バレンタイン・キッス
    ハンフリー×シーナ編
    マイクロトフ×カミュー編
    ディラン×ジョウイ編
    ビクトール×フリック編



ハンフリー×シーナ編


「おかえりっハンフリー!!」
 扉を開けたとたん、シーナがハンフリーに抱きついた。
 いきなり飛びつかれ、ハンフリーは一瞬身を引きそうになったが、何とか堪えた。
「ずいぶん熱烈な出迎えだな、シーナ」
 たった2日間城を空けただけで?
 シーナはハンフリーの首に両腕をしっかり回して離そうとしない。仕方がないので、片手でシーナの細い腰を抱いたまま、ハンフリーは開きっぱなしの扉を閉め、部屋の中へと入った。
「入ってきたのが俺じゃなかったら、どうするつもりだ?」
「だって足音で分かったもん。帰ってきたの、窓から見てたし」
 ハンフリーは苦笑する。
 どこまで本当なのか嘘なのか分からないシーナの言葉だが、それでも何故か嬉しくなる。
「良かった、今日ちゃんと帰ってきてくれて」
「何かあったのか?」
 何とかシーナの腕を解いて、ハンフリーは剣を外した。着替えようとするハンフリーにまとわりつきながら、シーナが呆れたように言う。
「今日、何の日か知らないの?」
「…何の日だ?」
「ちぇ、やっぱりオヤジには関係ない日なのか。今日はバレンタインディだろ!!」
 バレンタインディ?ハンフリーは首を傾げる。
 まるで反応のないハンフリーにシーナは、まさか、と掴みかかる。
「バレンタインが何の日か知らないわけじゃないよな?」
「いや、知らん。何の日だ?」
 がっかりである。
 やはりジェネレーションギャップには勝てないのか、とシーナは肩を落としたが、根気よくこの年上の恋人にバレンタインディの説明をすることにした。
「だから、好きな人にチョコレートをあげる日なんだよ。分かる?」
「なるほど。で、どうしてチョコレートなんだ?」
「う…そ、それは…何でだろう…そんなことはどうでもいいんだよっ、とにかく、好きな人にチョコをあげるんだよ」
 まったくよく分かる説明である。
 ハンフリーは着替えをすませ、ベッドに腰掛けた。
 いったいシーナが何を言いたいのかよく分からない。そんなハンフリーに焦れたようにシーナはぴったりと身体をくっつけて隣に座ると、はい、と包み紙を取り出す。
「何だ?」
「あのさ、今の話の流れからして、チョコレートに決まってんだろっ、鈍感っ!」
「ああ…」
 好きな相手にチョコレートをあげる日か。なるほど。しかし…
「シーナ、俺は甘いものは苦手なんだ」
「!!恋人からのプレゼントが受け取れないってのか?」
「恋人なら好きな相手に嫌いなものを贈るな」
 あっさりと反撃したハンフリーにシーナの怒りが爆発する。
 ムカつく〜!!
 シーナはたった今渡した包み紙をばりばりと破ると、中からハート形のチョコを取り出した。
「おい…」
「あんたみたいなヤツにあげるもんか。いいよ、俺が全部食うから。高かったんだぜ、このチョコは。あんたなんかにあげるのはもったいなかったんだよな、最初から」
 ぶつぶつと文句を言いながらむしゃむしゃとチョコレートを頬張る。
 ハンフリーは呆気に取られて、子供のように無心にチョコを食べ続けるシーナを眺めた。チョコレートの甘い匂いが部屋中に漂い始め、見ているだけで胸がいっぱいになってしまうような気がする。
「あ〜うまい。残念だなぁ、あんた用にと思ってブランデー入りのにしたのにな」
 ニヤニヤと笑いながらシーナがハンフリーの目の前に食べかけのチョコを差し出す。
 いくらブランデー入りでもハンフリーはチョコには食欲はわかない。けれど…
「俺はチョコよりはこっちの方がいい」
 ハンフリーがシーナに唇を寄せる。すぐに薄く開いたシーナの唇の間から舌を差しこみ、久しぶりの恋人との堪能しようとした。けれど、すぐに唇を離してしまう。
「う…」
「なに?」
 キスの甘さにそれまでの怒りも忘れていたシーナがきょとんとハンフリーを見返す。
「……チョコレートの味がする…」
 ハンフリーのつぶやきにシーナは得意げに笑うと、そのままハンフリーに抱きつきキスをした。
 甘いチョコレート味のキス。
「こんな食べ方なら悪くないだろ?」
 と笑うシーナ。
「……確かにな」
 苦笑して再び口づけ、舌先に残るチョコレートを存分に味わう。
 苦手なはずの甘い味が、どういうわけか好きになりそうなハンフリーであった。

