プレゼント


 青いマントが翻った。
 観衆からどっと歓声があがる。
 フリックが見事な身のこなしで、マイクロトフの攻撃をかわす。一見、マイクロトフ優勢に見えるが、実際にはマイクロトフにはもう余裕がないのだろう、ということは、少しでも剣の腕のある者にはよく分かった。
―――― 青雷のフリック
 その異名がまさにぴったりと当てはまる。
 フリックは無闇に攻撃をしたりはしない。攻撃を上手くかわすだけで、しばらくは相手の動きを見る。そして、だんだんと自分が一番得意とする形に闘いを持っていき、そして、ちょっとした相手の隙を見つけ、攻撃をする。鋭い一撃で相手を倒してしまうのだ。
「これはちょっと…見ものですね」
 カミューが感心したようにつぶやく。
 ただ今、城の中庭にて剣の練習試合の真っ只中である。
 ここのところ、これといった戦闘もなく暇を持て余したらしいディランが、突然言ったのだ。
「剣の練習試合をしよう。そうだな、勝ち抜き戦がいいかな。んで、勝った人には商品を出そう」
 商品が出る!と聞いたとたん、そんな面倒なことはごめんだ、と言っていた連中も、目の色を変えた。現金か?と聞くと、ディランはちっちと首を振った。
「現金はあまりにも即物的すぎるでしょ。そうだなぁ、一人勝ち抜くごとに、ハイ・ヨーのレストランの食事券一枚でどう?何頼んでもいいよ」
「おお、それはすごい!!」
 ハイ・ヨーのレストランの食事券となれば、現金と同じだ。おまけに一人勝ち抜くごとに一枚とは豪勢だ。
 何しろ城での食事はすべて自腹なのだから、みんな喉から手が出るほど、欲しい商品である。
「出るだろ?フリック」
 募集事項が城の大広間に告示されると、ビクトールはいち早く参加登録をすませた。
「いや、俺は出ない」
「何で?お前、ハイ・ヨーの食事券だぞ?何でも食えるんだぞ?」
「分かってるって。意地汚いヤツだな。じゃあ俺の分までがんばって勝ち取ってくれ」
「おいおい、城中でちょっとでも腕の覚えのあるやつはたいてい参加するんだぞ?それなのに出ないなんて、自信がないのかと思われちまうだろうが」
 ビクトールはわけが分からないとばかりに首を傾げる。ビクトールが登録に行った時にはカミューもマイクロトフも登録をすませていた。男連中はもちろん、女連中も登録をしている。すでに30人は超えていたのだ。
「よぉよぉ、何で出ねぇんだよ。どっか調子でも悪いのかよ」
「うるさいな。とにかく俺は出ないって決めたんだよ」
 フリックはうるさく付きまとうビクトールをしっしと追い払う。
 この手のお祭り騒ぎが嫌いなわけではない。毎日の闘いの中で、少しくらいは楽しいと思えることがあった方がいいに決まってる。しかし、だ。ディランの決めたこの大会は勝ち抜け戦だ。ビクトールの腕前から考えて、決勝近くまで残ることは間違いない。フリック自身も、そう簡単に負けるつもりはない。ということは、当然ビクトールとも剣を交えることになる。
 負けるとは思っていない。体格の差はあるが、腕に差があるとは思えない。それでも、今まで「敵」としてなんて戦ったことがないのだ。剣の練習などで相手をすることはあっても、勝つために戦ったことはない。
 だから想像ができないのだ。ビクトールと真剣に剣を交えたらどうなるのか。
「お前…もしかして俺に負けるのが嫌で出ないなんてことは…」
「誰が負けるんだよっ!」
「だってそれくらいしか思いつかねぇだろぉが。あ、それとも何か、やっぱ大観衆の見ている中で見られるってのは恥ずかしいとか?別に誰が見てるからって恥ずかしがることはねぇだろ、だいたい…」
 うるさい。
 フリックはいい加減怒鳴りたくなったが、ここで怒鳴ると大喧嘩になりそうなので、口を閉じた。ちょっとした買物がしたくて道具屋へ向かう途中のフリックに、金魚のふんみたいにくっついてくるビクトールは、なおもくどくどと説得を続ける。
 それをいつものようにフリックは左から右へと聞き流していた。
「おい、聞いてんのかよ?」
「聞いてる聞いてる。だからお前の応援はちゃんとしてやるから。それでいいだろ」
「応援ねぇ…んじゃ俺が優勝したら、ちゃんとお祝いしてくれるのか?」
「分かったよ。酒場で一番高い酒を奢ってやるよ」
「んなもんより、もっといいものをくれ」
 嫌な予感にフリックは立ち止まる。がしっと後ろからビクトールがフリックに抱きつく。
「な、何すんだっ!!離しやがれっ!」
「俺が一番欲しいのはお前に決まってるだろぉが。優勝したら、俺の言うこと何でも聞いてもらうからな」
「か、勝手に決めるな、そんなこと」
 優勝の祝い品を自分で決めるバカがどこにいる?
