不器用なあなた 我儘なあなた 3


■ハンフリー×シーナ編■



 少し温めのお湯に浸かり手足を伸ばしてみる。
 ハンフリーの大きな身体だとさすがに足を伸ばしきることはできない。
 自室にあるバスルームは決して大きくはないが、誰にも邪魔されずにゆっくりできるのが魅力的だ。テツが腕によりをかけて改造に改造を重ねている大浴場は、文句のつけようがなく気持ちがいいものだが、たまに小さな子供たちと一緒になると、傷だらけのハンフリーの身体を見て怯えることがある。
 一度、父親と一緒に風呂に来ていた女の子がハンフリーの背にある傷を見て泣き出したことがあった。それ以来、ハンフリーは人気のない深夜にしか大浴場には行かないことにしているのだ。
 ハンフリーはぱしゃっと湯船の湯で顔を洗い、小さく息をついた。
 疲れが取れていくような気がする。
 何しろ雨の中の強行軍で、城に戻ってきた時は遠征に出ていたメンバー全員が疲労困憊していたのだ。体力には自信のあるビクトールでさえも、早々に自室に引き上げた。ハンフリーも同様だった。しかしこうしてゆっくりと風呂に入っていると、疲れすぎて食欲もなかったのに、風呂から上がったら酒場へ行ってみようか、とそんな気になってくる。
 そこへ大きな物音を立てて誰かが部屋に入ってきた気配がした。
 ハンフリーはやれやれと苦笑する。
 不法侵入者が誰だか、考えなくとも分かってしまう自分が嫌になる。
「ハンフリーっ!!」
「……扉くらい静かに開けろ」
 案の定シーナが転がり込むようにして浴室に入ってくる。
 何度言ってもシーナが静かにやってきた例がない。そして、ハンフリーの忠告に素直に従ったことだってないのだ。
「なぁ、俺ってさ、我儘?」
 ハンフリーの姿を確認すると、シーナは湯船の近くにしゃがみこみ、開口一番そう言った。
 酒場で一杯やってきたのか、ほんのりと頬が赤い。酒は飲むな、といくら言ってもきかないシーナに、最近はハンフリーも小言を言うのは諦めている。
「いきなり何だ?」
「だからさ、俺って我儘だと思う?」
「お前が我儘じゃないと言うなら、この世の中に我儘な人間なんていないだろうな」
 ハンフリーの言葉の意味をしばらく考えていたシーナは、むぅっと唇を尖らせた。
「それってさ、俺がこの世の中で一番我儘だってことかよ」
「よく分かったな」
 あっさりと言い放つハンフリーにシーナは舌打ちする。
「どうしていきなりそんなことを聞く?」
「あ〜、さっきさ、酒場で飲んでた時に、みんなが俺のこと我儘だっていうからさ〜」
 どういうわけか、他人が食べているものというのは美味しく見える。
 シーナは一緒にいた連中が注文するものばかり欲しがり、売り切れだと分かると、露骨に不機嫌になった。それを見ていた者は苦笑しつつシーナに皿を譲るのだ。まるで子供が駄々を捏ねるようなシーナのふくれっつらに逆らえる者などいないのだ。
「だってさ〜欲しいもんは欲しいもん。それって我儘なのか?」
「………」
 何と言っていいか分からず、ハンフリーは黙った。
「ハンフリーも俺のこと我儘だと思ってる?」
 少しおそるおそると言った感じでシーナがハンフリーの顔を覗き込む。
 自由奔放が売りのシーナだが、やはり恋人の反応というのは気になるものらしい。特にハンフリーは普段は本当に無口で、自分の気持ちを口に出して言うことなどないのだ。
 だからハンフリーが何を考えているかを知ることはシーナにとっては大問題なのだ。
 シーナのことをどう思っているのか、ちゃんと口にしたこともないかもしれない。
