Last Fight 5


 あの日、それまでの生活はすべて消え去り、人生は変わってしまった。
 幸せだった日々も、優しかった妻も、生まれてくるはずだった子供も。友も、両親も、生まれ育った村も、何もかもが目の前から消えてしまった。
 遠い場所での話だと思っていた戦争は、その日を境にアルフにとって何よりも憎むべきものとして暗く心の奥に影を落とした。
 そして知った真実。戦争ではなかった。自分からすべてを奪ったのは、戦争ではなかった。巧妙に仕組まれた勝つための策に、カレッカの村は滅ぼされた。戦争が相手ではどれほど恨んでもどうすることもできないと思っていたのに、恨みを晴らす相手がいることを知ったアルフはその日から復讐を誓った。
 戦争終結後、トランは新しく生まれ変わり、かつての帝国軍人たちは皆一様にひっそりと身を潜めるようになった。
 まるで何もなかったかのように。
 一人、また一人と、アルフはそんな彼らの消息を辿り、そして復讐を果たしていった。
 彼らは口をそろえて「命令に従っただけだ」と命乞いをした。それは確かにある意味真実ではあった。けれど、人の命を奪うことに何の疑問も抱かずに、ただ命令だからといって罪のない人々の命を奪った事実は消せない。その罪はあまりにも重すぎる。
 癒されない思いを抱えたまま復讐を果たしていくうち、アルフは自分の中の何かが冷たく凍っていくのを感じていた。怒りや絶望や、自分自身が誰かの命を奪うということの不条理さ、いつまでたっても満たされることのない空虚な心に苛立ちさえ覚える。
 終わらせたかった。本当はもう、こんなことはもう終わりにしたかった。
  
(ハンフリーはずっと傷ついていた)

 シーナの言葉にアルフは心のどこかで安堵した。この復讐劇を終わらせるためには、長く抱えていた恨みをすべて引きうけてくれる人間が必要だった。
 ハンフリーでなければだめなのだ。







「俺に内緒で勝手なことされると困るんですけど」
 約束の時間の数刻前、本拠地を出ようとしたハンフリーたちに背後から声をかけたのは、同盟軍のリーダーであるディランだった。
 ビクトールは嫌なヤツに見つかったと内心焦ったが、素知らぬふりをした。
「あー、今からちょっと近くまで飲みに行ってくる。ガキは連れてくわけにはいかねぇからな」
「ビクトールさん、そういうつまらない嘘はつかないでください」
 ディランは辛辣に言い放つと、硬い表情でいるハンフリーに向き直った。
「俺も行きますから」
「いや、それには及ばない」
 ディランの強さを疑っているわけではない。彼は今では同盟軍の中では1、2を争う強さを身につけていて、若いからといって侮ることはできない存在になってきている。
 けれど、彼を連れていくわけにはいかないのだ。同盟軍にとって、彼の存在がどれほど大切なものかわからないハンフリーではない。
「ディラン、ここは俺たちに任せておけって。大丈夫だ、ちゃんとシーナを連れて帰ってくる」
 今さら誤魔化しても仕方ないと悟ったフリックが、心配すんなとディランの肩をたたく。そんなフリックに、ディランはうーんと唸った。
「別にフリックさんたちの力を疑ってるわけじゃないし、たぶん俺が行かなくても大丈夫だろうとは思うんだけど……」
 ディランは何が気になるのか、しきりに首筋に手をやって苛立たしげに自分よりもずいぶんと大きい男たちを見る。
「すごく嫌な感じがして気になる。それに、シーナは友達だから、やっぱり心配なんだ。何か困ったことがあったら手を貸すって約束もした。邪魔はしないから連れてってよ」
