第一夜  〜 in the Resistance 〜



「彼はビクトールよ、仲良くやってね」
「は?」
 フリックは思わず間抜けな返事をした。
 たった一言だけを残してその場を去ろうとしたオデッサの腕を慌てて掴んで、フリックはいったい何が起こったか分からないといった表情を浮かべた。
「オデッサ」
「何?私これから出かけなきゃいけないんだけど」
 戸口でハンフリーが腕組みをしたまま、オデッサが来るのを待っているのが見える。
 確か、隣町まで当座の物資を仕入れに行くようなことを言っていたな、とフリックは昨夜の話を思い出したが、だが何の説明も受けないまま彼女を行かせるわけにはいかない。
 フリックはオデッサの腕を引いて、部屋の隅へと引っ張った。
「オデッサ、説明してくれ」
「だから、何を?」
 オデッサがきょとんと首を傾げる。
「何をって?決まってるだろう!あの男のことだ!いったい誰なんだっ!」
 フリックは部屋の中央で立ち尽くしている男を指さした。
 薄汚れた衣服に、無精髭の伸びた頬。
 のっそりと立ち尽くす姿は横柄で、どう見てもまともな男には見えない。
 フリックの剣幕などどこ吹く風で、オデッサはにっこりと微笑んだ。
「だから、名前はビクトールよ」
「………だから誰なんだっ」
「さっき知り合ったのよ、ちょっとおかしな連中に絡まれてるところを助けてくれたの。貴方からもお礼を言って」
「……っ!おかしな連中っ?何があったんだ!」
 顔色を変えて、フリックがオデッサの両肩をがしっと掴んで詰め寄る。そんなフリックにやれやれというように、オデッサが溜め息を洩らす。
「ねぇ、フリック、私急いでるのよ。帰ったらちゃんと説明するから。とにかく、ビクトールのことよろしくね。一晩泊めてあげて。いろいろと教えてあげてね。私は明日帰るから」
 肩に置かれたフリックの手をやんわりと退けて、オデッサは戸口にいたハンフリーを促して部屋を出て行こうとする。
「おいっ!オデッサ!!ちょっと待てっ!!」
「おいおい、お前は彼女がいなきゃ何もできねぇのかよ」
 オデッサのあとを追いかけようとしたフリックに、ビクトールが喉の奥で笑いながら声をかけてきた。
「…………」
 不機嫌を隠そうともせず、フリックが振り返る。
 目が合うと、ビクトールはニンマリと不敵な笑みを浮かべた。じろじろと不躾な視線をフリックに投げかけた後、軽く肩をすくめた。
「ずいぶん若いな……オデッサの弟か?」
「………っ!」
 その瞬間、ばちっと何かが放電したような音がして、ビクトールはぎょっとして身を引いた。一瞬、燃やしてやろうか、と思ったフリックだが何とか押し止めた。
「紋章持ちか?」
 意外だと言いたげな男の様子が勘に触る。

(嫌なヤツだ……)

