幸せのバランス


 わぁっ、と路地の向こうから子供たちの声が上がった。
 表通りをのんびりと歩いていたビクトールはその声を聞き、何事か、とつい余計な好奇心に背中を押されて足を向けた。
 狭い路地の真ん中で、子供たちが輪になって何やら大きな声で騒いでいた。
 よくよく目を凝らしてみると、5、6人の少年が1人の少年を取り囲んでいる。
「……なくせに、生意気なんだよっ」
「何だよ、その目は!」
「貧乏人は貧乏人らしくしてろってんだよっ」
 大柄な少年の一人が、囲まれた少年をこづく。
 どうやらその少年がリーダーのようで、周りの連中も調子にのって、同じように手を出し始める。少年はつかまれた腕を振り払い、5人を相手に拳を振るっていたが、それでもさすがに数には勝てないようで、やがて石の壁へと突き飛ばされた。痩せた身体がバランスを崩して地面へと倒れこむ。
「ざまぁみろ」
 さらに殴りかかろうと、一人が手を上げた。
「おいおい、いい加減にしておけよ」
 ビクトールが見かねて少年の手を掴んだ。
 どうしたものかと悩んだものの、さすがに見て見ぬふりもできず、余計なおせっかいだとは分かっていたものの、首を突っ込んでしまった。
 おせっかいはよせ、なんて、いつも自分が相棒に言ってる言葉が思い出され苦笑する。どうやら、自分も相当におせっかいな性質らしい。
「何だよ、おっさん!!」
 手首をつかまれた少年はビクトールの手を振り払い、露骨に眉をしかめた。周りの連中も突然現れたよそ者に、今にも飛び掛ってきそうな気配を漂わせている。
 最近街ではこの手の少年たちをよく見かけるようになっていた。
 戦いの中で両親を、下手すると村ごと無くし、頼るものがいなくなった少年たちがグループを作り、盗みを働く。同盟軍にも増加する被害に耐えかねた街人が助けを求めてくることもあるくらいで、シュウがぼやいていたのを思い出した。
 どうやらそんな少年たちの諍いのようだった。
 だが、所詮子供だ。ビクトールにしてみれば、子犬が吼えている程度にしか思えない。子供の喧嘩に口を出すなんて、自分の柄じゃないとは思うものの、こうなってしまっては仕方がない。
 ビクトールは手を離すとにんまりと笑った。
「一人に多数なんて卑怯だろぉが。男なら堂々と…」
「うるせぇんだよっ!関係ねぇやつは黙ってろ」
 やれやれ。
 子供相手にまさか剣を振るうわけにもいかない。どうしたものか、と考えあぐねていると、やられていた少年が血のにじんだ唇を拭いながらも大声で言った。
「一人じゃ何もできないくせに!!いつまでもいい気になるなよっ。いつか絶対に見返してやるからなっ!!今に見てろっ!!」
「何だとっ!!!」
 まさに一触即発といった感じで、嫌な殺気が漂う。
「よせって言ってるだろうが。さぁ、喧嘩はここまでだ。行った行った」
 にらみ合う少年たちの間に入り、ビクトールがぱんぱんと手を叩く。
 これ以上ここで争っても無駄だと思ったのか、少年たちがばらばらとその場を去っていく。残されたのはビクトールといじめられていた少年の二人。
 ビクトールは少年のそばに寄るとその場にしゃがみ、血のにじんでいる膝を覗き込んだ。
「ああ、けっこう血が出てるな。大丈夫か?」
「触るなよっ!!」
 少年がビクトールの手を払う。
「ばか、意地張ってる場合じゃねぇだろうが。いいから、ちょっとそこに座れ」
 ビクトールが少年を無理矢理、積まれていた木箱の上へと座らせた。そして、いつも常備している薬袋の中から薬を取り出すと、少年の傷口へと塗ってやる。
「お前……名前は?」
「………」
「ああ、そうか。俺はビクトールだ。よろしくな」
 ニヤっとビクトールがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「………ハンス…」
 しぶしぶといった感じでハンスがぼそっと言う。
「ハンスか、よろしくな」
 手早く傷の手当てを済ませると、ビクトールはハンスの隣に腰を下ろした。
 歳は15歳くらいだろうか。薄汚れた服にくしゃくしゃの髪。けれど、気の強そうな瞳の色に、ビクトールはふといつも一緒にいる相棒のことを思い出した。
 出会った頃のあいつも同じような挑戦的な目をしていた。誰にでも優しいくせに、自分にだけは突っかかってくるのがおもしろくて、わざとからかったりもした。今思えば、自分とオデッサのことを邪推でもしていたのだろうか?
