Be with you(後編) 「ふ…ぅ…」 その瞬間、関節が痛くなるほどの律動が止んだ。 小さく息を吐いて、マイクロトフがどさりとカミューの肩先に顔を埋める。カミューは身体中を駆け巡る快楽に身を任せたまま、うっとりとマイクロトフへと手を伸ばした。汗ばんだ背中。慣れ親しんだその温もりにほっとする。 「何を考えていた?」 お互いの熱が引き、ベッドの中でぼんやりとしていたカミューにマイクロトフが尋ねる。 「え?」 「何か考えていただろう?そんな顔をしていた」 マイクロトフの指がカミューの濡れた前髪をかきあげる。その仕草にカミューは微かに微笑む。 「いや、お前と初めてキスした時のことを思い出してたんだ」 「……」 「どうした?」 「……いや」 どうして真っ最中にそんなことを思い出すのかな、とマイクロトフは頭を悩ませる。 カミューとの初めてのキスを、不覚にもマイクロトフは覚えていないのだ。そのことは今までもさんざんカミュー責められているし、これからも責められ続けることだろう。 何度謝っても、カミューは許してはくれない。 罪滅ぼしのために、数え切れないくらいのキスをしているというのに、だ。 自分の腕の中に潜り込むようにして眠りにつこうとするカミューに、マイクロトフはおやすみのキスをしてやる。そして、初めてキスをした(らしい)日のことを思い出していた。 頭が痛い。 マイクロトフは左側からの明るい日差しを感じ、寝返りを打った。 もう朝なのか? 左側からの日差し? そこまで考えて、はた、とマイクロトフは思った。 いつもは右側からの日差しではなかったか?何故ならベッドがそちら側にあるからだ。 どうして今日は… もぞもぞと何かが腕の中で蠢く。 目を開けると、そこには見慣れた色の髪。誰だ?なんて考える間もなく、それがカミューであることが分かる。きょろきょろと辺りを見渡し、ここがカミューの部屋であることも分かった。 「……っ!!」 がばっと身を起こすと、突き上げるような頭痛に襲われる。思わず頭を抱えたマイクロトフは、すぐ隣で眠っているカミューを信じられない思いで見下ろした。 「カミュー?いったいどうして…」 シーツの間から見える白い肌。自分も何も着ていないことに気づき、マイクロトフは恐る恐るシーツをめくってみる。下着だけはつけているようで、ほっとする。 しかし、いったいどういうことだ? マイクロトフはぼんやりしている記憶を必死で辿った。 昨夜はカミューと食事をして、そのあと酒を飲んだ。それから?途中からの記憶がない。 「ん……」 カミューがマイクロトフの方へと寝返りをうち、ゆっくりと目を開けた。 「ああ…おはよう、マイク」 驚きのあまり声も出ないらしいマイクロトフに掠れた声でカミューが言う。 「お、はよう…」 カミューは大きく伸びをすると身体を起こし、呆然としているマイクロトフに微笑みかけた。 「どうしたんだ?そんな顔して」 「え、いや…その…」 そんなマイクロトフにカミューはさらに嫣然と微笑み、その肩に手を置いた。 「マイク、まさか昨夜のことを覚えていない、なんてことはないだろうな」 「昨夜の、こと?」 「ああ、そうだ。このベッドの中で、お前が私に何をしたか…」 「な、何って?…何を?」 マイクロトフは信じられない思いで目の前のカミューを見つめる。 まさか。 「ああ、そうだ。この責任、どう取るつもりだ?」 カミューが冷ややかにマイクロトフに詰めよる。 責任?責任というのはいったい何の?ぐるぐるとマイクロトフの頭をよからぬ妄想がかけめぐる。何も覚えていない。カミューとそういうことをしたのに?まったく何も? 「マイク?」 「……責任はもちろんとる」 「え?」 言うなり、マイクロトフがカミューの肩をつかんだ。 「すまない、何も覚えていないんだ。だが、だからといって酒のせいにして逃げるつもりはこれっぽっちもない。もちろんちゃんと責任はとる」 「マイク…どうやって?」 呆気に取られてカミューが思わず聞き返す。 