The Change 4


 とりあえずあと一日我慢すれば元に戻れる。
 そう分かったのでフリックは幾分気持ちも落ち着いた。何しろ、女性になったからといって仕事が免除されるわけではないのだ。不安定な気持ちのままでは、とてもじゃないがまともな思考など働くはずもない。だから明日までの辛抱だと分かり、やっといつも通り、朝一番の会議に出席しようという気にもなった。
 会議室に入ると、すでに集まっていた連中がフリックたちを一瞥したが、さすがに一日がたって物珍しさも納まったのか、騒ぐこともなく普通に朝の挨拶を交わした。
 カミューと共に、いつもの席に座り、準備されていた資料を手にする。しばらくすると、遅れてやってきたビクトールが、フリックがこの場にいることに少し驚いたような顔をした。
「よぉ、会議になんか顔出してていいのか?」
「大丈夫だ。さっきメイザースが目覚めて、明日までにちゃんと元に戻してくれるって約束してくれたからな。今日一日、この姿で我慢すりゃあいいことだ。体調は別にどこも悪くはないし、仕事はちゃんとしなくちゃな」
「ふうん」
 明日まで、ねぇ。とビクトールは曖昧にうなづいてフリックの隣に座った。もちろんフリックが元の姿に戻るということは喜ばしいことである。いつまでも女の姿でいられては、さすがのビクトールだって困ってしまう。だが、どうせなら女の姿のフリックと、あれやこれやをしてみたいという思ってしまうのも仕方のないことで。

(さぁて、どうしたものか)

 まともに「お願い」して大人しくやらせてくれるほどフリックはお人よしでもない。かといって力づくなんてことをすれば、オデッサですっぱり斬られてしまうだろう。
 じーっとフリックのことを見つめていたビクトールは、ふとあることに気づいた。そしてまたじーっとフリックを見つめる。その纏わりつく視線に気づいたフリックはむっとしたように振り返った。
「何なんだよ、お前はっ!集中できないだろっ」
 すでに会議は始まっている。ぼそぼそと小声で一喝するフリックに、ビクトールは曖昧に肩をすくめた。そのあとは何事もなかったかのように会議は進み、終盤、シュウが思い出したようにカミューとフリックに向かって言った。
「そこの二人、今日中には元に戻るらしいな。今日は特別に休みにしてやる。あまりあちこちうろうろせずに、部屋で大人しくしていろ」
「いや、別に身体は何ともないから……」
 大丈夫だ、と言いかけたフリックを、シュウがぴしゃりと押し止めた。
「そんな格好でうろうろされては迷惑だ」
「………」
 どうせこんな格好だよ、とフリックはむっとする。別になりたくてこうなったわけではないのだ。不貞腐れるフリックとは打って変わって、一方のカミューは思いがけない休みがもらえたと、むしろ嬉しそうである。俺もこいつくらい脳天気な性格になりたいものだ、とフリックはカミューを横目で見るのであった。
 会議が終り、三々五々散らばっていく仲間たちを見送り、フリックもまた立ち上がった。するとカミューがにこやかに笑いながら声をかけてきた。
「フリックさん、あと少しの辛抱ですよ。とりあえず今日一日大人しくしていれば元に戻るんですし」
「まぁな」
 それでもまだ憂鬱そうな顔をしているフリックに、カミューが耳元で囁く。
「元に戻れることが保証されたんですから良かったですよ。安心してこの女性の身体を楽しむことができるというものです」
「なっ!!!!」
 とたんに真っ赤になるフリックに、カミューが楽しそうに続ける。
「まぁ何をして楽しむかはお任せしますが、せっかく一生に一度の不思議な出来事に遭遇したんですから、何も得るものがないまま元に戻るなんて馬鹿馬鹿しいですよ。あまり思いつめないで、気楽な気持ちで楽しんだ方がいいですよ」
「……楽しむってお前……」
 まさかおかしなことを考えてるんじゃあないだろうな、とフリックは表情を強張らせる。だいたい、おかしな間違いがあっては困るからと、ビクトールたちと部屋を分けることに賛成したのはカミューではないか。それなのに、どうもその目は何かを企んでいるように思えて仕方がない。
 もしかして女性になってしまったショックで、おかしくなってしまったのではないだろうか。