 今となっては懐かしい思い出だ。
「……助けてくれて……ありがと」
 小さくつぶやいたハンスにビクトールが苦笑する。
 ちゃんと人に礼を言えるようなら、まだ救いはある。本当にどうしようもない人間は人に感謝の言葉など言えないものだ。
「ん〜、まぁ困った時はお互いさまってな。それにしても、いったい何で揉めてたんだ?あんな大人数相手に一人でよ」
「知るかよっ、あいつら何かっちゃ俺にいちゃもんつけてきやがって。俺があいつらの仲間にならなかったのを根に持ってるんだ。くそっ!誰があんな連中の仲間になんかなるもんかっ。一人じゃ何もできないくせに、でかい顔しやがってっ」
 ハンスが木箱の上に置かれていた酒瓶を地面に投げつける。大きな音を立ててガラスが割れた。
「お前、この街の出身か?親はどうした?」
「……出身はここじゃない。村は……ハイランドのヤツらに襲われて全部燃えちまったよ。親父もお袋もその時に死んだ。たまたま隣町の友達んとこに遊びに行ってて…俺は助かった…」
 村の全滅。それはビクトールの胸の奥に眠っている痛みを呼び起こす。
 決して忘れることのできない過去。
「そうか……そりゃ…大変だったな」
「あんたに何が分かるんだよ」
 ふん、とハンスが馬鹿にしたような口調で反論した。
「親父もお袋も、友達も、何もかも無くしちまった俺の気持ちがあんたに分かるもんか。その日食うものだってない生活がどんなに悲惨か、あんたに分かるか?……このままずっと貧乏なまま、最低の暮らしをしていくしかねぇヤツの気持ちがよっ」
「………」
「何でも持ってる連中に何が分かるんだっ。俺が今までどんなに苦労してきたか、どんなに嫌な目にあってきたか…誰も助けてくれなくて、どんなに辛かったか…あんたに分かんのかよっ。何も知らないくせに、知ったような口きくんじゃねぇよっ」
 ハンスは言い捨てるとビクトールを睨む。
 ビクトールはそうだなぁと苦笑する。
「まぁ確かにな。だが、お前が頼るものもなく、たった一人で苦労してるんだろうってことくらい、俺にだって想像はつくぜ。俺だってお前と同じように、生まれ育った村はもうねぇしな」
「え?」
「ずいぶん前にな。俺以外の連中は全員死んじまって、もういない」
「………」
「もう…ずいぶん昔の話だがな。ま、辛いことってのは誰にでもあるもんさ」
 そんなことくらいとっくに承知していたのか、ハンスは黙った。不幸なのは自分ばかりではない。けれど、自分ばかりではなくても、辛いことに違いはないのだ。
 そんな自分ではどうすることもできない焦燥感。
 初対面のビクトール相手に、ついつまらないことを言ってしまったことを、ハンスはちょっと恥ずかしく思った。
 自分と同じような経験をしているというビクトール。本当か嘘かは分からなかったが、もし本当だとすれば、こんな風に八つ当たりするのは愚かなことだ。
 それでも。
「いくらあんたが俺と同じように村を無くしてるとしても……だからって、俺の今の不幸がなくなるわけじゃねぇだろ」
 ビクトールはそんなハンスににっと笑うと、手にしていた袋の中から買ったばかりの菓子を半分渡した。
「腹減ったな、食えよ。俺のおごりだ」
「………」
 素直に受け取ったハンスは、久しぶりに口にする甘い菓子を夢中で味わっていた。
 ビクトールはそんなハンスをしばらく見ていたが、やがて思い出したように口を開いた。
「なぁ、ハンス」
「何だよ」
「ここで会ったのも何かの縁だ、一ついいことを教えてやるよ」
「?」
 ハンスがじっとビクトールを見る。
「人ってのはな、誰でもみんな同じだけ「幸せ」も「不幸」も経験する。その数も大きさもみんな同じなんだ。一度も不幸を経験したことのないヤツなんていないし、一度も幸せを知らないヤツもいない。大きな幸せを経験したヤツは、大きな不幸だって経験するし、逆に小さな不幸しか知らないヤツは、小さな幸せしか知らねぇってわけだ」