「結婚…してもいい」 「……」 「……」 「……っ」 カミューは耐えきれず吹きだした。声を上げて苦しそうに涙まで流して笑うカミューなんて滅多に見れるものじゃない。ベッドの上で身体を折り曲げて、カミューはたっぷり5分は笑いつづけた。 「カミュー…」 「あはは…は…苦しい…」 ベッドに倒れこんだままカミューは視線だけを上げてマイクロトフを見た。 「マイク…冗談だよ。何かあるわけないだろう?」 「え?」 「昨夜、酔いつぶれたお前をここに連れて帰るのにどれだけ苦労したと思う?服を脱がせるのに暴れて、ほら見ろ。お前は私の手を引っかいたんだぞ。そんな状態で何かできるわけがないだろう?冗談だよ。ちょっとからかってみただけだ。何もないから安心しろ」 「……」 「どうした?」 「カミュー、こういうことで人をからかうのは良くない」 「マイク…?」 ベッドを出てシャツをきっちりと着込むと、マイクロトフは振り返ることなく部屋を出て行った。 ぽつん、とカミューはベッドの上に一人取り残されてしまった。 どうやら本気で怒らせてしまった…のかもしれない。 カミューはぱたりとベッドに横になった。 ほんのちょっとした意地悪のつもりだったのだ。 何しろ、マイクロトフは昨夜自分にキスをしたのだから。酔った勢いで。おまけにどうやらあの様子では何も覚えていないようだし。 その仕返しに、ちょっとからかうくらい許されてもいいはずだ。 それなのに、あんな風に本気で怒るなんて。 「まったく…どうして私はこんなにマイクに振り回されてるんだ?」 意味のないキスをされて、傷ついてたのはこっちの方なのに、それなのにあんなマイクを見ると謝りたくなってしまうのはどうしてだろう? 仕方がない。 とにかく謝ろう。悪ふざけが過ぎたのは認めざるを得ないのだから。 カミューはのろのろとベッドを出ると着替えをすませ、いつものように朝の会議に出席するために部屋を出た。 大会議室での各団長からの報告はいつものように進められていた。 ここ最近、これといって大きな事件もないため会議も形だけのようなもので、カミューは頬杖をついて、ちょうど向かい側の席に座っているマイクロトフを眺めていた。 マイクロトフはめずらしく腕組なんぞをして、じっと他の団長の報告に耳を傾けている。視線は机の上に落とされたままカミューの方を見ようともしない。 とにかく会議が終われば次は昼からの訓練まで時間がある。 その時にマイクロトフと話をしよう。 そう決めていたのに、会議が終わるとマイクロトフはさっさと会議室を出て行ってしまった。 カミューは乱暴に書類をまとめると、マイクロトフを追いかけた。 「マイク」 「……何だ?」 呼びかけに立ち止まってくれたものの、マイクロトフはにこりともせずカミューを見返すだけである。 こんなに冷たいマイクロトフを見るのは初めてで、カミューは言葉に詰まってしまう。 「えっと…少し話せるか?」 「すまない、別件でゴルドーさまに呼ばれているんだ」 「では昼食を一緒に食べよう」 「…カミュー、すまないが今日は一人で済ませてくれないか。恐らく時間がかかると思うから」 困ったようにマイクロトフがカミューを見る。 突き放されたような気がして、カミューはそれ以上マイクロトフに何も言えなかった。立ち去るマイクロトフの後姿に、どうしようもなく胸が締め付けられる。 本当にどうかしている。 ちょっとした喧嘩にしか過ぎない、と周りから見ればそうだろう。だが、今までこんな風にマイクロトフに冷たくされたことはなかったのだ。いつもでも、カミューがどんなことをしてもマイクロトフは笑って許してくれたから、それに甘えていたのだろうか?気づかなかっただけで、実はマイクロトフに甘やかされていたのだろうか? 「まいったな…」 こんなことになって初めて気づくなんて。 どうしたらいいものか。 カミューは肩を落として自室へと歩き出した。 その後も、カミューが話しかけようとするとマイクロトフはそれをかわし、まともに顔も見ようとはしてくれない。