「私は転んでもただでは起きないというのが身上なので、それにちょっと確認したいこともありますし…」
 にっこりと微笑むカミューにフリックはぞっとする。
「いや、それはいいんだけどよ、お前……くれぐれも早まるなよ……」
「わかってますよ」
「ま、間違いだけは起こさないよう……」
 次第に小声になるフリックに、カミューは「失礼な」と言いたげにカミューは唇を尖らせ、会議室の出口付近で手持ち無沙汰にカミューを待っているマイクロトフへと去って行った。
「本当に大丈夫なのかよ……」
 カミューは誰よりも常識人に見えて、その実どこかずれた感覚を持つ男だと常々思っているフリックである。女性になって、可愛いドレスや下着(…はいらないらしいが)などで一人でこっそり楽しむ分には誰にも迷惑はかけないが、人前に出るのはいかんだろうと思うのだ。
「どうせ迷惑がかかるとしてもマイクロトフだしな、まぁいいか」
 カミューにベタ惚れのマイクロトフであれば、カミューの多少の我侭など二つ返事で了承することだろう。あの二人の心配は無用かもしれない。
 そんなことより自分のことである。
 問題は、メイザースが本当にちゃんと元に戻してくれるかどうかだ。どうもあのオヤジは信用しきれないところがある。だいたい自分で自分のことを大魔道士などというところからして怪しいことこの上ない。とはいうものの、今は彼に縋るしかないのだ。一刻も早くこのみっともない姿から解放してもらわなくてはならない。
「フリック」
 てっきり帰っていったと思っていたビクトールがどこからともなく現われ、がっちりとフリックの肩に手を回し、内緒話をするかのように耳元で言った。
「このあとどうするんだよ?お前、シュウから大人しくしてろって言われてるから、遊びにも行けないだろ?」
「まぁな」
「よし、俺が話し相手になってやるぜ」
「いらねぇよ。お前と今さら何を話せっていうんだよ」
 四六時中一緒にいるビクトールと、改まって話すことなどなにもない。冷たくビクトールの手を振り払ったフリックはすたすたと自室へと向かう。
「まぁまぁそう言うなって。どうせ一人でいたってつまらねぇだろ」
「そりゃまぁそうだが」
 確かにひとりでいたってこれといってすることもないのだ。それに、今までだってこういうぽっかりと空いた時間は二人で何をするでもなく過ごすことが多かった。特別何をするわけでもないが、一緒にいて落ち着くのもまた事実なのだ。
「じゃあ、いったん部屋に戻るか。ああ、そうだ。どうせなら舞台でも見に行こうぜ。コボルトダンスの新しいヤツが始まったって、聞いたんだ。見てみたい」
「おう、あとで付き合う」
 ビクトールはよしよしと満足そうにうなづいた。
 二人して自室の扉を開け、中に入る。頭の中はすっかりコボルトダンスのことでいっぱいのフリックは背後から近づいたビクトールにまったく気づいていなかった。手を伸ばされ。両腕が身体に回ったとき初めてビクトールがよからぬことを考えているのではないかとはっとしたのだ。
「ビクトールっ!!!」
「あー?何だ?」
「な、何懐いてンだよっ!!!!離せっ!!ばかっ!」
「お前、暇だろ?んじゃあちょっと俺に付き合えって」
 ぎゅうぎゅうと抱き寄せたまま、じりじりとベッドの方へと移動しようとするビクトールに、フリックが必死で踏ん張って抵抗する。
「朝っぱらからっ!!!!」
「そんなの何回もあっただろ」
「そ、そうかもしれないけど……」
 確かに仕事がなくて、暇な時、流されるように朝っぱらからコトに及んでしまったことも一度や二度ではない。もちろんあとで激しく後悔はする。でもまぁそういうこともあるだろう、とある程度諦めているのも事実なのだ。だが、今は違う。絶対にまずい。何しろフリックの身体は普通じゃない。女なのである。
「……っ!」
 どさりとベッドに押し倒され、ビクトールがフリックに口づけようと顔を寄せてきた。慌ててフリックがそれを遮る。
「い、いい加減にしろよっ!お前、何でそんなっ……」
 毎回毎回、すぐにその気になるのだろうか。
 いったいいくつだと思ってンだっ、と叫ぶ。そろそろ落ち着いてくれよ、と泣きたくもなる。
「しょうがねぇだろ、相手がお前なんだから」
