告白


「好きだと言えば良かったな」
 ぽつりと誰かが零した一言に、フリックは顔を上げた。


 今回の闘いはそれまでにないほどの熾烈を極めた。
 血で濡れた大地はまるで地獄のようで、誰もがもうだめだと思うほどだった。同盟軍、王国軍、どちらも一歩も引くことなく、多くの死傷者が出た。
 フリックの率いる軍も半数近くにまで兵の数が減り、深夜になってやっと本陣と合流することができた。合流した本陣も疲労の色は濃く、フリックは負傷した兵士たちの手当と休息の手配をすると、自分も倒れこむようにして薄汚れた姿のまま、岩陰に座り込んだ。
 とても勝利を挙げたとは言えない己の闘い振りに、フリックはイラついていた。
 訓練されていない寄せ集めの兵たちばかりだということは百も承知での進軍だった。その軍を率いるように任された責任を果たせなかったことが、フリックのことを打ちのめしていた。
 作戦を上手く果たせなかったことで、シュウにはこってり絞られるだろうことも分かっていたが、弁解する言葉も持ち合わせていない。とりあえず気持ちだけでも立て直して、次の軍儀に顔を出そうと思っていた。
 疲れた身体は悲鳴を上げていたが、睡魔はやってこない。
 戦いのあとの高揚感は息苦しいほどで、そこら中に溢れる血の匂いに吐き気がした。目を閉じて、戦いのことばかり考えてしまう心を何とかなだめていた時、ふいに誰かの会話が耳に聞こえてきた。
 フリックと同じように岩陰に腰を下ろしていた兵士が二人、小さな声で話していたのだ。荒い息をしていることから、かなりの傷を負っていることが窺える。おそらく少しでも気を紛らわせたくて他愛もない話を始めたのだろう。脈絡のない話が延々と続く中、一人が何かを思い出したように
「好きだと言えばよかったな」
 とつぶやいたのだ。
 闘いに身を投じ、もしかしたら命を落すかもしれないと思った今、好きだった相手に何も言えなかったことが後悔として胸に押し寄せてきたらしい。
「もう会えないかもしれないしな」
 苦笑気味の言葉に、フリックは重い身体を起こした。
 すぐそばにいたのがフリックだったと知った兵士たちは、驚いた表情を見せた。フリックはそんな兵士の近くに膝をつき、傷の具合を確かめた。
「手当は受けたのか?」
 フリックが尋ねると、まだ若い男は首を横に振った。
「いえ、自分たちよりもひどい傷を負った者がたくさんいますので、後回しにしてもらいました」
「そうか…もうそろそろ落ち着いているだろうから、誰か呼んでこよう。お前たちの傷も軽いとは思えないからな」
 恐縮する兵士たちを残して、フリックは救護班がいるであろう幕を探した。
 特効薬の一つでも貰えたなら、自分が戻って手当してやってもいい。恐らくどこも人手不足に違いないだろうから。
 そう思っていたフリックだったが、幸運なことに救護班はちょうど一段落ついたところだったようで、フリックの頼みをすぐにきいてくれた。
 残っているくすりを持って兵士たちの元へ向かうのを確認してから、フリックはふらりとその場を離れた。

――― 好きだと言えばよかったな

 女々しいと思われても仕方のないその言葉が、どうしても頭から離れなかった。
 今日一日で、何度も死を覚悟したせいなのかもしれない。辛くも生き延びたという自覚がそうさせたのかもしれない。
 気付くとフリックはいつもそばにいる相棒の姿を探していた。
 今回は、お互い就いた任務がまったく違っていたおかげで、数日前から一度も顔を合わせていなかった。戦いの中、その存在を思い出すこともなかった。
 生きているのか死んでいるのかも分からなかったが、ビクトールはきっとこの場に戻ってきているだろうという妙な確信が、フリックにはあった。
 通りすがりのギルバートに、ビクトールを見かけなかったかと聞いてみる。
「ああ、ヤツなら少し前に姿を見たが、今どこにいるかは分からんな」
「そうか」
「フリック、ひどい面構えだぞ、平気か?」
「男振りがあがってるだろう?」
 思わぬフリックの切り返しに、ギルバートは一瞬大きく目を見開き、そして破顔した。怪我してるなら手当を受けろ、と肩を叩かれ、フリックは相槌を打った。
 そのまま彼と別れ、薄闇の中を目を凝らしてビクトールを探す。
 少なくとも生きていることは分かった。
 もちろんそんなに簡単にくたばるようなヤツではないと分かっているが、何があってもおかしくはない。
 闘いに出る時は、いつもこれが最後かもしれないと、心のどこかで思っている。ここで別れて、もう会えないかもしれない、と。

