夢じゃない 「う…ふ、うぅ…」 きつく抱きしめられて、舌を絡め取られる。 もう何度もイカされた身体は、ほんのちょっとした刺激でさえも簡単に反応してしまう。 「ビクトー…も、…やめ…」 フリックの弱弱しい抵抗を簡単に封じ込めて、ビクトールはフリックの白い脚を抱え直し、猛った欲望を突き立てた。すでに何度も放たれたビクトールの精液で濡れたフリックの蕾は、簡単にそれを飲み込んでいく。 「くっ…んあっ、あぁ…」 「フリック…」 ねっとりと絡み付いてくる狭い肉壁にビクトールは思わずうめき声を上げる。ひくつく粘膜がビクトールを締め付ける。 「天国だぜ」 言うなりビクトールは強く腰を打ちつけ始めた。そのリズムにあわせてフリックの腰も揺れる。ぐちゅぐちゅという淫らな音がフリックの耳に届いて、気が狂いそうだった。これ以上ないくらいに広げられた足はとっくに感覚がなくなっている。 ビクトールと自分の腹の間で擦られたフリックの花芯は、その先からひっきりなしに蜜を滴らせている。 「あっ、あっ…くぅ…」 もう限界がそこまで来てる。フリックは自分がどうなるのか分からない恐怖に震えた。この快楽の果てはどこにあるのだろう。放出を促すようにビクトールがフリックの欲望を掴んだ。 「はっ…ああぁ」 どくんと白濁の蜜が溢れ、ビクトールの下腹部に飛び散った。フリックが達したことを確認して、ビクトールは身を屈めてさらに深く身を沈める。 「いやぁ…も…無理…」 「嘘つけ…まだまだ飲み込んでるじゃねぇか」 これ以上ない最奥にビクトールのものが届く。身体の奥にある快楽のポイントを擦り上げられ、フリックは子供のように涙を零し、厭々するように首を振る。 繋がりあった部分は熱く、蕩けそうだった。ビクトールはペロリと舌をなめると、凄絶までに色っぽいフリックの姿に刺激されたかのように、奥まで埋め込んだモノを激しく出し入れし始めた。濡れ光るビクトールのモノがフリックの蕾から出入りする。 「ああ…あっ…く、るし…」 もう許して、とフリックが口走る。その瞬間、身体の中のビクトールがひときわ大きくなったような気がした。淫猥な音が途切れることなく続く。 「く…」 フリックの中で絶頂間近のビクトールのモノが痙攣した。次の瞬間、ぶるっと腰を震わせて、ビクトールは熱い奔流を吐き出した。何度か小刻みに動かして、すべてをフリックの中に出し切る。最高の気分だった。 満足しきったモノをずるりとフリックの中から抜き出して、ビクトールはごろりとベッドに仰向けになる。 「ふぅ…」 「…くそっ、好き勝手しやがって…」 「すっげ良かったぜ。お前ってほんと気持ちいい…」 ビクトールはフリックの身体を引き寄せ、そのこめかみにキスをする。そんな何でもない仕草でフリックは安心してしまう自分が嫌になってしまう。ビクトールの腕の中は温かくて、安らげる。抱かれたあとの、こんな何気ない瞬間が一番好きだった。 ふいに眠気がフリックを襲う。 「フリック?眠っちまったのか?」 遠くでビクトールの声が聞こえる。それはまるで子守唄のようで… 「おやすみ」 それが最後に聞こえたビクトールの言葉だった。 次の日、太陽がかなり高くなってからビクトールは目を覚ました。 傍らには世界で一番愛しい人間が眠っている。 「おい、フリック、そろそろ起きろよ。もう昼みたいだぞ」 大きく伸びをしてビクトールはくしゃくしゃの髪をかきあげる。こんな時間になるまでフリックが目を覚まさないなんてめずらしいことだった。いつもならどんなに無理をさせても、ちゃんと朝はいつもの時間に起きているというのに。 「おい、フリック」 ビクトールはフリックの頬に触れてぎょっとした。冷たかったのだ。まるで死人のように。 「フリック?おい、フリック?」 安らかな寝顔。ビクトールはフリックの上半身を抱き上げると、ぱちぱちとその冷たい頬を叩く。しかし、フリックは目覚めない。 