あれほどいつも一緒にいたのに、もう何日も声も聞いていない。 最初は自分が悪かったと思っていたカミューもいい加減腹が立ってきた。 だいたい、元はといえばマイクロトフがあんなことをするからいけないのだ。 一人でさっさと酔っ払って、人にキスをして、好きだなんて言っておいて綺麗さっぱり忘れてしまうなんて。 ちゃんと謝ろうとしているカミューの顔さえ見ようとしないのは騎士道精神に反するのではないか? そう思ったカミューはすでに深夜近くになっていたにも関わらず、マイクロトフの部屋を尋ねた。他人がいるところでは逃げられても、こうして部屋に押しかければ逃げることはできないだろう。 「マイク、入るぞ」 返事も待たずに扉を開けると、中にはたった今風呂から上がったばかり、と思われるマイクロトフが立っていた。上半身は裸で腰にタオルだけを巻いている。いきなり入ってきたカミューに驚きを隠せないようである。 「……カミュー?」 「あ、すまない…」 だからといって帰るつもりもないカミューは後ろ手で扉を閉めて、真っ直ぐにマイクロトフを見る。 「何か用か?」 マイクロトフは再びバスルームへと姿を消し、今度は部屋着を身につけて出てきた。それでも暑いせいか、上半身は裸で濡れた髪をタオルで拭っている。 こんなリラックスしたマイクロトフを見るのは初めてかもしれない。 「話がしたいんだ、マイク」 「……かまわないが…明日まで待てないほどの急用だったのか?」 ふわりと笑ってマイクロトフがカミューのために飲み物を注いでくれる。さすがに懲りたのか酒ではなくお茶ではあったけれど。小さなテーブルに向かい合わせに座り、グラスを合わせる。 「で、こんな夜更けに来るなんて、何か重要な話でも?」 「私たちのことだ。重要だろう?それとも、もうどうでもいいのか?」 「カミュー?」 毎日、声が聞きたいと思っていたのはカミューだけだったのか。マイクロトフは別に辛くも何ともなかったのか。そう思うとカミューはこんな時間に押しかけてきたのがバカみたいに思えてくる。 「マイク、まだ怒っているのか?この前のことを」 「……」 「あれは…悪ふざけが過ぎたと思っている。だからちゃんと謝ろうと思っていたのだ。本当にちょっとした冗談のつもりだったのだ。悪かった。」 カミューの言葉に、マイクロトフは小さく笑う。 「別に怒ってはいない。まさか、それを謝るために、わざわざ?」 「え、ああ…だって…怒っていたのだろう?だから私のことを避けて…」 マクロトフは片手で顔を覆い、ああ、と俯いてしまう。 「マイク?」 「いや…確かに避けていた。しかし、それは怒っていたからではなくて…その…どんな顔をすればいいか分からなかったのだ。お前と…何もなかったにしろ、一晩同じベッドで寝てしまって」 おまけに勝手に想像してしまった。カミューと何かあったのではないかと。そんな想像をしてしまった自分が恥ずかしくてとてもじゃないが、まともにカミューの顔を見ることができなかったのだ。だから、カミューに悪いと思いつつも、何日も避けてしまっていた。 赤い顔をしてマイクロトフがカミューを見る。 怒っていたわけではない?本当に?カミューが念を押す。 「あの手の冗談が嫌いだというのは本当だが、それだけの理由でお前を避けるわけがないだろう?」 マイクロトフは当然だろう、という感じでカミューを見る。 「そうか…良かった。だが、そんな理由で私を避けるのも酷い話だと思うが?」 「すまない」 素直に頭を下げるマイクロトフにカミューはちょっと機嫌を直した。 「でもまぁ…マイクが避けたいという理由は本当はちゃんとあるのだがな」 「え?どういう意味だ?」 「何だ…本当に覚えてないんだな。お前はあの夜、酔っ払って私にキスしたんだぞ」 「―――っ!!」 がたんと音を立ててマイクロトフが立ち上がる。 ぱくぱくと口を開くが声が出ない。 「だから私もちょっとイジワルをしてやろうと思ったんだ。