愛する想い 愛される願い 6


<欲しいのは……>


「何ていうか……ほんと、勘弁してくれ!って感じだな」
「それは私も同じですよ」
 それは滅多に見ることのできないツーショットだった。
 ビクトールとカミューが、レオナの酒場の片隅で顔を突きあわせ、ため息をついているのだ。
 フリックとマイクロトフが10歳若返ってしまってからもう2週間がたとうとしていた。
 すぐに元に戻るのではないか、という楽観的予測は見事に裏切られ、二人はまだ18歳と16歳のままである。何も分からない二人ではあったが、さすがと言うべきか何というべきか、すぐにこの事態に順応して、今ではごくごく普通に城の中を歩き回っている。
 さすがに体力面では劣るものの、剣の腕前はそこらの兵士よりもずっとたつので、最近では近くのモンスター狩にも出かけてたりもしている。
 二人にしてみれば、若返ったという意識はないのだから、必死になって元の姿に戻りたいという気も起こらないようで、毎日ずいぶんと楽しそうに暮らしている。
 困ったものである。
「……2週間だぜ?ったく、冗談じゃねぇってんだ」
 ビクトールが深々と溜息をついて、グラスを空ける。
 そう、2週間である。その間、当然ビクトールは禁欲生活を強いられているのだ。
 何も知らないフリック相手に、何ができようというのか。
 無理矢理手を出せば犯罪である。何しろ相手は未成年だ。それは分かる。ちゃんと理解もしている。ここで手を出すほどケダモノでもない…つもりである。
 が、しかし。
「凶悪的に可愛いんだよ」
 ビクトールはがっくりとテーブルに突っ伏した。
 18歳のフリックは、本当に素直で可愛いのだ。
 ちょっとからかっただけですぐに赤くなって、ビクトールに刃向かってくる。そのくせ、初めて城で体験したことなどを、目を輝かせて報告してきたりする。
 今、フリックにとってビクトールしか頼れる者がいないからだとは分かっている。
 それでも、子供のように甘えてくるフリックを見ていると、どうにも抱きしめたい衝動にかられて仕方がない。
「ちくしょう……」
 あの夜、フリックはビクトールに「ごめんな」と言った。
 苦しんでいるのは自分じゃない。フリックだ。
 それなのに、自分の態度が、言葉が、フリックを傷つけていた。そう思うと…何ともやりきれない気持ちでいっぱいになる。
「マイクだって同じですよ」
 カミューもぐったりとイスの背にもたれて嘆息する。
 もともとマイクロトフは子供っぽいところのある男なのだ。
 16歳のマイクロトフはそれが一層顕著に現われていて、傍から見ていて恥ずかしいほどだ。
 今でも十分素直だが、16歳のマイクロトフは人を疑うことなどこれっぽっちもなく、純真で真っ直ぐで、正義感溢れる少年だ。
 おまけに今のマイクロトフはカミューよりも小柄なのだ。
 可愛いなどと言おうものなら、顔を真っ赤にして怒るだろうが、本当に可愛いのだから仕方がない。あの当時は、自分も若かったからマイクロトフのことを可愛いなどと思ったことなどなかったが、今はカミューはいい大人で、マイクロトフは子供だ。どうしても可愛いとしか思えない。
 困った。
「少年趣味はないはずなんですが」
「俺だって、んなもんねぇよ!」
 気味の悪いことを言うな、とビクトールがカミューを睨む。
「ですが、フリックさんのことを抱きたいと思っているのでしょう?」
 ズバリと核心に触れられ、ビクトールはうっと押し黙った。
 そりゃ抱きたい。が、それは別に「18歳のフリック」を抱きたいわけじゃないのだ。ただ、「恋人であるフリック」のことを抱きたいだけだ。
 嫌な質問をされたビクトールがカミューに反撃を試みる。
「そういうお前だってよ、マイクロトフと何もできねぇのは辛いだろうが」
「愚問ですね」
 カミューだって、マイクロトフに触れたいとは思う。
 だが、ビクトールと違って、マイクロトフを抱きたいとは思わないのだ。いくら可愛いからといって、そんなことはできそうもない。かといって、今の16歳のマイクロトフに抱かれたいか、というと、そういう気持ちもないのだ。
 ただ、温もりがないのは淋しいなと思う。
 マイクロトフの腕の中で感じるあの心落ち着く感じを、もう2週間も味わっていない。それがとても辛いだけだ。
 こうなってしまったことはフリックやマイクロトフのせいではないけれど、二人があまりにものほほんとしているのを見ると腹立たしい気にもなるし、ビクトールもカミューも、そろそろ限界が近かった。