「………」
 どうする?というようにフリックがハンフリーとビクトールを見る。
 下手に怪我などさせたら、あとでシュウが煩いからなぁとビクトールはあまり気乗りしないようである。ハンフリーも口には出さないものの同意見のようだった。
 フリックも本当のことを言えばディランを連れて行きたくはなかったが、彼の妙に鋭い勘が何かを感じているのだとすれば、一緒にいた方がいいかもしれないとも思った。
「わかった。シュウの許可は取ってるんだろうな?」
「何でいちいちシュウさんの許可がいるんだよ。俺別に子供じゃないんだよ?」
「………まぁいい。あとでバレて怒鳴られても知らないからな」
 いいのかよ、とビクトールはまだいい顔をしなかったが、結局アルフに指定された場所へと4人で向かうことになった。
 手紙に書かれていた場所は、本拠地から南に下ったところにある、闘いで焼き払われた廃村だった。不気味なほど静かなその村は、かつての荒れ果てたノースウィンドウを思い出させるようだった。または焼き払われたカレッカのような。
 月の光がなければ、伸ばした指先さえ見えないほどの暗闇だっただろう。うっすらと雲間から姿を見せた月は、ハンフリーの横顔を青白く照らしていた。
 闘いになれば手出しは無用だと、ハンフリーはビクトールたちに言った。一緒に来ることを最終的に黙認したのは、自分にもしものことがあった時、シーナだけは助けてやりたいと思ったからだ。これは自分とアルフの問題だ。他の誰かを巻き込むことはしたくなかった。
「誰かいる」
 虫の声だけがうるさいほどに響く闇の中、何者かの気配を感じ取ったディランが、低くつぶやいた。神経を研ぎ澄まして辺りの様子を窺うと、やがて砂地を踏みしめる音がして、アルフが姿を見せた。傍らにはシーナがいる。
「シーナ」
 傷つけられた様子のないシーナに、フリックはほっとした。ハンフリーもまたシーナの無事を確認すると、小さく頷いてみせた。そして傍らに立つアルフに改めて視線を移す。
 盗賊たちと共に同盟軍の本陣を襲った夜以来、ハンフリーは初めてアルフと正面から対峙することになった。あれ以来、ずっとアルフの行方を探していたのだ。逃げるわけにはいかないと思ったから。それがこんな形で実現することになった。
「やっと会えたな、ハンフリー」
 アルフはまるで懐かしい友にでも語りかけるようにハンフリーへと一歩踏み出した。
「お前に会えて、とても嬉しいよ」
「アルフ……」
 すらりと腰にした剣を抜き、アルフは戦意を全身に漲らせた。ハンフリーは剣を抜かずに、そんなアルフをじっと見つめている。
「ハンフリー、俺はお前たちが滅ぼしたカレッカの生き残りだ。お前たち帝国の軍人に復讐をするためだけにずっと生きてきた」
「………」
「お前は自分には責任はないと思っているかもしれないが、俺にとってはこの数年は地獄のような日々だった。それももう、今日で終わりにできる。剣を抜け」
「………」
「俺に何か言いたいことはあるか?」
 ハンフリーはいや、と首を振る。
 言い訳の一つでもハンフリーが口にしたならば、アルフの気持ちは変わったかもしれない。けれど、ハンフリーは己の犯した罪について語ることはなかった。
 何を言えることがあるだろうか。
 何を言ったところで、自分が犯した罪は消えないし、アルフの気持ちがおさまることもないだろう。
 もし自分が彼の立場なら、同じことをしないと言えるのか?