…どうした、マイク?」 「それは…それは本当のことなのか?」 「本当だよ」 「〜〜〜〜!!」 がっくりとマイクロトフがイスに座り込む。 「す、すまない…重ね重ね申し訳ない」 「……やはり謝るようなことなんだな」 「え?」 カミューは立ち上がると、まだ何か言いたそうにしているマイクロトフを残して足早に部屋を出た。 廊下に出ると、自分ががっかりしていることに気づいた。 何を? いったい何を期待していたというのだろう。 あのキスに何か意味があることを期待していたとでもいうのだろうか? マイクロトフにとって、あのキスは何の意味もない、ただの酒の上でのアクシデントにすぎないのだ。だからああやってカミューに対して謝ったのだ。 好きだという言葉でさえ。 深い意味で言ったのではない。友人として。そう、一番の友人に対しての言葉だ。それ以上何の意味もない。分かっていたはずなのに、こうしてはっきりと言われてしまうと、胸が痛くて。 「私は…いったい何を期待していたんだ…」 カミューは自嘲する。 そしてはっきりと自覚した。 あの告白も、キスも、決して嫌ではなかったことを。 カミューはやれやれとため息をついた。 忘れてしまったマイクに腹を立てたのも、間違いだったと謝られて傷ついたことも、今ならすべてちゃんと説明できる。 マイクロトフのことが好きなのだ。 ただの友人としてではない。 今頃になって気づくなんて。 カミューは目の奥が熱くなるのを感じ、必死で堪えた。 この想いはなかったことにしよう。マイクロトフの迷惑になるようなことは決してするまい。今まで通り、最上の友人でいられるように、何もなかったことにしよう。 この想いは…封印してしまおう。 本心を隠すなんて簡単なことだ。 特に冷静沈着の鑑のように言われているカミューにしてみれば、そんなことは朝飯前のことだ。だが、そんな無理はすぐにバレてしまうものらしい。 「カミュー…最近、おかしいぞ」 再び酒場である。 あれ以来、団員たちは気軽にマイクロトフのことを誘うようになり、よほどのことがない限りはマイクロトフもその誘いを受けるようになっていた。おかげで団員たちの間でのマイクロトフの人気は急上昇といった感じである。 今夜も団員の一人の結婚が決まった前祝という名目で、全員で酒場に繰り出していた。 「おかしいって何が?」 最初から強い酒を飲み続けているカミューのグラスを取り上げ、マイクロトフが残りを空ける。 「ふさぎこんでいることがあるだろう。何か悩み事があるなら言ってくれないか?」 いつもの真面目な顔でマイクロトフが言う。何て残酷な言葉だろう、とカミューは思う。原因はお前だ、と言えば、いったいマイクロトフはどうするだろうか。そんなことを考えてカミューは首を振る。 「ないよ。私はいつもと同じだ」 「……カミュー、お前の悩みを聞いてやれないほど、俺は頼りないか?」 「そうじゃない…本当に何もないのに、いったい何を話せというんだい?」 微かに笑みを浮かべるカミューに、マイクロトフはそれ以上は追求しなかった。 けれど、何かがおかしいと感じていた。 2人で話していてもまるで心ここにあらずといった感じで、必要以上に近づくことを避けるカミュー。もしかして、知らず知らずのうちにカミューに対して何かしてしまったのだろうか、と不安になるマイクロトフなのだ。 「団長、団長、例の彼女が団長に会いたいって言ってるんですがね」 団員の一人がマイクロトフに耳打ちする。 階段付近に、この前マイクロトフが一夜を過ごした女性が立っていた。カミューも視線を彼女に向ける。 カミューとマイクロトフという騎士団きっての美青年に見つめられて、頬を赤くしてうつむく仕草は、素直に可愛らしいと思えたが、あの彼女がマイクロトフと、と思うとカミューは耐えられないほど胸が悪くなる。 「おい…俺はもう…」 マイクロトフが迷惑そうに手を振る。 「そんなこと言わないでくださいよぉ。彼女、団長のことが気に入っちゃったみたいで、もう一回って。