不器用なあなた 我儘なあなた 2


■我儘編■

 壁際に背を向けて、子供のように身体を丸めて眠るフリックを起こさないように、ビクトールはそっとベッドを抜け出した。
 まだ朝の5時である。
 今日からディランと共に遠征に出ることになっていて、その出発時刻が迫っている。
 暖かいベッドの中でまだまだフリックの体温を感じていたかったが、そうも言ってられない。ビクトールは素早く着替えを済ませると、昨日のうちに買い込んでいた簡単な食事を一人ですませた。
 フリックは死んだように眠っていて少々の物音では目覚めそうにもないが、それでもなるべく音を立てないように準備を始める。
 今度の遠征はおそらく長くなることだろう。
 フリックと一緒に行きたいのは山々だったが、二手に分かれて遠征を行うという場合、どうしてもディランがいないチームにはそこそこ腕のたつ人間を入れなければならなくなる。
 フリックかビクトール、カミューかマイクロトフ。そのあたりが選ばれることが多い。
 今回はその役にフリックが選ばれていた。
 ディラン曰く
「ビクトールさんは無茶するからそれを押さえられる人がいないと危なっかしくて」
 などと生意気なことを言われたのだが、あながち間違っているとも思えない。
 戦いの場でついつい調子に乗って深追いしてしまうビクトールを止めることができるのは唯一フリックだけだ。そのフリックが熱くなった時に宥められるのもビクトールだけで。
 いいコンビだと言われるようになってからもうずいぶんたつ。
 出会った頃には考えられなかったことだ。
 数え切れないほどの時間を共に過ごして、数え切れないほどの夜を共に過ごして、やっと手にいれた関係だ。
 ビクトールは準備を整えると、ベッドに近づいた。
 フリックは明日から遠征に出るはずなので、今日は一日ゆっくりしていられるはずだった。
 それをいいことに、ビクトールはつい先ほどまでフリックのことを抱いていた。
 しばらく会えないと思うとどうにも収まりがつかなくなってしまったのだ。
 さんざん文句を言っていたフリックも最後には自分からビクトールのことを求めてきた。
 半ば意識をなくすようにしてコトを終えたのはほんのついさっきで。
 フリックが泥のように眠っているのも仕方がないことだった。
 ビクトールはそっとフリックの顔を覗き込む。
 カーテンの隙間から差し込んできた朝日がフリックに降り注ぎ、男にしては長い睫がうっすらと頬に影を落としている。
 滑らかな肩先には先ほどまでの情事のあとがいくつも残されていて、ビクトールはその妙に艶かしい姿に思わず喉を鳴らした。
 フリックの身体の向こう側にギシリと手をつき、覆い被さるようにして寝顔を覗き込んでみる。
 安心しきっているのか、フリックは一向に目覚める気配がない。
 昨夜、少しいじめすぎたかな、とビクトールは苦笑する。
 息がかかるくらに顔を近づける。
 起こすつもりはなかったが、目覚めてくれればいいな、と思った。
 出かける前に声が聞きたい。
 痛いほどに愛しい青い瞳を見てみたい。
 ビクトールのそんな想いが伝わったのが、フリックが小さく身じろいでゆっくりと目を開けた。青い瞳が一瞬大きく見開く。
 そして間近にあるビクトールの顔を見て、はんなりと微笑んだ。
「何だ、驚かねぇんだな…」
 意外なフリックの反応にビクトールの方が驚く。
 いつもなら、こんな風に顔を覗き込まれて黙っているようなフリックではないのだ。
「……夢、見てたから…」
 寝起きの掠れた声でフリックがつぶやく。
「夢?何だ、俺の夢を見てたのか?」
 夢の続きかと思ったんだ、とフリックがまた再び目を閉じる。
「ずいぶん可愛いこと言ってくれるじゃねぇか」
 ビクトールが片足をベッドに乗り上げ、フリックのうなじにキスをする。
「……よせよ…もう行くんだろ」
