微 笑 今日も一日が無事に終わり、そろそろ夕食を楽しみにする人たちがレストランへと集まり始める時間となった。 シーナは呆けた顔でレストランの扉を開いた。 厨房へ食事の注文をして、きょろきょろと中を見渡し、目的の人を見つける。 いつもの席で一人で食事をとっているフリックだ。 どうやらすでに風呂に入っているようで、トレードマークの青いバンダナは外されており、服装もずいぶんとラフなものだった。 シーナはぽりぽりと頭をかきながら、そんなフリックに声をかけた。顔を上げたフリックは、あまりにもぼんやりとしているシーナに思わず苦笑した。 「どうしたんだ?ずいぶん眠たそうだな」 「ん〜、だって今起きたばっかりだし」 「お前、今何時だか知ってるか?」 「6時。夕方の」 いったいどういう生活をしてるんだ、とフリックは眉を顰める。 シーナが不規則な生活をしているのは知っているが、夕方の6時に起きるなんて、どういうことだ?ハンフリーはいったい何をしているんだ、とつい余計なことまで考えてしまう。 そんなフリックの内心なんて知らないシーナは大きな欠伸をしながら言う。 「ビクトールのおっさんからの伝言」 「ん?」 「今夜は遅くなるから先に寝てろってさ。城の連中と街まで飲みに行くって言ってた。さっき、部屋の前で会ったんだけど、ずいぶんご機嫌だったぜ」 「仕方のないヤツだな」 フリックはやれやれと肩をすくめる。 ぼんやりと立ち尽くすシーナに、フリックが目の前の席を指差した。 「座ったらどうだ?たまには一緒に飯でも食おう」 思いがけないフリックからの誘いにシーナはびっくりして、まじまじとその顔を見つめ返す。けれど、まんざらでもないようで、嬉しそうに向かいの席に座った。 別に仲が悪いわけではないのだが、シーナが一方的にフリックのことを苦手だと思っていたため、二人きりで食事をするなんて今までなかったのだ。 ハンフリーやビクトールなど、フリックと食事をする時には必ず誰かがそばにいる。二人きりにするとシーナがフリックにイジワルをするとでも思っているのだろうか? 子供じゃないんだから噛み付きゃしないのに、とシーナは内心不満に思っていたのだ。 食事が運ばれてくるまでの間、シーナはテーブルに頬杖をつき、じっとフリックを見つめた。 綺麗に整った顔立ち。甘い…という感じはしないけれど、やっぱり男にしては優しい感じがする。けれどそれが、こうして寛いでいる時だけだということもシーナは知っているのだ。 戦闘に出るとその表情は一変する。迷いなく敵を斬っていく様子は鮮やかで、時々ぞっとするほどに容赦がない。その姿に、青雷の名は伊達じゃないと誰もが身を震わせる。 普段の穏やかなフリックと、触れれば切れるほどに研ぎ澄まされたフリックと、一体どちらが本当の彼なのだろうか。どちらも同じフリックだとは分かっているが、シーナが知っているフリックは、いつもビクトールにからかわれ、赤くなりながらも容赦なくきつい一発を見舞っている姿。ニナやナナミたちに迫られては困ったように逃げている姿。そんなどこにでもいるごくごく普通の青年。それなのに、王国軍の幹部からは要注意人物の筆頭に挙げられているのだ。 フリックの指先がうるさそうに前髪をかきあげた。 ああ、綺麗な指してるなぁとシーナは頬杖をついたまま思う。 戦士にしては華奢な方なのかな?もちろん、シーナよりもずっと背は高いし、鍛えられた身体はきっちりと筋肉がついていて、絶対に女のそれとは違うのだけれど。 でもなぁ。あのビクトールのおっさんとそういう仲なわけだろ?とシーナはいらぬ想像をする。 いったいどういう経過があって、そんなことになってしまったのだろう? 何ていうか、フリックはそういうことに興味がなさそうに見えるのだ。恋愛とか…まぁ以前にはちゃんと彼女もいたらしいけど…どうも苦手そうというか。フリックがセックスしてる姿っていうのがどうにも想像できない…んだけど時々妙に色っぽく見えたりするしなぁ。もしかしたら、ベッドの中ではすごいのかな。だいたいあのビクトールのおっさんが… 「シーナ」 「え?ああ、なに?」 つまらないことをつらつらと考えていたシーナはいきなり声をかけられ我に返った。 「そんなにまじまじと顔を見られると…食べにくいんだが」 「あ〜ごめんごめん」 城中の女連中が密かにフリックのことを狙っているのは誰もが知るところだ。