 自分の大切な人を奪った相手を恨まずにはいる自信があるか?彼の気持ちは痛いほどに分かるのだ。
 唯一許せないことがあるとすれば、彼が盗賊団に手を貸し、復讐とは関係のない罪を犯していることだけだ。シーナに行なった行為も、直接関係はなかったとしても許せることではない。
「俺を殺せば、お前の気はすむのか?」
 ハンフリーが目を反らさずにアルフに問い掛ける。
「ハンフリーっ」
 シーナが思わず声を上げた。まさかわざとアルフに斬られるなんてことを考えてるんじゃないだろうな、と思ったのだ。ハンフリーは自分の罪を知っている。それを償うために、自らアルフに斬られるつもりだとしてもおかしくはない。けれど、そんなことをしても……
「ハンフリー、だめだっ、そんなことしても何もならないだろうっ!」
 まさかそんなことはないと思っても、シーナにはハンフリーの静かな落ち着きが恐かった。
「剣を抜け、ハンフリー」
 アルフはどこまでも静かに告げる。
「帝国軍人として、お前は自分の責務を果たしただけなのだろう?それとも最初からあの卑劣な行為の裏側にある真実を知っていたとでも言うのか?だから、黙って斬られるつもりなのか?お前が剣を抜かないと言うのならば、お前はすべてを知って上であの虐殺を行なったとみなすが構わないのか?」
「……」
「剣を抜け。黙って斬られるなんて許さない」
 ハンフリーは無言のままに剣を抜いた。
 それと同時に、アルフが怒号と共にハンフリーへと剣を振り下ろす。ハンフリーは手にした剣でそれを受ける。一瞬近づいた二人の距離が素早く離れる。息をつく間もなく再び剣が振り下ろされ、途切れることなく剣の擦れあう嫌な音が辺りに響いた。アルフは素早い身のこなしでハンフリーに斬りかかった。ハンフリーも落ち着いた様子でそれを受ける。復讐を果たすために鍛えられたのであろうアルフの剣の腕前はなかなかのもので、彼らを見守るフリックたちの間にも緊張が走った。
 ハンフリーの腕は今さら心配することはないけれど、シーナは理由もない不安に震えた。
 目の前で繰り広げられる闘いは戦場でも幾度も目にした光景だったけれど、ハンフリーからはいつもの戦意も気迫も感じられなかった。
 あまりに静かなその空気にぞっとした。
 負けるかもしれないとシーナは思った。いや、負けるつもりなのかもしれないと。
 それは死を意味することだ。
 勝負はただ単に剣の腕前だけで決まるものではなく、勝ちたいと思うその心に大きく左右されるものだ。今のハンフリーに、アルフに勝とうと思う気持ちはあるのだろうか?
 シーナは離れた場所にいるビクトールたちを見た。きっと同じことを思っているだろうに、彼らに剣を抜く気配はない。手出しは無用だと言われたのだと咄嗟に思った。けれど、このままではハンフリーは死んでしまうかもしれない。
 そう思った瞬間、シーナは身につけていた剣を握り締めていた。じりっと歩を進めようとした時、鋭い声がシーナを動けなくした。
「よせ、シーナっ」
 叫んだのはフリックだった。
 有無を言わせない一言に、シーナは剣を握り締めたままその場に立ち尽くした。どうして、とビクトールに、そして傍らにいるディランにも視線を向けるが、誰一人として動こうとはしていない。どんな結末になろうとも、これはハンフリーが自分で決着をつけなくてはならないことだと、誰もが思っているのだ。
 けれど、シーナにはそんな風に簡単に割り切って考えることはできなかった。
 ハンフリーのことが好きだから。たとえ万人から見てアルフの方が正しかったとしても、シーナにはハンフリーの方が大切で、ハンフリーに死んでなど欲しくはなかった。
 そう思っているのに動けない。
 何が正しいことなのか、シーナにはもう分からなかった。
 アルフとハンフリーの勝負は続いていた。本当なら、アルフの腕前くらいならば、ハンフリーはすぐに勝つことができるのではないかとシーナには思えた。
 迷いの見える剣に、不安は募る。
 どうすればいいのか分からない。ただハンフリーの無事を祈るしかできない。
「真剣に勝負をしろ」
 やがてアルフが鋭くハンフリーに告げた。剣を受けるばかりでいつまでたっても攻めようとはしないハンフリーに、アルフは苛立った。もしハンフリーが本気になれば、自分など一撃で殺られることは目に見えていた。それなのにそうしようとはしないハンフリーに、迷いがあることをアルフは見抜いた。
