Fragrance


「重たい………」
 掠れた声が耳元をかすめた。
 マイクロトフの背中に回されていたカミューの指が、がっしりとした男の肩へと滑り、そのまま身体を押し返そうと力が込められる。
 情事のあとの火照った身体。
 離れたくなくて、マイクロトフはカミューの首筋に顔を埋める。
「マイク……重い……」
「ああ……」
 カミューの訴えを無視してさらに強く、マイクロトフは滑らかな肌を抱き寄せる。
 まだ離れたくない。
 マイクロトフがそう思うのも仕方のないことだった。何しろ、こうしてカミューと肌を合わせるのは2週間ぶりなのだから。
 ゴルドーの命を受け、マイクロトフがトゥリバーへと旅立ったのが2週間前。そして、今夜やっと無事帰還し、愛しい恋人の顔を見ることができたのだ。
 帰ってきたら一番にカミューを抱きしめようと決めていた。
 幸いなことに、ロックアックスへ戻れたのは深夜になってからだったため、ゴルドーへの報告は翌日へと持ち越された。そのおかげで、マイクロトフは念願通り、真っ先にカミューの部屋へと駆け込むことができたのだ。
 笑顔で出迎えたカミューをその腕の中に抱きしめたのが数刻前のこと。
 それ以後、二人の肌は触れ合ったままである。
「カミュー…とても会いたかった…」
「それは私だって同じだけれどね」
「けど?何だ?」」
 訝しげに顔を上げたマイクロトフが潤んだカミューの瞳を覗き込む。
「いくら2週間ぶりだからって、いきなり押し倒して、ソファの上で、というのはあまりにも情緒がないと思わないかい?」
 呆れたというよりは諦めたようなカミューの口調に、マイクロトフがやっとその身体を起こした。
 そう。マイクロトフは部屋にやってくるなりカミューをソファに押し倒し、そのままコトに及んだのだ。カミューがどれだけ止めようとしても聞く耳を持たなかった。
 久しぶりのことだから、カミューだって心底抵抗していたわけではないけれど、それでもソファの上で2回というのは、あまりにもひどいと思うのだ。
「すまない……その……我慢できなかったんだ」
「困ったもんだ」
「すまん」
 口ばっかりで本当にそう思ってるのか怪しいものだ、とカミューは苦笑しつつ、ソファの上からすらりとした長い足を床の上へと下ろした。
「カミュー?」
「風呂……始末しないとあとが辛い……」
 身を屈めて床の上に脱ぎ散らかしたシャツを手にして、ふわりと肩に羽織る。
 始末、というのが、たった今自分が行った行為の結果に対しての言葉だと気づくと、マイクロトフは思わず赤くなった。それを見たカミューがくすりと笑う。
「先に休んでいていいよ。遠征で疲れてるだろう?」
 浴室へと向かうカミューにマイクロトフが慌てて声をかける。
「手伝おう!」
「は?」
 マイクロトフが勢いよくソファから立ち上がると、カミューの手を取る。
「一人でするのは……大変だろうから、俺が手伝おう」
「………」
「責任は俺にあるわけだし」
「……………」
 素晴らしいアイデアだと言わんばかりのマイクロトフの表情にカミューは押し黙る。
 冗談じゃない。
 カミューは内心叫び出したかったが、真夜中にそんなことをすれば気が触れたと思われると思い、何とか堪えた。
 手伝おうだと?
 一体何をしなければいけないのか分かっていて、この男はそんなことを言っているのだろうか?前々から鈍いヤツだとは思っていたが、まさかこんなことを真顔で言い出すとは思わなかった。頭が痛くなりそうだ、とカミューは細く溜息をつく。
「カミュー?」
 何か変なことでも言ったのか?とマイクロトフが心配そうにカミューを見た。
「マイク」
「うん?」
「気持ちはありがたいが、遠慮しておくよ」
 にっこりと笑ってカミューが言う。カミューにしてみれば、マイクロトフを傷つけないように細心の注意を払っての言葉だったのだが、やはり遠まわしの拒絶などマイクロトフには通じないようである。カミューが照れているのと思ったのか、マイクロトフはさらに迫ってくる。
「カミュー、俺とお前の仲で何を遠慮することがあるんだ?」
「……お前と私の仲だからこそ、遠慮しておきたいんだよ。あまり見栄えのいいことでもないしね……」
「そう…か?」
 見るからにがっかりした、というようにマイクロトフが肩を落とす。せっかくカミューに役立つことをしようと思ったのに、あっさりと断られてしまい明らかに落胆している。その様子にカミューはやれやれと溜息をついた。

