禁酒のススメ


 すっごくいい夢を見ていたのに、どんどんと五月蝿く扉を叩く音で起こされてしまった。
 無視しようと思ったけれど、あまりにもしつこいので寝ぼけたままベッドから這い出た。足を下ろしたとたん、床の冷たさに一気に目が覚めた。時計を見ると夜中の2時。
 こんな時間にいったい誰なんだ、と頭に来ながら扉を開けると、どさっとでっかい荷物を押し付けられた。その勢いのままに後ずさって、あまりの重みに尻餅をついてしまった。
「いったいなー!!もーっ!何なんだよっ」
「それはこっちの台詞だぜ」
 顔を上げると、戸口の所にフリックとカミューが立っていた。二人ともえらく疲れた顔をしている。
「酔いつぶれた男ってのは、本当に重いな」
 やれやれというようにフリックは肩をぐりぐりと回した。
 カミューも同感だというようにうなづいている。
 自分の上に覆い被さる荷物……だと思っていたのはハンフリーだった。びっくりしてその背中をつかんだがびくともしない。
「ちょっと!!ハンフリー!どうしたんだよっ!お、重たいだろっ!」
 ぐったりともたれかかってくるハンフリーは、うーともあーともつかない意味不明の言葉を発している。……どうやら酔っ払っているらしい。それもかなりすごい状態のような気がする。
 俺は床の上に後ろ手をついて、フリックたちに「助けろ」と怒鳴った。
「勘弁してくれよ、酒場からここまで連れてくるのにどんなに苦労したと思ってるんだ。あとは任せたからな」
 フリックはこれで役目は済んだとばかりに立ち去ろうとする。
「カミューっ!」
 騎士道精神旺盛な元赤騎士団長なら助けてくれるだろう、と期待を込めてカミューに助けを求めたが、彼も無情にも優雅に一礼するだけだ。
「シーナ殿、我々はまだあと二人運ばなくてはいけないのです」
「二人って?」
「ビクトールとマイクロトフだ」
 心底嫌そうな表情でフリックが吐き捨てる。どうやら5人でしこたま飲んで、フリックとカミュー以外は酔いつぶれてしまったらしい。ビクトールもハンフリーもマイクロトフも人並み以上に体躯がいいから、運ぶのは大変だろうとは思う。
 思うが……
「そんなの放っておきゃいいだろ!」
 こんな真夜中に睡眠妨害するなんて非常識極まりない。思いっきり文句を言う俺に、二人はまたいやな顔をした。
「お前に言われるまでもなく分かってるよ、そんなことは。けど、レオナが酒場に放っておかれちゃ困るって、すげぇ剣幕で怒るからさ」
「そ、そうかもしれないけど!」
 レオナの恐ろしさをよく知ってるだけに、フリックたちが気の毒な気もしたが、それとこれとは話が別だ。俺はぐったりともたれかかるハンフリーを必死で横へと押しやりながら、フリックたちに聞いた。
「だいたい、何でこんな酔っ払うまで飲ませたりするんだよっ!」
「いや、それがさ…」
 フリックはあさっての方向を見ながら、これまでの経緯を話した。
「タイ・ホーが東方の島国にある珍しい酒ってのを手にいれて振舞ってくれたんだ。ずいぶん口当たりのいい酒だったんで、みんな飲むわ飲むわ。で、それがまたすごく強い酒だったみたいでな、見事にみんな酔っ払っちまったんだ」
「じゃあ何で、あんたら二人は平気な顔してんのさ」
「俺は知らない酒を飲んで、前に酷い目に合ってるから、今夜は飲まなかったんだ。カミューは…」
「私は酒で酔ったことはありませんから」
 にっこりと恐ろしい台詞を口にして、カミューは行きましょうとフリックを促した。
「あ、おい待てよっ」
「じゃあ頼んだぜ、酒豪のハンフリーが酔っ払う姿なんて滅多に拝めるもんじゃないからな、せいぜい介抱してやれ」
 どこか楽しそうな表情でフリックが手を上げる。ぱたん、と静かに扉が閉まり、部屋には俺とハンフリーの二人だけになってしまった。
 くそっ、冗談じゃないってんだ!
