外伝第弐話 奈々香のストーカー騒動
 

B-Part

「全く、あたしを何だと思ってるのかしら」
 出発時の三人に道枝も加わって、いつもの仲良し四人組で大学に行く道すがら、奈々香は不機嫌さを隠さずにいた。
「何であたしが見ず知らずの男にいきなり体許さなきゃいけない訳? 元カレともAから先した事ないのに。まだBやCなんて……」
「え、ABCって……」
 朝からの危険発言に慌てる道枝。それでも彼女は落ち着きを取り戻して訊いた。
「警察には相談したの、奈々ちゃん?」
「したけど取り合ってくれなかったんじゃないの。被害受けた訳じゃないなら動きようがないって。何かあってからでは遅いと思ったから相談に行ったのに」
「奈々、とりあえずうちのサイトのブログで被害報告は出しておくわ。あと管理人さんにも通報しとく」
「あ、それなら大分安心だわ。ありがとう祐」
 今度は直美が訊ねた。
「奈々香と祐子の所の管理人さんってしっかりしてる方なの?」
「割と抜け目のない人よ。今年山女を出て、それまで管理人してたお母さんに代わってアパートの管理の仕事やってるんだけど、それまで今空き部屋になってる部屋に住んでたから顔馴染なの。困り事の相談には気軽に乗ってくれるし、賄い付きって訳じゃないからたまにだけど『ハチクロ』みたいに食事の手助けもしてくれるの。あ、そっちの世話になってるのは男性陣か」
「だけど、もしストーカーに奈々ちゃんが襲われたら……」
「それは心配ないわ。柿木原(かきのきはら)さん……あ、これは管理人さんの名前だけど、少林寺拳法で段持ってて、痴漢や泥棒を撃退した武勇伝幾つも持ってるの」
「そうそう、先月かっきーの下着盗もうとした泥棒、あっさり捕まって関節技までかけられて泣いてたもんね。偶々見つけて『誰か来てー、泥棒よー』って叫んだの私だったから知ってるんだけど。そこからかっきーがバーッって走り出て来て、あっと言う間に犯人は御用よ」
 最近の捕物劇を思い出しながら祐子は愉快そうに話す。
「奈々香、とりあえず規則正しい生活始めたならよっぽどのことがない限り大丈夫でしょ」
「それに私達には他の柿木荘の人達もいればファンもいる。彼らがきっと奈々のために一肌脱いでくれるかもよ?」
「奈々ちゃん、貴女がコスプレ始めたのはレイちゃんやハルヒみたいな女の子になりたいって思ったからでしょ? その気持ちもう一度思い出して。『ストーカーが何よ』ってくらいの気持ちを持って」
 奈々香はしばらく黙っていたが、突然こう言った。少女漫画のキャラのように目を潤ませて。
「みんなありがとう。友達思いの仲間に恵まれてあたしは嬉しいわ」
「そ、そんな大袈裟な……」
 苦笑する直美。だが彼女は又しても奈々香の生来のだらしなさに気づいて言った。
「奈々香、口の横にパン屑付いてるわよ」
「もう(折角の雰囲気がぶち壊しだわ。自業自得とは言え)……」
 奈々香は恨めしそうに指でパン屑を払った。

「そんな事があったのか。ま、キッカケが何であれグダグダな生活態度が改善されるってのはいい事じゃ……あ」
 夕食の席で直美から今朝の話を聞かされ、健はコメントを述べたが自分も人の事は言えない事に気付いて途中で口を噤んでしまった。部屋のことは言うに及ばず、朝は自分で起きる事はあっても直美に起こしてもらう日の方が圧倒的に多かったのだから。そこを健の伯母の美春は切り込んだ。
「健君だって人の事言えないじゃない。駄目よ、直美に甘えてばっかりいちゃ」
「いいのよお母さん、ケンちゃんを毎朝起こしてあげるくらい私は気にしてないもん」
 直美は健を庇い、
「いや、伯母さんの言う事は正しいよ。俺も極力自分で朝起きるようにするさ。部屋も片付けるようにするし」
 健は直美を気遣う。
「ケンちゃん、今ケンちゃんが言った事信じていいのよね?」
「お、おう」
「じゃあ今週末までにそれができたら、ケンちゃんの言う事一つだけだけど何でも聞いてあげる」
「よし、直美こそそれ忘れるなよ。今度の日曜で何とかするさ」
 鴛夫婦の如き従兄妹を美春は微笑ましく眺めていた。
 ブイーン、ブイーン……
 突然健の部屋から響いて来る不気味な音。
「うるせえな、誰だよ今頃電話してきやがるのは……」
 健は立ち上がって、自室に引っ込んで携帯電話の蓋を開けた。
「はい山口です。ああ部長……あー、あれですか。分かりました。でも晩飯の途中なんでそれ終わらすまではごめんなさいよ。終わったらすぐ顔出しますんで。それじゃあ」
 そうして憮然とした顔で戻ってくる健。
「誰から?」
「部長。例によって宴会やるから飯が終わったらすぐ来いってさ」
「あらあら、食べ過ぎには気を付けてね」
「まあ、俺は酒飲めねえしみんなそれ分かってるから言うほど不安はねえけどな」
 健はもう一度席について、食事を終えると出かける準備をした。
「そんじゃあな」
「いってらっしゃい」