                                                  Fin

マイクロトフ×カミュー編


 扉を開けたとたんハンフリーに抱きついたシーナを見て、マイクロトフは固まってしまった。そんなマイクロトフを気の毒に思ったのか、ハンフリーが無言で扉を閉めた。
 あの無口なハンフリーとシーナが恋人同士だということは、城の七大不思議となっている。しかし、マイクロトフ自身はけっこうお似合いじゃないか、と思っているのである。
 ハンフリーと別れたマイクロトフはいつものようにカミューの部屋の扉を開けた。
 今日はカミューは戦闘メンバーには入っていなかったので、一日ゆっくりしているはずだ。
「カミュー?」
 マイクロトフは部屋を見渡したが、カミューの姿は見つけられなかった。部屋に鍵もかけないで、いったいどこへ行ったのだろう、と思っていると、一足遅れでカミューが部屋に戻ってきた。部屋にいるマイクロトフを見て、零れるような笑みを浮かべる。
「マイク、帰ったのか」
「ただいま」
 2日ぶりの恋人の笑顔にマイクロトフも思わず微笑む。
 どうやら、そろそろマイクロトフが戻ってくるのを知っていたようで、カミューの手にはマイクロトフの好きなお茶のセットがあった。
「疲れただろう?最近ディラン殿はムクムクの仲間探しに必死だからな」
「まぁな…さすがに一日荒野を歩かされたのにはまいったが…」
 テーブルにつき、カミューのいれてくれたお茶で一息ついた。
 お茶などどれも同じだと思っているマイクロトフだが、カミューはいろいろと種類を調合してはマイクロトフにご馳走してくれる。どれも美味で、たまにシュウがお茶を飲みにカミューの部屋へやってくるほどである。
「ああ…そういえば、お土産があるんだ」
「へぇ」
 マイクロトフが袋の中を探る。めずらしいこともあるものだ、とカミューは思った。お互い出かけたからといってお土産を買いあうような仲ではないのだが。
「街の交易所に掘り出し物で出ていたんだ。お買い得だから買った方がいいと言われて」
 テーブルの上に、綺麗な箱が置かれる。三段重ねのその箱には見覚えがある。カミューは手を伸ばして、箱を開けた。
「マイク、すごいな、これはなかなか手に入らないんだぞ。森の村でしか生産されてなくて…」
 三段重ねのチョコレートBOX。箱の裏には森の村製造のマークも入っている。森の村でとれるカカオは超一品でそれから作られるチョコレートはちょっと類を見ないほどの絶妙な味なのだ。当然、値段も高いのだが、それ以前にあまり市場に出回らないため、入手が困難なのだ。
 それの三段重ねとは!
「チョコレート、好きだっただろ、カミュー」
「ああ、好きだよ。特にこのチョコレートはね」
「これならカミューも満足するだろうと、ビクトール殿が…」
 そう。ムクムクの仲間探しで疲れた一行が立ち寄った街で、暇を持て余したビクトールと一緒に交易所を冷やかしていたのだ。そうしたら、このチョコレートが出ていたのだ。