 それが、ビクトールを初めて見た時の、フリックの第一印象だった。




 フリックが、オデッサをリーダーとする解放軍の一員として解放運動に関わるようになって、もうかなりの時間がたつ。
 今までにも、何度かオデッサは街で知り合ったという男を連れてきたことがあった。
上手くいけば仲間にしようと思っていたのか、それともただ単にお人よしなのか。しばらく一緒に行動を共にするヤツもいたし、一晩たてば去っていくヤツもいた。
 何にしろ、解放軍の一員として一緒に解放運動に加わるほどまでになる連中はいなかった。それはそうだろう。得体の知れない反逆者たちの集まりに、そうそう簡単に身を寄せようと思うはずもない。そこによほどの決意と想いがなければ、闘いに挑むことはできないだろう。
 だから、オデッサがビクトールを連れてきた時も、どうせ一晩たてば出て行くだろうと、フリックは思っていたのだ。
 けれど、何日たってもビクトールは出ていく気配を見せない。
 それどころか、日に日に我がもの顔で仲間たちと親しくなっていく。いつも穏やかなサンチェスは別として、あの無愛想なハンフリーでさえ、ビクトールといる時は、苦笑交じりの微笑を浮かべることがある。
 けれど、どうしてもフリックは納得できなかった。
 どうしてみんながビクトールのことを受け入れるのか。
 いつもへらへらと笑って、お調子者で、言うことは下品なことばかりだし、ビクトールはフリックが一番苦手なタイプなのだ。
 苦手……というか、今まで知らないタイプだから、どう接すればいいのか分からないというのが正しいかもしれない。
 決して人見知りをする性質ではないつもりなのだが、第一印象が最悪だったせいか、フリックは頑なにビクトールとは口をきこうとしなかった。
 次第に、フリックだけがビクトールと一線を置くようになり、他の連中がビクトールと賑やかに話している時も、その輪から離れるようになった。
 その夜も、何時の間にか始まった酒の席を、フリックは途中で離れようとした。
 暑いと言ってもいいくらいの部屋から外へ出ると、冷たい空気がフリックの頬に触れ、火照った体温を下げてくれる。
「フリック」
 柔らかな声に振り返ると、そこにはオデッサが立っていた。
「どうしたの?気分でも悪くなった?」
「いや、そっちこそ、もうじき出かけるんだろう?酒なんか飲んでていいのか?」
「少しくらい飲んでた方がいいわ。この寒さだもの」
 両腕を抱え込むようにして、オデッサがフリックの隣にやってくる。体温を与え合うようにして身体を寄せてくるオデッサに、フリックは小さく笑った。
「ねぇ、フリック」
「うん?」
「ビクトールのこと、どう思う?」
「………どうって?」
 ビクトールの名前が出たとたん不機嫌そうな表情を見せるフリックに、オデッサは苦笑した。
「嫌いなの?」
「苦手なだけだ」
「………」
「………」
 ぱちぱちと何度か瞬きをして、オデッサはうーんと低く唸った。
「それは……困ったわね。私、彼を仲間にするつもりなのよね。彼も快く了解してくれたし」
「………なっ!!!」
「だって、彼、とてもいい人よ。腕もたつし。何より、彼がいると、みんなの気持ちが明るくなるわ」
 全然ならない。
 フリックは思わず胸の中でつぶやいた。
 まさか本気で、オデッサがビクトールを解放軍のメンバーに入れることを考えているとは思っていなかったのだ。
「オデッサ、冗談だろう?あんなどこの馬の骨かも分からないようなヤツ、仲間にしようなんてどうかしてる。だいたい、もし敵のスパイだったらどうするんだ?」
「まさか。ビクトールはそんな人じゃないわ」
 ころころと笑うオデッサに、フリックはかちんときた。
「そんなこと、どうして分かるんだ?だいたい、みんなどうしてあいつのことをそんなに簡単に信用するんだ?あんな、いつもふざけたことばっかり言ってるようなヤツ、俺は絶対に認めないからな」
 フリックが言い捨てると、オデッサは小さく吐息をつき、フリックの腕をたたいた。
「……あなたはまだ何も分かってないのね」
「………?」
「どうして分からないかしら……私は、ビクトールほどあなと気が合う人もいないと思うんだけど」
「なっ……!!冗談はよしてくれっ!!」
「あら、本気よ?食わず嫌い……じゃなくて、話さず嫌いかしら?子供みたいにスネてないで、一度ちゃんと彼と話をしてね。仲間にするのはもう決めたことよ。仲良くしてくれなきゃ困るのよ」
「………」
 ふいにオデッサが真剣な瞳でフリックを見上げた。
「闘いの場に個人的な感情を持ち込むようなことを、あなたはしないと思うけど、信頼がなきゃ、今の解放軍はやっていけないわ」
「……わかってる」
 オデッサの言葉に、フリックは自分も少しばかり大人げなかったと反省した。
 確かに、今、解放軍には力になる仲間が必要だ。まだ誰かれなしに声をかけて、仲間を集められるほど解放軍に力があるわけじゃない。信頼できる人間を見極め、少しづつ人を増やしていきたいところなのだ。