――― 好きだと言えばよかったな

 なるほどな、とフリックは思う。
 自分が死ぬ時も、何故素直に想いを告げておかなかったのだろう、と後悔するのだろうか?
 こんな世の中で、死に際にヤツと一緒にいられるとは限らない。たった一人、死にゆく時には、やっぱり最後にあいつのことを思い浮かべたりするのだろうか?
 フリックは馬鹿馬鹿しいと苦笑した。
 だったら何だというのだろう。満たされぬ想いを抱えているわけでもあるまいし、何故今、こんなに気持ちが騒いでいるのだろうか。
「あ、マイクロトフ」
 見慣れた後ろ姿に思わず声をかけると、マイクロトフは顔を上げ、どこかほっとしたように力を抜いた。
「フリック殿、ご無事だったんですね」
「ああ、そっちもな。お互いひどい格好だな」
「そうですね」
 身につけた青い色は血で汚れ、どす黒く変色している。マイクロトフは腕に怪我をしたらしく包帯を巻いていた。
「大丈夫か?」
「平気です。どうされたのですか?誰かを探されているのですか?」
「ああ…ビクトールを見なかったか?」
 何故か声が震えた。マイクロトフに気付かれなかっただろうか、とつい早口に言い添える。
「無事みたいだから、今すぐじゃなくてもいいんだが、近くにいるなら顔でも見ておくかと思ってな、たいした……用はないんだ…」
「……ビクトール殿なら、この先にいらっしゃいます。先ほどまで話をしていましたので、まだ起きていらっしゃると思います」
「そうか、ありがとう」
 マイクロトフに教えられた場所へ行くと、ビクトールはすぐに見つかった。
 木の根本に座り込み、太い幹に背を預けて目を閉じている。無精髭の生えた顔は頬が少しこけたように見えた。自分と同じように、彼もまた戦闘から戻ったばかりの匂いをさせている。触れればすぐにでも切られそうな、そんな凶暴な匂いに、ぞくりと背筋を何かが駆け上る。
 フリックがそっと近づくと、ビクトールは目を閉じたままつぶやいた。
「……無事だったか」
 男の目前で足を止めると、ビクトールはゆっくりと目を開けた。
「…ひでぇ格好だなぁ、相棒」
 にっ、と人の悪い笑みを浮かべ、それでもどこか嬉しそうに目を細める。フリックは軽く肩をすくめて、ビクトールの隣に腰をおろすとほっと息をついた。
「怪我したのか?」
 ビクトールがフリックへと手を伸ばし、胸元を覗き込む。
 血で濡れた服はべっとりと重く、おそらく一見すれば重傷を負っているようにも見えるだろう。しかし、フリックは緩く首を振った。
「返り血だ……怪我はしてない。お前こそ、どこ切ったんだ?」
 乾いた血が顔の半分ほどを覆っている。フリックはビクトールの頬に触れるとかさついた汚れを拭った。
「俺も返り血だ……って言いたいところだが、ちょっとヘマやってなぁ」
 前髪をかきあげると、そこには真新しい傷がついていた。
「額か…たいしたことはなさそうだな」
「もう血は止まったからな。……で、そっちの状況は?」
「………」
「黙るなよ」
 ビクトールはフリックの不機嫌さで、その全てがわかったようだった。それ以上は何も言わず、再び木の幹に背を預けると再び目を閉じる。
 ぴりぴりとした気配を感じているのだろうか、ビクトールは余計なことは一切言わなかった。それが、フリックにはありがたかった。
「フリック」
「うん?」
「俺たちは勝つ」
 だからあまり熱くなるな。
 あっさりと、何の気負いもなく、ビクトールは言ってのけた。
 その一言に、フリックは肩の力が抜けた。
 今のこんな情勢で、その言葉に信憑性を見出すことは難しい。
 この男のいい加減なところにはいつも困らされるが、こういう時の根拠のない自信は、不思議とフリックを楽にさせた。
 誰かに言って欲しかったのかもしれない。
 大丈夫だ。負けはしない、と。
 その一言で、また戦地に立つことができる。
 冷静になって、もう一度剣を握ることができる。
 かなわないな、とフリックは小さく笑いを洩らした。
「フリック、何か話でもあったのか?」
「……何故?」
「そういう顔してたぜ。何か大事な話があって、俺のことを探してたんじゃねぇのか?」
「………」
 フリックはああ、と曖昧に返事をした。
 
――― 好きだと言えばよかった

 まさかこの男にそんなことを言うつもりだったのだろうか、とフリックは我に返っておかしくなった。
 そして、どうやら少し混乱していたようだな、と反省する。
 もし負ければ、もし死ねば、口にしなかった告白は最後の後悔として残るのかもしれない。けれど、自分たちは負けはしないから。まだ死ぬわけにはいかないから。
 だから、いいのだ。
 それは、彼に告げるべき言葉ではないのだ。
「言えば……思い残すことがなくなりそうだしな……縁起が悪そうだ…」
「ん?」
 何でもない、とフリックはどんとビクトールの肩にもたれかかった。
「少し寝る。時間になったら起こしてくれ」
「ああ」
 隣で、男が微かに笑った気配がした。
 

 好きだと言えばよかったな、と後悔をする日がいつか来るのだろうか?
 そうならないように、想いは告げるべきなのだろうか?
 けれど、恐らく、それは必要のないことなのだ。
 こうしてそばにいれば、それは伝わる。
 自惚れでも何でもなく。
 自分に肩を貸すこの男は、きっと知っているのだ。
 だからいい。
 フリックは微睡んでいく意識の片隅で、そう思った。
 

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