『こりゃあ滅多にお目にかかれない代物だぜ。珍しいこともあるもんだ』
 ビクトールがしげしげと箱を手にして言ったのだ。
『そんなに珍しいものなのですか?』
『ああ。ちょうどいいじゃねぇか、金持ってんなら買ったらどうだ?何たってバレンタインだしな、これならグルメなお前の恋人だって満足するだろうよ』
 特にバレンタインを祝うような習慣はないのだが、確かにカミューの喜ぶ顔が見れるなら悪くはない。おまけに好きな相手にバレンタインのチョコレートを渡すというイベントもクリアできる。
 そういうわけで有り金をはたいてこのチョコレートを買ったのである。

「ありがとう、マイク。すごく嬉しいよ」
「良かった」
 しかし、である。
 どうもカミューの反応からして、このチョコレートの意味が分かっていないような気がする。
 単なるお土産…でも、まぁいいのだが、やはりバレンタインというあたりに気づいて欲しいとも思う。
 マイクロトフが言うべきかどうかを悩んでいる所へ、ノックもなしに扉を開けて、ビクトールが入ってきた。テーブルの上の箱を見てにんまりと笑う。
「お、あるある。よぉ、そのチョコレート一つ食わせてくれや」
「ビクトールさん、何度も言ってますが、部屋に入るときにはノックをしてください」
 カミューが冷たく言い放つ。
「はいはい。う〜これが噂の森の村チョコか」
 カミューの許しが出る前に、ビクトールが一粒つまみ、口の中へと放り込む。どうしてプレゼントされた本人よりも先に食べるのだ、とカミューは思ったが、それをビクトールに言ったところで何の効果もないだろう。
「ん、うまい。こりゃやっぱり買って正解だったな、マイクロトフ。バレンタインの贈り物にしちゃ少々値が張ったが、これなら文句はねぇだろ、え、カミューよ」
「…バレンタイン」
 カミューがつぶやく。
「さぁてと、俺もフリックから愛情たっぷりのチョコをもらうとするか。ごちそうさん」
 三段重ねの箱からたった一粒だけで出ていったあたりが、ビクトールにも常識があるというところだろうか。
 カミューは手元のチョコレートを見て、自分がかなり間抜けだったことに改めて気づいた。
「マイク、これは…バレンタインのプレゼントだったのかい?」
「あ〜、まぁそうだな。ビクトール殿がこれならカミューも喜ぶだろうと助言してくれたのだ」
 困ったようにマイクロトフが笑う。
 まさかマイクロトフがバレンタインにチョコレートを贈ってくれるなんて、夢にも思っていなかったカミューとしては、本当に嬉しくて、しばらく口がきけないでいた。黙り込んだカミューにマイクロトフの方が不安になる。
「カミュー?どうかしたのか?やっぱり気に入らなかったか?」
「まさか。どうしよう、マイク。今すぐ抱きしめたくて困ってる」
「……それは…カミューからのバレンタインのプレゼントか?」
 とぼけたマイクロトフの台詞に、カミューは立ち上がり、テーブル越しにマイクロトフにキスをした。ひとしきりの甘いキスのあと、マイクロトフが微笑んだ。
「お前のキスと、このチョコレートじゃ、つりあいが取れないな…」
 チョコレートよりも何百倍も価値のあるキス。
「まさか、このチョコレートだけで済ませるつもりじゃないだろ、マイク。足りない分はちゃんと身体で払ってくれ」
 どこまでもグルメなカミューである。
 今夜は寝かせてもらえないかもしれないな、とマイクロトフは再び重ねられた唇を味わいなら、少し不安になってしまうのであった。
 