 今日もシュウとホウアンに、何とかしろ!と文句を言いに行ったが、これといった解決方法が見出せるわけもなく、そのうち何とかなる、などと言いくるめられて追い返されてしまったのだ。
「あーこんな所にいたのかよ」
 聞こえてきた声に、二人はぎくりとした。
 顔を向けると、たった今まで話題にしていた二人、フリックとマイクロトフがそこにいた。
 どうやら大浴場からの帰りのようで、濡れた髪もそのままに、二人ともさっぱりとした表情でビクトールとカミューのテーブルに座った。
「あの風呂、すごいな。今日はジャングル風呂だった、な?」
 フリックが横のマイクロトフを見た。
「はい。あんなに浴室中に植物を入れて、テツ殿の努力はすごいものだなぁと感心しました」
「マイクロトフのヤツ、長湯しすぎてのぼせそうになったんだぜ?」
 フリックがにこにことビクトールに話し掛ける。
 ビクトールはまじまじとそんなフリックを見つめた。
 トレードマークのバンダナを外したフリックは18歳にさえ見えない。こいつはやっぱり童顔だったんだな、とビクトールは思う。だから普段はバンダナは外さなかったのだろうか?
 今はまだ実年齢よりも若く見られても、さして気にしてないから平気なのだう。無防備に素顔をさらしては、城中の注目の的になっていることに、本人はどこまで気づいているのか……。
「あ、俺もビール飲もうかなぁ」
 フリックがビクトールのグラスへと手を伸ばす。
「未成年はダメだ」
 ビクトールがグラスを取り上げ、レオナへとジュースを注文する。
「ケチ」
「………未成年が酒なんか飲むんじゃないってのはお前の口癖だろうが」
 やれやれとビクトールが溜息をつく。
 まるで立場が反対だ。
 いつもならビクトールが未成年のシーナに酒を勧めて、それを窘めるのがフリックなのだ。
「まぁまぁいいじゃありませんか。さ、どうぞフリックさん」
 カミューが自分のグラスをフリックへと手渡す。サンキューと嬉しそうにグラスに口をつけたフリックを、マイクロトフが慌てて止めた。
 突然手首を掴まれたフリックはびっくりして目を丸くした。
「な、何だよ?」
「あ、えっと、や、やっぱり未成年は酒など飲むべきじゃない……と…」
 何故か赤い顔をして、しどろもどろに言うマイクロトフに、ビクトールがニヤニヤと笑った。
「ははーん、お前、カミューが口をつけたグラスだからヤキモチ焼いてんだろ」
「なっ!!!!!」
 ビクトールのからかいに、マイクロトフは真っ赤になって立ち上がった。
 何か反論しようと口を開くものの、何を言っていいか分からないらしく、ただ口をパクパクとさせるだけである。
「ヤキモチ?何で?」
 フリックがきょとんとそんなマイクロトフを見上げる。
 カミューも頬杖をついたたまま、そうなのか?とマイクロトフを見る。
 16歳のマイクロトフはそんな3人からの視線に耐え切れず、無言のまま、ばたばたと酒場から走り去ってしまった。
「…………ビクトールさん、あんまりマイクをいじめないでください」
「へっへっへ、さっさと追いかけて慰めてやっちゃあどうだ?ああ?」
 下品なことを言わないでください、とカミューは冷ややかにビクトールを睨みつけると、お先に失礼とフリックへ礼をして、マイクロトフの後を追うべく酒場を出て行った。
 残されたフリックは、まだ何が起こったのか分からず首を傾げている。
「なぁ、何で、あいつがヤキモチ焼くんだ?」
「ん〜?さぁな〜。大人には大人の事情ってもんがあるんだよ」
 ビクトールは手を伸ばして、首にかけたタオルで濡れたフリックの髪を拭ってやる。
「何だよっ!俺にも教えろよっ!!!俺だってもう大人だぞ」
「どうだかな。お前は10年たっても、そういうことには鈍い男だぜ?」
「そういうことって何だよ」
「色恋沙汰……とか」
「はぁ……??」
 何でここでそんな単語が出てくるんだ?フリックはわけが分からずビクトールを見つめ返した。まるっきり子供の顔つきのフリックに、ビクトールは低く笑って立ち上がった。
「さ、部屋に戻れ。お前、そんなままだと風邪引くぜ。俺は……もうちょっと飲んでくからよ」
「うん……」
 素直にうなづくフリックの何と可愛いことか。
 ビクトールはここが酒場で良かったとつくづく思った。これが部屋で二人きりだったりなんかした日にゃあ、即組み敷いているところだ。
 こりゃ本気で何とかしなくては、犯罪者になっちまうな……とビクトールは半分本気で考え始めていた。