「………っ!!!」
 何なんだ、そのわけの分からない理由は!!!とフリックが唖然とする。
 その間にも、手際のいいビクトールはフリックを後ろから抱きかかえ、シャツを引きずり出す。
「やめろっ!!お前っ……無理矢理するなんて強姦じゃねぇかっ!!!犯罪だぞっ!分かってンのか、くそっ!!」
 およそ見かけの美女っぷりからは考えられないような悪態をついて、フリックが本気で暴れる。しかしビクトールの力に敵うわけもなく、すっぽりと腕の中におさまってしまう。
「強姦ったってよぉ、お前と俺の間で今さら……」
「今さらも何もあるもんかっ!!!ふざけんなっ!!」
 フリックが叫んだ時、ビクトールの手が背中を撫でた。ぎくりとしたフリックの顔を、ビクトールがにやにやと覗き込む。
「フリック、お前、ブラジャーしてるだろ」
「………っ!!!!!!」
 瞬間、頭の中が真っ白になる。まさか気づかれていたなんて!!フリックの顔色が変わったことで、自分の直感が当たったことを知ったビクトールはさらに目を細める。
「いったい誰に貰ったんだ?まさか自分で買ったわけじゃないよな」
「ち、ちが…っ」
「さっき会議の時に、お前のことと見てて気がついた。何だよー、すっかり女になっちまってなぁ、まぁしょうがねぇけどよ」
「違うっ!!!これは防具だっ!!!!!」
「………」
「………」
「………何だって?」
 ビクトールが胡散臭げにフリックを見つめる。自分で言って馬鹿馬鹿しいと思ったのか、フリックは見る見る間に顔を赤くした。
「だ、だから……、む、胸が大きいといろいろ大変だっていうからっ!!オ、オウランがくれたんだっ!しょうがないだろっ!!今の俺は考えたくないけど女の身体なんだし、戦闘の時にみんなに迷惑かけるわけにはいかないんだからよっ!!!」
「そりゃそうだ」
「これは防具だ!!防具だ!防具だ!誰が何と言おうと防具なんだっ!!!」
 はぁはぁと息も荒く言い募るフリックである。
 胸が大きくてどうしてみんなに迷惑をかけることになるのか、今いち理解できないビクトールだが、下手に突っ込むと逆切れされそうなので神妙にうなづいた。
「わかった、それは防具だ」
「笑うな」
「笑ってねぇよ」
「目が笑ってるっ!!」
 叫んだフリックに、ビクトールは堪えきれずに吹き出した。
「可愛いなぁ、お前」
「か、可愛いって言うなっ!!!!!!!!」
 真っ赤になってフリックが怒鳴る。可愛いというのは何も外見だけのことを言っているのではない。そりゃあもちろん女になってしまったフリックは、見た目も十分可愛いのだが、それ以上にやること言うこと、どれも思わず笑ってしまうほど可愛いものなのだ。
 二十八にもなった男に言う言葉じゃないことくらい百も承知である。
 だが、可愛いのだから仕方がない。
「あーあ、お前といると飽きねぇな」
 ビクトールは笑いを堪えながら、ごそごそとフリックのシャツの中で何やらしていた。次の瞬間、フリックはさっと顔色を変えた。
「お前っ……」
「うん?」
 あっという間に背中で止められていたはずのブラジャーのホックが外され、それまでぎゅうぎゅうと胸を締め付けていた違和感が和らいだのだ。
 フリックはあっけに取られてしまった。何て手の早いヤツなんだろう、と。
 このブラジャーのホックをとめるのにどれだけ苦労したことか。何しろあまり身体が柔らかい方ではないので、背中に両手を回し、小さなホックをちゃんととめるのに有に10分はかかったフリックである。それをビクトールはものの3秒もかからずに外してしまった。あっという間に。
 また止めるのに時間がかかるだろうっ!と憤ったフリックだが、その前に別に思いが脳裏に浮かんだ。
「ビクトール」
「ああ?」
「お前、何でこんなに上手いんだ?」
「へ?」
 むくりと片肘をつき上半身を起こしたフリックは、じろりとビクトールを睨みつけた。
「どうして、こんなにブラジャーを外すのが上手いんだよ、おまえは」
「……どうしてって……」
 ビクトールは一瞬うろたえた。まさかそんなツッコミを入れられようとは夢にも思っていなかったのだ。フリックは見るからに不機嫌そうで、ビクトールの返事を待っている。