                                                   Fin

ディラン×ジョウイ編


「ええ、あのチョコレート、一万ポッチもするの?」
 ディランがびっくりしてビクトールに聞き返す。2階の踊り場でハンフリーとマイクロトフと別れたばかりのディランとビクトールである。
「ああ。それでもけっこう値切ったんだぜ。もともとは一万五千だなんて吹っかけやがってよ、あのオヤジ」
「はぁ…恋に狂った男は怖いなぁ」
「そういうお前はどうなんだよ、誰かからチョコレートもらえるあてはあるのか?」
 ビクトールがニヤニヤと笑う。
 そりゃあね、ビクトールさんにはフリックさんがいるから、そんなに自信満々でいられるんだろうけど。
 ディランは軽く肩をすくめるだけである。
 そこへバタバタと階段を駆け下りる音がして、ナナミが2人の元へとやってきた。勢いをつけすぎて、転びそうになったところをビクトールが受け止める。
「おいおい、あんまり慌ててるとケガするぞ」
「危なかったぁ。ありがと、ビクトールさん」
 ナナミがビクトールに礼を言う。そしてディランへと向き直る。
「おかえり、ディラン」
「ただいま、どうしたの?」
「はいっ、チョコレート。バレンタインだよっ」
 ナナミが差し出したチョコレートには綺麗な赤いリボンがかかっている。
「………」
「何よ?」
「ナナミ、今度は砂糖と塩、間違えてない?」
 ディランが疑わしそうに受け取ったチョコレートを眺める。
「ちょっと!このナナミさまがそんな間違いするわけないでしょ!」
 って言っても、この前のバレンタインのチョコレートはしっかり塩味だったじゃないか、とは口にできないディランである。そして、ふとそのバレンタインの日のことを思い出した。

 ディランはよくもてた。
 外面だけはいいものね、というのがナナミのディランに対する評価である。外面がいいというよりは、何を考えてるか分からない、というのがジョウイの評価。
 しかし頭がよくて、ルックスもそこそこ良くて、何より優しい、そんな男がもてないわけがない。ディランに想いを寄せる女の子たちは皆、バレンタインディにディランにチョコレートを渡した。
「で、結局いくつもらったんだい?」
 ジョウイがディランに聞く。
 学校から戻る途中、いつものように2人で近くの森へ寄り道をしていた。小さい頃からこの森は2人の遊び場だった。2人だけの秘密の場所、というのが正しいかもしれない。滅多に人がこないこの場所なら、いろいろと内緒話もできるというものだ。
「チョコレート?え〜っと6つかな」
「去年よりも2つ多いね」
「そ?よく覚えてるね、ジョウイ」
 小さな湖のほとりで腰をおろして足を伸ばす。空には雲ひとつない。こんな気持ちのいい日にジョウイと2人きりでいられるなんて最高の幸せである。
「そういうジョウイは?誰かにもらった?」
「……あ〜、うん…」
 小さくうなづいたジョウイに、ディランががばっと身体を向ける。いきなり顔を近づけられて、ジョウイは思わず身を引いた。
「誰に?」
「え?誰って…」
「いくつもらったの?」
「み、3つだよ…ディランにはとても及ばないって」
 誰かそんな数を競ってるものか。ディランは小さく舌打ちする。要はジョウイに想いを寄せてるのが何人いるかが知りたかったのだ。油断していた。去年はジョウイは誰からもチョコレートをもらわなかったら、今年も大丈夫だろうと思っていたのだ。分かっていたら、どんな手を使っても阻止したのに。