いったいどうしたというのだろうか。
 マイクロトフは大きく肩で息をついて、その場にしゃがみこんだ。
 がむしゃらに走って、たどり着いたのは城の屋上だった。誰もいないことにほっとして、先ほどの出来事をもう一度頭の中で思い浮かべてみる。
 何てことはない。
 フリックがビールを飲んだのだ。
 未成年がアルコールを飲むということは、確かにあまり歓迎されることではないが、そのことに目くじら立てて怒るほど融通がきかないマイクロトフでもない。
 ただ、フリックがビールを飲んだのは、カミューが口をつけていたグラスで、だった。
 それを見たとたん、どういうわけか胸が苦しくなった。
 思わず声を荒げてしまうほどに、それは見ていられない光景だったのだ。
「どうして、あんな……」
 今までだって、同じ士官学校の友人同士、同じグラスで飲み物を口にすることなんて何度もあったはずだ。それなのに、どうしてさっきは嫌だと思ったのだろう。
 ちりっと何かが胸を焦がした。
 それは今まで経験したことのない痛みだった。
 いったいそれが何なのか、マイクロトフには分からなかった。分からないのに、逃げ出してしまうなんて、とても騎士としての礼儀に適っているとは思えない行動だ。
「マイク?」
「……っ!」
 突然声をかけられ、マイクロトフは慌てて立ち上がった。
 姿を見せたのはカミューだった。
 強い風にマントをはためかせ、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。思わず後ずさるマイクロトフに、カミューは少し眉をしかめた。
「どうしたんだい?突然飛び出すからびっくりするじゃないか」
「カミュー」
「あまり心配させないでくれ」
 やれやれ、とカミューが微笑む。
 ごくりと喉を鳴らして、マイクロトフは目の前の友人を見つめた。
 カミューは10年前と変わった。
 もちろん外見が違うのは当然だ。あの頃よりも、ずっと逞しくなっているし、背も高い。けれど、一番変わったのはあの頃感じていた、どこか人を寄せ付けない雰囲気がなくなったことだ。
 いつも柔らかな笑みを浮かべていたカミュー。けれど、彼が心から笑う姿を見た者がどれほどいたか。心から怒る姿を、泣く姿を、あの頃の友人たちは誰も知らないに違いない。
 そう、マイクロトフでさえ、目にしたことはなかったのだ。
 あの頃、カミューはマイクロトフに心を開いてはいなかった。
 悲しいことだけれど、それくらいのことはマイクロトフにも分かっていた。
 それが、今、目の前にいるカミューは全く別人のように、マイクロトフに対して無防備な表情を曝け出すのだ。
 楽しそうに笑い、真剣に怒り、冗談を言い、そして優しい瞳でマイクロトフを見つめる。
 あの頃のカミューからは考えられないほどの変貌に、正直どう対応していいか分からない。
 初めてカミューと出合った時から、親しくなりたいと、ずっとマイクロトフは思っていた。
 話をしたいと。剣を交えて共に成長したいと。誰よりも信頼できる仲になりたいと。
 そう、親友として、誰よりも近い存在になりたいとずっと思っていたのだ。
 10年後、マイクロトフが望んだ通り、二人は親友になったとカミューは言う。望んでいたことが現実になったというのに、この妙な違和感は何だろう?
 望んでいた現実が待っているのに、どうして素直に喜べないのだろう。
「マイク?」
「あ、す、すまない、心配させてしまって……」
「うん……まぁまだ本調子じゃないんだから、無理することはないよ」
「そうじゃない……俺は身体は何ともないぞ」
 マイクロトフが必死に訴える姿は、やはり可愛いとしか思えなくて、カミューは思わず吹き出した。
「カミュー?」
「ごめんごめん……じゃあマイク、どうして飛び出したりしたんだい?」
「う……それは……」
 カミューは少しイジワルかと思いつつも、口篭もるマイクロトフのすぐ隣に立った。
 少し首を傾げて、カミューは自分よりも少し背の低いマイクロトフの顔を覗き込んだ。マイクロトフはそんなカミューの仕草に内心ドギマギしながらも、何気ない風を装う。
「カミュー……」
「何だい?」
「聞きたいことがあるんだが…」
「うん?」
 マイクロトフはその場にしゃがみこむと、膝を抱え込んでしばらくじっと何かを考えていたが、やがて意を決したようにカミューに顔を向けた。
「お前は…その……今、付き合っている女性はいるのだろうか?」
「は?」
 突然のことに、さすがのカミューも咄嗟に返事ができない。これは一体何の冗談だろうかと思ったが、マイクロトフの表情は真剣そのもので、とても軽く受け流せそうもない。
 仕方なく、カミューは軽く肩をすくめてマイクロトフの隣に座った。
「マイク、どうしたんだい、突然そんなことを聞くなんて」
「お前は……昔から女性にはとても人気があった。その……俺なんかとは違い、女性の扱い方もとても上手だし…」
「確かに、お前はあまり上手だとは言えなかったな」
 昔のことを思い出して、カミューはくすっと笑った。
 けれど、マイクロトフは自分が思っている以上に女性に人気があったのだ。
 カミューのように気のきいた口説き文句を言うわけではないが、嘘のない真摯な言葉はさぞかしレディたちの心をつかんだことだろう。
 もっとも16歳当時は、まだ女性と付き合ったことなどなかったはずだ。
 マイクロトフがカミューの知らないところで、いろいろと女性と付き合っていたことを知ったのは、二人が恋人同士になってからだ。いったいこのオクテな男が、どうしたらそんなに変われるものか、と今でも首を傾げてしまうのだが、まぁ、とりあえず、16歳のマイクロトフはまだまだ初心な男のはずだ。
 そのマイクロトフが、どうして急にそんなことを聞いてくるのか不思議だったが、10年後の自分たちのことに興味を持つのはいいことだ、とカミューは思った。