「どうしてって、なぁ……そりゃお前、踏んできた場数が……いてっ」
 ビクトールの股間をフリックが軽く膝けりした。思わずくの字に身体が折れ曲がる。
「場数だぁ?へぇ、どこの誰との場数だ」
「お、お前なぁ、何てことしやがる。不能になったらどうしてくれるっ」
 痛みを堪えながら、ビクトールは低く唸る。
「別に、俺はまったく困らない」
「嘘つけ」
 ビクトールは片手でフリックの肩を掴むと、再びベッドに押し付けた。ぷいっとそっぽを向くフリックに、ビクトールが困ったように舌打ちする。
 まさかこんなことでヤキモチを焼かれるとは思ってもみなかったのだ、
「しょうがねぇだろ、だいたい俺は別に男が好きなわけじゃねぇんだから、お前とこうなる前の相手は当然女なんだしよ。そりゃあ脱がせるのも上手くなるって。怒るなよ」
「怒ってない。呆れてるだけだ」
「だーかーらー、本当は俺は男相手にするよりも女を相手にする方がずっと上手いんだぜ。お前だってそういうの、ちょっと試してみたいだろ?」
「………何か間違ってないか、それ。お前は相手は男だろうが女だろうが関係ないんだろ?ただやれればいいだけなんじゃないのか?ああ?」
 フリックの言葉に、今度はビクトールの方が呆れたように目を丸くした。
「お前、それこそ間違ってるぜ。男でも女でも、相手がお前だからやりたいって思うんだろうが。何でそんな簡単なことが分からねぇのかねぇ」
 当然のように言われて、フリックは黙り込んだ。こんな見え見えの作戦に騙されてはいけないと思いながらも、ビクトールにちゅっとこめかみに口づけられると、黙り込むしかない。
「な、機嫌直せって。お前だって知ってるだろうが、俺が好きなのはお前だけだってよ。女だとか男だとか関係ねぇよ。俺はお前だからこうしてやりてぇって思うんだろうが」
「………」
「なぁ、お前のこと今すぐ抱きてぇんだが、だめか?」
「………」
 自分も大概ビクトールには甘いと思う。
 別に男だとか女だとか関係なく、ビクトールが自分のことを好きだといい、やりたいのだと言うのなら、もう何でもいいようなそんな気になってきた。
 カミューの言葉ではないが、どうせ明日には元に戻るのだ。産休、育休なども絶対にありえないことなのだ。別に女の身体を楽しもうなんて思っちゃいないが、ビクトールがどうしてもやりたいというのなら、それでもいいかと思ってしまう。
 まったく本当に、どうしてこんなにビクトールには勝てないのだろうか、とフリックは己に嫌気がさしてしまう。
「………言っておくが、あんまり無茶するなよ」
「わかってる」
 ぱっと顔を輝かせたビクトールに、フリックは少し怯む。
「……あーやっぱりだめだ。こんな身体でお前とするのは、ちょっと……」
 今決めたばかりの決心がすぐに揺らぎ、フリックは赤い頬のまま逃げようとする。こらこら、とビクトールがフリックを抱き寄せる。
「大丈夫大丈夫。任せておけって」
 ビクトールがそっとフリックに口づける。
 柔らかな唇はまさしく女性のそれで、ビクトールは内心どきりとした。抱きかかえた肩も細く、華奢だった。逃げようとするフリックを押さえ込み、何度か啄ばむようにして唇を合わせる。フリックの身体から力が抜けた頃、ようやくいつものように舌先で咥内を探った。慣れ親しんだ行為のはずなのに、まるで別人を抱いているような気がして、おかしな気分になってくる。
 ちゅっと音をさせて首筋に顔を埋めるビクトールに、フリックが身を竦めた。
「ん……っ」
「大丈夫だって、恐がるなって……」
 初めての時だって、こんなに怯えたりしなかったというのに、やはり身体が女性だとまた気分も違うものなのだろうか、とビクトールは首を傾げた。
 柔らかな胸元に手を忍ばせると、フリックはびっくりしたように息を飲んだ。
「なぁ、やっぱり女になって胸が大きくなると、感じ方って違うもんか?」
「そ、そういうことを聞くなっ!」
 真っ赤になるフリックに、ビクトールが楽しそうに笑う。
「少しはリラックスしてきたか?」
 うん?とビクトールがフリックの前髪をかきあげて、額に唇を寄せる。フリックはそんなビクトールを上目使いに見上げ、渋々といった風にうなづいた。
