、シーナよ、もう終わりか?」
「おい、連れていこうぜ」
「やっと美味しい思いができるってわけか」
 ちくしょう。こんなヤツらに何かされるくらいなら、舌噛んで死んだ方がましだ。俺は何とか男たちの手を振り解こうと、最後の力で抵抗したが、もうどうにもならなかった。
 仕方ない。こんなことは初めてじゃないから、仕方ないか。
 何だかもうどうでもいいって気になってきた。どうせハンフリーに抱いてもらえるわけじゃないし、どうせ俺が誰に犯られたところで、悲しむヤツも、怒るヤツもいないんだ。だとしたら、下手に抵抗しても意味がないのかもしれない。
「やっと大人しくなったな、シーナ。可愛がってやるからよ」
 ふん。あんな下手くそなセックスで何が楽しめるんだ。朦朧としてきた意識の中で、俺は毒づいた。
 通りの外れの空家らしきところに引きずり込まれた。床の上に突き飛ばされ、男の一人がのしかかってくる。酒くさい息が近づいてきた。
 嫌だ!
 やっぱりこんなのは嫌だ。そう思って叫ぼうとした瞬間、俺の上から男の重みが消えた。
「わあっ…!」
 がつっと人を殴る音がした。薄暗い部屋の中、何とか身体を起こして目を凝らす。
 視界に入ったのはしなやかな身のこなしで拳を振るうフリックと、それをサポートするかのように次々に男たちをのしていくビクトールの姿だった。決着がついたのはあっという間だった。男たちが部屋から逃げて行くと、ビクトールがぐいと俺の腕をつかんだ。
「ったく、面倒かけやがって。いったいどういうつもりだ、え?」
「痛いよ、馬鹿力で掴むなって…」
「ふん、そんな憎まれ口がきけるようなら大丈夫だな」
 ビクトールはどん、と俺を突き放すと、ぶつぶつと文句を言いながら部屋を出て行った。
「大丈夫か?」
 フリックがあまりにひどい俺の格好に眉をひそめる。
「……もっと自分を大事にした方がいい」
「はん、俺が何しようと誰も気にしやしないって。今だって、別に助けてくれって頼んだわけじゃないからな」
 つい憎まれ口が口をつく。こんなこと言いたいわけじゃないのに。本当は助けてもらってほっとしているくせに。
 フリックはそんな俺の腕を掴むと部屋から連れ出した。部屋の外では、ビクトールが手持ち無沙汰な様子で立っていた。フリックは俺を突き飛ばすと、いつになくきつい口調で言った。
「誰も気にしないだと?だから何をしても許されるとでも思ってるのか?本当にそんな風に思ってるなら、お前は何も分かっちゃいない、ただのガキだ。あんまり自分勝手なことばかりして、ハンフリーのことを苦しめるなら、俺は本気でお前を殴るぞ」
「え?」
 俺はフリックの口からどうしてハンフリーの名前が出るのか分からなかった。
「俺たちがここにきたのは偶然でも何でもない。ハンフリーに頼まれたからだ。あいつはお前を探してクスクスの街へ行ってる。いないと分かったら、ここで落ち合うことになってる」
「ど、…うして…」
「お前、ハンフリーに何か恨まれるようなことでもしたんじゃないのか?」
 ビクトールがニヤニヤと笑う。
「いいから、お前はどっか行ってろ!」
 フリックに怒鳴られ、ビクトールは肩をすくめると、街の出口で待ってると言い捨てぶらぶらと歩いていってしまった。
 俺は何が何だかわからずにフリックにつめよった。
「ハンフリーがどうして?どうして今さら俺のことを探したりするんだよ?だって…あいつは…」
「シーナ、ハンフリーのことが好きなのか?」
 フリックは思いがけない優しい声で聞いてきた。その言葉に俺はまた涙が溢れてくるのを止められなかった。
 両手で顔を覆ってその場にしゃがみこむ。
「シーナ?」
「だって、分からなかったんだ。今までいろんなヤツと付き合ってきたし、簡単に寝てきたし、みんなが俺のことを好きだって言ってくれたけど、自分から好きになったのなんて初めてだったからっ。どうしたらいいのか分からなかった…。怖かったんだ。どうしたらいいのか…分からなくて…」
「ばかだな。ちゃんと自分の気持ちをあいつに言えばよかったのに」