「くそっ」 ビクトールは床に散らばっていた衣類の中から自分のシャツを羽織ると、ホウアンを呼びに部屋を飛び出した。 「ふぅむ」 ホウアンが眉を寄せる。 部屋にはディラン、カミュー、マイクロトフ、ハンフリーの面々がそろっていた。ベッドの傍らで立ち尽くすビクトールはフリックの青白い顔を見つめていた。 「おい、どうなんだよ、フリックはどうなっちまったんだ?」 「……」 「ホウアン!」 ビクトールが怒鳴る。 「昨日、戦闘に出られてましたね」 「あ、ああ。それが?」 「荒野に花が咲いていませんでしたか?」 「花ぁ?」 わけが分からないという顔のビクトールにカミューが代わりに答える。 「咲いてましたよ。綺麗な黄色の花で。覚えてませんか?ビクトールさん」 「俺は戦闘中に花なんて見ねぇからな」 「いえ、帰り道でですよ。フリックさんがいたく気に入っていたでしょう?手にとって匂いを…」 はたとカミューはホウアンの顔を見る。なるほど、というようにホウアンがうなづく。 「まさか、その花のせいで?」 「何なんだよっ、それはっ!」 一向に解せないビクトールはいらいらと声を荒げる。落ち着いて、とカミューがビクトールを制す。 「その黄色い花はこの時期になると荒野に咲く眠り草です。その花の匂いを嗅いだ者は死んだように眠りにつきます」 「寝てるだけなんだな?」 「ええ、しばらくは」 「しばらくはぁ?どういうことだよっ」 ホウアンはため息をつくと、ベッドの脇から離れた。 「あの花の匂いを嗅いだ者が全員眠りにつくわけじゃないんですよ。現にディラン殿も、ビクトールさん、あなただって何ともないでしょう?体質にも寄るのかもしれませんが、ね。逆に眠りについてしまった者は今度はいつ目を覚ますか分かりません」 「何だと?」 「正確には目を覚ますものと、そのまま…」 「そのまま?」 「そのまま眠ったまま息を引き取る者もいます」 部屋中に緊張感が走る。ビクトールはホウアンを押しのけ、フリックの両頬を包んだ。 「フリック!おい、目を覚ませ!フリック、頼む、起きてくれっ!」 今にも文句の一つでも言いながら目を覚ましそうなフリックの寝顔。けれど、どれほどビクトールがその身体を揺さぶっても、フリックはぴくりともしない。安らかな寝息だけが聞こえる。 「ちくしょう…どうすりゃいいんだよっ」 ビクトールは唸ってフリックの身体を抱きしめる。 「何か治る方法は?」 ディランがホウアンに尋ねる。ホウアンは困ったように首を横に振る。 「目を覚ます確率は?」 ハンフリーが感情のこもらない声で聞く。 「それは…五分五分だと。この花のことはあまりよく知られていないのです。私も治す方法をすぐに調べてみますが」 五分五分。その言葉はビクトールには打ちのめされた。もしこのままフリックが目覚めなかったら?それは考えただけで身震いするほどの恐怖だった。 「頼むっ、この通りだ」 ビクトールはホウアンに向かって土下座した。 「ちょ、ビクトールさん!」 「何でもするから。フリックを目覚めさせるために必要なものがあるなら、たとえ何であろうと、俺が手に入れてくるから、だから頼む、こいつを助けてくれっ、頼む、ホウアン!」 その場にいた一同はビクトールの悲痛な叫びにしんとなった。 ビクトールの祈りも空しく、フリックは目覚める気配を見せなかった。 眠り始めてから4日。 カミューが食事を乗せたトレイを手に階段を上がる。ちょうど上から降りてきたマイクロトフが、カミューの手からトレイを奪う。 「マイク」 「俺が持とう。ビクトール殿の分か?」 「ああ…。ずっとフリックのそばにつきっきりで、ろくに食事をしていない。あのままではビクトールの方が先にまいってしまう」 「……フリック殿は幸せだな」 「え?」 「あんな風に心配してくれる誰かがそばにいてくれて。あのビクトール殿が、あそこまで取り乱した姿を見たのは初めてだ」 マイクロトフはまっすぐ前を見たままつぶやく。カミューも同じ気持ちだった。