外伝第弐話 奈々香のストーカー騒動
 

A-Part

 テレビ「調べによると男はアニメやゲームの影響で今回の犯行を思いついたと供述しており……」
 健「何だ、また痛いヲタが犯罪やらかしたってか?」
 奈々香「ちょっとケン、だからってヲタク=犯罪者だなんて短絡的に思わないでちょうだいよ」
 直美「そうよ。私だって今も少女漫画は好きなんだし……流石にエッチなゲームはやらないけど」
 健「いや、でもあんな事件があったからにゃ素直にそうとも言えないんだよなあ。勿論全部が全部そんな奴じゃないって分かっちゃいるけどよ」
 冴「やれやれ、お主はどこか頭が固いのう。漫画やあにめなら妾とて奈々香殿が貸してくれるのを嗜んでおるのに。どれ、何があったか一つ聞かせてもらおうではないか。健殿、ちょっとこっちに参れ」

 ピンポン、ピンポン……
「奈々、学校行きましょ」
「奈々香、まだ起きてないの? 遅刻しちゃうよ」
 祐子と直美は奈々香も誘って大学に行こうと、彼女のアパートまでやって来た。インターホンを鳴らしつつ二人は部屋の主を呼ぶが返事が聞こえない。
「奈々ー」
「奈々香ー!」
 大きな声で呼んでもノックしてもなしの礫。祐子は直美に目配せして、徒労に終わるのを覚悟してドアノブを捻った。ところが鍵がかかっていると思われたドアは何の抵抗もなくスッと開いた。
「(なんて不用心なの!)」
 驚く直美。だが彼女はいくらなんでもと思わされるサプライズに程なく幾つも遭遇する羽目になる。まず二人を出迎えたのは、ピンク地に黒いレース付きのブラジャーとパンツの上にぶかぶかのワイシャツを羽織った宿主だった。
「あー、祐にナオね。おはよう。あんたらの声で目が覚めて、今起きて来た所よ」
「奈々香、その恰好……」
「お洒落でしょ? この下着、エメヴィータ(新京極のランジェリーショップ)で安売りしてたの」
「あの、奈々。直美はそゆとこにツッコミたかったんじゃないと思うけど……」
「いいじゃない女同士なんだし。それよりも来月のコミコミ合わせの原稿、昨日興が乗って徹夜してたからまだ眠いのよね……ふわぁぁ」
 奈々香のはしたなさもさる事ながら、同じアパートの隣の部屋に住む祐子に連れられて初めて奈々香の部屋にやって来た直美は、だらしない男性とさして変わらないヲタク的居住空間にドン引きしていた。玄関先に所狭しと並べられた、ガチャポンの景品から専門店で高値で売っている物まで大小合わせて百体以上はあろうかと云うフィギュア。廊下に無造作に散らかっているコスプレ雑誌や薄っぺらい同人誌。奥に進めば寝床以外は片付けられていないままのゲーム機やソフトや漫画、イラスト集にコスプレ用の得体の知れないデザインの服で埋め尽くされている。机の上にあるのは描きかけの絵が入った漫画用原稿用紙と画材。夜食代わりに摘んでいたらしいスナック菓子の空き袋も捨てられないまま机に散らばっている。
「(ケンちゃんの部屋も片付いてないけどここまで酷くないよ……)」
 直美の家に間借りしている従兄の山口健は男子大学生にしてはきちんとしている方だったし、翌年にはある事情から整理整頓が行き届く事になるのだがそれでも片付けの事で何回揉めたか分からない。当面は最低限服と本だけは曲がりなりにも片付けると云う事で収まってはいるけども。翻って奈々香は散らかり放題の居住空間の中で、来客が引いているのも構わず着替えを始めた。ワイシャツを脱いでスリップを着て、クローゼットの中から適当にブラウスとスカートを出してアニソンを鼻歌で歌いながら着ていく。直美はある点に目敏く気付いて指摘した。
「奈々香、そのスカート鉤ホック取れかかってるわよ」
「あら、本当だわ……でも面倒くさいから」
 奈々香は机の引出しを弄り出した。
「何探してるの?」
「安全ピンよ。それで応急処置しとくの」
「(あらまあ……)」
 呆れる直美。彼女は中学生の頃、友達が同じ不精をしてうるさい女教師に叱られた事を思い出していた。そうはなるまいと思っていた事も。
「奈々香、ちょっとスカート貸して」
「あらいやだ、ナオのエッチ」
「エッチじゃありません。家政科の学生がそんな事でどうするの。これくらい十分もかからないのに」
 腹立たしげに奈々香のスカートを剥ぎ取った直美は鞄から常携している裁縫セットを出して、器用な手つきで鉤ホックを直してしまった。
「はい、今度からこう云う時はちゃんと自分で直すのよ」
「分かったわよ」
 憮然としてスカートを穿く奈々香。さながらしっかり者の姉と聞き分けのない妹のようである。
「(家ではケンさんともこんな感じなのかしら。ダメ亭主抱えてさぞ苦労してるんでしょうね)」
 祐子は苦笑して二人のやり取りを見ていた。
「ほらみんな、さっさと行くわよ」
 直美に促されて大学へと向かう奈々香と祐子。この後数分歩いた所で別の下宿に住む道枝と合流し、仲良し四人組で一緒に登校する段取りになっている。だがここで奈々香が又しても足並みを狂わせた。
「あー、悪いけど先に行っててくんない? あたしすぐ追いつくから」
 ムッとする直美。僅かな沈黙の後、
「ちゃんと来てくれなきゃ嫌よ」
 と言い残して祐子と一緒に先に大学へと向かって行った。遅れた奈々香は新聞受けを開けて、中にあった箱を取り出した。
「(これは一体何かしら……)」