女の方からそんなこと言われて、無視するなんて、騎士道精神に反するんじゃないんですかぁ?」 「そんな騎士道精神は持ち合わせていない。お前たち、この前だってだまし討ちみたいに俺を連れて行ったではないか。その方が騎士道精神に反すると…」 「私が行こう」 カミューがすっと立ち上がる。 え?と団員が目を丸くする。同じく呆気に取られたマイクロトフが止めようとした時は、すでにカミューは彼女のもとへと行ってしまっていた。 「あのカミューさま?」 目を丸くしてカミューを見上げる彼女が、おろおろと視線をマイクロトフへと泳がせる。その仕草にまた怒りが込み上げる。けれどそんなことはこれっぽっちも見せずに彼女に声をかけた。 「今夜はマイクロトフは都合が悪い。代わりに私の相手をしてもらえないか?」 「え?え?でも…」 「私では役不足かな?」 とびきりの笑顔を向ける。ただでさえ美しいと言われているカミューにそんな笑顔を向けられて、断れる女性などいるはずがなく、戸惑いながらも彼女はこくりとうなづく。 カミューは彼女の肩を抱いて2階へと歩き出した。 「だ、団長…いいんでしょうか?」 残されたマイクロトフに団員がつぶやく。まさかカミューが彼女を連れていくなんて思いもしなかったのだ。カミューは女性にかなりモテていたし、女に不自由はしていないということは団員なら全員が知ってることなのだ。 「仕方がないな…」 マイクロトフがつぶやいた。 2階の部屋はまさにそのためだけの部屋といった感じで、カミューはベッドに腰かけると襟元をくつろげた。 「あのカミューさま…何か怒ってらっしゃいます?」 彼女…名をジェーンといった…がカミューにお茶をいれてくれる。 「いや…どうしてそんなことを?」 「だって…私と遊びたくて近づいてきたって感じではなかったんですもの。カミューさまが近づいてきた時、私、怒られるのかと思いました」 「………マイクとは…」 「え?」 「この前、マイクと…一晩過ごしただろう?」 「ええ…でも…」 「マイクはそんなに素敵だったかい?」 もう一度会いたいと思うほどに? どんな風に彼女を愛したのだろう。どんな風にキスをして、どんな甘い言葉を囁いたのだろう。 彼女を抱けば、分かるのだろうか。 「カミューさま…?」 白い小さな手を取って自分の方へと引き寄せる。いつもの手順通り、愛情なんてなくても行える行為だ。カミューがジェーンをベッドに押し倒したとき、ばたんと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。 「……マイク?」 入口にマイクロトフが立っていた。 滅多に見ない本気で怒った顔。まさか彼女を横取りされた怒りで、部屋に乗り込んできたんじゃないだろうな、とカミューが呆けていると、つかつかと歩みよってきたマイクロトフがカミューの腕を取った。 「カミュー…来るんだ」 「え…」 強い力で引き寄せられる。呆然としているのはカミューだけではなく、ジェーンの方も同じで、びっくりしたようにマイクロトフを見ている。 「マイクロトフさま…」 泣きそうな顔をしているジェーンにマイクロトフが優しく微笑む。 「すまない。この前のあのアドバイスは、あまり役に立たなかった。やはり姑息な手段は性に合わないようだ」 姑息な手段? マイクロトフに半ば抱えられたカミューがわけが分からず眉をひそめる。 ジェーンがくすくすと笑って乱れた髪を撫でる。 「あら、マイクロトフさま…ちゃんと効果はあったと思いますわ」 「だといいが…。悪いがカミューは連れて行く」 「ええ、どうぞ」 ちょっと待て。 カミューの意思なんて誰も気にしていないようで、あれよあれよという間にマイクロトフに連れられて部屋を出る。酒場にいた団員たちが2人の姿を見て唖然としている中、マイクロトフはカミューの手を引き表に出た。 「マイク…ちょっと待て…どこへ行くんだっ…」 暴れるカミューにマイクロトフは答えようともしない。 