いつもは豪傑でちょっとくらいのことでは動じないあのビクトールが、ホウアンに土下座までして頼んだのだ。フリックを助けてくれ、と。 それを羨ましいと、マイクロトフは言う。カミューはそっとマイクロトフの腕に触れた。 「お前には俺がいるだろう?」 「カミュー?」 「俺にはお前がいてくれるのだろう?」 微笑むカミューに、マイクロトフも微笑んだ。 フリックの眠っている部屋の扉を軽くノックする。中から返事はない。カミューとマイクロトフは顔を見合わせ、そっと扉を開けた。 中は薄暗く、窓際に寄せられたベッドにはフリックが横たわっていた。その傍らにビクトール。 「少しは食べないと身体を壊しますよ」 マイクロトフがテーブルに食事を置く。ビクトールの返事はない。カミューがベッドサイドに近寄り、フリックを覗き込んだ。安らかな寝顔。時々、息をしていないんじゃないかと思って心配するほどに、フリックの寝顔は綺麗で静かだった。 「ビクトール?」 「目を離したら、こいつが逝っちまうような気がしてよ」 「……」 「情けねぇと思ってるだろ。自分でも呆れてるくらいだからな。だけどよ、こいつがいなくなったら、と思うと…」 小さくつぶやくビクトールはここ数日でげっそりとやつれた。無精ひげが余計にそう思わせるのかもしれない。カミューは手を伸ばすとそっとフリックの頬に触れた。 「フリック。戻ってこい。お前は戻ってこなくてはいけない」 この男を置いては逝けないだろう? 「ビクトールさん」 そこへホウアンが息を切らして部屋に飛び込んできた。手には古い本を持っている。 「どうした?何かわかったのか?」 「ええ、メイザーズさんが…」 入り口へと顔を向けると、メイザースが立っていた。魔を知り尽くした大魔道師メイザース。普段はあまり親交はないのだが、誰もがその魔道師としての腕は認めていた。 「なるほど」 メイザースはぐるりと部屋を見渡すと、ゆっくりとフリックに近づいた。ビクトールの肩を押しのけ、その場にしゃがみこむと、フリックの顔を覗き込む。 「メイザース」 「ふむ。いかんな。完全にあの花の毒素にやられておる」 メイザースはその場にいた人間を集め、話を始めた。 「あの花はただ眠りに誘うだけではなく、夢を見させるのじゃ」 「夢?」 「そう。それもとびきり幸せな夢をな。本人にとっては何もかも思い通りになる夢の世界は天国にいるようなものだから、起きる気力をなくしてしまう。だから起きられない。そのうち体力がなくなり、死に至る」 「じゃあ何か、目覚めないのはフリック自身がその気がないからだってことか?」 ビクトールがふざけんな、とメイザースをにらみつける。 「仕方あるまい。誰だって痛みや苦しみのない世界にいたいと思うものじゃ」 あのフリックが?いや、あのフリックでさえ、というべきか。戦争が絶えないこの世界に戻りたくないと、そう思うことを誰が責められるだろう。ビクトールは悔しそうに唇を噛む。もう手立てはないのか? 「メイザース殿、何か方法はあるのでしょう?だから、ここへ来られたのではないのですか?」 カミューが尋ねる。 「ふむ、ないことはない」 「早くそれを言えっ!」 ビクトールがメイザースにつかみかかる。 「分かった分かった。まったく恋をする男は乱暴でいかんの。話は簡単だ。お前がフリックの夢の中へ行き、彼を連れ戻してくるのだ。古書にその魔法のことが書いてあった、ホウアンに感謝するがいい。徹夜で調べてくれたのだからな」 ホウアンはとんでもない、と首を振る。人の命を助けるのが医者の務めだ。当たり前のことをしたまでだ。 「よし、じゃあさっそくその魔法とやらをかけてくれ」 ビクトールはわずかに見えてきた希望に目を輝かせる。しかしメイザースは渋い顔をした。 「じゃが、危険だ。下手すると、お前まで夢から抜け出られなくなるぞ」 「ふざけんな。俺は夢の世界に逃げ込んだりしねぇよ。