「俺に寄贈されても有難迷惑なんでお持ち帰りください」
 奈々香とすっかり顔なじみになった、大将軍の和風喫茶「元吉」のウエイターの青年はにこりともせずに言って、オーダーを走り書きしたクリップボードを手に厨房に引っ込んだ。
「あら、ケンのおかずはAVより写真集なのかしら?」
「……(そんな質問に答える義理ないだろうが)」
 奈々香の傍らにあるのはアダルトDVDのパン屋の袋詰め。その日の朝奈々香の部屋の新聞受けに入っていた物である。それを健へのプレゼントと云う名目で持って来たのだった。彼女のピント外れの質問を聞こえないふりでスルーする健。
「一つ屋根の下で暮らしてて、仲のおよろしいお従妹さんの方がAV女優よりいいんじゃなくて、ケンさん?」
 ガシャーン
 健が動揺して皿を落とした。幸い割れた物はなかったけど。
「巫山戯るな。俺は直美をそんな目で見た事なんてねえよ。そりゃこうして一緒に暮らす前にも、親戚回りでこっち来る度にデートする事もあったけどよ。河原町や新京極でな」
「それで未だに二人はヤってない訳?」
「奈々ちゃん……」
 暴走しかかっている奈々香を窘める道枝。
「エッチなゲームや漫画みたいな発想も……」
 買い物から帰って来た直美がやって来て奈々香の後ろに回り、
「程々にしてちょうだいね、な・な・か」
 奈々香の両頬を嫌と言う程抓り上げた。
「いひゃひゃ……ごみんなひゃあナオ」
「おう、お帰り直美」
「はい、切れてた材料買ってきたわよ。要るなら早速使ってちょうだい」
「お、ありがとう」
 健はその後は黙々と注文のおやつを作って、盆に乗せて奈々香達に持って行った。
「お待ちどう様、クリーム餡蜜と蜜豆、豆カン一丁ずつね……あー、それから言っとくけどな、俺と直美の交際は健全が身上だぞ。下衆な勘繰りされるのは気持ち悪いからやめてくれ」
「そうよ。私達の仲に深入りするのはやめて。あと私達をネタにエッチな漫画描くのもダメよ。そんな事したらケンちゃんに言いつけるから」
 健にピシャリと言われ、直美にも釘を刺されて面白くない奈々香。尚もこのベタベタするだけでその先へ行こうとしない「従兄妹夫婦」を冷やかしてやりたかったが、後難が怖いので結局黙ってしまった。
「(さては勘付かれたかしら。あたしがナオとケンをモデルにオリジナルエロ漫画描いてるって事。舞台は洋菓子屋で、主人公はウエイトレスと常連客にしてあるけど……)」
 クリーム餡蜜を食べながら、自作のこの先の展開をどうしようかと奈々香は思案を巡らせていた。
「あ、静かに食ってら。少しは薬が効いたかな?」
「だといいね」
 奈々香の本心に気付かない健と直美。その後は特に騒がしくする事もなく、三人娘は勘定を済ませて元吉を辞去した。後片付けのために健が彼女達のいた席にやって来た。
「あいつら……!」
 そこにはパン屋の袋が置き去られていた。中にはアダルトDVDの他にファンシーな柄のルーズリーフが一枚入っていて、
「嫌がっててもこれはケンにあげます。これでも見てコスプレの世界にはまりなさい ななか」
 中を改めると出て来たのは、
「涼宮ハヒルの憂鬱」
「マリア様がみている」
「ロゼーンメイデン」
「ひぐらしがなく頃に」
「Faith 〜Stay Night〜」
 いずれも人気のアニメやゲームのコスプレを女優がしている事で(幾つもの意味で)話題になったAVである。健の肩越しに矢絣の着物に着替えた直美が問う。
「ケンちゃん……ケンちゃんはこう云うの好きなの?」
「な訳ねえに決まってるだろ。直美がいるなら……あ」
「え、それって……」
「あ、ああ……悪い。誤解しないでくれよ。奈々香にも釘刺したけど、俺は別に直美を邪な目で見てる訳じゃないぜ。もしそこら辺気に障ったなら謝るさ。だからだな、いっつも俺によくしてくれる直美には感謝してる訳で……」
 健は言葉を切ると一旦深呼吸して、一言繋げた。
「だからさ、俺は好きだよ直美の事」
「え……うふふ、ありがとうケンちゃん」
 直美は顔を赤らめて暫く黙っていたが、途端に満面の笑みで礼を返して楽しそうにホールに出て行った。
「(それしきの事でああまではしゃぐかよ直美。女って生き物はどうも俺には理解不能だよ)」
 健は思ったが、考える間もなく仕込みに取り掛からなければならなかった。