 オデッサやハンフリーが心を開いたということは、ビクトールは少なくとも信用に足りる人間なのだろう。
 個人的な感情で意地を張るなんて、確かに子供っぽいことなのかもしれない。
「ね、一度ちゃんとビクトールと話してみてね」
「分かった」
 フリックが渋々頷くと、オデッサはにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、早速だけど、今夜、二人でお留守番をお願いね」
「何だとっ!!」
「ハンフリーたちと一緒に情報を入手しにグレッグミンスターまで行ってくるわ」
「待て、じゃあ俺が一緒に行くから、ハンフリーを残せよ」
「何言ってるの、たった今、ビクトールと話すって言ったところじゃない。こんな機会は滅多にないんだから、腹をくくってお留守番してちょうだい。男でしょ、いつまでも逃げてるわけにはいかないのよ」
「………っ」
 俺は子供か……とフリックは少々情けなくなった。
 オデッサの方が自分よりも歳は下なのだが、どうもいつもいいようにあしらわれているような気がする。
 フリックががっくりと肩を落とした時、部屋の扉が開き、白い息を吐きながらハンフリーが姿を現わした。
「………行くぞ」
 二人を代わる代わる見たあと、いつもの愛想のかけらもない声でそう言うと、ハンフリーは再び中へと引き返していく。
「じゃあ、あとのことよろしくね」
 オデッサはフリックへと笑いかけると、ハンフリーのあとを追うようにして扉の奥へと姿を消した。 いつまでも寒い外にいるわけにもいかず、フリックは部屋の中へと戻ることにした。入ったとたん、寒さに強張っていた身体から力が抜けた。
「よぉ、外は冷えるだろ」
 一人、フリックと同じように留守番を頼まれたビクトールがイスに座ったままグラスを傾けていた。 フリックは無言のまま、その向かい側に座ると、空いていたグラスに酒を注いだ。
「……何か食うか?」
「いや、けっこうだ」
 ふぅん、とビクトールは鼻を鳴らして、テーブルの上に無造作に散らかされた包みの中から乾燥した肉を口に運ぶ。
 オデッサにああ言われたものの、いったい何を話せばいいのか分からず、フリックはちびちびと酒を飲み続けた。だいたい、こんな雰囲気の中で酒を飲んでも少しも楽しくない。
「フリック」
「え?」
 しばらくそうして無言で飲み続けていた二人だが、ビクトールがその沈黙を破った。
「なぁ、そんな安い酒飲んでねぇで、こっちの飲んでみろ」
 ビクトールは得意げに言うと、いつの間に注いだのか、小さなコップについだ赤ワインを差し出した。
 それはずいぶんと美味そうに見えた。
「どうしたんだ、それ」
「まぁまぁ、一口飲んでみろって、絶対に美味いから」
 ビクトールがほらほら、とフリックを促す。
 何だか怪しい……と思いながらも、フリックも相当な酒好きなのだ。美味い酒が目の前にあって断るようなことはできなかった。
 おずおずと手を伸ばして、グラスを受け取る。
 ビクトールがじっと見つめる中、一口飲んでみると、それはコクのあるとてもいい味をしていて、喉を通ると何ともいえない芳香が口に残った。
「美味い……」
「だろう」
 得意げに笑って、ビクトールは床に置いていたらしいワインの瓶をテーブルへと置いた。
 どこかで見たことのあるそのボトルに、フリックは首を傾げた。そして、はっと気づいて思わず立ち上がった。
「お、お前、それはハンフリーの秘蔵の……」
「へへ、さっき見つけちまってなぁ」
 カナカン産のワイン。 ハンフリーが大切にしているボトルだ。そりゃあ美味いだろう…。
 フリックは呆れたように、目の前で嬉しそうに笑うビクトールを眺めた。
「知らないぞ、あとでバレたらただじゃすまない」
「大丈夫だって、あいつはこれくらいのことで怒るようなヤツじゃねぇって」
 ビクトールの言葉に、フリックは少し驚いた。 確かに、ハンフリーはこれくらいのことじゃあ怒ったりはしないだろう。少しは文句も言いそうな気はするが、基本的にあまり物事に頓着しない男だ。 それは外見だけでは分からない、付き合ってみて初めて分かるハンフリーという男の性格だ。
 驚いたのは、ビクトールはこんな短い間にそのことを見抜いているということだった。 この男は、見た目通りの男じゃない……。
 くだらない冗談ばかり言って、いったい何を考えているか分からない男だが、どうやら馬鹿ではないらしい。
 フリックは手にしていたグラスを飲み干すと、ビクトールへと差し出した。くすりと笑って、ビクトールが二杯目を注ぐ。
「じゃ、遠慮なくいただくことにしようぜ、中途半端に残してちゃ、あいつも心残りだろう」
 ビクトールがかちんと音をさせて、フリックのグラスと自分のグラスを合わせた。
 滅多に手に入らない名産のワインだと分かると、余計に美味く感じるのだろうか。
 フリックが喉を鳴らしてワインを飲み干すのを見届けると、ビクトールはニヤリと目を細めた。
「これでお前も共犯者だな」
「………っ」