薄暗い街中を抜け、マイクロトフは目についた宿屋の扉を開けた。 「部屋を借りたい」 宿屋の主人は騎士団の団長2人の姿に驚いていたが、前金と引き換えに部屋の鍵をマイクロトフに渡した。 いったい何だというのだろう?まさか女を巡っての喧嘩なんてものを始めるつもりじゃないだろうな。そんなことあるはずないと思いながらも、マイクロトフはたまに思いもかけない行動に出ることがあるので絶対にないと言い切れない。それは例のキス事件で証明済だ。そんな修羅場はまっぴらだとカミューは掴まれた手を振り解こうとしたが、叶わなかった。 部屋に入ると、やっとマイクロトフはやっとカミューの手を離した。 「いったい…どういうつもりだ、マイク…」 今まで掴まれていた手がじんじんと痛む。カミューはそっとその手を握り締めた。 「カミュー、彼女と本気で寝るつもりだったのか?」 「……だったら何だというんだ?マイクには関係ないことだろう?」 「では、どうしてそんな傷ついた顔をしている?」 ぎくりとした。 けれど理由を言うわけにはいかない。黙り込むカミューにマイクロトフが声を和らげる。 「カミュー、俺の目の前で、誰かと寝るなんてことをしないでくれ」 「……どうして、そんなことを」 「俺が傷つくからだ。お前が誰と寝ようと、俺が知らない分には傷つくことはなかった。だが、知ってしまったら傷つく。今さっきそれを知った」 マイクロトフの言葉にカミューがかっとなる。 「よくそんな自分勝手なことが言えるなっ、お前だって、私の目の前で彼女と寝たではないかっ!私にそんなことを言える立場なのか?私がどんな思いで…」 「俺は彼女と寝てはいない」 よくもこの後に及んでそんなことが言えるものだ。 マイクロトフの言葉はカミューを余計に怒らせるだけだった。怒りのあまり言葉もないカミューにマイクロトフが近づく。後ずさりをしてカミューが叫ぶ。 「触るなっ!私に指一本触れるなっ!」 「カミュー、頼むから落ち着いてくれ。どうしてそんなに苛立ってる?俺に何を隠している?」 「は…隠すって何を?お前こそどうしてそんな嘘をつく?別に彼女と寝たからといって私に嘘をつく必要なんてないだろう?私たちは…ただの友人なのだから」 「嘘はついていない。俺が嘘をつく人間かどうかはお前が一番よく知っているだろう?」 「では何故、彼女と寝たような口ぶりを?あの朝、お前は言った、『楽しんだ』と」 あ〜、とマイクロトフは困ったように天井を見上げる。 そして観念したかのように、どさりとイスに座り込んだ。 「分かった…白状するから…そこに座ってくれ」 カミューがしぶしぶ席についたのを見届けて、マイクロトフはあの日のことを話し出した。 あの日、2階の部屋に上がるとジェーンが待っていた。 もちろんその意味はすぐにわかった。マイクロトフはやれやれと肩を落とした。もうすでに代金はもらっているから、朝まで楽しもうと言うジェーンにマイクロトフは言った。 『すまない、きみのことが気に入らないというのではなくて、俺はこういうことはしない主義なんだ』 『でも…』 『好きな人がいる。だから、遊びで誰かと寝るのはもうやめたのだ』 はっきりとそう言ったマイクロトフにジェーンは笑った。金の心配もせず、後腐れなく遊べる状況にいるというのに、こんなにはっきりと断る男を今まで見たことがなかったからだ。たいていの男は据え膳となれば飛びつくものだから。 『その人とは、もう気持ちは通じ合ってるんですか?』 すっかりその気はなくなってしまったため、ジェーンは酔い覚ましのためのお茶なんぞ淹れてくれる。 『いや…完全な片思いだ。あまりに高嶺の花で、どうしたらいいのか分からない』 『青騎士団団長のマイクロトフさまが片思いだなんて、お相手の人ってよっぽど素敵な人なんですね』 『そうだな…とても…。想いを告げることは簡単だが、失ってしまうことが怖くて手が出せない』 『その人はマイクロトフさまのことを好きなんでしょうか?』 