 元々ビクトールに抱き締められて、緊張することなど何もないのだ。むしろほっとして、肩の力が抜ける。別に身体が女だろうが関係ないのだ。
「好きだぜ、フリック」
「………っ」
 ありきたりな、けれどどうにもほっとしてしまう一言にフリックは何もいえなくなる。
 ビクトールが優しくフリックの身体を抱き締めたその時、何やら廊下へと続く扉がぎしぎしと軋んだ音を立て始めた。
「な、何だ?」
 ビクトールが振り返り、フリックもまたビクトールの肩越しに扉の方へと目をやった次の瞬間、どーんっと派手な音を立てて、扉が内側に倒れてきた。
「なっ……っ!!!!!」
 そしてそこには、部屋の様子を窺っていたらしい無数の人間が重なりあっていた。
「いって…」
「押すなって言っただろうが」
「早く退けよっ!」
 そこにいたのは酒場で一緒になる連中や傭兵仲間、二人のよく知る人間ばかりである。いったい何が起こったのか分からずにいた二人だが、すぐに彼らが何をしていたのかに気づいて、ビクトールが怒りを露わにした。
「てめぇら……覗いてやがったな……」
 ぎしっと音をさせてベッドを降りる。フリックは茫然自失といった感じで、言葉もない。
 今の自分たちのやり取りを聞かれていたのかと思うと、恥ずかしさも通り越してもう何も考えられなくなる。
「お前ら〜」
「え、いやいやいや、ほら、俺たち心配で……」
 ビクトールの形相にその場に倒れていた連中が慌てて身を起こす。
「フリックさんがビクトールさんに襲われちまうんじゃないかって……」
「でもフリックさんもそう簡単には許したりはしないだろうし」
「ビクトールさんが手を出すのが早いか」
「フリックさんがそれを阻止するか……」
 皆口々に言い訳をする。
「結局……」
 男たちの言い訳を黙って聞いていたビクトールがのそりと連中の前で仁王立ちになる。
「結局、てめぇら……俺とフリックが目出度くデキあがるかどうか、賭けてやがったな?」
「………」
 怒りの表情を浮かべるビクトールに、その場の人間がごくりと喉を鳴らす。
「いったいいくら賭けてやがった?ああ?」
「お、俺はやる方に500ポッチ。ビクトールの旦那の手にかかりゃあ、いくらフリックでも…」
「俺はやらない方に1000ポッチ。だいたいフリックだって戦士としての意地があるだろうが。そうそう簡単にビクトールに手篭めにされるわけがねぇ!」
「だが、あとちょっとでできあがるところだったじゃねぇか!」
「いいや!!あのあと絶対フリックはまた嫌だって言ったに違いない!」
 などなど。それぞれが口々に自分たちの予想を言い始める。ベッドの上で呆然としていたフリックだが、やがてゆっくりと床に足を下ろした。
 ひやりとしたオーラを感じて、ビクトールも含めた全員がはっと息を飲んだ。
「………フ、フリック?」
「俺が誰と何をしようが、お前らの知ったことじゃねぇはずだ……」
 フリックはにっこりと微笑み、男たちの前で仁王立ちになる。フリックは普段はどちらかといえば物静かな男である。滅多なことでは声を荒げたりはしない。
 けれど、本気で怒るとこれ以上ないほどに恐ろしいことを平気でやらかしたりする。
 そのことをよく知るビクトールが慌てて一歩あとずさった。
「フリック、落ち着け!」
「ま、待て、フリック!!!」
 紋章を宿した片手で上げられ、皆、一様に頬を引き攣らせた。










「何だか表が騒がしいね」
「そ、そうだな」
 何があったんだろう、と外の様子を窺うカミューに、マイクロトフは様子を見てこようかと言ってみたが、あっさりとカミューに却下された。
「いいよ、どうせフリックさんたちが喧嘩でもしているんだろう」
 カミューの指摘の半分は当たっていた。だが喧嘩などという生易しいものではないということまでは知る由もない。
「カ、カミュー。えっと……」
「何だい?」
「その…こ、これはいったい……」
 マイクロトフはしどろもどろとカミューを見上げた。
 フリック同様、女性の姿になってしまたカミューもまた、今日は一日することもなく、ぽっかりと空いた休日となってしまっていた。マイクロトフはそんなカミューと付き合うため、半ば強引に軍師に頼み込んで、今日の予定をすべて明日以降に回してもらったのだ。女性化してしまったカミューが一人では不安だろうという配慮からである。