「まさか笑顔で受け取ったわけじゃないだろうね、ジョウイ」
「ディラン、自分だって6つももらっておいて、僕にそういうこと言うわけ?」
「言うよ。ほら、貸して、そのチョコレート」
 言うなり、ディランはジョウイに飛びつき、鞄の中から可愛らしい包み紙のチョコレートを取り出す。
「ばか、よせよ」
 止めるジョウイを振り切って、ディランは水辺に立つと、そのチョコレートを湖へと放り投げた。ぱちゃんと音を立てて、チョコレートが湖へと沈んでいく。
「あ〜…ディラ〜ン…」
 情けない声を上げて、ジョウイががっくりと肩を落とす。
「欲しくないチョコレートなんて意味ないだろ?そんなの食べなくてもいいって」
 ディランはふたつ目の包みを手に、ジョウイへと微笑む。
 何てわがままなヤツ。ジョウイは呆れてしまう。ディランはけっこう、いやかなり焼きもちやきなのだ。やはりチョコレートをもらったなんて言うんじゃなかった、とジョウイは後悔する。
 ディランがふたつ目の包みも湖へと投げ捨てる。
 三つ目を手にした時、ジョウイが慌ててディランの腕を掴んだ。
「だめだめだめ…それはナナミがくれたんだからっ」
「ナナミ?」
 ディランが振り上げた腕を下ろす。そして手の中の包みを見ると、確かにジョウイへ、と書かれた文字はナナミのものだ。
「ナナミてば、なぁに抜け駆けしてんだか」
「もう…帰ったらディランももらえるよ。ナナミ、ちゃんと用意してたから」
「ジョウイは?」
「え?」
「ジョウイはくれないの?俺に、チョコレート」
「どうして僕がディランにあげなくちゃならないんだよ」
 同じ男同士でさ。ジョウイは草の上に座り込んで、やれやれとため息をつく。そして、ディランの手からナナミのチョコレートを取り戻すと、その包み紙を破った。
「甘いもの好きじゃないくせに、どうしてチョコレートなんて欲しがるんだか。ほら、一緒に食べよう」
 ぱきんとチョコレートを割って、ジョウイがそのかけらをディランへと差し出す。ディランはジョウイの隣に座ると、ジョウイの指からそのチョコレートを奪い取り、逆にジョウイの口元へと差し出した。
「俺が食べさせてあげるよ。ほら口開けて」
「はいはい」
 素直に口を開けたジョウイに満足そうにディランがチョコレートを放り込む。しかし、すぐにジョウイが口元を押さえて、俯いてしまう。
「どうしたの?」
「……ナナミ…間違えてる」
 砂糖と塩?ディランが顔をしかめるジョウイを覗き込んで、次の瞬間笑い出した。
「あっはっは、さっすがナナミ。いくら何でも砂糖と塩を間違えるなんて…はははっ」
「もうっ、笑いごとじゃないだろっ!うう…しょっぱい。いくら何でもこれはちょっと…」
 しょっぱいチョコレートなんて食べれたもんじゃない。ナナミに悪いと思いつつも、ジョウイは口にしたチョコレートを吐き出した。
「ははは…ごめんごめん。あとでナナミによく言っておくよ」
 ディランは笑いながらジョウイの肩を引き寄せる。そしてその頬にちゅっとキスをした。いきなりのことに目を丸くするジョウイをその場に押し倒し、唇を重ねる。
 口内に残るしょっぱいチョコレートを舐めとって、ディランがいたずらっぽい瞳でジョウイに微笑む。
「ど?甘くなった?」
「……なった」
 赤くなるジョウイを抱きしめる。腕の中の愛しい存在。かけがえのない幸せの瞬間。
 ほんの少し前のことなのに、今は何て遠い思い出。

