外伝第壱話 女子大生レイヤーチーム
 

B-Part

「はい、お待たせいたしました。ごゆっくりお寛ぎくださいませ、ご主人様、お嬢様」
 イベント会場の隅には喫茶コーナーが設けられていて、メイド服姿のスタッフが注文に応じて飲み物を出してくれる。テーブルの上にはスーパーやコンビニで売っているような一口チョコレートやビスケットが無料で食べられるように置いてあった。健はチョコレートを摘み、コーヒーを啜って一息つくとボヤいた。
「いやはや、みんな遠慮もヘチャラもあったもんじゃねえな」
「それはカメコの押しが強いんじゃなくてあんたの押しが弱いんじゃないの……って言いたいけどこう云うイベント初めてのケンにはそれはちょっと酷かな」
「……(そらそーだ、アニメヲタの世界に免疫のねえ俺なんだし)」
「あたしも初めてこのイベントに参加した時はケンと似たような感じだったもん。カメラ向けられるとカチカチになっちゃってたしね」
「あー、それは分からなくもないな。初めてカメラの前に立つとどうしても物怖じしちゃうってあれか。特にそれがものごっつい一眼レフだとな」
「そうそう。あたしは今と違って昔は大人しい、ってか暗い女の子でさ、レイヤー始めたのはそんな暗い自分を変えたいってのが最大の理由だったの。まあそれにしてからがセーラームーンのレイちゃんの影響だったんだけどね。元々あんな強気な感じの女の子って好きだったし」
「ああ、あの怒りんぼな巫女さん」
 直美が口を挟んだ。小さな女の子から大きなお兄さんまで一大ブームを築いたアニメだけに見るだけは見ていたらしい。
「ちょっとナオ、人聞きの悪い事言わないで。あの娘は正義感強くて優しいのがいい所なんだからさ……それはともかく参加してアスカとか素子ちゃんとかタマ姉やハルヒみたいに元気な娘になりきってる内にだんだん他の人ともお気楽に話せるようになってさ、コスプレイベント楽しめるようになって来たの。まあー、自己啓発みたいな感じかな?」
「……(あんたはいいだろうさ、そう云う目標があったんだし)」
「ねえケン」
 奈々香はそう言って健の顔をマジマジと見た。
「な、何だよ改まって」
「ナオから話は聞いてるわよ。あんたは大学の写真部に入ったはいいけどフィルムカメラに変に拘ってるへそ曲がりって言われてて、そいつらの鼻を明かしてやりたいって事であたし達をモデルに写真を撮ろうと思ったってね。で、あんた今こう思ってるんじゃないかしら? 『こんな異様な世界で俺はやっていけるのか』」
 図星だった。苦々しい顔になる健。そこに奈々香は鋭く切り込む。
「ほらご覧なさい。でも女の子写真の世界でも水着やヌードだってあるじゃない。コスプレだって立派な一ジャンルだとあたしは思うわ」
「それは言えるかもな。ゴスロリの女の子の写真集を高校生の頃丸善で見た事があるし、コスプレした女の子の写真集出したカメラマンもいたしな」
「なんて言っててもまだ浮かない顔してるわね、ケン……もしケンが不満足なら、夏になったら水着くらいなら見せてあげる。流石に下着や裸はNGだけど。でもコスプレでいろんな女の子に変身して、それをただ記録に残すだけじゃなくて『一カメラマンの作品』として残して欲しい。それがあたし達がケンに望む事なの。デジタルかフィルムかはこの際関係ないわ。それでケンが付き合いきれないって言うなら……」
「分かった、皆まで言ってくれるな」
 健としても服装の異様さはともかく、数少ない上玉のモデルを逃がしたくはなかった。まして条件付きながら自分の道楽に付き合うと簡単に言ってくれる相手も今日日そうはいまい。お前もイロモノの仲間入りかと先輩や同輩に言われる覚悟も決めて、このレイヤー三人組専属カメラマンを務めようじゃないか。健はそう思って言葉を繋いだ。
「俺、あんたらのカメラマンやるよ。腕によりかけて名作を撮ろうじゃないか」
「受けてくれる? ありがとう。改めてこれからよろしくね」
 奈々香は右手を健に差し出した。道枝と祐子も同調する。
「ああ、こちらこそ」
 健は三人娘と代わる代わる握手を交わし、その後は他のカメコどもに負けじと自前のベッサで彼女達を次々と撮った。
「うんうん、強気な感じが出てるな。もうちょっと表情変えてみようか。こうさ、不敵な感じで……あ、そうそう。いい感じだ。よし、次は道枝行ってみようか。え、楚々とした感じなのか? じゃあ静かに笑ってみてくれ。そうそう……よし、次は内苑の番だな。あー、その万歳してるポーズいいな。もうちょっと腕広げてみようか。あ、うんそう……」
「(ケンちゃんすっかり開き直ってる……私を撮ってくれてた時とそんな変わってないし)」
 直美は健の変わりようを苦笑しながら見ていた。