「まさか俺に殺されてもいいなどと思っているわけではあるまい。俺を哀れんで斬られるつもりなら、それはずいぶんな思い上がりだ」
 一瞬、ハンフリーの表情が強張る。
「もし、お前が同情心から俺に斬られたとしたら、あそこにいるシーナも一緒に殺す」
「……っ」
「どうやらあいつはお前のことが大層大切みたいだからな、もしお前が死ねばヤツは悲しむだろう。そうならないように、俺が一緒に殺してやる。どうだ、お前にとっては未練を残さずに済むから嬉しいだろう」
「シーナには手を出すな」
 ハンフリーが怒りを込めた口調で言うと、アルフは引き攣った笑みを浮かべた。
「大切なものを奪われるのは辛いか?お前にその気持ちがわかるのか。俺の気持ちが、お前にわかるかっ」
「………っ」
 アルフは言い終わらないうちに鋭い一撃をハンフリーへと向けた。一瞬の遅れで、ハンフリーの腕から鮮血が飛び散る。
「ハンフリーっ」
 シーナが叫ぶ。その声に思わずフリックの身体が動いたが、それをビクトールが止めた。
「よせ、ハンフリーは手出しをするなと言っただろう」
「分かってる。だが……このままじゃあハンフリーのやつ……」
「どんな形であれ、あいつが決めて、あいつが自分で乗り越えなきゃならねぇことだ。誰かの命を奪うってことは、たとえそれがどんな理由であれ覚悟がいることだろう?ハンフリーだってそれは十分分かってる。仮にも軍人だったんだ、あいつだってそれくらいのことは分かってる。けど、カレッカのことだけに関しては、あいつにはどうしても割り切れないところがあるんだろう。あいつじゃなきゃそれは分からない。俺たちがどんなに想像したところで、その辛さはあいつにしか分からないことだ」
「斬られてもいいと?」
「………」
 冗談じゃないぞ、とフリックが舌打ちする。二人の会話をじっと聞いていたディランがぽつりとビクトールに言った。
「本当に憎んでいる相手に対する復讐っていったい何だろう」
「ん?」
「ハンフリーさんにとって、シーナがどれほど大切な人間なのか、アルフはきっと気づいたと思う。ハンフリーさんと苦しめたいのなら、こんなことをせずにさっさとシーナのことを傷つければいい。例えばシーナを殺してしまえば、自分と同じ苦しみをハンフリーさんに与えることができる。でも、そうはしなかったのはどうしてだろう」
「……そりゃ……俺たちはあいつらの仲を知ってるが……あいつは知らないから…」
「そうかな、シーナの言動を見てればさ、そんなの一目瞭然だと思うけど」
 ディランの言うことはもっともで、なるほど言われてみれば、何故とも思う。けれど、やはりアルフは自分の手で決着をつけたかったのではないだろうか。ビクトールは簡単にそう思ったが、ディランは何かをずっと考え込んでいた。



 アルフがカレッカの村の生き残りだと分かり、自分のことを探していると分かった時、ハンフリーは果たして自分が彼を斬ることができるだろうかとずっと考えていた。
 復讐という名のもとかつての帝国軍の軍人たちを斬ったということで、彼の手は罪で汚れている。その理由に同情すべきところはあったとしても、盗賊たちに手を貸し、復讐とは無関係の人間を傷つけたことは言い逃れはできないことだ。
 けれど、自分には彼の気持ちが分かるから。理不尽な殺され方で大切な人を失った彼の気持ちが分かるから。
 斬られてもいいと思っているわけではなかった。けれど、彼が自分を憎いを思うことは誰にも止められないことだとも思っていた。
 けれどシーナは関係ない。
 何があっても、関係のない人間に手を出すことだけは許すことはできなかった。
 ハンフリーの大刀がひゅっと乾いた音をさせてアルフの頬を掠めた。それまで一方的に攻撃をしかけられていたハンフリーが、一転してじりじりとアルフのことを追い詰めていく。剣先がアルフの肩を裂き、鮮血が飛び散った。次第に真剣味を増していく二人の勝負。
 それまでのアルフの勢いが少しづつ弱まったきたことに最初に気づいたのはディランだった。それはハンフリーの剣で傷ついたせいではない。
 まるでハンフリーの剣を誘いこむようにわざとテンポをずらしている。意識して手を抜いているような感さえする。
「いけない……」
 ディランが何かに気づいたようにつぶやき、次の瞬間には駆け出そうとした。
「おい、ディランっ!」