「おい、ディラン、マイクロトフのとこ行って、あのチョコレート食べさせてもらおうぜ」
 ビクトールがディランを誘う。しかし、ディランは遠慮しておくよ、と首を振った。
 またいつか、あの日のように甘いキスだけを交わせる日がくるのだろうか?
 ディランは窓の外、遠くハイランドの地にいる人のことを心に想った。

                                                    Fin

ビクトール×フリック


 森の村チョコレートをくれ、とは言わない。
 ましてや手作りのチョコレートなんて望んじゃいない。
 しかし、バレンタインである。
「おい、フリック、俺に何か渡すもんがあるだろ」
 帰ってくるなり、そう言ったビクトールに、フリックは不審気に眉をしかめる。
「ない。帰ってきたならシュウのところへ行って来い。呼び出しがかかってたぞ」
「おい、何もないのかよ。お前、今日が何の日か分かってんのか?」
 まるで駄々っ子のようなビクトールの口調に、フリックはやれやれとため息をつく。
 実のところ、フリックだって今日が何の日かくらいちゃんと分かっている。何しろ、城中の女たちがそわそわとしているのだから。
「チョコレートなら、そこに山ほどある。好きなもの食べていいぞ」
 フリックの指差す方を見ると、そこには色とりどりのチョコレートが山積みになっている。ビクトールはまじまじとそのチョコレートの山を眺める。
「何だ、こりゃ」
「もらったんだよ。いらないって言ったのに、次から次へと持ってこられた」
 一番大きなハート型のチョコは、当然ニナのものである。ビクトールはそのチョコをつまみあげると、けっと放り投げた。
「あのなぁ、俺はお前が他の女共からもらったチョコには興味はねぇんだよ。俺が欲しいのは、お前からのチョコレートだ、分かってんのか?」
「今さら何で俺がお前にチョコレートなんてやらなきゃならないんだよっ」
 うんざりとしたようにフリックが言う。
 だいたいバレンタインというのは女の子が(ここがポイントである)好きな男にチョコレートをやる日のはずだ。女じゃない自分がどうしてビクトールにチョコレートをやらなくてはいけないのか?
 そっけないフリックにビクトールが焦れたように叫ぶ。
「今さらだろぉが、何だろぉが、欲しいもんは欲しいんだよっ」
 あのマイクロトフでさえちゃんとカミューにプレゼントをしているというのに、負けてなるものか。
「あのな、ビクトール」
「あん?」
「好きな相手にチョコレートをやる日だっていうなら、お前が俺にくれたっていいわけだよな。俺たち、どっちも女じゃないわけだし、何で俺がお前にやるものだって決まったように言うんだ?」
 そりゃ、お前が俺に抱かれてるからだろ?とは口にしないビクトールである。
 そんなことを言ったら最後、チョコレートなんてどんなに懇願したところでもらえるわけがない。
「う〜、そりゃまぁそうだが…」
 口篭もるビクトールに、にやりとフリックが微笑む。
「それとも何か、お前は俺にチョコレートをやるほどは好きじゃないとでも?」
「んなことあるわけねぇだろ!」
「じゃ俺ばかりに要求するんじゃない」
 がっくりと肩を落とすビクトールである。

「くだらん」
 遅れに遅れてシュウの部屋へとやってきたビクトールの言い訳を、シュウが一言で切り捨てる。
 恋人だか何だか知らないが、チョコレートがもらえなかったくらいで、呼び出しに遅れたなどもっての他である。
「けっ、お前は好きな相手がいないからそんなことが言えるんだ」
「……ふん、そんなことより、次の仕事だ」
 ばさりと書類を机の上に投げる。
 ビクトールはふと、シュウには好きな相手がいないのだろうか、と思った。いつも憎たらしいくらいに冷静沈着で恐ろしいほどに頭の切れるこの軍師の浮いた話は聞いたことはない。
「よぉ、あんたも誰かからもらったのか?」
「その問いに答える必然性はないな。そうだ、ビクトール、いいものをやろう」
 引き出しの中から小さく折りたたまれた紙片を取り出し、ビクトールへと放り投げる。
「何だ、こりゃ」
「ハイ・ヨーに頼まれてたレシピだ。残念ながら間に合わなかったが、とびきり美味いチョコレートが作れるそうだ。愛するフリックのために、ひとつ作ってみてはどうだ?」
 シュウが嫌味ったらしく微笑む。
 ビクトールは小さく舌打ちしたが、その紙片を手にした。
 チョコレートね。
 俺からあいつに渡すのも悪かないか。
 そう考え、ビクトールはシュウの部屋をあとに、ハイ・ヨーのいる厨房へと足を向けた。