「はい、今日付き合ってくれたお礼」
 夕方、イベントが終わって健が奈々香達に案内されて着いた所は新京極の有名芸能プロダクション系列のビル。そこの二階にあった漫画専門店で健が手渡されたのは奈々香の描いた、タマ姉が表紙の薄っぺらい本だった。ご丁寧に「いむらや本舗新刊再入荷しました これが最後のチャンス?」と店員手書きのPOPまで付いている。
「ああ、エッチな本なの。見るのは帰ってからにして」
 健が中を見ようとするのを奈々香が押し止める。健の眉が四時二十分の角度になった。
「おい奈々香、何だって俺にこんな……(有難迷惑以外の何物でもねえぞ)」
「あら、ケンはこう云うの嫌い?」
「奈々香も分かってるだろ、俺はこの世界とは縁がなかったって」
「ふうん、じゃあケンの夜のおかずは二次じゃなくて三次なんだ。こっちに出て来て、今はナオと一つ屋根の下で暮らしてるってことはもしかして……」
「バッ……俺と直美はそんなんじゃねえ」
「そ、そうだよ奈々香。私とケンちゃんは兄妹って云うか、プラトニックって云うか、その……エッチな事なんてしてないわ」
 二人そろって赤面して慌てる健と直美。
「あら、鴛夫婦みたいに仲いいからあたしはてっきり……」
「奈々ちゃん、もうその辺にしようよ」
「奈々はエロ漫画の読み過ぎ」
 他の二人につっこまれて奈々香はそこでふざけるのをやめた。ケンは揶揄い甲斐があるのにつまんないのと言いたそうだったが。
「あ、そう言えばもうハルヒの新刊出てたんじゃないかしら?」
 祐子が突然思い出したように言った。
「知ってたけど……あたし又にするわ。今お金使っちゃうとこの後の打ち上げが心配だもん」
「私は欲しかったからアニメイトで買ってくるわ、ちょっと待ってて」
「奈々香、そのハルヒの新刊とやら俺が買ってあげるよ。俺からの礼って事で」
「本当に? ありがとう」
「ケンさんも行くの? じゃあ私に付いて来て」
 祐子の後に健が続いて、書店の隣にあるアニメグッズショップに入っていった。日曜日の混雑している店内で会計を数十分待たされ、店の前で待っていた奈々香達と合流した健の顔はげんなりしていた。
「(ああ、まだまだ俺はこのディープな空気には馴染めんわ)」
 だが健が本当にヲタクのオーラを体感するのはこの直後、奈々香が打ち上げでカラオケに行こうと言い出してからだった。