 ビクトールが慌ててその腕を掴もうと手を伸ばした。けれど低く身を屈めてするりとその手をかわして、ディランがハンフリーの元へと駆け出す。
「ディラン……っ!!」
 くそっとビクトールが舌打ちする。駆け出したディランのあとをフリックが追いかけた。
 どう見てもハンフリーが危ないようには見えない。むしろあと少しでアルフを倒すことができそうにさえ見える。
 突然駆け出したディランに驚いたのはビクトールたちだけではなく、離れた場所にいたシーナも同じだった。ちょうど大刀を振り上げていたハンフリーを突き飛ばすようにしてディランが二人の間に入り込む。
「ディランっ!」
「………っ!!」
 軽く片手が上げられた次の瞬間、辺りが眩しい光に包まれた。ディランの放った紋章の力がアルフに襲いかかる。
 思いもかけなかった展開に、誰もが息を飲んだ。
 アルフは、何の抵抗もせずにディランの一撃の元に崩れ落ちた。



「何で?」
 眩しい光が潮が引くように薄れていく。一瞬の沈黙のあと、シーナもビクトールたちもハンフリーたちのそばへと駆け寄った。ハンフリーもいったい何が起きたのかすぐには理解できないようで、呆然としている。ディランだけがすべてを理解しているように、その場に倒れたアルフを見つめていた。
 冷たい大地に横たわったアルフは虫の息だった。もう助からないことは誰に目にも明らかで、あっけないその幕切れに皆戸惑いを隠せない。
「どうしてだよ、どうしてこんな……」
 これはハンフリーが片をつけるべきことだと誰もが思っていたのに、どうしてディランが最後に手を出したのかシーナには分からなかった。シーナがディランの肩をつかんで、どうしてだよと叫ぶ。ディランはその場に膝をつくと、アルフに向かって声をかけた。
「これが、あなたの最後の復讐だったんですね」
「………」
「あなたはハンフリーさんに殺されたかったんでしょう?」
 アルフは微かな息でディランを見返した。じっと見つめるディランが誰なのか、きっと分かってはいないのだろう。質問には答えずに、ぐるりと視線を巡らせてハンフリーを見据えると、最後の力を振り絞るようにして声を出した。
「……思わぬ邪魔が、入ったな……」
「………」
「お前が…俺を殺せば………本当に…お前が、カレッカを……」
 ふと言葉が途切れ、そのままアルフは息を引き取った。
「どういうことだ」
 ビクトールがわけが分からないというようにディランの傍に立つ。フリックもまたその理由が知りたくてディランを見る。
「ハンフリーに殺されたかったっていうのはどういうことだ?」
 ディランは今ハンフリーもう静かに眠るだけのアルフから視線を外さずに言った。
「彼は……復讐したかったんだよ。それは…ハンフリーさんを殺すことではなくて、ハンフリーさんに殺されることで、今以上の苦しみを背負わせたかったんだと思う」
「………」
「彼がカレッカの最後の生き残りなのだとすれば、彼を殺せば、ハンフリーさんは本当にカレッカを滅ぼした人間になる」
「……っ」
 シーナは淡々と告げるディランを見つめた。
「そのことで、これ以上ハンフリーさんに罪の意識を持って欲しくはなかった。あの惨劇はハンフリーさんだけの罪ではないけれど、もしここで彼を殺してしまえば、きっとハンフリーさんはまた深く傷つくことになるから。自分のせいで、ってこの先ずっと思い続けることになるから。そうはさせたくなかったんだ」
 勝手な真似をしてごめんなさい、とディランはハンフリーに謝った。戸惑うようにハンフリーは首を振る。
 カレッカの最後の生き残りだったアルフ。彼を殺せば、本当にカレッカは終わりを告げる。そうなればハンフリーは一生その罪を悔いながら生きることになるだろう。
 アルフにとっては、それがハンフリーに対しての復讐だった。
 ハンフリーが罪の重さを感じることのできる人間だと知り、自分を殺させることでさらに深い罪を負わせようとしたのだ。
 今まで、アルフが手をくだしてきた人間は、誰も己の罪を後悔などしない人間だった。あれは戦争だといい、心を痛めることなどない人間ばかりだった。
 けれどハンフリーは違った。
 あの虐殺が何なのか、その意味をちゃんと知り、罪を背負って生きていた。ハンフリーは他の帝国の人間とは違う。けれど、だからといってアルフはハンフリーを許せることはできなかったのだ。
 ただ彼になら終わらせてもらえると思ったのだ。
 長い長い孤独な戦いの日々を。