 俺とハンフリーのウェイトの差がどれだけあると思ってるんだよっ!!どうやってこの大男をベッドまで運べっていうんだ!!
「うーーっ、ハンフリー!!起きろよっ、ハンフリー!!」
 耳元で怒鳴ってもびくともしない。両足の上に乗られたまま、俺は動くこともできない。
「もーーーっ!いい親父が何で酒で酔い潰れたりするんだよっ!かっこ悪いっ!」
 ばしっと肩を叩くと、やっとハンフリーは大きく息を吐き、目を開けた。
「シーナ?」
「そう。俺だよっ。もーいいから起きてくれよ」
 俺が懇願すると、ハンフリーは身を起こして、眉根をぎゅっとしかめた。
「なに、気持ち悪いの?」
「………いや……それより、どうしてお前がここにいるんだ?」
「あのさ、ここは俺たちの部屋。さっきフリックとカミューがあんたのこと送り届けてくれたんだよ、覚えてないの?」
 ハンフリーは低く唸るばかりで返事をしない。
 やれやれ。酔っ払いってのは恐ろしい。
 俺は立ち上がると、テーブルの上のコップを掴んで水を汲みにいった。ハンフリーはまだ状況が上手く飲み込めていないようで、ぼんやりとしていたけれど、俺がコップを差し出すと、あぁと唸ってそれを受け取った。
「なぁ、もう寝た方がいいって……明日絶対二日酔いだろうけどさ」
「ああ……」
 手を貸して立ち上がらせると、ハンフリーは意外としっかりした足取りでベッドまで歩いた。
 酒を飲んだせいで熱いのか、無言でシャツを脱ぎ捨てると、ぎしりと音をさせてベッドに腰掛ける。ちょっと心配だけど、まぁこの分なら大丈夫だろう、と俺はほっと息をついた。
「おやすみ、ハンフリー」
 ハンフリーの筋肉質な肩に手を置き、ちゅっと音をさせてキスをして、俺はベッドに乗りあがった。
 部屋にベッドは一つしかないのだから仕方がない。大きく欠伸をしてハンフリーの向こう側へ行こうと移動をする。どうも壁際じゃないと眠れない性質なのだ。
 狭いところじゃないと安心しないのは子供の証拠だ、と以前からかわれたけれど、癖なんだからしょうがない。
 これは小さい時に両親と一緒に川の字になって寝ていたせいだと思うのだが、どうだろう?
 早く暖かい毛布に包まろうと上掛けを摘んだ手首を、ハンフリーに掴まれた。
 何…?…と声を上げるよりも早く、引き倒されるようにして俺はベッドの上に押さえつけられた。
「ちょ……っ……んぅ……」
 すぐさま強引に唇を奪われて、息ができなくなる。
 まるで食い散らかすという表現がぴったりのような荒々しい口づけに、成す術もなかった。熱い舌が咥内を無遠慮に動き回り、顔を背けようとすると、片手で顎を押さえられた。
 どれくらいそうしていたのか、やっと解放してもらえた時には、俺はすっかり身体の力が抜けてしまっていた。
「……酒くさい」
 キスだけでこっちまで酔ってしまいそうだ。
 眉を顰めて文句を言うと、ハンフリーは一瞬驚いたような顔をして少し笑った。そして
「自分が飲んでないからそう思うだけだ」
 などと自分勝手なことを言って、なおも深く口づけてきた。

(うわー、ほんとに酔ってるなぁ……)

 ゆるく舌を絡めながら、ぼんやりと思った。
 これは相当酔ってるに違いない。でなけりゃこんな風に有無を言わせずに襲ってきたりする男じゃないからだ。それにしてもハンフリーがここまで酔うのもめずらしい。いつもビクトールたちと飲んでるけれど、今まで一度だって酔っ払ったところを見たことはないのだ。いつも難しい顔をして黙って飲んでるくせに……
 くすっと笑いを洩らした俺に、ハンフリーが唇を離した。
「何だ?」
「え?いや、あんたが笑い上戸とか泣き上戸じゃなくて良かったなーって思って。想像したら笑えてきたんだ。けたけた笑うハンフリーなんて想像できないよ」