「皆さーん、元気ですかぁー!」
 カラオケに入って、一曲目の出だしから奈々香の絶叫。更に畳み掛けるように続く素っ頓狂な歌詞とメロディ。「巫女みこナース〜愛のテーマ〜」と云う、ヲタクの間で話題を呼んだ電波ソングである。相も変わらずこのノリに免疫のない健と直美はただ苦笑するばかり。道枝と祐子は面白がってコーラスを入れているけども。
 続いて道枝が「デリケートに好きして」を歌う。直美は女の子だけに抵抗なく聞いていたが健は「これまた歯の浮くような歌詞だな」と固まったまま。
 三番手の祐子が入れたのは何と「オー!! 大鉄人17」だった。本放送時は誰も産まれてはいない昔の特撮で、重厚な歌詞を祐子が拳を利かせて歌うので健はその事自体に驚いていた。
「(内苑はこんな歌一体何処で覚えたんだ)」
 直美はジュースを飲みながら自分の番が回ってくるのをじっと待ち、奈々香はガイドブックをパラパラとめくっている。アニメソングの項を見ているからにはまだまだそっち系の歌を歌うつもりでいるらしい。直美はやおら健を見遣った。
「ケンちゃんは歌わないの?」
「俺は遠慮しとくよ。上手く歌えるかどうか自信ないし」
「嘘、ケンちゃんって結構歌上手いのに」
「え、本当に? じゃあ是非歌ってほしいわ」
 奈々香がドサリとガイドブックをテーブルに置いて言った。
「うん、私もケン君の歌聞きたいな。何なら私と一緒に歌う? 最近の一般の歌、少しだけど知ってるし」
「ケンちゃん、それなら私と歌おうよ。ほら、次私が入れてる『学園天国』好きだったでしょ?」
「ちょ、ちょっと直美、何言い出すのよ」
「あら、私ならケンちゃんの好きな曲幾つも知ってるんだからいいじゃない」
「あらあら、ナオったらヤキモチかしら? 幼馴染みのアドバンテージ持ち出して、妙に真剣な顔してさ。私も参加しよっかな。ねえケン、『ハレ晴れユカイ』一緒に歌いましょ。あたしに付いて来れば大丈夫だから」
「ケンさん、そっち方面は私が適任だと思うわ。ガンダム系やマクロスならケンさんでも……」
「お、おいおい……俺にどうしろってんだよ」
 女の子四人に一斉に問い詰められるなんて聖徳太子でも経験した事ないだろうと思いながら健は答えを出せずに体中から冷や汗を流すばかり。更にタイミングの悪い事に、
「失礼します、お料理お持ちしまし……え?」
 この修羅場に店員が入ってきて、
「あ、ああ、失礼しました……ごゆっくりどうぞ」
 表向きは平静を装っていても、店員は見てはいけない物を見てしまったと言いたそうな顔で引き上げていった。
「あーもういいかげんにしてくれー」

「やっぱりケンちゃん上手いよ。私久しぶりに聞いて吃驚した」
 結局健が歌ったのは中学時代の合唱コンクールで歌った覚えのある「ともしび」だった。切ない感情を歌ったロシア民謡だけに女の子のデリケートな心理にはヒットしたらしい。
「そうよ、ケンがどうして変な所で消極的なのか分かんない。ヲタクの素質ありそうなのに勿体無いわねー」
「ならせていらん」
「でも、これから私達の写真撮るためにケン君には少しくらいは知っといてもらったほうが……」
「同意。その方がよりいい写真が撮れると思う」
「てな訳で少しは勉強しておくように。そうね、今日買ってもらったハルヒの新刊読んで読書感想文書いてもらいましょうか。四百字詰め原稿用紙十枚以上で締め切りは来週の日曜日。ちゃんと読んでるかどうか、ナオからも聞くからね」
 奈々香は健の手に本の入った紙袋を押し込んで、嫌そうな顔の健に涼宮ハルヒ口調で畳み掛けた。
「これは団長命令よ。嫌なら専属カメラマン解雇って事で」
「分かったよ」
 解雇をちらつかせられると立場上嫌とは言えない。健は逆らわずに鞄に紙袋を入れた。
「それじゃあたし達は他にも用があるからこれで。又ね」
 健と直美は四条通でレイヤー三人組と別れた。彼女たちの姿が見えなくなると、健は深々と溜息を吐いた。
「俺はあの娘らと上手くやっていけるかなあ」
「ケンちゃんなら大丈夫よ。みんな基本的にはいい娘なんだから。それは私が保証してあげる」
「そうかな」
「もし危ないなって思ったら私に言ってくれればいいから、ね?」
 直美がそう言うなら安心かと思いながらも、言い様のない不安を拭い去れずにはいられない健だった。

「……とまあそれが俺と奈々香達の馴れ初めだったって訳さ」
「そうか、奈々香殿は相変わらずじゃのう」
 昼下がり、元吉でお茶を飲みながら健の話を聞いて、冴はその場面を想像して苦笑していた。
「それから小説読んでさ、ハルヒになりたいと思う余り俺や直美まで巻き込んで暴走しまくって今の奈々香があるんだなって思わされたよ。それは見事的中したんだけどね。おかげさまで全く奈々香には……」
「ケンちゃん、ケンちゃん」
 厨房の直美が慌てて健を呼ぶ。何事だと思って直美の視線を追うとそこには用があって元吉を訪ねた奈々香がいた。
「あんた、何話してたの?」
 奈々香は笑顔でいたが、目と額の青筋が奈々香の今の心理を表していた。
「あ、いや、俺は別に奈々香のそゆとこが絶対に嫌だなんて事は……」
「あんたよくもあたしを悪者扱いしてくれたわね!」
「だーら俺は事実を客観的に話しただけで奈々香を悪く言った覚えはねえってば( とほほ……)」
「(つくづく女子には弱いのう健殿。ま、そこが可愛いのじゃが)」


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