 戻りたい、と思っているのでしょうか?

 ホウアンの元へビクトールと二人して訪れた時に言われた台詞だった。
 どうして二人が元に戻らないのだ、と詰め寄るビクトールに、ホウアンは困った表情を見せながらもそう言ったのだ。
『病は気からと言います。治りたいと自分で思わないと、病気というのは治らないものです。どんなに周りが一生懸命に看病しても、生きたい、治りたいという気持ちが薄い人間は助かりません。フリックさんとマイクロトフさんは、心から元に戻りたいと思っているのでしょうか?あの二人にとって、10年前の自分……つまり、今の状況は本当の自分です。そんな彼らが、10年後の自分がどんな状況に置かれているのかも分からず、心から戻りたいと思えるでしょうか?今のままでも何も問題がないと思っている限り、元には戻れないんじゃないかと、私は思うんですよ。10年後の自分に戻りたいと心から願わない限り、戻るにしても時間がかかるのではないかと』


 ホウアンの言葉はショックだった。
 マイクロトフが10年後の自分……カミューの知っている26歳のマイクロトフに戻りたいとは思っていないのだと思い知らされたような気がして、少し淋しくなったのだ。
 自分のことを見捨てられてしまったような気がして。
 どうすれば元に戻りたいと思ってくれるのかわからなかった。
 10年後のお前は幸せだと、そう言えば戻りたいと思ってくれるだろうか?
 だが、マイクロトフにとって、何が幸せなのか、それはカミューにはわからない