「ん〜見送ってくれねぇのか?」
「…子供じゃあるまいし、さっさと行けよ。俺はまだ寝る」
「冷たいヤツだな」
 なおも耳元からこめかみへ、そして閉じたままの瞼へとビクトールが唇を這わせる。フリックは我慢しきれないようにそんなビクトールの顔を押しのけると、がばっと起き上がった。そして不機嫌丸出しの顔でビクトールを睨みつける。
「………お前、誰のせいで俺がこんなに眠たいと思ってるんだ?」
「俺のせいだ。昨夜、たっぷり可愛がってやったからな」
「開き直るなっ、いいから、もう行け。遅れるとまたディランに怒鳴られるぞ」
「いってらっしゃいのキスは?」
 突然のビクトールの言葉に、フリックは一気に目が覚めたようで唖然としてビクトールを見返す。
 その反応にビクトールは喉の奥で笑いを漏らす。まったく、想像通りのリアクションを返してくれたものだ。この手のじゃれあいを嫌うフリックはとたんに頬を染めて舌打ちをした。
「何気持ち悪いこと言ってんだ。新婚の夫婦じゃあるまいし、ふざけんな」
「誰がふざけてんだ。ほら、キスしな。もうしばらく会えないんだぜ」
「冗談じゃない。昨夜…さんざんしただろ…」
「だから何だって言うんだ?」
 昨夜したから何だというのだろう?
 いつだって、何度だって、くちづけを交わして確かめたいのだ。
 フリックが腕の中にいることを。
 頑なにキスを拒むフリックにビクトールが業を煮やす。
「お前、もし俺がこの遠征で死んじまったら、後悔するぞ。どうしてあの時、キスのひとつもしてやらなかったんだろうって、一生心残りで苦しむぞぉ、いいのか?そんなことになってもよ」
「……お前、ほんとに我儘だな」
 うんざりとしたようにフリックがため息をつく。
 そして何かを思いついたかのように、ビクトールを見て微かに笑った。
「やっぱりキスはしない」
「お前なぁ!」
「俺とキスしたかったら、生きて帰って来い」
「………」
 ビクトールがぴたりと動きを止め、目の前の恋人を凝視する。フリックはやれやれというようにビクトールの頬に触れて軽く叩いた。
「俺とキスするために、何が何でも生き延びて帰って来い。無事に帰ってこれたら、思う存分キスさせてやる」
 何とも甘い誘惑。
 たまんねぇな、とビクトールは今すぐにでも押し倒したいような、そんな衝動にかられた。しかし、そんなことをしている時間はないようで、しぶしぶ諦める。
「お前、俺を誘うの上手くなったな」
「誰が誘ってんだよっ」
「よぉし、やる気が出てきたぞ。帰ってきたらとびきり甘いセックスだな」
「!!!誰がっ!!キスだっ!お前は何を聞いてるんだっ!」
「セックスだ」
 言い切ったビクトールがフリックの耳元に唇を寄せる。
「帰ってきたら、寝かせねぇからな。とびきり上等なキスを嫌ってほどしてもらう。お前が許してくれって言うまでやめねぇからな。そのあとは思う存分やらしてもらうぜ。身体がどろどろに溶けるくらいにな…」
 痺れるような低い声で囁かれ、フリックはぞくりとその身を震わせた。
 ついさっきまで触れ合っていた身体が思わず反応しそうな気がして、フリックはビクトールの肩を押し返した。ビクトールはそんなフリックににやりと笑う。
「よぉし、やる気が出てきたぞ。がんがん敵を倒してすぐに帰ってくるからな、覚悟しておけよ、ハニー」
 誰がハニーだっ、とフリックが手元にある枕でビクトールを殴りつける。そして、不貞腐れたようにシーツを頭から被り横になった。そんなフリックを笑いながらビクトールは扉へと歩き出した。
 ドアに手をかけ、出て行こうとした時
「……ビクトール」
 フリックがベッドの中から呼び止めた。足を止めたビクトールが顔だけで振り返る。
「あん?」
「……気をつけてな」
 背を向けたままのフリックにビクトールは小さく笑い、軽く手を上げ部屋を出て行った。