 ビクトールの姿を見たとたん、ハイ・ヨーは心底驚いたように目を見開いた。
「よぉ、こいつを作りたいんだがよ」
「どうしたあるか?」
「バレンタインだろ?シュウがとびきり美味いチョコレートが作れるっていうからよ」
 そう言って、レシピをハイ・ヨーに渡す。
「はい。これ幻のレシピあるね。私、シュウさんに頼んでたよ。でも難しいあるよ、これ」
「いいっていいって。愛の力で何だってやってやるからよ」
 そばにいた手伝いの女の子が吹きだす。ビクトールの口から「愛」なんて単語が出ても冗談にしか聞こえないらしい。一方、すでにやる気満々のビクトールはエプロンなんぞをつけて鼻歌を歌っている。
「はぁ〜、仕方ないあるね」
 昨日は城中の女の子にチョコレートの作り方を指南して、へとへとのハイ・ヨーなのだ。再びビクトールに手取り足取り教えるのかと思うと勘弁してくれ、といいたいところだが。
「じゃあまずお湯を沸かすあるね」
 どうせやると言ったら一人でもやるであろうビクトールだ。勝手に厨房を荒らされるくらいなら、そばで監視していた方がいいに決まっている。
 そうしてチョコレート作りが始まった。

 すっかり日が暮れた頃、フリックが部屋から出るとばったりとハンフリーとシーナに出くわした。
 相変わらずシーナはハンフリーにべったりで、人目なんて気にした風はなく堂々と腕なんぞ組んでいる。
「よぉ、2人そろって…これから食事か?」
「ああ…シーナ、ちょっと離れろ」
 ハンフリーがシーナの頭をつかむ。むぅっとシーナが唇を尖らした。
「ビクトールはどうした?」
「さぁな。さっきまでチョコレートチョコレートとうるさかったんだが、諦めてどこかで拗ねてるんじゃないか?」
「え〜、チョコレートあげなかったの?」
 シーナがびっくりしたように叫ぶ。その反応にフリックの方がびっくりする。
「やるかよ。何で俺があいつに」
「それは冷たすぎる。まさか男だからあげないとか言うんじゃないだろぉな」
「う…」
 言葉に詰まったフリックにシーナが冷たい視線を投げかける。
「ばっかみたい。どうせ性別なんて関係なく好きになったんだろ?この期に及んでそれはないんじゃない?好きな相手にその気持ちを伝えるだけなのに、なに意地張ってんだよ」
 シーナが容赦なくフリックを責めたてる。
 そりゃあシーナがハンフリーにチョコレートをあげても別に誰も驚きはしないだろうし、年齢的にもまだ許される範囲だ。しかし、である。フリックがいったいどんな顔をしてビクトールにチョコレートを渡せばいいというのだ?そんなこと、こっ恥ずかしくてできるはずがない。
「で、お前は貰ったのか?」
 フリックが頬を引きつらせながらハンフリーに尋ねる。
「ああ…食わされた」
「よっく言うよ。喜んで食ってたくせに」
 シーナがニヤニヤと笑いながら、ハンフリーを肘でつつく。無言になったハンフリーを尻目にシーナはご機嫌な様子でレストランへと歩き出した。
 何だかわけが分からなかったが、まぁどうやら、らぶらぶな様子である。
 ハンフリーと肩を並べて歩き出したフリックが、小さな声でハンフリーに聞いてみる。
「なぁハンフリー…その…やっぱり嬉しいものなのかな…」
 チョコレートなんてやるつもりはこれっぽちもないのは同じなのだが、こうして2人の仲の良さを見せ付けられるとちょっと気になってしまう。ハンフリーはそうだな、とうなづく。
「まぁ悪くはない。ビクトールはつまらんことでもちゃんと喜んでくれるだろう?俺と違って、贈りがいがあるというものじゃないのか?」
 そんなものだろうか?
 しかし、なぁ。だからといって、チョコレートなんて渡した日には、あのバカは調子に乗ってつけ上がるに決まってるのだ。フリックはどうしたものかと首を傾げる。
 レストランへ入ると、中は人でいっぱいだったので、テラスの席へと着いた。
 どうやらバレンタインの効果というのは絶大らしく、あちこちで出来たてのカップルらしき二人組が仲良く食事をしている。
「今からでも遅くないんだからさ、あのおっさんにもあげた方がいいって。愛情疑われるぜぇ」