「………」
「お前がもし、今でっかい不幸を経験してるとすれば、死ぬまでの間に絶対に、でっかい幸せがやってくる。間違いねぇ。だが、待ってるだけじゃだめだ。欲しいって思わなきゃ、何も手に入れることなんてできねぇんだ。どうせ俺なんか、って思ってる暇があったら、でっかい幸せを手に入れるために、自分にできることを精一杯やってみろ」
 ビクトールの言葉をじっと聞いていたハンスはぽつりと言った。
「……嘘くせぇな」
「ああ?んなことあるもんか、間違いねぇ話だぜ」
 はっはっはっとビクトールが笑ってハンスの背中を叩く。
 自分と同じようにすべてを無くしたというビクトールの言葉が本当だとすれば、いつか自分にも以前と同じような幸せな時がやってくるのだろうか?ハンスはきゅっと唇を噛んだ。
「分かったよ。騙されたと思って信用してやらぁ」
「何だと〜」
 ハンスは木箱から飛び降りると、少し拗ねたような表情でビクトールを見た。
「あんたを嘘つきにするのは可愛そうだから、俺が証人になってやるよ」
「可愛くねぇヤツだな」
 食べ終わった菓子の包み紙を丸めて道端に投げ捨てると、ハンスはじっと何かを考えているかのように一点を見つめていた。
「……だといいな…」
 つぶやいた声が聞き取れず、聞き返そうとしたビクトールにハンスが軽く手を上げる。
「じゃあな」
「あ、ハンス」
「何だよ」
「……街の西の外れに、ちょっとした仕事をくれる店がある。力仕事が多いが、そこそこ金にはなる。やる気があるなら行ってみろ。店の主人には俺から紹介されたって言えばいい。初めてでも何かやらせてくれるだろう」
「………」
「………」
「しょうがねぇな、がんばってみるか……」
 待ってるだけではだめだというのなら。
 どうせ、何をしたって今以上悪くはならないのだ。それなら、やってみるのも悪くない。
 ハンスはもう一度ビクトールに手を振ると、路地を抜け、街の西側へと歩き出した。
 ビクトールは無言でその後ろ姿を見送った。
 たった一人で、この世の中を行きぬくのは並大抵のことじゃない。
 だから簡単にがんばれなんて言えなかった。
 だけどハンスは言った。がんばる、と。
 何故かやりきれないような気になって、ビクトールは溜息をついた。
「ビクトール」
 突然背後からかけられた声に振り返る。
 視界に入った優しい笑顔にビクトールは思わず目を細め、ふわりと微笑んだ。
「待たせたな、ビクトール」
「いや。オデッサはちゃんと受け取ってきたのか?」
「ああ」
 フリックがぽんぽんと腰にしたオデッサを叩いてみせる。
 数日前、フリックがこの街の鍛冶屋にオデッサを預けた。今日がその仕上がりの日だというので二人して足を運んだのだ。フリックが鍛冶屋へ行っている間にビクトールが日用品の買物を済ませ、余った時間をどうやって潰そうかと考えていたところへ、さっきの子供たちの争いに首を突っ込んでしまったというわけだった。
「……いい話だったな」
 柔らかな表情で言うフリックにビクトールが苦笑する。
「何だ、聞いてたのかよ」
 盗み聞きとは性質が悪いな、とビクトールが軽くフリックを睨む。
 そんなんじゃない、とフリックが笑う。ちょうど店から出て歩いていると、この路地にビクトールの姿を見つけてしまったのだ。声をかけようかと思っていた時に、ビクトールがさっきの話をハンスにしているのが聞こえ、そのまま聞き入ってしまっただけのことだ。
「まぁあれだな……自分で言っておいて何だが、俺だって全部が全部信じてるわけじゃねぇんだぜ」
 照れているのか、言い訳するように早口にビクトールがフリックへと話し始める。
