雨 音


Side ビクトール

 梅雨でもないのに、もう4日も雨が続いていた。
 外で遊べない子供たちが練習場を遊び場代わりにしているため、剣の練習もできず、おまけに洗濯物が乾かないという女性群に広間も乗っ取られ、とにかく外では何もできないため、城中に人が溢れているような感じだった。
「ん…」
 いつの間にか眠っていたらしい。
 廊下を走る子供たちの笑い声が遠ざかっていく。
 ビクトールは目を開けてぼんやりと天井を見つめた。
 窓の外ではまだ雨音がしている。
 まだ昼間の2時だ。
 遅い昼飯を食べて部屋に帰ってきたのはいいが、何もすることがなくて、ちょっとベッドで横になっているうちに眠ってしまったらしい。
 雨のせいか妙に空気が生暖かい。
「起きたのか?」
 聞きなれた優しい声。
 フリックが読みかけの本をテーブルに伏せ、窓際へと近寄る。
「それにしてもよく降るなぁ。いったいどれだけ降れば気が済むんだろうな」
 ガラスに顔をよせ、子供のようにフリックが空を見上げる。
 雨降りも、1日目はカレンの舞台を観に行ったり、チンチロリンに興じたりと、それなりに時間をつぶしていたのが、それも4日目となると、何もすることがない。
 身体がなまって仕方がない。こうなったら手っ取り早くできる運動をするしかないだろう。
「フリック、こっち来い」
 ベッドの中で手招きするビクトール。フリックは胡散臭そうに視線を投げかける。
「昼間っから変なこと考えてないだろうな、お前」
「人をケダモノみたいに言うんじゃねぇって。ほら、来いって」
 どうやらビクトールの企みは簡単にフリックにバレてしまったようだった。まぁバレたからといっても、どうということはないのだが。ビクトールの手招きに、フリックは素直に近づき、ベッドの端に座った。
 ビクトールが腕を伸ばして、フリックの指を握る。
「何なんだ?いったい」
 フリックが苦笑する。
「いや、悪かねぇな、と思ってよ」
「何が?」
「こうして雨ばっかりで、なぁんにもすることもなくて退屈で死にそうだが、こうやってお前と一日中一緒にいられるってのは悪かない」
 寝ぼけてるのか?とフリックが笑う。
 握った指を引き寄せ、ビクトールはその指先にくちづけた。
 フリックの何もかもが好きで、愛おしく思っているビクトールだが、その中でもフリックの綺麗な指先が好きだった。ごつくて太い自分の指とは比べ物にならない。指を誉めるなんて気恥ずかしくてしたことはないが、いつも心の中ではそう思っているのだ。その器用そうな細い指がビクトールの手を握り返してくる。
「こんな時間が永遠に続けばいいのにな」
 ビクトールの口から思わずそんな言葉が零れた。心からそう思ったのだ。
 実際には、戦いの中でしか存在価値なんて見出せない人間なのかもしれない。
 ずっとそうして生きてきたから。
 それでも、こんな静かな時間には涙が出るほどの幸せを感じてしまう。
 フリックがそばにいるだけで。
 こんなに心が満たされる。
 愛しくて愛しくて、どうにかなってしまいそうなほどに愛しくて。
「……そうだな」
 そんなビクトールの想いが届いたのか、ぽつりとフリックがつぶやいた。
 そして、身を屈めてビクトール唇に触れるだけのキスをする。
 思いがけない行動にビクトールは目を見張った。
「めずらしいこともあるもんだ。それで雨なのか?」
 低く笑ってビクトールがフリックを胸の中へと引き寄せる。
 されるがままに大人しくしているフリックを抱きしめたまま、じっと雨の音に耳を傾ける。
 まるでこの世界に2人だけしかいないようで。
 時間が止まったように思える瞬間。
 悪くない。
 部屋は十分暖かくて、眠りから覚めたばかりのちょっと眠りたりない感覚が気持ちいい。おまけにすぐそばに最愛の人がいる。
 これが幸せでなくてどうする?
 こんな穏やかな気持ちのまま、毎日を過ごせるのだとしたら、どんなにいいだろう。
 ビクトールは片肘をついて、フリックの耳元から、首筋へと鼻先を埋めた。くすぐったさに身を捩るフリックと、じゃれあうようにしてベッドの中でもつれ合う。
「よせよ、お前はっ…子供みたいなヤツだな」
「たまにはいいだろ?」
 フリックを身体の下に組み敷いて、ビクトールは愛しげにフリックの顔中にキスをする。最初は抵抗していたフリックもやがてその抵抗を放棄した。だんだんと深くなる口づけに、フリックは両手をシーツの上に投げ出す。
「ん〜何だか眠たくなってきた…」
 唇が離れると、フリックはビクトールの懐にもぐりこむようにして目を閉じた。
「おいおい、冗談だろ?」
「お前はさっきまで昼寝してたからいいだろうが…俺は…シュウに借りた…本が…」
 小さく欠伸をして、フリックは襲ってくる睡魔に身を委ねる。ビクトールの腕の中で。
 やれやれ、とビクトールはため息をつく。
 やがて静かな寝息が聞こえてきた。
 ビクトールは片手でフリックの髪を撫でながら、窓の外を見た。
 雨はまだやまない。
 聞こえてくる雨音にビクトールもまた眠気に襲われる。
 安らかな寝顔のフリックの頬にキスをして目を閉じた。
 腕の中にある幸せ。
 悪くない。
 こんな雨の日なら好きになれそうだと思った。
 