――― どうして、そんな捨てられた子犬のような目で私を見るんだ!
     それではまるで私の方が悪いみたいじゃないか………

 カミューはくるりとマイクロトフに背を向けると、浴室のドアを開けた。
「マイク……」
 細く溜息をついて、カミューが言う。
「何だ?」
「10分たったら入ってきていいよ。一緒に湯を浴びよう」
「!」
 カミューの言葉にマイクロトフは心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
 


――― 私もとことんあいつには甘いな。

 カミューは泡立てた浴槽の中にその身を沈みこませて目を閉じる。
 別にあのまま放っておいても良かったのだが、あまりにもがっかりしているマイクロトフの姿は見るに耐えなかったのだ。
 一緒に風呂に入るなど、普段でもしないことだというのに……。
 そこでカミューは嫌な予感がして眉を顰めた。

――― あいつ、まさかもうワンラウンドなんて言い出したりしないだろうな?

「カミュー?」
 そこへ小さな音を立てて扉が開き、マイクロトフが顔を覗かせた。
「ああ……もう10分たったのか」
「かまわないか?」
「いいよ。どうぞ」
 騎士団長に与えられた部屋は一人で使うには広すぎるほどで、もちろん浴室も言うに及ばない。男二人が入ってもまだ余裕のある浴槽。風呂好きのカミューは自費で浴室内の改装までしているのだ。
 遠慮がちに浴槽に身を沈め、居心地のいい空間にマイクロトフは息をつく。
「疲れたかい?」
 湯面からマイクロトフの折り曲げた足の膝頭が見える。長い手足がどこか所在なげな感じがしてカミューは思わず微笑んだ。その笑顔につられたように、マイクロトフも微笑む。
「疲れなど、お前の顔を見たら消えてしまった」
「なるほど、で、お前は私を疲れさせるようなことをしたわけだ」
「だから、すまなかったと言っているだろう」
「ふふ、ああいう場所でするのもなかなかステキだったけどね」
 カミューがぱしゃっとマイクロトフへと湯を弾いた。マイクロトフは困ったような、何ともいえない複雑そうな表情を浮かべ、話題を変えようとした。
「カミュー、これはとてもいい匂いがするな……」
 くんくんとマイクロトフが白い泡を手ですくう。
「ああ、バスソルトかい?この前見つけたんだ。なかなかいい匂いだろう?今までで一番気に入っているんだ」
 微かに甘い香りのするバスソルト。
 カミューは手を伸ばして細い瓶に入っているバスソルトをマイクロトフに手渡す。それは鮮やかなブルーの液体だった。
「この匂いだったんだな、最近お前の身体からこれと同じ香りがしていた」
 瓶の蓋を開け、マイクロトフが匂いを嗅ぐ。
「そうかい?そんなにきつい香りでもないんだけどね」
「うん……だが、お前によく似合っている」
 爽やかで、けれど甘い匂い。
 城の廊下などでのすれ違いざま、カミューの身体から仄かにこの香りを感じるたびに、マイクロトフは思わず抱きしめたくなるような気になって困っていたのだ。
 今も、この香りに触発されたように、カミューのことを抱きたくなってきてしまった。
 マイクロトフは瓶を床に置くと、カミューのそばへ移動しようと身体を動かす。
「ちょっと待った!」
「な、何だ?」
「マイク、変なことを考えてないだろうな……」
「何だ、変なこととは?」
「だ、だから……まさか…もう一度…とか……」
 うっすらと頬を染めるカミューにマイクロトフが低く笑う。伸ばしたマイクロトフの指先がカミューの白い頬に触れ、愛しげに撫でた。
「2週間分だ、何度抱いても足りない……」
 不安げに揺れるカミューの瞳にマクロトフが微笑む。
 両手でカミューの頬を包みこみ、柔らかくその唇に口づける。カミューの脚の間に身体を割り込ませ、少しでも肌を密着させようと試みるマイクロトフの肩を、カミューが押し返す。
「マイク……だめだ……」
「どうしてだ?お前は俺に会えなくて淋しくなかったのか?」
「それは……だからっ…ちょっと待てっ!」
 カミューの膝を押し広げようとするマイクロトフの手を押さえ込んで、カミューが叫ぶ。
「お前……何でそんなに元気なんだ…?」
 どうやらすっかりその気になっているマイクロトフの下半身に、呆れたようにカミューがつぶやく。
「さっき2回もしたのに……」
「だがカミュー、この歳で、たった2回で終わるようでは、あんまり情けなくはないか?」
「………」
「まだ枯れるには早いと思うが」
 ごもっとも。
 カミューは思わず吹き出した。
「確かに……くくっ……枯れるには早すぎるな……」
「だろう?」
 笑いながらマイクロトフがカミューの耳朶を軽く食む。くすぐったさに身を捩ったカミューが、それでもやんわりとマイクロトフを制する。
「だけどマイク、今夜はもうだめだ…その代わり私がとても気持ちのいいことをしてやるから、それで我慢してくれ」
「え?」
 思わず目を見開くマイクロトフにカミューが苦笑する。
「ばか、変な想像するんじゃないよ」
 それはまた今度…といたずらっぽく笑うカミューにマイクロトフは赤くなった。