『どうかな。分からないな』 では試してみてください、とジェーンは言った。今晩、自分と何かあったことにして、その人がどういう態度に出るかを見れば、その人がマイクロトフのことをどう思っているか分かる、というのだ。すでに前金をもらっているジェーンにしても、このまま何もなかったとなると、残りの金をもらえなくなる。口裏を合わせてもらえると助かるというのだ。 『しかし、そういう嘘は…』 『何かあったら、そのときはちゃんと何もないって言えばいいんです。信じてもらえなければ、私がちゃんと証言します、ね、いいでしょう、マイクロトフさま』 確かにそれはちょっと試してみたいことではあった。 普段のマイクロトフなら即座に断った申し出だったが、かなり酒が入っていたこともあって、その頼みを飲んでしまったのだ。結局、朝方までお互いの恋愛話(といってもほとんどがジェーンの話を聞いてやったようなものだが)をして過ごした、というのが真相だった。 「マイク、それならどうして私にまで嘘をつく必要がある?私にそう言えばいいだろう?」 話を聞き終えたカミューが露骨に不機嫌そうに言い捨てる。好きな人の気持ちを確かめるために、彼女と一晩過ごしたふりをした、と正直に言えばいいのだ。それなのに。 「お前に打ち明けては意味がないだろう?」 あっさりと言ったマイクロトフにカミューは言葉を失う。 「……な、にを…」 「お前の気持ちが知りたかった。だからあんな芝居をしたのだ。まぁあまり意味はなかったようだがな」 何しろカミューときてはマイクロトフがジェーンと一晩過ごしたと知っても、別に何の反応もしなかったのだ。楽しめたか、と聞いたのはカミューの方だ。そんなことを聞かれて、何もしていないなどと言えるはずもない。 「カミュー、俺が好きなのはお前だけだ」 「そんな冗談は…」 「冗談でこんなことは言わない。真面目に聞いてくれ」 真面目にと言われても、はいそうですか、と聞けるはずもない。カミューは小さく笑った。 「マイク、お前、また酔ってるのだろう?しっかりしろ、私が誰だか分かっているか?」 「分かってる、カミューだ。俺がずっと想い続けていた、唯一人の人だ」 真っ直ぐにカミューを見つめる目には、かけらも嘘はない。カミューは信じられないというように首を振る。 「嘘だ…」 「カミュー、頼むからこれ以上俺にイジワルをしないでくれ。お前が俺と何かあったと思わせたあのいたずらに、俺がどれほど傷ついたか分かってるか?お前が俺の目の前でジェーンと部屋に上がったときに、俺がどんなに嫌な思いをしたか分かってるか?」 「元はといえばお前が悪いんだ」 「……酔っ払ってキスしたことか?」 「それだけじゃないだろうっ、お前は私に「好きだ」と言った。酔っ払って、次の日には何もかも忘れていた。お前に振り回されたのは私の方だ。あれから…私は…」 「ちょっと待て…俺はお前に好きだと、言ったのか?」 「ほらみろ、忘れてるじゃないか」 マイクロトフはがっくりとテーブルに突っ伏した。 「す、すまない…本当に覚えてないんだ…くそっ…何だってそんな大事なことを…」 もう記憶がなくなるほどの深酒はやめようとマイクロトフは心に誓った。 「どうして謝るんだ、マイク」 「え?」 「私とキスしたと知ったときも、お前はそうやって謝った。だから思ったんだ。あのキスはお前にとっては、ただの過ちにすぎなかったのだと。酒に酔って、ふざけてしただけで、何の意味もなかったのだとそう思った。今も、そうやって謝るんだな。それは、私に悪いことをしたと思っているからなのか?」 カミューの言葉にマイクロトフは立ち上がるとカミューのすぐそばで跪いた。視線を反らすカミューを覗き込むようにしてマイクロトフが告白する。 「そうじゃない。謝ったのは、俺が何も覚えていなかったことに対してだ。好きだと言ったことも、キスをしたことも、嘘は何ひとつない。カミュー、俺を見てくれ」 痛いほど真剣な眼差し。カミューは息をひそめてそんなマイクロトフを見下ろす。 