 ぱくぱくと本日のパスタを頬張りながら、シーナがなおもフリックに説教をする。ビクトールから何かもらってるんじゃないかと思うくらいに、今日のシーナはやけにフリックを責めるのだ。
「だから、何で俺の方からやらなきゃいけないんだ」
「…あのさ、そういうのって考え方だろ。より多く好きな方が、先にあげるんだって思えばいいことじゃん。俺の方がず〜っと好きなんだぞって相手に教えてやるんだよ。それってそんなに恥ずかしいことなのかな。俺の方が好きなんだって威張れることだと思うんだけどな」
 シーナの言葉にフリックは頭を殴られたような気がした。
 相手のことを好きだと言うことが、どこかで恥ずかしいような気がして、いつもいつも素直になれなかった。だけどそれは間違っていたのだろうか?好きだという気持ちは別に隠すべきことでも、恥ずかしがることでもないのかもしれない。
「シーナ…」
「うん?」
「お前ってすごいな」
「え?どうしたんだよ、急に…」
 きょとんとした様子にハンフリーが低く笑った。フリックはなるほど、と思った。ハンフリーがシーナを好きなわけが分かるような気がする。自分の気持ちに素直なシーナをハンフリーが愛しく思うのは当然だろう。こんなことでつまらない意地なんて張る方がおかしいのかもしれない。
「よぉ、食事は終わったのか?」
「ビクトール…?」
 顔を上げるとそこには手にトレイを持ったビクトールが立っていた。
「特別デザートを持ってきたぜ」
「デザート?」
 テーブルの上に皿が置かれる。そこにはチョコレートが山ほど乗っている。
「……何だ、これは」
「見りゃ分かるだろ、チョコレートだ、チョコレート。俺さまの愛のしるしってやつだな」
 ビクトールが空いた席に腰を降ろす。
「すっげぇ、美味そうじゃん」
 シーナが手を伸ばしたが、ぴしゃりとハンフリーに叩かれる。
「どうしたんだ?これ」
 フリックがまじまじとビクトールの顔を見る。
「決まってるだろ。作ったんだ。まぁちょっと見栄えは悪いが、味は保証つきだぜ。今日中に仕上がるか心配したが、何とか間に合ったな」
 より多く好きな方が…
 シーナの言葉が甦る。
「ほら、食ってみな」
 嬉しそうにビクトールが皿をフリックへと押しやる。フリックはその一つを手にとってみる。3人が見守る中、口にしてみると、それはトロリとすぐに蕩け何ともいえない甘い香りが広がった。
「どうだ?美味いか?」
「ん…美味い」
 そうだろうそうだろう、とビクトールがうなづく。何といっても作成5時間。何度もハイ・ヨーに罵られながら仕上げたチョコレートなのだ。不味いわけがない。
 突然のことに驚きを隠せない様子のフリックに、ビクトールはいたく満足する。
 一方フリックは正直これ以上ないくらいに驚いていた。まさか本当にチョコレートを作るなんて。おまけにお世辞ではなく、なかなか美味いのだ。
 頑なに意地を張っていた自分がばかみたいに思えてしまう。
「俺も俺も!俺も食べたい!!」
 シーナが身を乗り出してビクトールに迫る。
「フリックがいいって言ったらな」
 ビクトールがピンとシーナの額を指で弾く。シーナがフリックへと向き直る。
「食べていい?」
「え…っと」
―― 俺の方がず〜っと好きだという気持ち
 フリックは悪いな、とシーナに微笑む。
「これは俺だけのものだから、誰にもやるわけにはいかないんだ…悪いな、シーナ」
 その答えに満足したようにビクトールが目を細め、手を伸ばしてフリックの頬に触れる。
「さぁてと、ホワイトディが楽しみだな。ちゃあんとこれに見合うものを俺に返してくれよな、フリック。いやぁ楽しみだなぁ。俺が喜ぶもの、お前が一番分かってるはずだからな」
 ホワイトディ…
 ニヤニヤと笑うビクトールに、嵌められたと思ってしまうのはフリックの邪推だろうか?
 とにもかくにも、こうして年に一度のバレンタインディは終わろうとしていた。
                                                  Fin


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