ひとこと


 たった一言。
 たった一言想いを告げれば、この苦しい気持ちは無くなるのだろうか?
 そばにいるだけで、わけもなく胸が痛くなって、その声を聞くだけで涙が出そうなほどに切なくて、まして指先が触れたりすれば全身の熱が上がるような、そんな苦しい想いは消えてなくなるのだろうか?
 分からない。
 自分のこの想いが彼を苦しめるようなことは決してあって欲しくないから。
 そんなことになるくらいなら、このままこの想いは胸の中にしまっておく方がいい。
 何も言わず、たった一言を、一生抱えていく方がいい。
 それが、どんなに苦しいことであっても。



Side マイクロトフ


「カミュー」
 驚かさないようにと、そっと声をかけると、カミューはふいっと顔を上げた。
 無二の親友であるマイクロトフの姿に、カミューはぱっと零れるような笑みを見せる。あまりにも綺麗なその微笑に、マイクロトフは一瞬言葉に詰まり、それを誤魔化すために咳払いをした。
「探したぞ、こんなところで何をしている」
「ああ……あんまりいい天気だったからさ、たまには外で読書っていうのもいいかなって思って」
 カミューは屈託のない笑顔を浮かべ、手にしていた本をマイクロトフに見せた。その背表紙を見て、マイクロトフは目を見開く。
「お、お前っ、それは禁帯出の本じゃないかっ!!いったい、どうして……まさか、盗み出したんじゃ……」
「失敬なヤツだなぁ、ちゃんと許可は取ったよ。……まぁ図書室内だけでの閲覧という制限つきだったけどね」
 守れてないじゃないか、とマイクロトフは溜め息をついた。
 カミューはマチルダ士官学校のアイドルだ。アイドルという表現が正しいかどうかは分からないが、とにかく、誰もがカミューには憧れている。
 司書の連中もカミューに頼まれれば嫌とは言えなかったのだろう。
 その美しい容姿、物腰、柔らかな声。剣の腕は言うに及ばず、明晰な頭脳も、落ち着いた態度も、騎士としておよそ必要とされる全てのものをカミューは備えていた。
 けれど、カミューにとって、そんなことは重要なことではないのだと、マイクロトフはカミューと親しく付き合いを始めてから思うようになった。