 しかし、そのカミュー当人は、マイクロトフが思っているほど不安になっているわけではなかった。フリックとは違い、彼は我が身に起こったことはあるがままに受け止め、くよくよと悩んだりする性質ではなかったからだ。むしろ、その状況楽しもうという余裕すらあった。
 それをすっかり忘れていた。
「カミュー、その……」
「うん?」
「いや、だから、その……」
 ベッドの上に横たわったマイクロトフの上に跨るようにして座り込むカミューは、にっこりと微笑むばかりである。
 食事を終えて部屋に戻ったとたん、カミューに強引にベッドに押し倒されてしまったマイクロトフである。唐突なことだったので、抵抗する間もなかった。何しろ相手は女性となってしまったカミューである。力から言えばマイクロトフの方がずっと強いはずなのに、それを阻止することはできなかった。カミューが相手だというだけで、まったく無防備で無抵抗になってしまう自分に呆れてしまう。
「カミュー、こ、これはどういうことだろうか」
 これではまるで、今から不埒な行為に及ぼうとしているようではないか。マイクロトフは思わず横目で窓の外を眺めてしまう。空は青く、日は燦々と降り注いでいる。
「マイクロトフ、私はどうやら明日元に戻るらしいよ」
「うむ、そうだな。良かった。ほっとしたぞ」
 心底喜んでいるマイクロトフに、カミューも神妙にうなづく。
「まったくとんだアクシデントだったけど、思っていたより早く元に戻れるようで、私もほっとしているよ。別に女性が嫌だというわけではないけれど、やっぱり男の身体に戻って、お前と今まで通り共に剣を握りたいからね」
「もちろんだ。俺もお前が男である方がいい」
 何しろ知り合ってから今までずっとカミューは男だったのだ。男であることが普通のことで、いくらとびきりの美人になったからといって、このまま女性であって欲しいなどとは夢にも思っていないのである。
「マイクロトフ」
「な、何だ?」
 すっと目の前に迫ってくるカミューの顔に、マイクロトフはどきりとした。
 カミューはもともととても綺麗な顔立ちをしていた。すっきりとした目元や薄い唇。一度はこう生まれてみたいと思わせるほど、カミューの造形は美しかった。
 女性になったカミューは、それに輪をかけて綺麗になってしまっていた。神々しいといっても過言ではない。
 そのカミューが惜しげもなくマイクロトフの目の前で微笑むのだから、マイクロトフとしてはたまったものではない。
 すっとカミューの指先がマイクロトフの頬に触れた。ひやりとした指先が、唇を撫でる。
「カミュー?」
「お願いがあるんだ、マイクロトフ」
「何だ?」
「マイクロトフ、私のことが好きかい?」
「な、も、もちろんだっ!当たり前だろう」
 今さら何を確認することがあるのだ!とマイクロトフが鼻息を荒くする。カミューはうんうんと満足そうにうなづいた。
「それは、私がこんな身体になってしまっても変わらないかい?」
「もちろんだ。お前が男であろうと女であろうと、俺がお前を想う気持ちはこれっぽっちも変わりはしないぞ。当たり前だろう!」
「ありがとうマイクロトフ。それが聞けて本当に嬉しいよ」
 そしてちゅっとマイクロトフの唇に、カミューは軽く口づけた。とたんに赤くなるマイクロトフに、カミューは首を傾げる。
「どうして赤くなる?たかが口づけくらいで」
「いや、そう、だが……やっぱり、別人みたいな気がしてな…」
「私は私だよ。そうだろう?」
「ああ、そうだ」
「だからね、元に戻ってしまう前に、お前と試してみようと思って」
「………」
「………」
「………え?」
「うん?」
 マイクロトフはカミューが言っていることがよく分からず、きょとんと目を見開いた。
 試すというのはいったい何を?聞いてみたい気もしたが、答えを聞くのが恐い気もする。
 にっこりと微笑むカミューの指がマイクロトフの襟元を弛め始めたので、さすがのマイクロトフもカミューが何を意図しているのかを知る。
「カ、カ、カ、カミューっ!!!!!!!!」
「うるさいなぁ、何だい?」
「何だい、じゃないぞっ!!!