■不器用編■

 ベッドの端に座ったカミューはマイクロトフが着替える姿を眺めていた。
 引き締まった身体に無造作に服を身につけていく様子が好きで、カミューはよくこうしてマイクロトフの着替える姿を眺めるのだ。
 自分の服装には無頓着なマイクロトフなので、普段着る服はたいていカミューのアドバイスによってそろえられている。マイクロトフが自分好みのスタイルに変わるのを見るのはなかなか楽しいが、やはり一番好きだと思うのは長年見慣れた青騎士団長の軍服を着ている姿だ。
 すでにマチルダ騎士団からは離脱した身だが、それでもこの軍服を身につけると気持ちが引き締まるのはカミューも同じだった。
「いつ戻る?マイク」
「今回は少し長くなるかもしれないな」
 ディランたちと共に遠征に出るよう頼まれたのはマイクロトフ。もう一組の遠征チームに入るように言われたのはカミュー。今日からしばらく離れ離れの日々が訪れる。
「そうか…気をつけろよ。無茶はするな」
「ああ、お前もな」
 マイクロトフが苦笑する。
 たった一つしか違わないがカミューはいつもこうしてマイクロトフのことを心配するのだ。そんなに頼りないと思われているのか、と思うと心外だが、そうではないことも十分分かっているマイクロトフである。
 マイクロトフが胸の留め金に手をかける。
 カミューが身につける軍服と違いマイクロトフの軍服の方が留め金が多くついていて、着るのに時間がかかる。面倒臭がりなカミューが赤騎士団でよかったと思う瞬間だ。
「私が留めてやろう」
 その様子を見ていたカミューが立ち上がり、マイクロトフの目の前までやってくると、胸の留め金に手を伸ばす。
 器用な指先がひとつひとつ胸の留め金をとめていく様を、マイクロトフは無言で見つめていた。
 自分の軍服の留め金を止めるのさえ面倒くさがるくせに、カミューはマイクロトフの留め金を留めるのは好きらしいのだ。
「カミュー」
「ん?何だい?」
「いつも不思議に思うのだが、どうして留め金を留めたがる?」
「分からないかい?」
「ああ、分からない」
 カミューは出来上がった留め金をぽんと軽くたたく。
「それはね、他の誰かがこの留め金を外したりしないように願をかけているからだよ」
「……?」
「まぁ浮気防止のおまじないみたいなものだ」
 いたずらっぽい瞳でカミューがマイクロトフを見上げる。
 浮気?
 思いもかけない言葉にマイクロトフが慌てる。
「ちょっと待て、俺は浮気など…っ…」
「分かってるよ。だけど、そんなに慌てるところが余計に怪しいな」
「な、違うっ、俺は断じて浮気など…!」
 確かに若い頃、まだカミューと恋人同士になる前は、少しばかり遊んでいたこともあるマイクロトフだが、カミューと想いが通じ合ってからは他の誰かと浮気などしたことも、しようと思ったこともないのだ。
「私がこうして願かけしていると分かったら、服を脱ぐ時に私のことを思い出すだろう?そうしたら誰かと何かある前に思いとどまることができるというわけさ」
「だから、浮気などしないと言っているだろう」
 マイクロトフが少しむっとしたようにカミューを見る。
 まさか本当に浮気をしていると思われているのなら、きちんと誤解を解いておかなければ気になって遠征に出かけることもできない。
「カミュー、願かけなどしなくても、俺はそんなにモテないから安心しろ」
「……そんな安心はしたくないなぁ」
 くすくすと笑いながら、カミューはマイクロトフに手袋を手渡す。
 知らぬは本人ばかりで、マイクロトフは意外と女性に人気があるのだ。もちろん、そんなことを教えるつもりなどカミューには毛頭ないのだが。
「たとえどんなにモテないとしてもね、自分の好きな相手が自分だけを好きでいて欲しいと願うのは当然のことだろう?それともマイクは私が誰かと仲良くしていても嫉妬はしないのかい?」
「……俺はお前のことを信じている」
「私だって信じているけれど、それとこれとは話が別なんだよ」
 いつまでたっても、この手の恋愛感情には鈍い男だな、とカミューはため息をつく。
 そこがマイクロトフのいいところなのだが、カミューの気持ちを理解してもらうのは難しいようだ。
「カミュー」
「ん?何だい?」
 マイクロトフが何か言いたそうに視線を巡らせる。
 白い手袋をした指が困ったように口元を彷徨う。
「どうした?マイク」
「ああ、その…浮気防止の願かけだが…」
「…?」
「留め金をかけるなんてことより、もっと有効的なことをしてくれないか?」
 マイクロトフが何を言っているのか分からず、カミューはきょとんとする。
「だから…服を脱ぐよりも……先に…するだろ…」
 しどろもどろになりながらもマイクロトフはそっとカミューの身体を引き寄せ、耳元で囁く。
「留め金よりも、唇の方に願かけをしてくれないか?」
 どこか照れたような口調のマイクロトフにカミューはくすくすと笑う。
「……いいとも」
 カミューが嬉しそうにマイクロトフの唇に自分のそれを重ねる。
 たった一つのキスをねだるのにも不器用な恋人。
 けれど、時々カミューよりもずっとステキな言葉でキスをねだるのだ。
「行ってくる」
 名残惜しそうにカミューの頬にキスをして、マイクロトフが部屋を出て行く。
「気をつけて」
 願かけの甘いキスはきっとマイクロトフのことを守るだろう。
 カミューは新たなこの願かけの方法をいたく気に入った。
 そして、これから出かける時にはいつも唇に願かけをしようと心に決めたのであった。


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