 フリックの怒りなど知っちゃあいないビクトールはニヤニヤと想像とたくましくしていく。
「何してもらおうかなぁ。いろいろやってみたいことがあるんで楽しみだな。まだやってない体位は山ほどあるからな。とりあえず今のところの一番は…」
 フリックは廊下の真中でとんでもないことを言い出しそうなビクトールにぎょっとする。そしてつい叫んでしまったのだ。
「黙れっ!!お前はそんなことしか考えてないのかっ!いいか、お前を絶対に優勝なんてさせないからな」
 そう言って、その足で参加登録受付へと向かう。受付をしているのはナナミと二ナだった。
「きゃああ、フリックさぁん。やっぱり参加するんですねぇ。がんばってくださいね。応援してますからね〜」
 二ナが飛び上がって喜ぶ。フリックの手を取ると、ぶんぶんと握手する。
「フリックさんで42人目。何だか不吉な数字ですね」
 ナナミが登録番号を見てつぶやく。嫌なことを言うな、とフリックは心の中で思った。何が何でもビクトールの優勝は阻止しなくてはならない。優勝なんかされたら、何をさせられるか分かったもんじゃない。
「まぁいいけどよ。どんな体位がいいか今から考えておけよな。ふっふっふ楽しみ楽しみ」
 ビクトールはすっかり勝つつもりで、ニマニマとしまりのない顔で一人で食堂へと消えていった。
 そういうわけで、少々納得できないものはあるものの、フリックは大会に出ることになってしまったのだ。


「マイクも相当いい腕をしてるんですがね」
 カミューが優雅に足を組み替えてつぶやいた。
 ビクトールはいつにない真剣な表情でじっと眼の前で繰り広げられる闘いを見つめている。
 フリックの額から汗が飛び散る。青いバンダナがひらりと舞う。無駄のない素早い動き。華奢に見えるくせに、けっこういい筋肉ついてるからなぁ。足腰も強いし。などとビクトールは目の前のフリックを見て思う。
 いくら打ち込んでも簡単にかわされるうちに、マイクロトフの気が一瞬散ったように見えた。その瞬間を見逃さず、フリックがオデッサを振り下ろす。
「そこまで!!」
 審判が叫ぶ。
 マイクロトフの鼻先にオデッサがあった。あとわずか数センチのところで止まっている。
「はぁはぁはぁ…」
「……ま、まいりました」
 マイクロトフが剣をおろす。
 どっと歓声が上がった。フリックは大きく息を吐くと、ふるっと頭を振って汗を払う。
「……きれぇだねぇ」
 ビクトールがつぶやく。
 いつも一緒に戦闘に出るときは、自分も戦うことに必死でフリックがどんな戦闘をしているのか、じっくり見たことはなかった。こんな昼日中、緊張感のない中でフリックを見ると、そのあまりの美しさに見惚れてしまうのだ。
 あのフリックは自分のものだ。そう思うだけでぞくぞくする。
「ああ、これであなたがサスケに勝てば、フリックさんと戦うことになりますね」
 カミューが主賓席にある一覧表を見て言う。
「サスケか、あいつもカスミにいいとこ見せてぇだろぉが、俺に勝てるとは思ってねぇだろ」
「すごい自信ですね」
 くすくすとカミューが笑う。かくいうカミューは2戦目でビクトールに負けている。もともとこの大会には興味はないのだ。マイクロトフが出るというから、付き合っただけで、あまり格下の者に負けるわけにはいかないので、ビクトールと当たったことをこれ幸いと、さっさと自分から負けたのだ。
「サスケには勝てるだろぉが、そのあとがなぁ。フリックと戦ったこたぁねぇが、おそらく五分五分だろ。ま、天がどちらの味方をしてくれるかってとこだな」
 そこへがっくりと肩を落としたマイクロトフが戻ってきた。