 マイクロトフががしっとカミューの手を掴む。
「馬鹿なことを考えるな。分かってるのか、お前は今は普通じゃないんだ。そ、そんな女性の身体になって、いったい何をしようというんだ」
「………マイクロトフ、女性になったからこそ、この行為が普通のものになるような気がするんだけど」
「そ、そ、そうかもしれないがっ!だが、だめだ!絶対にだめだ!」
「どうして?」
「ど、どうして、って」
 改めて尋ねられると、どうしてだろう、と考え込んでしまうマイクロトフである。言うまでもなく二人は恋人同士なわけで、今までだって嫌というほど身体を重ねてきた。そしてカミューは今女性である。問題はない……のだろうか?????
「マイクロトフ、やっぱりお前は私の身体に不満があるんだろう?」
「どういう意味だ?」
「フリックさんみたいに胸が大きくないから、やりたくないんだろう?」
 拗ねた物言いに、マイクロトフがあんぐりと口を開ける。
「馬鹿なことをっ!!人を巨乳好きみたいに言うんじゃないっ!言っただろう、俺は別に胸の大きさにこだわりなど持っとらんっ!」
「じゃあどうして抱いてくれないんだっ!」
「カミューこそどうしてそこまで胸の大きさにこだわるんだ」
 マイクロトフの指摘に、カミューは一瞬沈黙し、そして小さくつぶやいた。
「……お前は違うというけれど、やっぱりフリックさんの胸を見て顔がにやけていたように思う。私は意外と嫉妬深いんだ。少しでもお前が他所を見ているのが気になって仕方ない。胸が小さくても、私のことが好きだと証明して欲しかった。それに……」
「それに?」
「……今なら、私は女性の身体だ。今お前に抱かれれば、私は、お前が抱いた最後の女性になれるだろう?」
「………カミュー…」
 マイクロトフが過去に付き合った女性たちのことなど、正直なところカミューにとってはどうでもいいことだった。まったく気にならないと言えば嘘になるが、今さらヤキモチなど焼くこともなかったのだ。なのに、身体が女性になってからというもの、どういうわけかマイクロトフが女性を見る時の視線というものが気になって仕方がない。今までは性別が違ってのでまったく別のものとしてみていられたのが、そうでなくなったせいだ。
 マイクロトフは何とも複雑な思いでそんなカミューを見つめた。
 男同士でいた方が互いの絆が信じられるというのだろうか。女性になった方が不安に思うことが増えるというのだろうか。マイクロトフは片肘をついて上半身を起こすと、目元を赤らめ、そっぽを向くカミューの頬を指で触れた。
「カミュー、こっちを向いてくれ」
「………」
「馬鹿だな、いったい何をそんなに不安に思うことがある」
 低い囁きに、ぽろりとカミューの瞳から涙が零れた。長い睫毛を伏せると、それは頬をすべり、マイクロトフの指を濡らす。
「俺が愛しているのはお前だけだ。男でも女でも、胸があろうがなかろうが関係ない。愛してるぞ、カミュー。だから泣かないでくれ」
「………っ」
「ほら、こっちにこい」
 うつむくカミューを引き寄せ、互いに向かい合うようにしてベッドに横になる。
「まったくおかしなヤツだな。お前の涙など見るのは久しぶりのような気がするぞ。いい歳をして簡単に泣くんじゃない」
 マイクロトフが笑ってカミューの頬を拭う。カミューはそうだなとうなづく。
「あれかな、女性になると思考まで女性ぽくなってしまうのかな。別に泣こうと思ってないたわけじゃないんだ。勝手に涙が出てきたんだ」
「そうか」
「お前のことが好きだなぁって思ったら泣けてきた。はは、まったくどうかしてる」
 カミューはマイクロトフの肩先に顔を埋め、溢れる涙を拭う。
 柔らかな女性特有の匂いに、マイクロトフはどきりとした。いつものように身を寄せられ、間近に体温を感じると、さすがに抱き締めたい衝動が込み上げる。
「マイクロトフ?」
 片手で肩を、もう片方で腰を抱き寄せ、マイクロトフはカミューを己の体躯の下に引き込んだ。驚いたように目を見開くカミューに、そっと口づける。すぐに目を閉じ、忍び込んでくる舌先を受け入れたカミューは、おずおずとマイクロトフの背中に腕を回した。
 深くなる口づけに、くらりとめまいがしそうだった。マイクロトフの指がカミューの髪を梳く。
「何だか別人みたいだな、女性になったお前を抱いたら、元に戻った時に「浮気をした」とお前に責められそうな気がする」
