月のもとにて…


 こつん、こつん、と音がする。
 ジョウイは夢の中でその音を聞いていた。
 あまりに長く続くその音に、ゆるゆると瞼を開けてみる。
 窓から差し込む月の光。
 夏の生ぬるい夜の空気が、部屋の中に充満していた。
 何かに誘われるように、ジョウイは身体を起こすと、ベッドから降りてふらふらとベランダへと出てみる。案の定、窓の下の庭先にディランがいた。
 ジョウイの姿ににっこりと微笑む。
「起きてた?」
「…起きてるわけないだろ。起こすなよ、こんな夜中に…」
 眠い目をこすりながら、ベランダの手すりにもたれかかる。
 いったいいつからそこにいたのだろう。
 ディランが真夜中に突然やって来るのはよくあることで、今さら驚いたりはしない。ジョウイはもともと眠りの浅い性質なので、ディランが投げる小石の音にさえすぐに目が覚めてしまうのだ。それをいいことに、こうしてディランはしょっちゅう夜中にジョウイを起こしにくるのだ。
「降りてこいよ。ちょっと散歩しよ」
 できるだけ小さな声でディランがジョウイを誘う。
「散歩…こんな夜中に?」
「気持ちいい夜だからさ。ジョウイと一緒にいたくなった」
 ジョウイはやれやれとため息をつく。
 どうせ断ることなどできやしないのだ。
 クローゼットの中から服を取り出し素早く着替えると、ベランダの手すりに足をかけた。
「気をつけて」
「ディランのせいで、何回ここから脱出してると思ってるんだよ」
 小さく笑ってジョウイが近くの木をつたい、ひらりと庭先へと飛び降りた。
「お見事」
「…う〜、眠たい〜」
「ちょっとだけ付き合えよ。こんなに綺麗な月夜なんだしさ。眠ってるのなんてもったいないよ」
 ディランがジョウイの手を取る。
 小さい頃からの逃げ道である垣根の割れ目を抜け、森へと続く道を歩く。
 虫の声が聞こえる。
 夏草の匂いがあたり一面に立ち込めていた。
「ディラン、どこへ行くんだい?」
「いいとこ。でも、まだ内緒」
 ジョウイの手を引き、ディランが慣れた足取りで夜道を森の奥へと進んでいく。
 ジョウイは夜空を仰いだ。
 綺麗に晴れた夜空。
 妖しいほどに青い月だけが二人を照らしている。
 静かで。
 この夜には二人しかいないようで。
 つないだディランの手の温もりだけが、自分が今この世に存在していると確かめられる術で。
 このまま二人でどこかへ消えてしまいたいような、そんな気さえして。
「ディラン」
「ん?」
「……何でもない」
 ディランが振り返り、微かに微笑む。
 大好きな笑顔にジョウイはわけもなくほっとする。
 どれくらい歩いただろうか。
 森の中はディランと二人で小さい頃からよく探検していたけれど、こんな奥まで来ることは滅多になかった。
「こっち…」
 さらに奥へとディランがジョウイを促す。そして、ふと足を止めた。
「ああ、良かった…やっぱり今夜だった」
 ディランがジョウイを引き寄せ、その肩を手を置き、茂みの奥を指さす。
 ジョウイが目を向けたその先には、一輪の花。
 月の光を浴びた、その妖しいまでの美しさに、ジョウイは息を飲む。
「月下美人。見るの初めてだろ?」
 ディランの囁きに、うん、とうなづき、ジョウイは目の前の大輪の花に吸い込まれるようにしてその場にしゃがみこんだ。
 ディランがジョウイの肩にもたれ、そっとその花に触れる。
「ジョウイに見せてあげたくて。綺麗だろ?」
「うん」
 言葉にならないくらい。
 初めて見るその花の美しさに、ジョウイはすっかり目を奪われていた。
「夜中に、2,3時間しか花を咲かせないなんて、ほんと我儘な花だよねぇ」
 ディランがくすくすと笑う。
 そして、手を伸ばして、ぷつりとその花を摘んだ。
「ディラン!」
「ん?ほら、きみへのプレゼントだ」
 甘い香り。
 せっかく咲いた花なのに、こんな風に手折ってしまうなんて。
 ジョウイは手にした花に唇をよせた。そんなジョウイの耳元にディランは唇を寄せる。
「きみにぴったりだろ。一番綺麗な姿は、誰にも知られずひっそりと、なんてさ」
「……」
 ディランがジョウイの頬にそっとキスをする。そして唇に。
 次第に深くなるくちづけに、ジョウイの手から花が零れ落ちた。
 ふわりと抱きすくめられ、そのまま草の上に横たえられる。
 ジョウイは夜空を仰ぎ、青白い月に目を細めた。
 ディランの身体の重み。
「…一番綺麗な姿、見せてくれる?」
 耳元で囁かれたディランの言葉に目を閉じる。
 その先は。
 夜空を飾る月と、二人のそばで儚い命を終えようとしている花だけが知っていた。

 


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