 シーナ自身は我儘を言ってるつもりなんてこれっぽっちもないのだが、周りの連中からさんざん我儘だと言われて、そうなのか?と初めて思ったのだ。
 そして、「そんな我儘ばかり言ってるとハンフリーに嫌われるぞ」 と。
 ふいに言われたその一言でシーナはこうしてバタバタとハンフリーのもとへとやってきたというわけだ。
「ねぇ、我儘?」
「我儘じゃない、とは言い切れんな」
「………どこが?」
「………」
 まさか聞き返されるとは思っていなかったハンフリーは思わず黙り込んでしまった。
 どこが?
 我儘じゃないところを探した方が早いのではないかと思っているハンフリーとしては、そんな切り返しが来るとは想像もしなかったのだ。
 何しろシーナのやることなすこと、よく言えばマイペース、悪く言えば自己中心的。誰もが自分のために尽くしてくれて当たり前と思っているところがある。
 甘やかされて、愛されて育てられたお坊ちゃんだ。
 そのくせ時々思いもかけずに親切だったり、優しかったりする。
 そのギャップに周りは振り回されっぱなしなのだ。
「ねぇ、どこが我儘なわけ?」
「……」
「それってさ、ハンフリーにとっては嫌なことなわけ?」
 シーナの真剣な表情に、ハンフリーは上を向いて小さく息をつく。
「お前の我儘は嫌いではない」
「ほんとっ?!」
「だが限度がある」
「限度〜?」
 何だよ、それ、とシーナが頬を膨らませる。
「あまり我儘ばかり言っているとそのうち誰からも相手にされなくなるぞ」
「でもハンフリーは相手してくれるんだろ?」
「………」
「じゃあさ、別に問題ないや。だって俺、ハンフリーさえ俺のこと好きでいてくれたら、他の人がどう思おうと平気だし」
「………」
 シーナは安心したように笑うと、すくっと立ち上がり、じゃぶんと片足を浴槽に突っ込んだ。
「おい…」
「俺も一緒に風呂に入る」
 唖然とするハンフリーににっこりと笑うと、シーナは服を着たまま湯船に浸かってしまった。溢れ出した湯が浴槽の外へと流れていく。ハンフリーの足の間にその身を置き、満足したように微笑むシーナ。
「シーナ…」
「ちょっと温くない?もうちょっと熱い方がいいなぁ」
 シーナが手を伸ばしてお湯の蛇口をひねる。
「そういうところが我儘だというんだ」
 ハンフリーが渋い顔で目の前のシーナを睨む。
「そ?でも好きだろ?」
「……」
 確信に満ちたシーナの瞳。
 違うと言えない自分が情けない、とハンフリーは思う。
「なぁ、お風呂でえっちしたことないよな。しよっか?」
 そのセリフにぺちんとハンフリーがシーナのおでこを叩いた。
「痛いな〜もお〜」
「……服は脱げ」
 ハンフリーの言葉にシーナはげらげらと笑う。
 子供じみた我儘はたまらなく愛しい。
 それが恋人にだけ見せる我儘ならなおさらである。
 ハンフリーは素直に服を脱いだシーナの柔らかい頬を両手で包んだ。
 シーナの我儘に限度がないように、それを許してしまう自分の甘さも限度もなさそうだな、とハンフリーは苦笑する。
「何笑ってんの?」
「いや、我儘はかまわないが、相手は俺だけにしておけ」
 無表情なままつぶやくハンフリーにシーナは嬉しそうに抱きつき、唇を重ねる。
 ハンフリーが腕を伸ばして、流れる熱い湯を止めた。
 少しくらい湯が温くても、これから十分熱くなるのだから、かまわないだろう。
 まったく自分の甘さ加減には呆れてしまう。
 そう思いながらも、シーナの細い身体を片手で抱き寄せて、ハンフリーはその我儘を受け止めた。
 