「すまない、負けてしまった」
「お疲れさま。別にそんなにしょげることはない。お前とフリックさんとでは戦い方がまるで違うのだから」
 カミューが落ち込むマイクロトフに優しく微笑む。
「我々はただ勝つだけではなく、いつも騎士であるように剣を振るってきた。フリックさんはそうじゃない。彼はいつも勝つことを目的として剣を振るってきたのだから。大事なのは、強さだけではないんだよ、マイク」
「しかし、勝てばお前の食べたがっていた「まんがんぜんせき」が…」
 マイクロトフの台詞にビクトールが反応する。
「おいおい、何だそりゃ。商品は勝ち抜けた数だけのチケットだろ?それで「まんがんぜんせき」が食えるのか?」
 あれはそうそう食べられるメニューではないはずだ。まず食材がそろわない。城の中では幻の一品といわれているメニューなのだ。
「え、いや…そうではなくて…」
 マイクロトフがどうしたものかとカミューを見る。やれやれというようにカミューが肩をすくめてみせる。
「ご存知なかったのですか?この大会はただの試合ではないのですよ。もちろん勝ち抜けした者にはチケットはいただけますが、裏での商品はまた違うのです」
「裏?」
「ですから、トトカルチョですよ。誰が勝つか、一枚100ポッチでカードが買えたはずです」
「ト、トトカルチョ??」
「ええ。本当にご存知なかったのですか?ディラン殿が親元で、執務室で売ってましたよ。軍師殿は思い切り嫌な顔をされてましたが。まぁたまには賭け事もいいものです。下馬評ではダントツ一位の本命がビクトールさん、あなたで、次の対抗がフリック。大穴としてはムクムクというもので、これは倍率が250倍でした。で、マイクは自分が優勝して、40倍の大穴を当てようとしてたのですよ。それで食材を買って、私に「まんがんぜんせき」をご馳走してくれることになっていたのです」
「それは…素晴らしい計画だな」
 知らなかった。今日の夜、フリックにどんなことをしてもらおうかと、それしか考えてなかったので、裏での動きにはぜんぜん気づかなかった。
「畜生、そんな美味しい話、知ってたら絶対に買ってたのに」
「でしょうね。みんなけっこう大穴ねらいで来てますからね。この試合、親元がかなり稼がれることでしょう」
 ビクトールは主賓席で頬杖をついて次の試合を見ているディランに舌打ちした。あのガキ、トトカルチョなんて、とんでもないことを考えやがる。末恐ろしいガキだぜ、まったく。
 そうこうするうちにビクトールの名が呼ばれ、サスケとの勝負となった。
 ビクトールの言うとおり、さすがに年季が違うというか、邪な目的のある者の勝ちというか、あっさりとビクトールは勝負をつけた。
「これでフリックと対決か。何とも変な感じだぜ」
 ビクトールが言うとカミューは小さく笑った。
「あなたはフリックさんにも勝つつもりなんでしょうね?」
「当然だろぉが。勝てばよ、今夜はなかなか楽しい思いをさせてもらえるんだからな」
「呆れた。チケットだけでは足らずに、フリックさんからも商品をもらうつもりなのですか?」
 チケットなんかよりもフリックからの商品の方が何倍も欲しいのだ。
「次!ビクトール対フリック」
 観客席からやんやの喝采があがる。そりゃそうだろう。何しろ、一位ビクトール、二位フリックなら大当たりなのだから。トトカルチョをやっているから、さっきから試合が終わるごとに、観衆からため息がもれたり、歓声があがったりしたのか。今更ながらにビクトールは納得した。
 試合のフィールドに立つと、フリックがオデッサを手にゆっくりと近づいてくる。