「言った。でも…俺じゃだめだった。俺みたいなガキは相手にしてもらえなかった」
「じゃあどうしてハンフリーはお前を探してたんだろうな。どうでもいい相手を、わざわざ俺たちに頼んでまで探したりはしないと思うけどな」
 ただの義務感から。ただの責任感から。ただの正義感から。答えはいくらでも思いつく。だけど、俺のことを好きだからという答えだけは当てはまらない。
「ま、答えはちゃんと自分で確かめるんだな」
 フリックの言葉に顔を上げると、その後ろに人影が見えた。月明かりを逆光にしたその姿に、俺は唇を噛んだ。
「手間を取らせたな、フリック」
「いや。さてと、じゃあ俺とビクトールは一足先に帰るから。あんまり泣かすなよ」
 そう言って、フリックはぽんとハンフリーの肩をたたき、ビクトールの待つ街の出口へと歩き出した。
 ハンフリーはその後姿を見送り、そしてゆっくりと俺を見た。不機嫌そうな顔。怒っているのか、それとも呆れてるのか。ハンフリーはおもむろに手を伸ばすと俺の腕を掴み、ぐいと引き上げた。
「まったく、だからガキだと言ったんだ」
「何だよっ!」
 ハンフリーはボロボロになった俺の姿を見てすっと目を細めた。
「昼間の連中に何かされたのか?」
「何かって何だよ。だいたい、俺が誰に何されようが、あんたには関係ないだろ。俺のことを好きでもないのに、どうして探しにきたりするんだよっ。好きじゃないなら放っておいてくれよ」
 俺はハンフリーの手を振りほどこうとしたが、ハンフリーはもっと強い力で俺を引き寄せた。
「……お前が俺のことを好きだというのは、ただ俺に振り向いて欲しかっただけじゃないのか?別に俺じゃなくても良かったんだろう。恋愛感情じゃない」
「違うっ!」
 俺は叫んだ。
「そんなのぜんぜん違う!そりゃ最初は…俺のことをぜんぜん気にもとめないハンフリーのこと、振り向かせたいだけだったけど、今は違う。だってこんなに好きだもん」
 俺はハンフリーの首に腕を巻きつけて、抱きしめた。
「どうして勝手に恋愛感情じゃないなんて決め付けるんだよ。そんなに俺のことが嫌い?そりゃ、あんたから見れば、俺はぜんぜん子供だし、あんたが言うとおり、中身もないかもしれないけど、でもあんたのことを好きだっていう気持ちだけは本物だ」
「どうしてそんなことが分かる?」
「分かるさっ、だって、だって…俺の気持ちだもん…俺が一番分かってるに決まってるだろ」
 俺の言葉にハンフリーは小さく笑った。
「そうだな。確かにお前の言う通りだ」
 ハンフリーは俺の身体を離すと、俺の頬に手を置いた。
「お前のことを嫌いだと言ったつもりはない」
 え?
 俺はそれがどういう意味かわからなくてハンフリーをじっと見つめた。けれどハンフリーはそれ以上は何も言わずに、俺に背を向けた。
「帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 俺は慌ててハンフリーのシャツを掴んだ。
「ちゃんと、はっきりと、分かるように言ってくれよ。俺、頭悪いから、分からないよ」
 ハンフリーは困ったようにため息をつく。
「……シーナ」
「なに?」
「嫌いなヤツをわざわざ迎えには来ない。そういうことだ」
 それは俺のことをちょっとは好きだってこと?
 そう思っていいわけ?
 立ち尽くしたままの俺を置いたままハンフリーは歩き出す。
「ハンフリー」
 呼び止めた俺に、ハンフリーはいつもの無表情なままの顔で振り返った。だけど、目だけは優しい。
「歩けない。おんぶして」
「………」
 にっこりと笑った俺に、ハンフリーはほんのちょっと後悔したように小さくため息をついた。
 それでも黙って背中を貸してくれる。
 これでもう俺のもの。
 絶対に離さない。何しろ初めての恋だから。まだまだこれから、その醍醐味ってやつを味わわなくてはいけない。
 ハンフリーの背中で、シーナは初めて味わう幸福感にうっとりと目を閉じた




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