Side フリック

 さっきから何度も同じページを読んでいた。
 4日も雨が続いては本当に何もすることがない。仕方がないのでシュウから借りた本を読んでいるのだが、これがどうにも難しくてちっとも先へ進まないのだ。
 退屈だった。
 ちらりとベッドを見ると、大の字になってビクトールが眠っている。
 遅い昼食から戻ってくると、ビクトールはさっさと一人で昼寝を始めてしまったのだ。
 いつもはうるさいくらいに纏わりつくくせに、肝心な時に一人だけ眠ってしまうなんてひどいと思う。
 起こしてやろうかな、と思った時に、小さく身じろぎをしてビクトールが目を覚ました。
「起きたのか?」
 まだベッドの中でぼんやりとしているビクトールに小さく笑って、本を伏せた。立ち上がって窓際に近寄り、外を見てみる。まだ空は暗くて当分雨も止みそうにない。
「それにしてもよく降るなぁ。いったいどれだけ降れば気が済むんだろうな」
 梅雨でもないのに。
 城の住人は誰もがこの長雨にうんざりしていて、少しでも遊べる場所、カレンの舞台、チンリロリン、図書館、少々の雨を気にしない連中は魚釣りなどもしていた。しばらくはビクトールに付き合ってあちこち歩き回っていたが、やがてそれにも飽きてしまった。
 こんな時は部屋でじっとしているに限る。
 ますます激しさを増す雨にため息をついたフリックにビクトールが声をかけてきた。
「フリック、こっち来い」
 ベッドの中でニヤけた顔で手招きをする。
 どうも嫌な予感がする。
「昼間っから変なこと考えてないだろうな、お前」
「人をケダモノみたいに言うんじゃねぇって。ほら、来いって」
 十分ケダモノだろうが、と心の中でつぶやいたが、誘われるがままにベッドに近づいた。
 ベッドの端に座り、シーツの上に置いた手をビクトールが握ってくる。指を絡めるようにして、何度か握りなおす。まるで気にいった場所があるかのように。
「何なんだ、いったい」
 子供じみた仕草に笑ってしまう。時々ビクトールはこうしたおかしな行動をとる。
「いや、悪かねぇな、と思ってよ」
 優しい声でビクトールがつぶやく。
「何が?」
「こうして雨ばっかりで、なぁんにもすることもなくて、退屈で死にそうだが、こうやってお前と一日中一緒にいられるってのは悪かない」
「寝ぼけてるのか?」
 それでもどういうわけかビクトールの言葉が胸に響いた。
 あまりにも飾りのない言葉だったから。
 当たり前のように、何の下心もなく、口から出た言葉だから、よけいに胸をうつ。
 ビクトールが握ってくる指が温かくて泣きたくなる。
 こうしてビクトールは自分を繋ぎとめるのだ。いつでも、何度でも。
 想いを上手く言葉にできない自分を、何も言わずに理解してくれる。
 フリックはそっとその指を握り返した。
「こんな時間が永遠に続けばいいのにな」
 たった今、フリックが口にしそうになった言葉を、一足早くビクトールが口にした。
 まるでフリックが思っていたことを感じ取ったかのように。
 たまんないな、と思う。何もかもこいつには見透かされているのかもしれない。
「そうだな…」
 たまらない愛しさが突き上げ、フリックはそっとビクトールに口づけた。
 そうしたかったから。
「めずらしいこともあるもんだ。それで雨なのか?」
 苦笑するビクトールが、フリックの手を引き、ベッドの中で抱きしめてくる。
 ほっとする。
 いつもの腕の中だ。フリックは耳元で聞こえるビクトールの鼓動を聞きながら目を閉じた。
 襲いかかってくるか、と思ったが、意外にもビクトールはそれ以上何もせず、じっとフリックを抱きしめていた。雨の音しか聞こえない。まるで世界に2人しかいないようで。それさえも愛しく思える瞬間だった。
 ビクトールがフリックの耳元に唇を寄せ、小さくキスをする。頬へ、首筋へと戯れのキスが繰り返される。くすぐったくて逃げようとしたが、ビクトールに片手で引き止められてしまう。
 フリックも別に本気で嫌がっているわけではなかった。
「よせよ、お前はっ…子供みたいなヤツだな」
「たまにはいいだろ?」
 そう言ってビクトールは身体の上にのしかかると、フリックの顔の横に両肘をついて顔中にキスをしてきた。じれったいような甘いキスに微かに抗ってみせる。けれど、それはまるで催眠術のように心を溶かし、眠気を誘った。抵抗を止めてしまうと、ビクトールは本格的にキスしてきた。招きいれた舌先が口腔を無尽蔵に動き回る。
 けれど。
「ん〜何だか眠たくなってきた…」
 さっきまで小難しい本を読んでいたせいで、もう限界だった。フリックはビクトールの懐に顔を埋めた。一番落ち着く場所だ。
「おいおい、冗談だろ?」
 そんなフリックに戸惑ったようにビクトールが肩を揺する。こいつは、本気で何かするつもりだったな。そう思ったが、知ったこっちゃない。
「お前はさっきまで昼寝してたからいいだろうが…俺は…シュウに借りた…本が…」
 眠たい。
 まさか眠ってしまった自分に襲いかかるほどのケダモノでもないだろう。
 そう思ってフリックは意識を手放した。
 ビクトールが小さくため息をついたようだった。
 暖かい手のひらがフリックの髪を撫でる。
 悪くない。
 こんな雨の日なら好きになれそうだと思った。



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