「さぁてと、最終戦だぜ、相棒。覚悟はいいか?」
 ビクトールは大きく肩を回す。フリックは余裕の表情でオデッサをすいっとビクトールの胸元へと向ける。
「それはこっちの台詞だ。そうだ、言っておくが、俺が勝ったら、この先一週間はエッチはなしだ」
「な、何だと!んなもん認められるかっ!」
 ビクトールが噛み付くようにフリックに言う。
「お前だって勝手に商品を決めただろうが。本当なら一ヶ月にしたいところだ、準優勝ということで1週間にしてやるよ」
「よく言うぜ。自分だって1週間が限度のくせして」
 ビクトールのつぶやきにぴくりとフリックの表情が変わる。
 周りの観客には二人の会話は聞こえない。真剣な顔で何やら話しこんでいる二人に、八百長の相談でもしているのではないかという疑惑の声があがる。もちろん、二人がそんなことをするわけがない。何しろ、二人とも必ず勝つと決めているのだから。
「まぁいいや。一ヶ月でも何でもいいぜ。どおせ俺が勝つんだからよ。んじゃあよ、俺が勝ったら、お前、口でやってもらうからな」
「――――」
「聞こえたのか?口だ、口。お前のその可愛い口で俺のをしゃぶってもらうからな」
 フリックのこめかみにぴしっと青筋が走る。
 あまりに下品なその台詞にフリックの我慢も限界を超えた。まだ始まりの合図もされていないのに、すごい形相でビクトールに切りかかる。
 ビクトールが身軽な動きでオデッサをかわした。
「おおっと危ねぇな、ちったぁマイクロトフの騎士道とやらを見習ったらどうだ?あん?」
「…1週間どころか永遠に何もできないようにしてやる」
 フリックが本気でビクトールにオデッサを振り下ろす。
 周りから怒涛のような歓声があがった。正直なところ、どちらが勝っても少しもおかしくはないのだ。実力ではどちらも甲乙つけがたい。だからこそ、この決勝戦はかなり興奮できるものになっていた。
「やれやれ、こんなくだらないゲームにここまで熱中できるというのも一つの才能だな」
 主賓席でシュウがため息まじりにつぶやく。隣の席のディランがふふ、と笑う。
「そういうシュウさんだって、カード勝ってたくせに。結局どっちを買ったんだよ」
「………フリックが勝つ」
「どぉして?」
 ディランが尋ねる。
「ビクトールがフリックを切れるわけがない。あのバカのことだ、せいぜいフリックに見惚れてやられるのがオチだ」
「はは、なるほどね。でも、俺はビクトールさんの優勝で、カードを買ったよ」
「親元が買うな」
「まぁまぁ」
「で?どうしてビクトールだ?」
「どぉせビクトールさんのことだ、勝ったらフリックさんにたっぷりサービスしてもらおうと企んでるよ。そんな美味しい状況をみすみす逃すようなビクトールさんじゃないだろ?どんな汚い手を使っても勝ちにいくさ」
 シュウは黙った。確かにそういうことも考えられる。これは読みを誤ったかもしれない…。とシュウが考え込んだ時、いちだんと大きな歓声が上がった。
「いいぞ、フリック!!行け〜〜」
「ビクトール負けるなぁ、お前には俺の全財産がかかってるんだ」
 みんな金がかかると目の色が変わる。
 フリックはビクトールの剣をオデッサで払うと、ざっと一歩退いた。ビクトールとまともにやりあうのは初めてだが、やはり強い。何しろ体格が違いすぎる。持久戦に持ち込まれたら体力が持たない。ここは短期決戦でいくしかないだろう。
 オデッサを構え、切りかかる。ビクトールさえも一瞬逃げをうつのほどの気迫。重なり合った剣が鈍い音を立てる。
 ぎり、とお互いににらみ合う。
 ふと、ビクトールがフリックの後ろに何かを見つけ、目の色が変わった。
 敵か?