 カミューが欲しいのはもっと違うものなのだ。

 決して投げやりなわけでも、刹那的なわけでもない。
 けれど、他人と必要以上に親しくはせず、悩みを打ちあけず、弱みを見せようとしないその姿に、カミューには何かが欠けているのではないか、とマイクロトフは考えるようになっていた。
 おこがましいと思う。何ごとにつけても自分よりも秀でているカミューに対して、そんなことを思うなんて、どうかしているとも思う。けれど、カミューを見ていると、まるで迷子になった子供でも見ているかのような、守ってやりたい気になるのだ。
 どうかしている、と自分でも思う。
 カミューが……本当はとても淋しがり屋なのではないかと思うなんて。
「ところで何か用かい?私を探していたんだろう?」
「あ、ああ。もし約束がなければ、昼食を一緒にどうかと思って」
「約束なんてないよ、ありがとう、ご一緒させていただくよ」
「うむ……座ってもいいか?」
 空いたベンチを指さして、マイクロトフが尋ねる。カミューは少し横へずれて、マイクロトフを促した。
 今日は士官学校の創立記念日で、数少ない休日だった。士官学校は全寮制だが、今日は城下の実家へ帰る者も多く、学校に残っている人間は数えるほどだった。
 いつもの賑やかな校内からは想像もできないような静寂さが、マイクロトフには何となく居心地悪く感じられる。
「……せっかくの休日なのに、どうして家に戻らなかったんだい?」
 カミューが行儀悪くベンチの上に足を乗せ、膝を抱えてマイクロトフに尋ねる。
「……別に深い理由はない……。剣の稽古もしたかったし……それに……」
 それに、カミューが一人になるではないか。
 マイクロトフが実家に戻らなかった理由はそれだけでだった。
 グラスランド出身のカミューが、たった一日の休日で実家に戻れるはずもない。友がいなくなったこの広い士官学校に、カミュー一人を残すのはどうしても嫌だったのだ。
 もちろん、そんなことは死んでも口にはしない。プライドの高いカミューが知れば、きっと激怒するに決まっているからだ。
「変わったヤツだなぁ、せっかくの休日にまで剣の稽古だなんて」
「うるさいな。俺の勝手だろう」
「まぁね、じゃあ食後に相手をしてやるよ、どうせ暇だし」
「本当かっ!」
 珍しいカミューからの誘いに、マイクロトフは思わず身を乗り出してカミューの肩を掴んだ。とたん、カミューは驚いたように目を丸くして、頬を赤くした。
「お、大袈裟なヤツだな……そんなことくらいで……」
「滅多に相手などしてくれないから仕方ないだろう。しかし嬉しいぞ、これで家に帰らず残っていた甲斐があるというものだ」
 マイクロトフの悦びように、カミューもつられたように笑みを浮かべる。
「まぁ、そんなに喜んでもらえるなら、私も嬉しいよ」
 さ、じゃあ行こうか、とカミューは分厚い本を脇に抱えて立ち上がった。ここから食堂のある棟まで、ゆっくり歩けば10分ほどかかる。
 二人して肩を並べてしばらく無言で歩き、ガラス張りの建物までやってくると、ふとカミューが足を止めてマイクロトフを振り返った。
「マイクロトフ」
「うん、どうした?」
「………ありがとう」
「ど、どうした?いきなり……」
「うん?……ランチに誘ってくれて、さ」
「?」
 そんなことくらいで何故礼を言う?というようなマイクロトフに、カミューはふわりと笑った。
「ありがとう……とても……嬉しかったよ……」
 透き通るようなカミューの笑顔。
 マイクロトフは一瞬、我を忘れそうになった。
 決して口にはするまいと誓った言葉が……溢れそうになる。

 彼を……決して苦しめたくはないから。
 だから、それは言ってはいけないのだ。

「何を今さら、つまらないことで礼など言うな」
 胸の痛みを紛らわすために、わざと怒った風に口にすると、カミューは軽く肩を竦めて食堂の扉を開けた。



Side カミュー


 食堂の中は閑散としていた。
 まだ少し時間が早いということもあって、席についている者はまばらだった。
「どうやらメニューも一つしかないようだね」
 いつもなら3品からは選べるというのに。
 カミューはマイクロトフと連れ立って、窓際の席についた。
 実を言うと、カミューはまだそれほど腹が減っていたわけではないので、目の前でぱくぱくと定食を口にする男をぼんやりと眺めながら、おざなりにスープを口へ運んでいた。
 マイクロトフが休日に家へ戻らないと知ったのは昨夜のことだった。
 友人たちが皆楽しそうに帰省の話題に花を咲かせているのを、一人笑顔を浮かべて聞き役に回っていたカミューは、マイクロトフが帰らないと言ったことに驚きを隠せなかった。
 何故、と誰もが思ったが、別に必ず帰らなければいけないというものでもないので、深く理由を追求することはなかった。何か用事でもあるのだろう、と皆そう思ったのだ。
 けれどカミューは、すぐにその理由が分かった。
 何の根拠もない。けれど、それは確信に近かった。
 マイクロトフは自分のために、家へは帰らなかったのだ。
 恐らく、カミューが一人になるのを気にしてのことだろう。

(馬鹿なヤツ……)