そばにいる熊のせいで簡単に声はかけられないが、今だってちらちらと視線を送るヤツがいる。 そういう視線に気づかないあたり、鈍感というか何というか。 「でもさ〜人からの視線なんて慣れてるだろ〜あんたなら」 シーナの前にやっと食事が運ばれてきた。 昨夜から何も食べてないシーナはさっそくぱくぱくと食べ始める。 「人からの視線になんて慣れることはないな」 「そう?どこ行っても女の子たちの注目の的じゃんか」 「……」 黙りこんだフリックにくすりとシーナが笑う。 やっぱり純情なんだなぁ、と。 「ね、聞きたいことがあるんだけど」 「何だ?」 食事を終えたフリックは酒の入ったグラスだけを手にしている。どうやらシーナの食事が終わるまで付き合ってくれるらしい。さりげない優しさに、シーナは思い切って口を開く。 「俺のこと嫌い?」 「え?」 いきなりの質問にフリックは一瞬表情をなくした。その様子がおかしくて、シーナはくすくすと笑いを洩らす。 「からかってるのか?」 舌打ちをしてフリックがイスの背に深くもたれ、シーナを睨む。 「違うって。俺、あんたのことあんまり好きじゃなかったからさ。いろいろと八つ当たりしたりして、嫌なこといっぱいしてたから…嫌われてても仕方ないんだけど、だけどさ、今は俺、あんたのこと好きだし、できれば嫌わないで欲しいなぁって思うんだ」 「………」 「まぁムシのいい話だとは思うんだけど…」 へへ、と子供っぽい笑みを見せるシーナに、フリックは苦笑する。 「俺は、お前のことを嫌いだと思ったことは一度もない」 「……」 シーナはフォークを咥えたままぼんやりとフリックを見る。 フリックはちょっと考えたあと、言葉を続けた。 「お前に嫌なことをされたという覚えもないしな。嫌う理由もない。お前が…俺のことをあんまり好きじゃないってことは知っていたから、こっちから話しかけない方がいいかなって思ってただけだ。嫌いなヤツに話しかけられるのは嫌だろうから」 「……」 「いろいろと説教したいことはあるけれど、俺のガラじゃないし、そういうのはハンフリーに任せておこうと思うし…えっと…」 「……」 「俺のことを好きだって思ってくれてるなら…とても嬉しいし…」 どこか照れたようにつぶやくフリックに、シーナは言葉にならないくらい舞い上がった。そして、思わず席を立つと、がばっとフリックに抱きついた。 「わ〜〜っ!!な、何なんだっ!!!ばかっ、離せっ!」 ぎゅ〜っと首筋に抱きつかれたフリックが真っ赤な顔をしてシーナを引き剥がそうとする。レストラン中の人間が呆けたようにフリックとシーナを見ている。 フリックとシーナが??という好奇心丸出しの視線に、フリックはいたたまれなくなる。 「シーナ、離れろっ!」 「だって!嬉しかったから!」 単純明快な返事をして、シーナはさらに強くフリックを抱きしめる。 「わ、分かった分かった、分かったから!」 シーナがやっとフリックの身体を離して、席に戻る。そして何事もなかったかのように、にこにこと笑いながら食事を続ける。 抱きつかれたフリックはぜいぜいと荒い息をしていた。 こんな公衆の面前で、シーナに抱きつかれるなんて思ってもみなかったのだ。 ハンフリーは偉いと思った。この行動予測不可能なシーナと付き合ってるなんて、それだけで尊敬に値する。 「良かった。思い切って聞いてみて」 「思い切りすぎるっ!お前はもうちょっと人目を気にしろ!」 「そうかなぁ。自分がいいと思ったことはちゃんと行動にした方がいいって教えられたんだけどなぁ」 「親父さんか?」 思わずフリックが微笑む。 シーナの父親はトラン共和国の大統領だ。先の戦争では一緒に戦地で戦った仲間でもある。正義感が強く、優しい男だったと記憶している。綺麗な奥さんと一人息子のシーナのことをとても大切にしていた。シーナがこうしてふらふらと同盟軍に身を置いていることを、本当は心配しているのだろうとも思う。 「うん。自分が悪いと思ったらちゃんと言葉に出して相手に謝れってさ。気持ちっていうのは口に出さないと分からないから、どんなに言いにくいことでもちゃんと口にしろって言われた」 「さすがだな。いい親父さんだ」 「あれでも一応大統領だもんな〜」 父親をあれ呼ばわりするんじゃない、とフリックが釘をさす。シーナは舌を出して肩をすくめた。 シーナの無邪気さは愛されて育った者が持つ特有のものだ。 我儘で小憎たらしいことを平気で言ったりするのに、どうしても憎めないのは、やはり言動に嘘がなくて、気持ちに裏表がないからだろうと思う。 