 一瞬フリックの気が散った。その一瞬で、ビクトールがフリックの足元を片足で払う。バランスを崩したフリックが地面に倒れた。普通の人間なら無様にこけていただろうが、そこは鍛え方が違うので、フリックは左手を地面につき、再びオデッサを構えた。
 けれどそこまでだった。フリックの首筋にはビクトールの星辰剣があった。
「そこまで!」
 審判の声に周りから歓喜の声と、落胆の声があがる。まるで競馬場のように、屑となったトトカルチョカードが舞う。
「ひ、卑怯だぞっ!」
 得意げに剣をひき、周り歓声に手を上げて応えるビクトールにフリックが怒鳴る。
「何が?」
「お前、俺の後ろに何かいたような顔しやがって!何もないじゃないか」
「あんな手に騙される方が悪い」
「おまけに、足を払うなんて、ちゃんと剣で勝ったわけじゃないだろ!」
「だけど、勝ちは勝ちだぜぇ?あ〜今夜が楽しみだ。なかなかいい企画だったな、ディランに感謝しなきゃあな」
 ビクトールはフリックの抗議などまるで聞いていないようで、頭はすでに夜に飛んでいる。
「フリックよぉ、忘れんなよ、優勝商品」
「う……」
 がははははと高笑いをしてビクトールはトトカルチョに勝った連中にもみくちゃにされて城へと消えていった。
 優勝商品。
 それを思うとフリックは試合に負けたことよりも、もっともっと深く落ち込んでしまうのであった。


 その日は城中大騒ぎだった。
 何しろ大本命が優勝したのだから、当然であろう。倍率は低かったものの、それでも3倍の配当があったのだ。ビクトールはみんなから奢られまくって、酒代の心配をすることなく心置きなく飲んだ。
「ところで、フリックさんは?」
 誰かがフリックが酒場にいないことに気がつき、ビクトールに尋ねる。
「ああ、俺に負けて悔しいんだろ。放っておいていい」
 まぁだいたい予想はつく。今ごろどこかで頭を悩ませていることだろう。ビクトールが要求した優勝商品からどうやって逃げるか考えているに違いない。まぁせいぜい悩むこった。だからといって逃がしてやるつもりもないのだから。
 結局、深夜になっても宴会は終わらず、何とか理由をつけてビクトールが酒場を出たのは夜中の2時だった。
「ああ、えらい目にあった。当分酒はいらねぇな」
 ビクトールはよろよろと階段を上がり、部屋の前ではたと立ち止まった。そうだ、フリックだ。まさか大人しく部屋で待っているとも思えない。城のどこかを探しに行かなくてはならない。まぁ深夜の鬼ごっこも悪くない。ビクトールはそう思い、部屋の扉を開けた。
 するとそこにはフリックがいた。
「………フリック?」
「遅かったな」
 まさか部屋にいるとは思ってもみなかったので、ビクトールはかなり間抜けた顔をしていたに違いない。後ろ手で扉を閉め、おそるおそるフリックに近づく。
 フリックはふいと視線を外した。
「まさか待ってるとは思わなかったもんだからつい遅くなっちまって…悪かったな」
「朝まで帰ってこなくても良かったのに」
「何だよ、何怒ってんだよ?」
 ビクトールがフリックが座っているベッドの隣に腰かける。
「別に怒ってなんかない。お前が卑怯な手をつかって俺に勝ったからって、怒ってなんかないからな」
 十分怒ってるじゃねぇか、と思ったが口にはしない。
「けどよ、お前、あれが本当の戦闘だったら、間違いなくやられてたぞ?何だってあんな時に気を散らした?」
 子供に諭すかのように、ビクトールが笑って言う。
 フリックはむっとしてビクトールを睨むと、また視線を外し、ぼそりとつぶやいた。