この世界に戻ってくるさ、フリックと一緒にな」 自信に満ちたビクトールの笑み。初めての魔法に対する不安も、この男なら大丈夫だと思わせる何かがあった。メイザースはうなづくと、カミューとマイクロトフに必要な薬草を用意するように命じた。 部屋中が不思議な香の匂いで充満していた。 「よいか。夢の中でフリックに会えるように強く心に願うのじゃ」 「ああ分かってる。さっさとやってくれ」 ビクトールはフリックの隣に横になる。実際、怖くないといえば嘘になる。何しろこの魔法はまだ一度も使ったことがない、とメイザースも言っているし、古文書にかかれているだけで、本当に効果があるのかも分からないのだ。しかし、今はこれに頼るしか方法がない。 「では始めるとするか」 メイザースは口の中で紋章を唱え始める。ビクトールは目を閉じ、フリックの元へ行けるように願った。必ず取り戻す。夢なんかに大事な相棒を取られてたまるものか。 やがて、怖いくらい強い睡魔がビクトールを襲った。引き込まれるようにして、意識が遠のいていった。 「メイザース殿」 不安げにカミューが声をかける。 「うむ、第一段階は成功したようじゃ。あとはビクトールの精神力の強さに期待するだかじゃの。何しろ、夢の世界は何の苦しみもない天国だからの」 もうあまり時間はない。フリックの体力があとどれくらいもつか。カミューとマイクロトフは祈るように横たわった二人の姿を見つめた。 ここはどこだろう? 温かい。 フリックはぼんやりと辺りを見渡した。綺麗な景色だった。今まで見たこともないような。 いい匂いがする。ああ、昼間荒野で見かけた小さな黄色い花の匂いだ。それにしても、どうして誰もいないのだろう。いつもうるさいくらいにまとわりついてくる男がいたはずだ。あれは… 「フリック?」 誰かに呼ばれて振り返った。瞬間、辺りの景色が変わる。 見覚えのある風景。 そうか、ここは戦士の村だ。それも、幼い頃の風景だ。覚えている。あの木も、あの家も、そうだ、あそこが自分の家だ。 「フリック」 誰かが自分を呼んでいる。ふらふらとフリックは生まれ育った家へと足を向けた。中へ入ると、そこには父親と母親がいた。 「父さん…母さん…」 「おかえり。フリック。ずっと待っていたのよ、どこにいっていたの?」 母親が穏やかな笑顔でフリックへと手を差し伸べ、抱きしめる。その温かさに涙が出そうになる。もうずっと前に死んでしまった両親。また会えるなんて。 「どこって俺は…」 フリックは考える。自分は今までどこにいたのだろう。思い出せない。いや、どこだっていい。こうして帰ってこれたのだから。 「さぁ、もう大丈夫よ。何も心配することはないわ」 優しい母親の声。そうだ。こうしていつも遊び疲れて帰ってきた自分を迎えてくれた。ここにいれば大丈夫。守ってくれる。 フリックはうっとりとその甘美な思いに浸る。いつか、同じような思いをしたことがある。あれはいつだったか。そうだ、初めて愛した人。 「フリック」 どこからか声がする。瞬時にして、両親たちの姿は消え、辺りは違う景色に変わる。 「フリック」 誰だ?やわらかい地面を蹴って走る。この声は。まさかそんな。 「オデッサ!」 信じられない思いで叫ぶ。確かに目の前にオデッサがいた。 「フリック」 懐かしい笑顔。手を伸ばして抱きしめる。腕の中には愛しい人がいる。 「オデッサ…オデッサ、本当にきみなのか?」 「ええ。会いたかったわ、フリック。ずっと、ずっと待っていたのよ。寂しかった」 白い指がそっとフリックの頬に触れる。涙が溢れた。もう二度と合えないと思っていたのに。死んでしまったと思っていたのに。こうして会えるなんて。 「愛してる。あなたのことを愛してる。だから行かないで」 オデッサがぎゅっとフリックを抱きしめる。どこへも行かない。こうしてきみにもう一度会えたのだから。きみが死んでから、どんなに辛い思いをしたか分かっているかい?お願いだどこへも行かないでくれ。