 かつてカレッカという村があったことを、その裏に隠された真実を、許されない深い罪を、一瞬たりとて忘れることなく抱えていってくれる人を、アルフは探していたのかもしれない。
 カレッカで命を亡くした多くの人たちの無念をハンフリーに背負わせることが、アルフにとっては最後の復讐だったのだ。
「これで最後だって言ってた……」
 ぽつりとシーナがつぶやいた。
「あれは……そういうことだったんだ……」
 シーナの頬を一筋涙が零れ落ちた。





 本拠地に戻ると、入口には軍師が立っており、黙って城を空けたディランを問答無用で引きずっていった。ビクトールとフリックは多くは言わず、ハンフリーの肩を叩いて自室へと引き上げていった。
 その場に残ったシーナは、無言のままでいるハンフリーに、おずおずと声をかけた。
「ごめん、勝手なことして、ごめんなさい。だけど、俺……放っておけなかったから」
「………」
「あんたが一人で辛い思いしてるの、黙ってみてられなかったから……だから……」
「シーナ」
 ハンフリーがゆるく首を振って、そして低く告げた。
「お前が俺に対してどんな迷惑をかけても、どんな心配をさせても、それはかまわん。だが、ビクトールやフリック、ましてリーダーにまで迷惑をかけたりするんじゃない。みんなお前のことを心配して手を貸してくれたんだ。いいか、自分だけの考えで勝手な行動をするんじゃない。仮にも同盟軍の一員なら、それを忘れるんじゃない」
「………はい…」
「………」
「ごめん……なさい……」
 うつむいたまま小さくつぶやいたシーナの肩を片手で抱き寄せて、ハンフリーが小さな頭を抱え込んだ。
「……無事でよかった」
「………」
「あまり心配させるな。寿命が縮まる」
 うん、とシーナがうなづく。力強い腕に抱きしめられて、やっと緊張が解けた。ほっとして、ふいに淋しさや、言いようのない寂寥感や、不条理さに胸が詰まった。
 とりあえず部屋に戻ろうと、二人してすっかり静まり返った城内を歩いた。ハンフリーの広い背中を見ていると、シーナは込み上げてくる感情に気が狂いそうなほど悲しくなった。
 暗い部屋に入ったとたん、シーナはその場にしゃがみこんで、吐き出すようにして嗚咽を洩らした。
「シーナ?」
「……っ…って……ん、ない……っ…」
 ぽろぽろと大粒の涙が汚れた床に落ちては染みを作っていく。小さく身体を丸めて、子供のように慟哭するシーナに、ハンフリーは声をかけることもできなかった。それほど恐い思いをしたのかと思い、ハンフリーはシーナへと手を伸ばし、そっと濡れた頬を拭う。
「どうした?反省したのならもういい、そんなに泣くな」
「ちが……っう…俺…わかん……なくて……」
 ひっくと胸を喘がせて、シーナが首を振る。
「わかんない……よ……、何が正しいことなのか…アルフの気持ちも……わか、るし……ハンフリーの気持ちだって…わかるんだ…。でもどちらが正しいことなのかなんて、わかんない。どうしてアルフが……し、死ななくちゃいけないのかも……俺、わかんないよ……」
「………」
「辛くて……っ」
 シーナはハンフリーの胸に顔を埋めて大きく肩を振るわせた。
「どっちの思いもすごく辛い……、どうしてだろ……、どうしてこんなことになっちゃうんだろう」
「……シーナ……」
「俺、戦争なんて嫌いだった。それは……目の前で人が死んでいくのを見るのもヤだったし、自分が痛い思いするのもヤだし、楽しいことなんて……何もなくて……、でも…それは闘いが終われば、全部なくなると思ってたんだ」
「………」
「だから早く終わればいいって……そのために、俺も協力しようって…ずっとそんな風に思ってた。闘いが終われば…全部終わるんだ…って」
 シーナは涙でぐっしょりと濡れた顔を上げた。どこか辛そうにシーナの話を聞いているハンフリーに、シーナは続けた。
「だけどそうじゃないんだ……。戦争が終わっても、こんな風に人は傷つき続けてる。アルフもハンフリーも、生きてる限り、いっぱいいろんなものを背負って生きてかなくちゃならなくて……終わりなんて……ないんだって……闘いが終わっても…なくならない……って」
「………」
「辛いよ……そういうの、すっごく辛くて、俺……どうしたらいいのかな……。今まで何も考えたことなかったけど、これから考えればいいのかな…、俺にも……できることあるのかな」
「シーナ」