 びっくりした顔をするフリックを、ビクトールがにやにやと見つめる。
「ま、二人で飲んだのなら、あいつの怒りも二分の一に分散されるからな、一緒に怒鳴られることにしようぜ」
「………騙したな」
 低く凄んでみせるフリックに、ビクトールは喉の奥で笑う。
「まったく、お前って簡単に騙されるヤツだな。人がいいっていうか何ていうか、そんなことじゃあ、この先やっていけねぇぜ」
「うるさい。くそっ、貸せ」
 フリックは手を伸ばすとビクトールの手からボトルを奪い取った。遠慮なく上物のワインを飲み干すフリックに、ビクトールも負けじとばかりにグラスを満たす。
 そうして、二人してハンフリー秘蔵のワインを空けてしまうと、不思議とそれまで身構えていた気持ちが溶け、フリックは肩の力を抜いて、ぽつぽつとビクトールと会話をし始めた。
「……俺たちが何をしようとしているのか、知ってるのか?」
 フリックの問い掛けに、ビクトールは顔を上げ、ややあってから、あぁとうなづいた。
「……知ってて、仲間になるって?」
「知らなきゃ仲間にはならねぇだろうが」
 からからと笑って、ビクトールは再び安物の酒を飲み始めた。いったいこいつはどれだけ飲むつもりだ、と少々うんざりしながらも、フリックも同じようにグラスを空けた。
「オデッサはたいした女だ」
 ぽつりとビクトールが言った。
 その言葉に、フリックは視線だけを上げて男を見る。
 古ぼけたテーブルに片肘をつき、その上に顎を乗せた姿勢で、ビクトールは穏やかな表情で笑っていた。
「やろうとしてることもたいしたもんだが、俺は、彼女の生き方ってやつが気に入った。この先、どんな風に時代を変えていくのか、見届けてみたいと思ってな」
「時代を……変える?」
「やってる本人はそんなことは思ってねぇかもしれないがな。ま、当事者ってのは得てしてそんなもんだ。すべてが終わって、振り返った時に初めて自分が何をやったか分かるもんだ」
「…………」
「お前は戦士の村の出身だって? この闘いで一旗上げようって気なのか?」
「そんなんじゃない」
「ふぅん、じゃあオデッサに惚れた口か……」
「なっ……」
 とたんに赤く頬を染めたフリックに、ビクトールがひゅうっと口笛を吹いた。
「別に照れることでもねぇだろ。ふぅん、なるほどねぇ」
「ジロジロ見るなっ!言っておくが、俺はお前のことを全面的に信用したわけじゃないからな。どこで何をしていたかも分からねぇようなヤツ、簡単に信じられるか」
 ビクトールはそうだなぁと鷹揚に笑った。
「お前は、いったい何の目的でこの町にいたんだ?」
「……ちょっとばかりやらなきゃいけねぇことがあってな」
 一瞬、その瞳に暗い影が過ぎったことにフリックは気づかなかった。気づくには、まだフリックは幼く、そしてまだビクトールに対して固く心を閉ざしすぎていた。
 ビクトールはのんびりとした口調で続ける。
「俺の目的の方は急いでるわけじゃねぇんだ。一生かかってでも果たすつもりだからな、まぁ、少しくらいの寄り道はどうってこたぁない。だいたい、あんな美人に力を貸してくれって言われちゃ、断れねぇだろ」
「……最低だな」
 ふんっとそっぽを向いて、フリックはぐいぐいと酒を煽った。そんなフリックを、ビクトールは目を細めて眺めた。
 戦士と呼ぶには、まだ世間の荒波を知らなすぎる青年に、ビクトールはどういうわけか興味をそそられていた。
 こんなに真っ直ぐで、澄んだ瞳をした人間を見るのは久しぶりだった。見た目はけっこうな男前だし、上手に歳を取ればいい男になるだろう。 警戒心は人一倍強いくせして、どこか無防備で、フリックは、どこかかまいたくなる気にさせる。
 不思議だった。
 今までいろんな町でいろんな人間と出会い、必要以上に心の中に誰かを入れたりするまいと思っていた。
 誰かを大切にするようになれば、また無くす日が来た時に辛い思いをすると思っていたから。
 それでいいと思っていた。
 一人でも生きていけると、そう思っていた。
 けれど、目の前にいる青年に、何故か忘れようとしていた気持ちが甦る。
 
(いったい、どうしちまったんだ、俺は……)

 ビクトールは説明のしようのない気持ちに、唸るように溜め息をついた。
「何だ?」
「いや……まぁ、何にしろ、これから長い付き合いになるから、よろしく頼むわ……」
「……長い付き合いになんてならないとは思うがな」
 フリックは釘を刺すように言い捨て、それでも差し出されたビクトールの手を握るために、右手を差し出した。
 触れ合った掌がぎゅっと握られる。
 初めて感じたお互いの温もりは、何故か何年たってもすぐに思い出せるほど熱いものだった。
「おい、いつまで握ってるんだっ!」
「いや、お前、こんな細い手で剣が握れんのか?」
「……っ!」
 ばちばちっとフリックから火花が散る。
 それが、ビクトールとフリックが二人きりで過ごした初めて夜のことだった。


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