 自分で言ってても笑ってしまう。でもまぁ、一度見てみたいとも思うんだけどさ。
 くすくすと笑い続けていると、ハンフリーもどこか楽しそうに俺の首筋に顔を埋めてきた。がっしりとした腕に抱きすくめられて、冷えていた身体に熱が灯る。
「んっ……ちょっとハンフリー……本当にするつもり?」
 眠気はすっかり飛んでしまったけれど、こんな真夜中だ。おまけにしこたま飲んでてちゃんと勃つのかどうかも怪しいものだ。その気にさせといて、できませんでした、なんてのはごめんだ。
「……シーナ、嫌か?」
 そう言ったハンフリーの少し掠れた声が妙に色っぽく感じて、俺は背筋に震えが走るの感じた。嫌なわけないだろ、と呆れてしまう。
 いつだって、何度だって、抱いて欲しいと思っているのに。
 いい歳をした大人が拗ねた子供みたいな目をするのがおかしくて、俺は試すように言ってみた。
「俺がうんと嬉しくなるようなこと、10個言ってくれたら、してもいいよ」
「…………」
「じゃなきゃ、やだね」
 ハンフリーの腕からすり抜けて、なおも追ってくる手をぎゅっと押しとどめた。ハンフリーはおもしろいものでも見つけたような目をして、俺を壁際へと追い詰めて身体の上に覆い被さってきた。
「重いよ……」
「……10個言えばいいんだな?」
「ふふ……あんたに言えるならね」
 ハンフリーは素面じゃ絶対に甘い睦言なんて言わないのだ。ベッドの中でだって、そういうことは口にしない。別にそういうのが欲しいってわけじゃないけど、たまには聞いてみたいとも思う。
 半分冗談のつもりだったのに、ハンフリーはしばらく逡巡したあと、口を開いた。
「お前は……綺麗だ……」
「……なにそれー!それって誉め言葉なのかなー?」
 笑いが込み上げる。だめだ、本当にハンフリーのやつ酔っ払ってる。何故笑う?と聞き返すあたり、自分で何を言ってるのか分かってないらしい。
「はは……っ…でもまぁいいや、うん、それが一つ目だね」
「それから……頭がいい…」
「いつもあんたに怒られないようにって、上手に嘘つくから?」
 どんな嘘をついているんだ?とハンフリーが笑う。慌てて小さな嘘だよ、と誤魔化しておく。
「三つ目は……キスが上手だ…」
「………うーん、まぁ下手って言われるよりは嬉しいかな。でもそれってあんたが嬉しいことじゃないの?」
 とりあえず証明してあげるよ、と言葉を遮って、俺はハンフリーに口づけた。短いキスのあと、ハンフリーは四つ目に、と続けた。
「四つ目は……お前は……我侭だ……」
「………?あのさ、俺の性格を言えって言ってるわけじゃないんだけど」
 だいたい我侭だ、なんて言われて俺が嬉しくなるとでも思ってるんだろうか?このあたりが酔っ払いなんだよなー。まぁ悪い意味で言ってるわけじゃなさそうだからいいんだけど。
「五つ目は……お前は優しい……」
「うん、ハンフリーには優しいだろ?でなきゃ、こんな夜中にこんな酔っ払いの相手なんてしないぜ」
 優しいというよりは、惚れた弱みって感じもするんだけどな。
 以前ならこんな酔っ払いの戯れ言に付き合ったりはしなかっただろう。
「六つ目は……」
 そこで黙りこんだハンフリーの頬を摘み上げた。
「……何だよ、もう終わりかよ?」
 たった五つだなんて、ひどいじゃないか。あと五つ言わないと絶対にやらせない。ハンフリーは拗ねてみせる俺の目蓋に口づけ、くしゃりと笑った。
 そして、口にした一言。
「俺はお前のことが好きだ」
 どくん、と痛くなるほど心臓が脈打った。
 思いもしていなかった一言に、俺はよほど嬉しい顔をしてしまったのだろう。ハンフリーはしてやったりといった風に笑うと、もう一度言った。
「好きだ、シーナ」
「…………うん」
「今ので残り五つ分だ。文句はないだろう」
 ずるいなぁと、ちょっとばかり悔しかったりもする。
