グレープフルーツ


 一日の任務を終え、カミューが自室へ戻ってくると、テーブルの上に、見慣れないものが置いてあった。
「さて…これはいったい…」
 確か朝、部屋を出る時にはこんなものはなかったはずだ。
 だとすると、留守にしている間に誰かが部屋に入り、これを置いていったということになる。部屋には当然鍵をかけてある。
 その部屋に好き勝手に入ることができる人間といえば…
「カミュー帰ったのか」
 軽いノックと共に唯一無二の恋人が姿を見せた。
「マイク…ただいま」
「無事そうだな」
 大股で近寄り、カミューの頭を引き寄せその髪に口づける。いつものおかえりの抱擁だ。抱きしめようとしてくるマイクロトフの身体を軽く押し返してカミューが言う。
「マイク、ちょっと聞きたいことがある」
「何だ?」
 腕の中のカミューに愛しげに目を細め、マイクロトフが笑う。
「あれは…お前が置いたのか?」
 テーブルの上の物体を指さして、カミューが尋ねる。
「ん?ああ、そうだ」
 やっぱりそうか。
 まぁ他にこの部屋に入れる人間などいないのだから、犯人はマイクロトフ以外には考えられないのだが。
「ディラン殿にいただいた。その場で一つ食べたが、とても美味しかったぞ。お前にも食べさせてやろうと思ってな」
「ふうん…」
「どうした?嫌いだったか?グレープフルーツ」
 テーブルの上に置かれていたのは色鮮やかなグレープフルーツ。
 ちょうど時期的にも今が一番美味しい頃であろう。
「いや…嫌いではないよ…。マイク、私は先に風呂へ行って汚れを落としてくるよ。あとでレストランで会おう」
「…ああ、分かった」
 いつになくあっさりとしたカミューの態度に何か釈然としないものを感じながら、マイクロトフは部屋をあとにするカミューを見送った。


 食事時のためか大浴場には誰もいなかった。
 一人でのんびりと貸切状態を楽しんでいると、ガラリと扉が開き、先ほどまで一緒に任務についていたフリックが入ってきた。ぐるりと風呂の中を見渡し、カミューへと微笑む。
「何だ、誰もいないんだな」
「ええ、贅沢にも貸切です」
 フリックが湯に入ってくる。
 ぱしゃぱしゃと顔を洗い、気持ち良さそうに大きく息をつく。
「フリックさん」
「ん?」
「嫌いなものってありますか?」
「嫌いなもの?」
「食べるもので」
「食べるもので嫌いなもの?あ〜特にはないな。あ、でも前に旅してる時、食料が底をついたことがあって、ビクトールに騙されて始末したモンスターを食ったことがあるけどな、あれはだめだな。何ていうか…生臭くて不味かった」
「………ゲテモノ料理の話をしてるんじゃないんですが」
 カミューが思い切り嫌そうな顔をする。
「はは、悪い。だが、このご時世で嫌いなものなんて言ってられないだろう?食べられるものは何でもありがたく食べることにしてるが?」
「そうですよね」
「カミューは好き嫌いが激しそうだな」
 フリックが笑う。
「そんなことはありませんよ。好き嫌いはほとんどありませんし、好みに合わないものでも食べます。そこまで子供じゃありませんから、ただ…」
「ただ?」
「いえ、いいんです。すみません、先に上がります。フリックさんもあまり長く浸かっているとのぼせますよ」
「心遣いどうも」
 以前にものぼせたことのあるフリックは苦笑した。
 