 年に何度、城下の実家へ戻れるか分からないというのに。
 両親たちが、自慢の息子が戻ってくるのをどれほど首を長くして待っているか。
 それはカミューにも容易に想像がつく。
 けれど、そんな彼らに申し訳ないと思いながらも、こうしてマイクロトフが自分のために残ってくれたことに、カミューは何とも言えない嬉しさを感じてしまうのだ。
 マイクロトフの優しさは、時々カミューを激しくうろたえさせる。
 マイクロトフは誰にでも優しい男だから、だから自分にも優しくしてくれるのだと、そう分かっていても、それでも……
「カミュー?」
「え?」
「どうした、ぜんぜん食べてないじゃないか」
「あぁ……お前が食べているのを見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ」
「失礼なヤツだな」
 マイクロトフは苦笑して、綺麗に空いた皿を横へと退けた。
「なぁカミュー」
「何だい」
「こんな風に、二人きりで食事をするのは初めてだな」
 いきなりのマイクロトフの言葉に、カミューは首を傾げた。
「いつもは必ずそばに誰かがいるだろう。お前と二人きりになる時間なんて、滅多にないからな」
「そう言われてみればそうだね」
 確かにこの規律の厳しい士官学校では、二人だけになる時間なんて持てるはずもない。マイクロトフはうん、とうなづくと、カミューのために熱いお茶を煎れながら言った。
「士官学校を卒業して騎士に叙位されれば、もっと自由な時間もできる。そうすれば、お前ともっと二人きりの時間が持てるようにもなる。俺は、それがとても楽しみだ、カミュー」
「…………」
「もっといろんなことを、お前と話したいと思っているんだ、俺は」
 マイクロトフの真摯な言葉に、カミューは返す言葉もなかった。
 グラスランドからマチルダへ来て、周りに知る者は誰もなく、友と呼べる人もなく、カミューは自分でも分かるほどに、硬く自分に殻を纏っていた。それは自分を守るため。周りの人間を信じていないわけではない。けれど、無邪気に心を開くには、カミューはいろんなことを知りすぎていた。
 そんなカミューに、マイクロトフは何の気負いもなく近づいてきた。
 そして驚くほど簡単に、マイクロトフはカミューの殻を打ち破ったのだ。
「お前は……」
「何だ?」

(どうして、そんな風に私の中へ入ってくるんだ……)

 カミューは深くイスにもたれかかると、小さく溜め息をついてマイクロトフを見つめた。
「お前は……おかしなヤツだ、どうしてそんな恥ずかしいことをさらっと口にできるのかな」
「恥ずかしくなんかないぞ。俺たちは……親友だろう?」
 そう言うマイクロトフの漆黒の瞳が、どこか切なげに揺れた。
 そうだ。
 親友だ。
 カミューは一瞬、我を忘れそうになった。
 決して口にはするまいと誓った言葉が……溢れそうになる。

 彼を……決して苦しめたくはないから。
 だから、それは言ってはいけないのだ。

「うん……そうだね……私たちは親友だ……」
「ああ……ほら、早く食べろ。午後から稽古に付き合ってくれるんだろう?」
「はいはい」
 カミューはマイクロトフに急かされて、トレイに残った食事の続きを始めた。
 少しでも気を緩めると、目元が熱くなりそうな気がして、それきりカミューはマイクロトフの顔を見ることはできなかった。



 互いに、同じ想いを抱えているとは夢にも思わなかった。
 だから口にはできなかった。
 自分のこの想いが、彼を苦しめるようなことは決してあって欲しくないから。
 そんなことになるくらいなら、このままこの想いは胸の中にしまっておく方がいい。
 何も言わず、たった一言を、一生抱えていく方がいい。
 それが、どんなに苦しいことであっても。



「好きだぞ、カミュー」
 ふいに、軽い冗談のようにマイクロトフが言った。
 ひとしきり笑いあい、じゃれあうようにふざけあったあとに、当然のように口にした言葉。
 だから、カミューもさらりと答える。
「私も好きだよ、マイクロトフ」
 それが当然のことのように、笑って口にする言葉。
 無意識のうちに想いを告げあう二人。
 
 そこに、その言葉が意味する以上の想いが溢れていることを知るのは、まだ先のこと。
 その言葉が、相手を苦しめるものではなく、幸せにするものだと気づくまで、まだ少し時間が必要な二人だから。
 何気ない言葉は、今の二人には苦しいだけのものだけれど。
 たった一言。
 ぎりぎりまで抱えた想いが溢れた時、その時初めて、「言葉」は「告白」に変わる。





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