 マイクロトフの台詞にカミューは吹き出した。
「確かに言いそうな気がする」
「おい」
「冗談だよ」
 くすくすと笑い続けるカミューにマイクロトフが深く溜息をつく。やはり男であろうが女であろうが、カミューはカミューだ。今回のことは、何の意味も得もない事故だったが、改めてカミューへの思いを実感できたことは良かったとおもう。
「私もマイクロトフのことが好きだよ」
「………」
「もしマイクロトフが女になったとしてもね」
 その言葉に、マイクロトフは渋い顔をして絶句した。









「何だかつまんないですねー」
 レストランのテラスで頬杖をついてつぶやくディランを、フリックとカミューがじろりと睨んだ。
 メイザースはその言葉通り、何とか期日通りに二人を元に戻す方法を見つけ出した。戻さないことには命が無いと必死だったのだろう。フリックもカミューも一瞬後には無事、元に立派な男の姿に戻ることができた。
 フリックはぺたぺたと自分の体のあちこちを触り、間違いなくそれが男の身体だと分かると、人目も憚らず万歳と涙ながらに両手を上げた。
 カミューもまた鏡でじっくりと自分の姿を見て、やれやれとほっとした。
「いったい何がつまらないって?ああ?」
 フリックが頬を引き攣らせて言うと、ディランはけろりとした顔をして言った。
「こんなに簡単に元に戻っちゃうなんて、つまんないですよ。もうちょっと超美人なフリックさんとカミューさんを見てたかったなー。一緒に戦闘に出て、前列に配置してみるとか」
「……お前はどこにエロ親父なんだ」
 勘弁してくれ、とフリックが深く椅子の背に沈みこむ。でもみんなそう思ってますよ、とディランが嘯く。女性たちはもちろん、本拠地中の男連中もみな目の保養ができなくなって残念がっていると。ビクトールはその話を何とも複雑そうな表情で腕組をして聞いていた。
「ビクトールさんもそう思うでしょ?フリックさん可愛かったですもんね」
「そうだなぁ……」
 と言いかけて、フリックの冷たい視線にいやいやと言い直す。
「俺はやっぱり男のフリックがいいけどな。どうも相手が女だと本気が出せねぇっていうか、無茶できねぇっていうか……」
「確かに相手が男だと無理やり押した倒しても何となく罪悪感は薄れますよね。何しろ相手だって対等な力を持ってるわけですから」
「そうそう……って、ばかっ、そういう意味じゃねぇよっ」
 おかしなツッコミを入れたカミューに、ビクトールが慌てる。もっともそのツッコミはあながち的外れなわけではない。女性の体をしたフリックを抱こうとして思ったのは、どう考えてもビクトールの方が力があるわけで、嫌がるフリックに何かをすれば、本当に強姦みたいで後味が悪いだろうなぁということだった。相手が同じ男であれば、同じ力で抵抗した上で受け入れたのだから、合意と言えないこともない。
「何だ、ビクトールさんは女性のフリックさんを目の前にして大人しく指を加えていたんですか」
 まさかそんなと少々驚いたようにカミューが尋ねる。ビクトールはしょうがねぇだろ、と肩をすくめる。
「すっかりその気だったのに、連中が余計なことをしてくれたせいで、フリックに紋章落とされて、ひでぇ目にあった。そのあとよろしくできるわけねぇだろ」
「当たり前だ」
 フリックがぴしゃりと言い放つ。何だ、とカミューは笑う。
「それは残念なことをしましたね。二度とできない貴重な経験ができなかったわけですから」
「………」
「………」
「………え?」
「はい?」
 にこにこと微笑むカミューに、フリックは嫌な胸騒ぎがした。
「カミュー……お前、まさか……」
 本当にやったのか!?と言いそうになって、ディランが興味津々で話を聞いているのに気づいて咄嗟に口を噤む。
 二人が本当にいたしたのかどうか、恐くて聞くことはできなかった。
 しかしちらりと窺い見たマイクロトフは、何故か赤い顔をしてうつむいていた。
 世の中には知らなくてもいいことがある、と自分に言い聞かせ、フリックはグラスを手にして言った。
「とにかく今夜はお祝いだ。俺たちが無事に戻れたことにな」
 それぞれが持ち上げたグラスが、かちんと音をさせて離れる。
 怒涛の数日は、こうして幕を下ろした。



                               

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