 好きだという一言が、俺にとってどれだけ嬉しい言葉か、ハンフリーはちゃんと知っているのだ。
 綺麗だとか頭がいいとか、そんな俺自身のことなんてどうだっていいんだ。
 誰かが……ハンフリーが俺のことを好きだと言ってくれることが、俺には一番嬉しいことだから。
 俺は両腕を伸ばしてハンフリーのことを引き寄せた。


 ゆっくりと交しあう口づけが深いものになると、それだけで身体の奥が火が灯ったように熱くなるのを感じた。ハンフリーの掌が隈なく身体を探り、やがて抱え上げるようにして片足を胸元へと押し上げた。触れられた瞬間、その心地良さに溜め息が洩れた。
「……ふ……ぁ……」
 どうすれば俺が感じるのか、ハンフリーは知っている。
 仰け反った首筋を唇で辿り、きつく吸い上げられて思わず声が洩れた。ハンフリーの手の中のものは形を変え、徐々に指先を濡らしていく。
「う…っ…ん……ハ、ンフリー……っ」
「黙ってろ」
 ぴしゃりと言われて先を促すこともできない。強弱をつけて擦り上げられて、俺はぎゅっと目を閉じて快楽を解き放った。我慢する気なんてさらさらなかった。何度だってイける。
 ハンフリーはいつだって俺を最高の気分にしてくれる。
 身体だけじゃない。
 身体だけならこんなに満たされたりしない。
 濡れた指先で奥を探られ、熱い昂ぶりを押し当てられた。すり寄せるように腰を揺すって、早くとねだると、ハンフリーはそれを与えてくれる。
「んっ……んぅ……」
 酔っ払いの身体はひどく熱くて、抱き締められるとこっちまで熱を持ちそうだった。開かされた其処は、さほど馴らされていなかったにも関わらず、ハンフリーのものをさらに奥へと招きいれようと淫らに収縮を繰り返す。
 ゆっくりと突き上げられて、喉の奥で飲み込んでいた息が洩れた。
 決して急ぐことなく追い上げられて、きつくハンフリーの肩にしがみつく。大きく広げられた脚が少し痛くて、俺は両足をハンフリーの腰に回してやった。ぴったりと重なりあい、早くなる律動に身を任せて、とろりと酩酊した快楽に酔った。
 深く口づけられ、身体の奥に熱を吐き出されて、それでもまだ足りなくて、もっととせがむ。
 求めたのはハンフリーだったのか、それとも俺だったのか。
 一度じゃ満たされないのはお互い様で、再びひたりと押し付けられた欲望に、俺は進んで身体を開いた。





 翌朝、朝食の席についたハンフリーは、思った通り二日酔いでひどい顔をしていた。いつもに増して眉間に皺が寄っている。
 濃いお茶を入れて、俺はテーブルの向かい側に座った。
「何か、まだ酒臭いよ」
「ああ……」
「なぁ、昨日のこと覚えてる?」
 頬杖をついて、ハンフリーの様子を窺う。ハンフリーは何のことだ、と少し嫌な顔をした。
 俺は昨夜、ハンフリーが酔っ払って口にしたことを教えてやった。
 話を聞いていくうちに、ハンフリーはますます眉間に皺を寄せていった。
「………それは本当の話なのか?」
「やっぱり覚えてないんだ。本当の話だよ、あんた、素面じゃ絶対口にしないような言葉を10個言ったよ」
 もっとも、一つで五つ分だなんて反則技も使われたけど、とは口にはしなかった。ハンフリーは低く唸ると、まだ俺が嘘を言っているのではないかというような疑いの目を向けてくる。
「たまには酔っ払いもいいもんだね」
 からかい気味に言ってやると、ハンフリーは
「しばらく禁酒する」
 と宣言した。
 その子供っぽい口調に思わず笑ってしまった。
 付き合い始めて知った。
 誰も信じてくれないけど、ハンフリーは案外と子供っぽいところがある。
 もしかすると、俺よりもずっと。
 俺はハンフリーのそういうところが大好きだ。



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