「あんな酔っ払ってる時に大切なことを口にしてしまって悪かった。お前が誤解するのも仕方がない。だが、口にしたことに嘘はない。すべて真実だ。カミュー、俺はお前のことを愛してる。お前のことをずっと見つめていた。おそらく限界だったのだろう。だからあんな形で吐き出してしまった」 マイクロトフがカミューの手をとる。 「……マイク」 「騎士の名にかけて、カミュー、お前を愛してる」 優雅な仕草でマイクロトフがカミューの手の甲に唇を寄せた。 それは騎士団の者が愛する人に想いを告げる時の習わしだった。イエスならキスを。ノーならその頬を叩けばいい。 自分に起きていることが信じられずにいたカミューだったが、やがてゆっくりとその身を屈めると、目を閉じてカミューの返事を待つマイクロトフの頬にキスをした。 次の瞬間、マイクロトフは素早い仕草でカミューの身体を引き寄せ、そのままベッドへと押し倒した。 「マ、マイク?ちょっと…」 「返事はもらった。お前の気が変わらないうちに、やることをやってしまおう」 いたずらっぽく微笑むマイクロトフ。その手馴れた様子に、カミューは唖然としてしまう。 本当に、こいつは昔遊び倒したに違いない。 再びマイクロトフのイメージが変わっていくことに戸惑いを隠せないカミューの頬に、マイクロトフが指を滑らせる。 顎をつかまれ、唇が重なる。最初は探るように柔らかいキスを何度か繰り返すうちに、マイクロトフの舌が口内に差し込まれる。その熱い濡れた感触にカミューは喉を鳴らした。 上顎をたどり、喉の奥までゆっくりと舌でなぞられる。カミューの舌に触れると、からかうようにくすぐり、そして離れていく。何度も溢れる唾液を飲み込み、カミューはそんなマイクロトフの巧みなキスに翻弄された。 マイクロトフの手がカミューの着衣にかかった時、カミューは我に返ってその手をつかんだ。 「待った、マイク」 「…何だ?」 見るからに不機嫌そうなマイクロトフにカミューは嫣然と微笑む。 「今夜はキスだけだ」 「…カミュー…またそんなイジワルを…」 ここまできてその言葉はあまりにもひどい。しかしカミューはきっぱりと言った。 「だめだ、お前、今日も酒が入ってるからな。明日になって、綺麗さっぱり忘れてたなんてことになったら、今度こそ私は立ち直れない」 そう言ってカミューは触れるだけのキスをマイクロトフに与える。 そんなことがあるわけないだろう、と言いたいところではあったが、すでに酒で痛い思いをしているマイクロトフとしては、そう言われると返す言葉がない。 結局その夜は、爆発しそうな気持ちと身体を宥めつつ、朝までベッドの中で甘いキスだけを交わしたのだった。 それがカミューとの初めてのキスをした時の出来事である。 腕の中のカミューが小さく身じろぎして、その瞳を開けた。 マイクロトフと視線が合い、ぱちぱちと何度か瞬きをする。 「どうした…眠れないのか?」 掠れた声でカミューが尋ねる。 窓の外は薄暗い。夜明けまではしばらくありそうなのに、マイクロトフが眠った様子はない。ずっと起きて寝顔を見ていたのか、とカミューがマイクロトフに聞くと、そうだと答える。 「物好きだな…どうした?何か心配事でも?」 「いや。お前にお預けをくらった夜のことを思い出していた」 何のことだ?とカミューがぼんやりとした頭で考える。 そんなカミューの首筋にマイクロトフが顔を埋める。抵抗することなく、カミューはマイクロトフの背に腕を回す。 「あの夜は、本当に辛かったのだぞ。分かってるのか?」 マイクロトフがカミューの耳元で囁く。 「……どの夜のことだ?私がお前を受け入れなかったことがあるか?」 カミューの返事にマイクロトフは小さく舌打ちする。 綺麗さっぱり忘れているのはどこの誰だ。 それなら、思い出させてみせよう。 あの時交わしたキスのひとつ、ひとつをすべて覚えているのだから。 マイクロトフはカミューを抱きしめた。 この世で一番愛しい恋人を。 |