「こんな時代だ、一度も幸せなんて経験することなく死んじまうヤツだっていくらでもいるし、何より、世の中ってのは基本的に不公平なもんだしな。いつか、こんな馬鹿げた夢話、嫌でも嘘だと思い知らされる時が来るんだ。だが、それなら、若いうちに少しくらい夢見たって罰は当たらねぇさ。馬鹿げた夢話でも、信じていた方がいいこともある」
 確かにそうだ。
 一生不幸しか知らずに死んでいくヤツがどれほどいるか。むしろそんな人間の方が多いといっても過言ではないこの時代、せめて子供の時くらい、いつか幸せが来ると信じて何が悪い。
「お前は……?」
 フリックが小さく問い掛ける。
 お前はどうなんだ?フリックは胸の中で問い掛ける。
 昔、ビクトールはすべてを失った。肉親も、友人も、一瞬のうちに幸せは崩れ去り、深い悲しみと憎しみだけが残った。
 もし、人がその身に受ける「幸せ」と「不幸」の数や大きさが同じで、どこかでバランスの取れるものなのだとしたら、ビクトールの受けた大きな「不幸」も、いつかきちんと大きな「幸せ」となって返ってくるのだろうか?
 それとも、もうそれはやってきたのだろうか?
 そう信じていいのだろうか。
 そうであって欲しいと心からそう思う。
 本当に、そう思うから。
 そんなフリックの想いを見透かしたのか、ビクトールがニヤリと笑って手を伸ばし、フリックの冷たい手を取った。何かを確かめるように指をからめ、口元へ運ぶとそっと唇を押し当てる。
「俺は……」
 何も言わないフリックの顔を上目遣いに覗き込む。
「俺はお前に会えたからよ」
「…………っ!」
「これ以上はねぇだろうって苦しい時もあったが、それは「お前に出会う」っていう、とんでもねぇ「幸せ」になって戻ってきたから、十分元は取ったぜ。出会えただけじゃなくて、こうして一緒にいる。俺のことを大切に思ってくれている。これが「幸せ」でなくて何だっていうんだ?今じゃ「幸せ」の方が大きすぎて、いつかまたでっかい「不幸」がやってくるんじゃねぇかって、毎日ビクビクしてるくらいだ」
 だから安心しな、とビクトールが笑う。
 俺はもう不幸なんかじゃないから。
 ビクトールの言葉に、ふいに泣きたいような気持ちになって、フリックは必死にそれを堪えた。
 胸が痛かった。
 ビクトールの言葉は、いつもフリックの心の中の何かを締めつける。
 フリックはビクトールの肩に手を置くと、ゆっくりと上半身を屈めて、そっと唇を重ねた。
 そうしないわけにはいかなかった。
 触れる程度の軽いキスが物足りないのか、唇を離すとビクトールがきゅっと、きつく握った手を引いた。少し驚いたように自分を見つめるビクトールの視線にフリックは小さく笑って言った。
「大丈夫だ、お前の有り余っている「幸せ」ってやつは、俺の「不運」でプラスマイナス0になって、チャラになってる。だから、もうお前に「不幸」が来ることなんてない。安心しろ」
 フリックの言葉に、ビクトールは吹きだした。
 ビクトールの幸運と、フリックの不運と。
 足して0になるというのなら、それなら、ずっと一緒にいればいい。
 もうこれ以上どんな不幸も訪れないように。
 どんな悲しみも訪れないように。
 お互いが幸せでいられるように。
 ビクトールがフリックを引き寄せる。
「だけどよ、お前、不運すぎて、まだマイナスなんじゃねぇか?」
「じゃ、お前の幸運をもっとよこせよ」
 くすくす笑って、フリックが軽くビクトールの肩先を叩く。
 馬鹿げた夢話も、案外と嘘じゃないかもしれないと二人は思った。
 今、こんなに幸せだから。



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