 バスタブに座ったカミューが浴槽の中で背中を向けて脚を伸ばすマイクロトフの髪を洗う。使っているのはカミューがバスソープとセットで購入したシャンプーである。細やかな泡立ちのするそれで、かしかしとマイクロトフの地肌を指で擦る。
 鼻腔をくすぐる甘い香り。
「どうだい?気持ちいいだろう?」
「確かに……ああ、カミュー、そこそこ…」
「ここ?」
「ああ…いい気持ちだ…最高だな」
 人に髪を洗ってもらうなど、大人になってからは初めてのことだった。
 カミューの脚の間にもたれて、マイクロトフは目を閉じてその心地よさを満喫する。一通り洗い終えるとカミューがシャワーを片手に泡を洗い流した。
 顔を上に向け、マイクロトフが大きく息をつく。
 少し温めのお湯につかり、恋人に髪を洗ってもらう。
「贅沢の極みだな」
「ん?」
「マチルダ中捜しても、お前に髪を洗ってもらえる人間などいやしないだろうからな」
「ふふ……満足していただけたかい?」
「もちろんだ」
「それは良かった」
 カミューはほっとしたように息をつく。
 これで3度目のセックスからは免除されることだろう。別に一晩3度も無理ではないけれど、さすがに次の日にこたえるので、そういう無茶は休日の前日だけにしてほしいのだ。
「ん〜いい匂いだ」
 マイクロトフの頭を抱え込むようにして、カミューはその匂いを嗅ぐ。
「あ………」
 マイクロトフがくるりとカミューへと向きを変える。
「どうした?マイク……」
「しまった……お前…と同じ匂いなどさせていては……」
 二人が一緒に風呂に入ったと分かってしまうのではないか?
 いくら親友同士とはいえ、一緒に風呂に入るのはさすがに弁解しきれない。
 だいたいこんな甘い匂いをマイクロトフがさせているなんて、どう考えてもおかしい。
「あ〜確かにちょっとまずいかもしれないね……」
 カミューは苦笑すると、するりと身を滑らせ、冷えた身体を湯の中に潜り込ませた。
「だが、私と同じ香りだなんてこと、気づく人間の方が少ないさ」
「………」
 楽天的なカミューの言葉に、マイクロトフは分かっていないな、と苦笑する。
 マチルダでどれほどの人間がカミューに恋心を抱いているか。
 すれ違いざまに香るカミューのその香りに、どれほどの人間が振り返っているか。
 知らぬは本人ばかりである。
 だがまぁ、気づかれるのも悪くはない、とマイクロトフは思う。
 カミューが自分のものだと、言葉にしなくても香りで宣言できるのは悪くない。
「マイク?」
「いや……今度は俺がお前の髪を洗ってやろう…」
「お前のシャンプーで?」
 どうやら意図が通じたらしく、カミューが楽しそうに笑う。
「だめか?」
「……だめじゃないけど、お前の馬鹿力でずっと洗われ続けたら、将来ハゲそうで嫌だなぁ」
 くすくすと笑うカミューである。
 そんなカミューがやっぱりたまらなく可愛く見えて、マイクロトフは腕の中に抱え込んだ。
 びっくりしたカミューが慌てて逃げようとする。
「ちょっ……マイクっ!」
「すまない、やっぱり2度では我慢できそうにない」
「ば、ばかっ!!いったい何のために私が……っ!」
 マイクロトフが器用にカミューの身体を自らの上へと引きずり上げる。少々抵抗したところで、びくともしないところが腹が立つ。
 
――― ああ、やっぱり髪を洗うくらいではだめだったか……
 
 こんなことなら、もう一つの気持ちいいことをしてやればよかったか?そうすれば、少なくとも半分くらいの時間で済んだのに……。

――― 明日……絶対に寝過ごしてしまうだろうな……

 迫ってくる男の熱を受け入れながら、カミューはぼんやりとそんなことを思った。
 


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