フリックはそう思った。 ここは何て素晴らしいところだろう。会いたい人に会える。痛みも苦しみも悲しみもない。あるのはただ優しい、温かい思いだけ。 「オデッサ」 ――――フリック! 「君を愛してるよ」 ――――どこだ、フリック! 「だから…」 ――――俺から逃げられるとでも思ってんか、こんちくしょう! フリックはびくりと顔を上げた。誰だ?誰かが自分を呼んでいる。だめだ、この声に振り返ってはいけない、と何かがそう忠告している。だけど振り返らないわけにはいかない。心を引き裂くような、痛いくらいの何かが押し寄せてくる。 いや、このままこの優しい空間にいればいい。腕の中にはオデッサがいる。 本当にそれでいいのか? 戻らなくては。頭では分かっているのに。だけど、もっと強い何かがフリックを引き止める。 「フリック」 腕をとられて振り返る。 そこには見慣れた相棒の姿があった。 「…ビクトール?どうして?」 「やっと見つけたぜ。ったく手間取らせやがって、さ、とっとと帰るぞ」 メイザースの魔法でフリックの夢の中へとたどり着いたビクトールは、それこそ死に物狂いでフリックの姿を探した。そして、やっと見つけたのだ。しかしフリックは怯えた顔で 「離せ」 つかまれた腕を振り解いた。だめだ、どこへも行きたくない。行ってはいけないと何かが叫ぶ。 「何言ってんだ。ここは俺たちのいるべき場所じゃない。分かってんのか?ここは夢の中なんだぞ」 「いいよ。夢でも何でも。ここにいたい」 「馬鹿野郎!そんなことさせてたまるかっ!死にたいのか?」 「死ぬ?違うだろ、ビクトール。みんな生きてる。ほら、オデッサもいる。彼女は生きてたんだ」 「オデッサ?」 ビクトールはフリックの言う方へと視線を向ける。そこには死んだはずのオデッサがいた。昔のままの彼女。ビクトールは信じられない思いでオデッサを見つめた。 「おいおい…まったく悪い夢だぜ…」 なるほどな、と思う。ここは、この夢の世界はフリックの願望の世界なのだろう。死んでしまったオデッサがいるのがいい証拠だ。 「彼女は生きている。寂しいって、俺にここに居て欲しいと願ってる。帰るわけにはいかない」 「ふざけんな。オデッサが生きてるわけねぇだろ。俺が、この手で、オデッサを流したんだっ!」 「違うっ、生きてる、ここにいる」 フリックが叫ぶ。それは悲痛な思いだった。オデッサはフリックが初めて愛した女性だ。そして最後の。 死んだことを認めたくない気持ちは分かる。フリックは彼女の最後さえ見ていないのだから。だけど、それとこれとは別だ。ビクトールは強くフリックの腕をつかんだ。 「いい加減に目を覚ませっ。オデッサがそんなこと言うわけねぇだろぉが。お前にここにいてほしいだと?そんな弱音を吐くようなオデッサじゃねぇだろ!そんなことさえ忘れちまったのか?しっかりしろフリック。あれはオデッサじゃねぇ」 フリックは弱弱しく首を振る。 オデッサを見る。彼女は昔のままの笑顔でたたずんでいる。手を伸ばせばそこにいる。 ズキンと胸が痛んだ。 違う、と何かがフリックの中で叫ぶ。寂しいなんて、オデッサは決して言わない。そうだ…彼女は…強くて… 助けてくれ。分かっている。ここは夢の世界で、いるべき場所じゃない。分かっているのに、どうして… 「どうして…」 フリックの目から涙が溢れる。 ここは現実の世界じゃない。 帰りたい…帰りりたい、帰りたい!! そう思った瞬間、目の前にいたオデッサの姿がぼやけた。 「嫌だ…どうして?」 崩れ落ちるフリックをビクトールが抱きしめる。 「俺を見ろ!お前のことを必要としてるのは、死んでしまったオデッサじゃねぇ!俺だっ!お前のことを愛してるのは俺だっ!戻ってこい。俺のところへ戻ってこい。こんな夢の中じゃなくても幸せにしてやるから!戻ってこい」 ああ…そうだ。 どうして忘れていたのだろう。この男のことを。強く抱きしめてくれる腕の熱さを。 