「いる、のか?」
 マイクロトフの言葉にカミューは我に返った。
「付き合っている……人がいるのか?
 目の前にはどこか心配そうな瞳で自分を見つめるマイクロトフがいる。カミューは仕方が無いなぁというように軽く肩をすくめた。
「うん……いるよ」
 それがマイクロトフだとは言えずに、それでも愛している人がいると言わずにはいられない。
 カミューのどこか儚げな表情に、マイクロトフはずきっと胸が痛んだ。
 それはついさっきフリックにも感じた、何と表現していいのか分からない不思議な感覚だった。
 初めて経験する胸の痛み。
 カミューには大事な人がいるのだ。自分ではなく、愛している相手が。
 おかしなことではない。年齢的に考えても、カミューに大切な人がいても少しもおかしくはない。それなのに、どうしてこんなに吐き気がするほどの苦しい気分になるのだろう。
 マイクロトフは動揺を悟られないように注意しながら、早口に言った。
「そ、そう……か……。そうだな……お前なら……きっと素敵な相手を選んだのだろうな」
「そうだよ。これ以上ないってくらいに素敵な相手だよ」
 こうして堂々と本人を目の前にして惚気ることができるのも悪くはないな、とカミューは思った。手を伸ばして、うつむいたままどこか呆然とした様子のマイクロトフの髪を撫でる。
「まぁ心配しなくても、お前にもちゃんと相手がいるから安心しろ」
「えっ!!!!」
 大声を上げて、マイクロトフがカミューを見上げる。真っ赤になって、信じられないというようにカミューを凝視する様子に、カミューは吹き出した。
「そんなに驚くことでもないだろう?お前だってけっこうモテる男だぞ」
「い、いや……その……あ、相手は……誰なのだ?この城にいるのか?」
 マイクロトフがずいっとカミューへと身を乗り出す。
 ふいに困ったように視線をめぐらせるカミュー。
 その時、マイクロトフは突如として思った。
 それは、カミューなのではないか、と。
 同じ男同士で、どうしてそんなことを思ったのか自分でも分からなかった。けれど、その考えはまるで当たり前のことのように、マイクロトフを支配した。
 カミューの大切な人が自分であればいい、と。
 親友……ではなく、もっともっと深い想いで繋がれている関係であればいい、と。
 マイクロトフの中に芽生えたその考えは、次の瞬間には確信に変わった。何の根拠もない。けれど、持ち前の野性の勘が告げていた。

 カミューは、ただの親友ではない……

 これからの10年で、自分たちの関係はもっと違うものになっていったのではないだろうか。
 理由なんてない。
 それは正しいことだ。
 マイクロトフは呆然としたように、カミューに問い掛ける。
「カミュー、教えてくれ、俺の…相手は誰だ?」
「……元に戻った時のお楽しみ…ではだめなのかい?」
「カミュー……では…ないのか?」
「え?」
 マイクロトフが恐る恐る、カミューの肩に触れる。
「その…俺の相手というのは……お前ではない、のか?」
「え??」
 突然のマイクロトフの言葉にカミューは心底驚いて、らしくもなく狼狽えてしまった。
 いったいどうしてマイクロトフがそんなことを口にしたのかカミューには分からなかった。恋人らしい気配なんてこれっぽっちも匂わせたことはないのに。
 まさか16歳のマイクロトフに、将来の恋人は自分だなんて言えるはずもない。
 そこに辿りつくまでの出来事や、心の軌跡を説明することなんてできないからだ。
 黙り込むカミューに、マイクロトフはなおも身を寄せ、早口に言い募る。
「す、すまないっ、突然こんなことを言って……。その……つまり……俺たちは10年後に親友になれたと、お前は言った。だがカミュー、俺は何かもっと……違うものを…感じてしまうんだ…その……」
 その時、マイクロトフはカミューが妙な顔つきをしていることに気づき、はっとした。
 そして慌てて否定の言葉を口にした。
「いやっ、でも、まさかそんなことあるはずがないな。まさか俺たちがそんな……関係になるはずはない。俺たちは無二の親友なんだから、すまんっ、おかしなことを口にして、許してくれ」
 マイクロトフはがばっと頭を深く下げた。
 唐突に思い出してしまったのだ。
 カミューが10代の頃、上官や先輩たちに言い寄られては激怒していたことを。その美麗な容姿のせいで、カミューにはおかしな誘いが山ほど来ていたことを、同室だったマイクロトフはよく知っていた。そして、そのことをカミューが嫌悪していたことも。
 そんなことを忘れて、何と馬鹿げたことを口にしてしまったのだろうか、とマイクロトフが自分の愚かさにがっくりきてしまう。
 大切な親友を傷つけるようなことを口にするなんて。
 怪訝な顔つきのカミューに、マイクロトフはしどろもどろと言い訳を始めた。
「お、俺は別に、お前のことを……そ、そうしたいとかそういうことではなくて……。本当に、お前にそういうことをしたいと思っているわけじゃないんだっ!!」
 男にそういう欲望の対象とされるなんて、カミューにとっては屈辱以外の何ものでもないだろう。そう思ってのマイクロトフの謝罪の言葉だった。
 けれど、カミューにはそうは聞こえなかった。
「いいよ、マイク。そんなに気を使わなくても……」
「え?」
 カミューは立ち上がると、風で乱れた髪を軽くかきあげた。
「心配しなくても、そんな……おかしな関係にはなったりしないさ……。言っただろう。私たちは、親友だと。だから、そんな心配などせず、早く元に戻ってくれ。大丈夫……何も怖がることはない」
 先に戻っているよ、とカミューが小さく告げ、マイクロトフをその場に残して歩き出す。