 


■ディラン×ジョウイ■



 ナナミの料理オンチは本当にどうしようもないほどで。

「ディラン!!大変、大変、お鍋が〜」
 台所から聞こえてくるナナミの悲鳴に、ベッドで横になって本を読んでいたディランがため息をつく。
 同じく、床に座りベッドに背をもたせかけて本を読んでいたジョウイも顔を上げる。
「ね、夕食、食べられないんじゃないの?」
 ジョウイの言葉にディランは低くうなる。
 仕方なく、よっこらしょと起き上がると部屋を出て行く。台所は焦げた臭い匂いが充満していた。小窓を開けてディランがナナミの肩越しに鍋を覗き込む。
「ナナミ、またお鍋焦がしたの?ちゃんと火の強さ見てた?」
「見てたっ、でもあっという間に真っ黒焦げなんだもん」
「嘘ばっかり。あ〜あ、高い肉だったのになぁ、食べれないじゃないか、これじゃ」
「だったらディランが作ってよ、だいたいね、いつも料理作ってくれるくせに、ジョウイが来てる時は作らないのはどうしてなのよっ。もしかして恥ずかしがってんの?」
 ナナミがにやにやと笑いながらディランの腕をつつく。
「馬鹿らし。俺が料理作ってることなんて、今さらジョウイに知られたからって恥ずかしくも何ともないよ。それよりもね、女の子なのに料理が下手だっていうことの方が恥ずかしいんだよっ、分かってる?」
「うるさいなぁ、あ〜もう、任せたからね、あとはよろしく」
 ナナミがエプロンを外してディランへと押し付ける。
「ちょっと、ナナミ!」
「何だか眠たくなっちゃった。ちょっとお昼寝するね」
 ひらひらと手を振って、ナナミは自分の部屋へと戻っていってしまう。残されたのは黒こげの鍋と、散らかった台所。ディランはがっくりと肩を落とす。この後片付けをするくらいなら、最初から自分が作っていた方がずっと楽だったのに。
 様子を見にきたジョウイが鍋を覗き込む。
「まったく…ナナミのやつ…」
「ていうかさ、こうなることは最初から分かってたんじゃないの?」
 くすくすと笑いながらジョウイが台所の惨劇に肩をすくめる。
「……笑ってるけどさ、ジョウイ。一緒に夕食作るってこと分かってる?」
「え?何で僕が??」
「たまには手伝ってくれたっていいだろ?さ、エプロンつけて」
 ディランが嬉々として手にしたエプロンをジョウイに押し付ける。
 てきぱきと後片付けを始めるディランにジョウイは小さくため息をついた。