 
 レストランでマイクロトフと合流し、その日一日の出来事をお互いに報告する。他愛ない話に微笑を交わす、心から寛げる時間だ。
「カミュー、任務から帰ってきたばかりだが、今夜は夜更かしできるか?」
 食事を終え、話が途切れた時にマイクロトフが言った。
 今夜、お前を抱いてもいいか、と。
 言葉にはしないけれど、そういう意味が込められた問いかけ。
 カミューはにっこりと笑った。
「もちろん。掘り出しものでいいワインを手に入れた。あとで一緒に飲もう」
「それは楽しみだな」
「あ、カミューさん」
 通りかかったディランが声をかけてきた。そばにはナナミもいる。
「あれ、どうでした?甘かった?」
 あれ?カミューが一瞬戸惑うと、横からマイクロトフが助け舟を出した。
「申し訳ありません、実はまだ食べてないんです。カミューもさっき戻ってきたばかりで。このあといただくことにします」
 ああ、例のグレープフルーツのことか、とカミューは気づき、ディランを見た。そういえばディランから貰ったとマイクロトフが言っていた。
「すっごく甘くて美味しかったのよ、ね、ディラン」
「そうだね」
 ナナミがにこにこと笑いながらカミューへと話しかける。
「あ、マイクロトフさんはもう食べたから知ってるよね。カミューさん、期待しててね、すっごく美味しかったから。でも、あんまり数がなかったから、他の人には内緒ね」
「…そうなんですか…」
「やっぱり美味しいものは好きな人と食べるのがいいよね。じゃあまたね」
 ディランとナナミが連れ立ってレストランを出て行った。
 残ったカミューはちらりとマイクロトフの顔を見た。心なしか照れたようなマイクロトフの様子に思わず微笑む。
「ありがとう、マイク」
「何がだ?」
「私のために我儘を言ってくれたんだろう?」
 数がなかったとナナミは言っていた。おそらく、その場にいる人間だけで食べきってしまうはずだったのだ。自分のために一つ持って帰りたいと、いつもなら言わないであろう我儘を、マイクロトフはディランに頼んだに違いない。滅多にないことだからこそ、ディランも快く許してくれたのだろう。恋人の優しい心遣いにカミューは嬉しくなる。
「さ、部屋に戻ろう。ご相伴に与らせてもらうよ」
「ああ…だが…」
「何だい?」
「いや…」
 口ごもるマイクロトフに首を傾げながらも二人はカミューの部屋へと戻った。
 テーブルの上にはぽつんとグレープフルーツが一つ。
 カミューはそれを手にすると、何かを考えるようにじっとそれを見た。
「カミュー」
「ん?」
「別にいいのだぞ。嫌いなものをわざわざ口にすることはないのだから」
「え?」
 マイクロトフが苦笑しながら席につく。
 カミューはポーカーフェイスで、何を考えているか分からないと周りの人間は言うけれど、マイクロトフにはカミューが何を考えているすぐに分かるのだ。
 それは長年そばにいるからでもあり、恋人だからでもある。
 グレープフルーツを見た時、カミューはどこか困ったような顔をしていた。
 嫌いではない、といいながらも、嬉しそうな様子も見せなかったカミュー。
 お互いの食べ物の嗜好はたいてい知っているつもりだったが、グレープフルーツがだめだとは知らなかったのだ。
「嫌いだと知っていればこんなことはしなかったのだが…すまなかったな」
「マイク、私はグレープフルーツは嫌いじゃないよ」
 謝るマイクロトフにカミューが慌てる。
 そして向かい側の席につくと、グレープフルーツを手にして匂いを嗅ぐ。
「いい匂いがしている。きっとすごく甘いんだろうな…」
「ああ、とても美味かったが…カミュー、無理はしなくても…」
「私がお前相手に無理なんてすると思うかい?嫌いなものは嫌いと言うさ。今さらそんなことで遠慮するような仲でもあるまい?」
「そうだな…確かに」
 言われて初めてその事実に気づいた。
 逆の立場でもマイクロトフも苦手なものは苦手だと言うだろう。
「グレープフルーツは大好きだよ」
「ではどうして嬉しそうな顔をしなかった?」
「………」
「カミュー?」
 カミューはちょっと不貞腐れたような表情でイスにもたれる。
「面倒なんだ」
「え?」
「だからね、グレープフルーツは剥くのがとても面倒なんだよ。皮が厚くて、爪が痛くなるし、中の実にも袋がついているだろう?あれを取るのも面倒だ。食べたい気持ちはあるけれど、それを考えると躊躇してしまう。それだけさ」
「…………」
「…………」
「カミュー……」
「うん?」
「お前が面倒くさがりだということをすっかり忘れていた俺が悪かった」
 マイクロトフが笑いを堪えつつそう言う。
 マチルダにいた頃、食事のあとに出るデザートのグレープフルーツはすべて綺麗に皮が剥かれ食べるだけの状態で出されていた。
 自分で剥くのは面倒だなんて、贅沢な我儘だとは思うけれど、カミューらしいといえばカミューらしいかもしれない。
「だから言うのが嫌だったんだ」
 ニヤけた表情のマイクロトフを見てカミューが舌打ちする。
「いや、悪い。分かった、では俺が皮を剥いてやろう。それならいいだろう?」
 マイクロトフはポケットから小さなナイフを取り出すと、カミューからグレープフルーツを受け取り、慣れた手つきで皮を剥いた。そして中から現われたみずみずしい果実をカミューへと差し出す。
「さ、これでいいだろう?」
「その皮も剥いてくれ」
「え?お前…本当に面倒くさがりだな…」
 中の薄い皮まで剥けというのか?マイクロトフは少々呆れて、それでも恋人のために皮を剥いてやる。大きな手が小さな果実の皮を剥いている様子がおかしく、カミューはくすくすと笑いを零す。
「まったく、まるで子供だな」
「お前の前でだけだ。他の人にこんなことはさせやしない」
「当たり前だ、ほら、剥けたぞ」
「食べさせてくれ」
「………食べるのまで面倒なのか?」
 これには心底驚いたようでマイクロトフが眉をひそめる。
「まさか。お前に食べさせてもらった方が何倍も美味しくなるからさ」
 カミューが蕩けそうな顔でマイクロトフにねだる。
「…仕方がないヤツだな」
 そう言いつつもマイクロトフの表情も柔らかい。
 果実を一つ、カミューの口へと運ぶ。
 口の中で広がるグレープフルーツの味にカミューは満足そうに微笑んだ。
「とても美味しい」
「だろう?」
「特に人に剥いてもらって食べるのは格別だ」
 ニヤリと笑うカミューにマイクロトフはやれやれと次の皮を剥いてやる。
 こういうのを惚れた弱みというのだろうか?
 カミューにねだられるままに、マイクロトフはせっせと皮を剥き、食べさせてやる。
「どうせなら違うものを……」
 剥きたいものだ。と心の中でつぶやくマイクロトフ。
 ポツリと言ったその言葉にカミューがくすりと笑う。
「いいよ、お礼に好きなだけどうぞ。だけど私は面倒くさがりだから、自分からは脱がないよ」
「………」
 マイクロトフが無言のまま、最後のひとかけらをカミューの口の中に放り込む。
「ごちそうさま、マイク」
「……俺はこれからいただきます、だな」
「ふふ、私はお前のデザートというわけかい?」
「いや、デザートよりも甘くて美味いと思うが」
 至極真面目な顔で言ったマイクロトフに、当然だ、とカミューが切り返す。
 自信たっぷりのカミューの返事に、マイクロトフは思わずいらぬ想像をして咳き込んだ。



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