 ピンポン、ピンポン……
「奈々、学校行きましょ」
「奈々香、まだ起きてないの? 遅刻しちゃうよ」
 翌日、昨日と同じように奈々香を誘いに来た直美と祐子。
「はーい、開いてるわよ。入って」
 無言と思いきや、奈々香からはちゃんと返事が返って来た。直美が入ると部屋は健のそれ程度にはきれいに片付いていて、机に朝食の皿を並べてベーコンエッグを食べている奈々香は身支度をきちんと整えていた。その場に健がいたとしても恥ずかしがる必要のない格好で。
「あらどうしたの? 鳩が豆鉄砲食ったような顔して。よかったらナオと祐も朝御飯一緒にどうかしら」
「ううん、私達は食べてきたからいいけど……」
 その気になれば人は存外簡単に変われるものね、と直美は驚いていた。
「さ、歯磨いて顔洗ってくるからちょっと待っててね。良かったら適当に本棚の漫画読んでくれてていいわよ」
 洗面台に引っ込む奈々香。
「あら、これ何かしら」
 祐子が床に落ちていた紙切れを見つけて拾い上げた。ノートの切れ端にボールペンで何かメッセージが書いてある。
「え、何が書いてあるの?」
 直美が横から見ようとする。そして一読して二人の顔が凍り付いた。

初めまして。
僕は先々週のコスメルでお会いして貴女に一目惚れしました。
どうか僕のセフレになってください。
メアドはxxxxxxxxx@xxx.ne.jpです。
どうかよろしくお願いします。

「祐子……」
「奈々が生活態度改めた理由何となく分かったわ。道理で昨夜は静かだと思った。いつもなら結構遅くまで隣から音ゲーの音楽聞こえてたりするのに」
 直美と祐子が顔を見合わせて話している所へ奈々香が戻って来た。
「何話してるのよ……あ、それは」
 途端に奈々香の顔色がサッと変わったかと思うや、
「見たのね……」
 呆然と立ち尽くす奈々香であった。


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