「…あれが本当の戦闘なら、絶対にあの瞬間に敵を切ってたさ。だけど、相手がお前だったから…だから本当に俺の後ろに何かがあるのかと思って、一瞬気が散った。お前じゃなかったら気にもしなかったさ」
 フリックの言葉にビクトールは返す言葉もなかった。
 それはビクトールのことを心から信頼しているから。だからビクトールの下手な芝居にも騙されたのだ。
 そう思うと、一気にフリックへの愛しさが募る。
「あんまり人を信じすぎると、いつか痛い目にあうぞ」
 ビクトールはそっとフリックの肩を抱く。
「ふん、今回で懲りた。もう絶対にお前のことなんて信じないからな。危ない目に会ったって助けてやるもんか」
 それこそ下手な嘘だった。
 何度騙されたとしても、たぶんフリックはビクトールのことを信じてしまうだろう。自分でも十分愚かだと思う。だけど仕方がない。もう諦めるしかないのだ。
「よぉ、で、覚悟は決まったのか?」
 ビクトールがフリックの耳元で囁く。フリックは困ったようにうつむくとぽつりと言った。
「………言っておくが、絶対に下手だからな」
 こんなことで「絶対」なんていうと、かなりまぬけだな、と言ったフリック自身も思った。
「あんまり上手でも困るんだがな」
 ビクトールは低く笑うと、うつむいたフリックの顎をつかんで、キスをした。


 いったいどうしたらいいものか。
 ベッドに浅く腰をかけたビクトールの脚の間に座り込んで、フリックは本当に本当に途方に暮れていた。
 もうここまで来て逃げることもできないし、逃がしてくれるほど甘いビクトールでもないだろう。仕方がない。フリックは羞恥心は捨てようと心に決め、目の前の昂ぶりに手を添えて、顔を近づけた。
 口でしてくれ、なんて今までビクトールは要求したことはなかった。
 フリック自身は、何度もビクトールに口でイかされたことはある。別にフリックが要求したわけではなくて、勝手にビクトールがしてくるのだから仕方がない。だが、まさか自分がする方の立場になるとは考えたこともなかったのだ。
 おずおずと唇を開いて、先端を含んでみる。そのとたん、ビクリとビクトールの欲望の証が震える。すでに十分な硬度を持ったそれは、フリックにしてみれ凶器以外の何ものでもなく、どうしたらいいのか分からない。
「ちゃんと舌で嘗めてみな」
「う……」
 言われた通り、舌先で先端からくびれの部分まで嘗め上げる。じわりと先走りの蜜が口の中に広がった。片手を太ももに置いて、片手で茎を握り込む。とてもじゃないが全部は口の中に入りそうにない。それでもゆっくりと、口の中へと引き込んでいく。大きく口を開けて、できるだけ奥へと含み込もうとする。
「フリック…」
 ビクトールがそっとフリックの頬に手を置く。フリックの中にある自分の形をなぞるかのように、指を滑らせる。
「ん…ぅ…う…」
 何とか深く飲み込もうとしても、昂ぶりが苦しくて涙がにじむ。
 口中の熱さにビクトールはすぐにでもイってしまいたい気になっていた。何しろ、フリックにこうして奉仕してもらえるなんて、夢にも思ってなかったのだ。して欲しいと思ったことは何度もあったが、無理強いするつもりはなかったし、そんなことを言えば、ただではすまないだろうと思っていたのだ。
 ビクトールは自分の足の間で必死になって頭を揺らすフリックに目を細めた。もう少しの間、ぎこちないフリックの舌の動きを楽しむつもりだったが、フリックの唇の端から唾液と混じって自分の零した蜜が流れていくのを見て、どうにも我慢できなくなった。
「フリック、すまねぇ、ちょっとだけ我慢してくれ」
「!!」
 ぐいと喉の奥まで昂ぶりを押し込む。逃げようとするフリックの頭を押さえ込み、ぐいぐいと腰を揺らす。
「うう…ん…んぅ…」