 今からでも作れる簡単な料理。
 クリームシチューにしようか、とディランが野菜籠から材料を取り出す。
 正直なところ、ジョウイは料理なんてぜんぜんできないのだ。遊びに来るといつもディランの作ってくれる美味しい料理があって、自分はそれを食べるだけなのだ。
 それなのにエプロンをつけさせられて、包丁まで握らされて。
「ジャガイモの皮むいて、ジョウイ」
「……むいたことないんだけど」
 正直に口にしたジョウイにディランは露骨に眉をひそめる。
「ここにも料理オンチがいたのか…」
「悪かったね!だいたいディランの方がおかしいんだからなっ、こんなに完璧に料理ができるなんて」
「ナナミに任せておいたら飢え死にしちゃうからねぇ。ま、いい機会だから覚えなよ。いつか役に立つときも来るからさ」
「役に立つときって?」
「ほら、一緒に暮らすようになったらさ、やっぱり料理は交代で作らないと不公平だろ?」
「一緒に暮らすって??何の話???」
 驚くジョウイにディランはいたずらっぽく笑って肩をすくめる。
 いったい何を企んでるんだか、とジョウイは胡散臭そうにディランを見る。
「さ、練習練習」
 大きなジャガイモをジョウイに放り投げ、自分はにんじんを手にする。
 丸イスに座り、ジョウイはジャガイモの皮をむき始めた。しかし、その手つきはどうも怪しい。でこぼことしたジャガイモはなかなか思う通りになってくれないらしい。
「あ〜何だか危なっかしいなぁ」
 横ではらはらしながらディランがつぶやく。
「大丈夫大丈夫…っと……!」
「あ〜あ、ねぇそれじゃ食べるところないと思うんだけど?」
 身よりも皮の方が多いくらいで。
 ジョウイはむぅっと唇を尖らせると二個目のジャガイモを手にする。
 こういうものは慣れなのだ。
 だいたいディランにできて、自分にできないはずがない。
 そう思い皮をむいていたジョウイだが…
「いった…っ!!」
 ぴりっとした痛みが指先に走る。思わず声を上げたジョウイにディランが顔を上げる。
「ジョウイ?指切ったの??」
「あ〜そうみたい…」 
 ディランが慌ててジョウイのそばに近づき、包丁を取り上げる。
「見せてみな」
「平気だって、ちょっとだけだから」
「見せて」
 しぶしぶ差し出したジョウイの指先を、ディランは口に含んだ。
「………ディラン…」
 舌が傷口を舐める。鉄の味が口の中に広がる。
 ちゅっと音をたてて唇を離すと、ディランは呆れたようにジョウイを見た。
「不器用」
「……反論はしないけどね」
「あ〜あ、ジャガイモの皮ひとつ剥けないなんて、困ったもんだ」
「いいだろ、別に迷惑かけてるわけじゃないんだから」
「まぁいいか。料理は俺が担当するとして、ジョウイは掃除と洗濯だな」
「だ、だからっ、それはいったい何の話なんだよっ!」
 ジョウイが真っ赤になる。
「掃除と洗濯もけっこうコツがいるからさ、今からちゃんと練習しておきなよ」
「だから…」
「まぁできなくてもいいけどね、ジョウイのお願いなら、何でも聞いてあげるから」
「………」
「もちろん、ちゃんと見返りはもらうけどさ、ふふ、楽しみだな」
 ディランがにっこりと微笑む。
「ディラン…さっきから何の話してるの?」
 おそるおそるジョウイが小さな声で尋ねる。
「だから一緒に暮らすって話。当然だろ?だってさ、ジョウイだっていつまでも親元にいるわけじゃないだろ?何もできない不器用なジョウイを一人になんてできないから、一緒に暮らしてあげるよ。キャロの街でなくてもいいしさ。白い家でも建てる?庭には犬とかいたりして?うわ〜何だか新婚さん夫婦みたいで恥ずかしいな、でもいいな、それ。ジョウイ、ちゃんと白いエプロンを…いてっ」
 顔を真っ赤にしたジョウイが耐え切れずにディランの頭をはたいた。
「………ふざけてばかりいないで、さっさと食事を作って、ディラン」
「ふざけてなんかないんだけどなぁ」
「余計に悪いよっ!」
「はいはい。でもさ、ずっと一緒にいたいっていうのはほんとだから」
 急に真面目な口調でディランがつぶやく。
「ずっと一緒にいたいよ。誰にも邪魔されないで、ずっと二人でいたい…」
「……我儘」
「うん、ジョウイのことに関してだけはね」
 にやりと笑うディランにやれやれとため息をつく。
 だけど、それはジョウイにとっても甘い夢で。
 実現するなんて思ってはいない。そんな簡単にすべてが手に入るとは思っていない。
 けれど、ディランが望むなら、いつか叶うような気がするのも事実で。
「あ、ディラン、にんじんは入れなくていいから」
 切り刻んだ野菜を鍋に入れるディランに声をかける。
「何でも食べないと大きくなれないぞ」
 そんな他愛無い話ができるのがとても幸せで。
 こんな時間がいつまでも続けばいいと願ってしまう。
 我儘なのは自分の方なのかもしれない。
 でも、ディランはそれを許してくれるのだ。
「さてと、これで一通り準備できたかな、部屋に戻ろっか?」
「うん」
 いつまで続くのだろうか、この幸せな時間が。
 幸せすぎて、いつか脆く壊れてしまうような、そんな気がしてジョウイは思わず目の前のディランの腕を掴んだ。振り返ったディランがふわりと微笑む。
 手を伸ばせばそこにディランがいる。
 我儘で、だけど優しい一番大切な存在。
 ここにいる。その事実に、ジョウイはほっとして微笑んだ。
「言っておくけど、掃除も洗濯もしたことないからな」
 ジョウイの言葉にディランは吹き出した。
 それでもいいよ、とディランがジョウイを抱きしめる。
 きみがいればそれで十分。
 二人で穏やかな時間の流れる部屋へと戻る。
 ある午後の昼下がり。

 

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