 恋人だとは言えなかった。

 次第に歩く速度が早くなり、終いには城の中を駆けていたカミューは、ややあってその足を止めた。どういうわけか視界がぼやけたからだ。
「……くそ…」
 溢れ出した涙に、いつもなら口にしない悪態をついてその場に立ち尽くす。
 今のマイクロトフは、カミューの恋人ではない。16歳の、何も知らないマイクロトフだ。そんなこと百も承知のはずなのに、さっきのマイクロトフの一言はこたえた。
「……そういうことをしたいと思っているわけではない、か」
 それが普通の感情だ。
 男相手に、恋愛感情を抱くなんて、マイクロトフにしてみれば理解できないことだろうし、またそれを求めてもいないだろう。それが当然だ。
 当然の言葉だけれど、カミューにとって、それは拒絶の言葉に聞こえたのだ。
 恋人にはなりたくない、と聞こえてしまったのだ。
 それでも10年後、マイクロトフがカミューの恋人になるのは事実だ。
 これから先の10年で、マイクロトフにどんな心境の変化があって、カミューに恋心を抱くようになるのか、それはカミューには分からない。
 それでも、今のマイクロトフがそれを望んでいないのならば、あえて恋人だと告げる必要はない。
 マイクロトフが、「唯一無二の親友になっているという10年後の現実」が欲しいのならば、いいだろう。決して「恋人になっている現実」のことは口にするまい。
 そうすることで、マイクロトフが本当の自分に戻りたいと願うようになるのならば、それくらいのことは我慢すればいい。
「だが元に戻ったら……思い切り文句を言ってやるからな……」
 覚悟しておけ、とカミューは溢れる涙を拭った。
 小さな誤解は、二人の間に深い溝を作ってしまった。
 素直になれなかったカミューのせいなのか、それとも生真面目すぎるマイクロトフのせいなのか?



 一方のマイクロトフも、屋上に取り残されたまま、がっくりと肩を落としていた。
 自分の愚かな行動のせいで、カミューのことを傷つけてしまったと思ったからだ。仮にも親友となっている男から「本当は恋人なんじゃないか」と言われ、喜ぶ人間がどこにいるというのだ。
 そんなことさえ分からない自分の鈍感さにはあきれ果てる。
 しかし。

(本当にそうなら、どれほど良かったか……)

 そう、マイクロトフははっきりと思ってしまったのだ。
 自分は、カミューのことが好きなのだ、と。
 それは、もちろん友人や同じ騎士としてではなく、そんな気持ちではなくて……

(俺は、カミューに対して……親友以上の感情を抱いている)

 それを何と呼べばいいのかは分からない。
 同性に対して、恋人であればいいなんて、あまりにも突拍子も無いことを考えてしまうほどの感情を、恋だなんて簡単な言葉では片付けられないような気がして。
 マイクロトフは低く唸って口元を覆った。

(どうすればいい?)

 欲しいのは親友じゃない。
 欲しいのは……カミューだ。
 



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