「ビクトール……」 目の前のビクトールを見る。帰れる。たとえ辛くて先の見えない世界でも、この男がいてくれるなら、帰っていける。 フリックは願った。 帰りたい。 現実の世界へ。ビクトールの待つ世界へ。帰りたい…… 「メイザース殿、フリックが…」 マイクロトフの声に、メイザースとカミューがベッドサイドに近寄る。 「戻ってこれたか?」 苦しそうに身じろぎするフリックの姿に、メイザースはその指先をフリックの額へつけて、小さく紋章を唱える。 「フリック!」 カミューの声に、ゆっくりとフリックが目を開けた。 「良かった…」 「……う…」 つ、と青い瞳から涙が零れた。それは現実に戻れた喜びからなのか、それとも… フリックは手を上げて頬を伝う涙をぬぐった。 覚えている。自分の心の奥底に眠っていた弱い気持ちが、どういうわけか全部さらけ出されて、そしてあの温かい空間に留まることが一番の幸せのような錯覚にとらわれた。今、こうして戻ってきてみれば、どうしてあんな気持ちになったのか不思議だ。 決してこの世界から逃げたいなどと思ってはいないのに。 呼び戻してくれたのは… 「ビクト…ール?」 自分を呼び戻してくれた男はどこにいる?フリックは右手の温かさに顔を向ける。そこには同じようにベッドに横たわるビクトールの姿があった。目を閉じたまま微動だにしない。 「ビクトール?」 ぎゅっと右手を握る。弱さから夢に捕まってしまった自分を取り戻してくれた。この現実へ引き戻してくれた。 愛してる。 ビクトールの言葉が甦る。あの言葉で何もかもが思い出された。 「ん…」 ぴくりとビクトールの瞼が動いた。と思ったとたん、がばっと身体を起こした。 「おいっ、フリックは?戻ってこれたのか??」 「大丈夫ですよ、ほら、あなたの横にいるでしょう?」 カミューが呆れたようにフリックを指差す。ビクトールは慌ててフリックの身体をつかんだ。 「おい、大丈夫か?ちゃんと生きてるな?」 4日間ですっかりやつれたフリックの顔。見慣れた大好きな青い瞳を覗き込んで、ビクトールは思わず涙が出そうになる。フリックはそんなビクトールを見て、弱弱しく笑った。 「うるさいよ…お前の声はただでさえでかいんだ…寝起きの頭に…響く…」 「は…」 命の恩人に対して何て言い草だ、とビクトールはフリックの鼻をつまむ。 良かった、と安堵の空気が部屋に流れた。 「それにしてもよく無事で戻ってこれましたね。一時はもうだめかと思いましたよ」 翌日、まだ身体が本調子ではないフリックはベッドの上で、カミューが運んでくれたお粥を口にしていた。フリックが戻ってきたということで、ディランたちは早速次の戦闘へ出かけていた。嫌がるビクトールを連れ出して。ビクトールがそばにいるとうるさくて養生できないから、連れ出してくれとフリックがディランに頼んだのだ。 「勝手に人を殺すなよ」 フリックは笑って、カミューを見る。冗談を言っているものの、この友人が死ぬほど心配してくれたことはビクトールから聞いて知っていた。 「まぁ愛の力というのはすごいものだと、今回のことで思い知らされましたよ」 「げほっ…」 フリックは食べかけていたものを吹き出しけけた。 「ビクトールさんの落ち込みようといったら大変なものでしたから。もしあのままあなたが死んでしまったら、あとを追ってしまうんじゃないかと心配しました」 「そんなことはしないさ」 「?」 「あいつはそんなことはしない。だけど、そうだな、もしあいつが呼んでくれなければ戻ってこれなかったかもしれないな。一人じゃないんだって思えたから、戻ってこれたのかもしれない」 やけにしおらしくつぶやくフリックをカミューがにやにやと笑って見ている。はっとそれに気づいてフリックは赤くなった。 「ビクトールには言うなよ」 「分かってますよ。そんなこと知ったらつけ上がるだけですからね、あの人は」 何事もよく分かっている友人と顔を見合わせてフリックは笑った。 |