 ハンフリーがぎゅっと華奢な身体を抱き締める。
 戦争というものがどういうものなのか。人の心に何を残すのか。罪とはどんなものなのか。許されるとはどういうことなのか。闘うことはどういうことなのか。己にできることは何なのか。
 それは言葉で教えてやれるものではない。正しい答えなどどこにもないのだから。
 ハンフリーは自分に言い聞かせるようにしてゆっくりと告げた。
「戦争は、正しいと思うところから始まって、間違っていたと知ることで終わるものだ。だから勝っても負けても、後悔のない終わりはないのだと思う」
「………」
「シーナ……俺は剣を手にして生きているから、これから先も人の命を奪うこともあるだろう。お前の言う通り、戦争は人の心に深い傷を残すだけだ。残さないことなどない。けれど闘わなくてはいけない時もある」
「………」
「その中で生まれた罪から、俺は目を反らさずに生きていたいと思っている」
「……うん」
「許されようとは思わない。逃げるつもりもない。シーナ、俺はあの罪から解放されたいと思っているわけではない。だから俺のために涙など流す必要はないし、お前が心を痛める必要もない」
「俺には関係ないってこと?」
「……そうじゃない……。自分一人で、向き合うことが必要だと思っているだけだ。すまない、今までカレッカのことを、お前に話すことはできなかった。だが、分かって欲しい。これは誰が何をしようと、最後まで俺の中にある意識の問題なんだ」
「………」
「大丈夫だ。俺は、お前よりも幾分長く生きている分、少しは強い。心配などいらない」
 うん、とシーナはうなづく。
 突き放されたような気持ちがするのは否めない。けれど、そんな風に一人で痛みを抱えるハンフリーのことを、自分はきっと嫌いにはなれないだろう。
 手を差し伸べることも、痛みを分かち合えることもできなくて、それをやっぱり少し淋しく感じても、ハンフリーのそばを離れることはできないだろう。
 ハンフリーはそういう男だから。
 そんなハンフリーのことを、自分はきっとずっと好きでいるだろう。
 ずっと好きでいたいと、そう思う。
「俺、もっとちゃんと自分にできることを考えるよ」
「うん?」
「あんたが辛いことから逃げないっていうんなら、俺もそこから簡単に逃げるような人間にはなりたくないからさ。今まで嫌だと思って避けてたこととか、もっとちゃんと目を向けてみる。そうすることで、あんたの気持ちもちょっとは分かるようになれるかもしれないしさ」
「………」
「俺、ほんとにあんたのことが好きなんだぜ」
 そうか、とハンフリーは嬉しそうに目を細めた。
 ただ好きなだけではだめなのだ。
 その人のことを好きなら、知りたいと思うなら、理解したいと思うなら、自分も変わらなくてはいけないのだ。
 闘いが人の心に残す傷が少しでも少なければいい。
 残った傷を少しでも癒すことができればいい。
 シーナはふと、隣国で国を治めている父親のことを思いだした。
 先の戦争が終わった時、荒れ果てた国を再び治めるためにその任についた父は、やはり同じようなことを考えていたのだろうか。強引なところはあるものの、民からの信頼も厚いレパントは、闘うことに何を思うのだろうか。
「もしかして、ただの頑固親父じゃなかったのかなー」
 今まで政治や、父親の仕事になんてまったく興味はなかったけれど、もしかすると案外奥が深いものなのかもしれない。
「ちょっと勉強してみてもいいかな」
 ぱったりとハンフリーの腕の中で脱力したシーナがつぶやいた。
 そのまま眠り込んでしまったシーナを、ハンフリーが抱き上げてベッドへと下ろす。
 あどけない子供のような寝顔を見つめて、ハンフリーは最後まで自分のことを憎んで命を落としたアルフのことを思った。
 彼は、自分のことだけを憎んでいたわけではないのだ。
 彼が憎んでいたのは、戦争がもたらす悲劇。それによって人々に与えられる悲しい思い。
 今回のことは決してあの罪からの解放ではなくて、むしろ日々薄れていく罪の意識を諌める警告のようなものだったのではないかと思う。
 忘れてはいけない。
 自分だけは忘れてはいけない。
 自分にとっての最後の闘いは、あの罪を忘れずにいること、そしてそれが自分にできる唯一の償いでもあるのだから。
 



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