ハンフリーが愛しているのはそういうシーナだからこそだ。 「ところで、ハンフリーはどうした?今日は休みだっただろ?」 「あ〜、うん。でもどこにいるかは知らないなぁ」 「へぇ…ずいぶんとあっさりしてるな」 「四六時中一緒じゃ飽きちゃうだろ?そういうあんたはさ、ビクトールが一人で街へ飲みに行っちゃっても平気なの?」 「それこそ愚問だな。俺はあいつのお目付け役じゃないんだぞ」 とは言うものの、確かに飲みに行くときはたいていフリックを誘って行くのに、今日に限って誘わなかったのはおかしいな、とは思っていたのだ。だからといって、拗ねるほど子供でもないのだが。 「ふうん。でもなぁ、あのメンバーだとさ、絶対女だと思うんだけどな」 ぽつりとシーナがつぶやく。 ビクトールが一緒にいた連中は、城の中でも女遊びが派手で有名なヤツらばかりだった。シーナも何度か一緒に街へ遊びに行ったことがある。 あの連中とつるんでる、ということは間違いなく、今夜はその手の店に行ってるはずだ。 「なるほどな、だから俺を誘わなかったってわけか」 やっと納得できたようにフリックがやれやれとため息をつく。 誘われたところで、フリックはそういうことに興味はないし、一緒に行くこともしない。 ビクトールが行きたいのであれば勝手にやってくれ、というところだ。 それがよくわかっているから、ビクトールもフリックを誘わなかったのだろう。 「あれ〜、いいの?ヤキモチ焼かないの??」 シーナがニヤニヤと笑いながらフリックの顔を覗き込む。 「何がだ?」 「何って!だってさ、女遊びしに行ったわけだろ?いいわけ?浮気しちゃってもいいの??」 ビクトールが女に…特にその手の商売女に滅法モテることはシーナもよく知っている。何であの熊が、と思わないわけではないが、まぁ何となく分かる気もするのだ。 話が上手で、やたら気前がよく、気さくで人なつこい。 たぶん、今夜だってビクトールはかなりモテているはずだ。 そんな状況になることくらいフリックだってよく分かっているはずなのに。それなのに、遊びに行ったと知った時も別に嫌な顔もせず、今だって分かったのか分かってないのか…。 鈍すぎる。とシーナは内心ビクトールに同情した。 「ねぇ、分かってる?しっかりしろよ〜自分の恋人が女遊びに行ってるんだぞ?」 シーナが目の前のフリックに確認する。 自分だって同じようなことを平気でしてるくせに、そしてハンフリーにそのことを指摘されると不機嫌になるくせに、シーナは何の反応も示さないフリックに苛立っていた。 フリックはしばらく何かを考えていたようだが、やがて、くすりと笑った。 「まぁ、たまには息抜きも必要だろ。それに、あいつは浮気なんてしやしない」 「へ?」 「俺がいるからな」 そう言って微笑むフリックの表情… ――― やられた… シーナはがっくりとその場で脱力した。 何ていうか…あまりにも余裕の笑みで…これ以上突っ込みようがない。 フリックは無意識だろうがその笑みはあまりにも凶悪だ。 そんな笑みを見せられちゃビクトールも恐くて浮気なんてできないであろう。 「……ごちそうさま」 いろんな意味でごちそうさま。 どうぞ好きなだけいちゃいちゃしてくれ、と半ばヤケクソ気味にそう思いつつ、シーナはよろよろと席を立った。 「あ、シーナ」 「なに…?」 「そういうお前はどうなんだ?もしハンフリーが遊びに行ったら?」 「………」 あのハンフリーが女遊び???シーナは数秒考えたあとで、ふふんと笑った。そしてフリックに負けないくらいの凶悪な笑みを浮かべた。 「16も年下の恋人を作っておいて、まだ女遊びする余裕なんて、ハンフリーにはないよ」 毎晩毎晩、あれだけサービスしているのだ。満足していないなんて言わせるものか。 え、ということは?ああ、そうか、とシーナは思った。 フリックの余裕もそういうことなのか?そういうことなんだっ! シーナががしっとフリックの両肩を掴んだ。 「フリック!」 「え?」 「やっぱ、人は見かけによらないんだよなぁ。うん、やっぱそうでなくちゃな。今度、どんなことしてるか教えてくれよな。参考にするから」 「………え?」 シーナはニヤニヤと笑いながらフリックに手を振ってレストランを出て行った。 残されたフリックはいくら考えてもシーナが何を言っているのか分からず首を捻るばかりだった。 |