 すっかり立ち上がったビクトールのものがフリックの口の中を出入りする。息ができない。びくびくと痙攣する欲望がだんだんと膨れあがっていき、ビクトールがフリックの喉の奥で動きを止めた。フリックが思わず吸い込むようにして唇を窄めたとたん、ビクトールは低くうめいて腰を引こうとした。
 いくら何でも初めから口の中に出してしまうのは酷だろうと思ったのだが、フリックはそれを許さず、両手でビクトールのものを握り、先端を銜えなおした。
「よせ…出る…」
 フリックがぐるりと舌で形をなぞる。その瞬間、口腔で熱い飛沫が弾けた。大量の蜜が喉に流れ込む。フリックは口を離すと、大きく咳き込んだ。
「ばか、だからよせって言ったのに、無理しないで出しちまえ」
 ビクトールが慌ててフリックの顔を覗き込む。ごほごほと咳こんでいたフリックは手の甲で口元を拭った。初めての経験だった。こんな風に自分がビクトールの欲望を放ってやることができるとは思ってなかったから、無我夢中であっという間だった。あっという間というのはビクトールにとっては不名誉なことかもしれないが。
「大丈夫か?」
「…まずい」
 人の精液なんて口にするもんじゃない。というのがフリックの正直な感想だ。ねっとりとしたその液体は今でも喉の奥に張り付いているような気がする。こんなことを毎回毎回やりたがるビクトールの気がしれない、とフリックは心の中で思う。
「で、どうだったんだ?」
「あん?感想か?そりゃあもう天国だったぜ」
「そりゃ良かった。じゃ、これで約束は果たしたからな」
 恥ずかしさからか、まともにビクトールの顔を見ようともせず、立ち上がろうとするフリックに、ビクトールは眉をひそめる。
「おいおい、どこへ行くんだよ」
「部屋に戻って寝るんだよ。待ちくたびれて疲れた」
「お前な、こんな状態なまま帰らせるとでも思ってんのかよ」
 こんな状態?フリックはぎょっとして今まで口に含んでいたビクトールのものを見て、あとずさりする。それはまだまだこれからと言わんばかりに勃ちあがっているではないか。
「お、お前、今イったとこだろっ!何でそんなに元気なんだよっ!」
「当たり前だろぉが、こんなの前戯だ前戯!これからが本番だろぉが!!」
 こ、こいつは…。
 手首をつかまれてベッドの中に引きずり込まれる。嬉々としてフリックの服を脱がしていくビクトールに、もう何を言っても無駄だろうと、フリックは諦めた。
 もう何でも好きにしろ。
 フリックは脱力して目を閉じた。


「おはようございます。フリックさん」
 明るい朝日の中、どんよりと暗い顔をしているフリックに、いやにご機嫌なディランが声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
「どぉしたんです?何だか顔色悪いですよ?」
 どうせ昨夜はビクトールにさんざん可愛がられたのだろうと、大方の予想はついていたが、ディランはそ知らぬ顔で聞いてみる。
「ちょっと寝不足なんだ。お前はずいぶん元気がいいじゃないか」
「ふふ、まぁね。おかげでかなり稼がせてもらいましたから。欲しいものが手に入る」
「?」
 裏トトカルチョのことを知らないフリックはディランが何を言っているのか分からず首を傾げる。
「ところで、もうすぐクリスマスだけど、フリックさんはビクトールさんに何かプレゼントでもあげるの?」
 プレゼント、と聞いて、フリックは顔を引きつらせた。
 その顔を見て、気の毒に、とディランは心の中で静かに合掌した。
 


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