「おや……」
 大村部長も奈々香と同じく柿木荘の住人である。そこを通りかかった健は挙動不審な人物を目撃した。
「(あれが直美が話してたストーカーの正体かな……妙に慎重に辺りを窺ってやがる。一応念のために知らせといた方が良さそうだな)」
 健は尻のポケットから携帯電話を取り出し、奈々香に繋いだ。
「もしもし、健だよ。今どこだ? ……そうか。じゃあそのまま部屋から出るなよ。そうなんだ、今アパートの前に怪しい奴がいる……ん? ああ、ちょっと部長に用があってこっち来て、偶々な。ちょっと様子見てもう一度連絡するよ……ん、何だ? どうした……何だか分からないけどもしもの時はそうすりゃいいんだな? ありがとう。じゃあな」
 健は電話を切って、何食わぬ風を装って大村部長の部屋を目指しながら怪しい男の様子を見ようとしたが、
「おい」
 相手の方から因縁を付けて来た。健は聞こえないふりをして通り過ぎようとした。なおも呼び止めようとする相手。
「おい、お前だお前、そこのバンダナに眼鏡の背の高いの」
「俺の事かい」
 振り向く健。
「ここで何をしている」
「いや、俺はここの住人の後輩で、先輩に会いに来たんだが」
「惚けるな」
「惚ける? 俺は隠し事なんか何もないぜ。身に覚えのない事で絡まれても困るよ」
「ふん」
 そんなの関係ねえと言いたそうに相手は鼻を鳴らし、続けた。
「僕ちゃんは知ってるぞ。お前はイベントの度にななかさんと一緒にいて、写真を撮らせてもらってるじゃないか。しかもコスメルでは仲良さそうに茶まで飲んで」
「おやおや、リチャード・アベドンやエリオット・アーウィットのような大写真家でもないのに見知ってもらえていたとはある意味光栄だな。でも俺と奈々香はビジネス上の関係だけで別に恋仲って訳でもない。第一理想の女の子がどんなのかって事すら俺は考えた事もねえし。どっちかって言えばああ云うキツい……あー、涼宮ハルヒとか云う女か。あんな感じのは苦手な方だけどな」
「あんたバカァ?」
「……は?」
 怒る前に反応のしようもなくぽかんとする健。
「あのアッパー系の良さも分からずななかさんのお抱えカメラマンを務めているとは何と勿体無い存在だお前は」
 相手がズボンのポケットを探って出したのは……太いカッターナイフだった。
「キキキ、そこに直れ。このプログナイフの錆にしてくれる」
「何だと、巫山戯るな。そんなつまらん事で人生十八で終わらされてたまるかよ!」
 健は逃走を図った。
「もしも襲われる事があったら、間合い取って逃げなさい。詰められちゃダメよ」
 さっき奈々香に電話した際に健が貰ったメッセージである。高校以来ずっとやっていないとは言え、剣道の心得はあるから間合いの取り方は体で分かる。だが丸腰の健には逃げる以外に防御する術はない。罷り間違って斬り付けられたらアウトだ。反撃しようにも上手く急所に一撃を決められる自信は健にはない。兎に角奈々香の忠告通りにする他あるまいと逃げ惑っていたその時、
「ギャッ」
 男が悲鳴を上げ、カッターナイフが弾き飛ばされた。
「話は聞いたわ」
 健と男の間に割って入ったのは、健より幾つか上のうら若いロングヘアの女性。男の前に仁王立ちになっている。
「な、何だ。おおお前には関係ないだろ」
「あたしはこのアパートの管理人よ。関係ないはないわ。ここの住人さんを狙うストーカーがいるって話があって、みんな怖がってたのよ。今すぐ貴方がここを出て行くなら見逃してあげるわ。さあ、どうするの?」
「ゲヒゲヒ、管理人さんならもっとお淑やかな女の人が相応しいと思うけどアスカ好きの僕ちゃんその強気な態度も気に入ったんだな。まずはあんたからもらっちゃうよ」
「いいでしょう。いらっしゃいな」
「お、嫌がらないのかしら? そんじゃ単刀直入にいっただっきまーす」
「(ふ、これだから単純なお莫迦さんは……)」
 管理人は薄笑いを浮かべて呟くと、まっしぐらに突進してくる男を軽く受け流し、横腹に蹴りを決めた。
「げふっ」
 勢いで倒れる男。
「フヒヒヒ、なかなかやるじゃない。でも今度はそうはイカのリングフライだよ。今度こそは……」
「「たあっ」」
 男は立ち上がろうとしたが、後ろから二人組に棒で殴られて再び倒れる羽目になった。
「西陣歌劇団・井村奈々香と」
「内苑祐子を舐めんじゃないわよ」
 そこには奈々香と祐子が立っていた。二人とも黒い着物に作り物の刀を持って。
「お、お前ら……」
「ちょっと時間があったからさ、BLEACHのコスで決めてみたの。似合う?」
「……(こんな時によくそんな余裕ぶっこいてられるよな)」
 頭を抱える健。奈々香は健など構わず男を管理人と一緒に押さえ込み、祐子は警察を呼ぶためにアパートに駆け込んで行った。そして騒がしさに部屋のドアを開けた、酔っ払った大村部長がぽかんとした顔で外を見て一言。
「おや、何かと思えば……山口も井村さんも柿木原さんも何やってんだ?」

 ピンポン、ピンポン……
「奈々、早く行きましょ」
「奈々香、今日はコトクロス行く約束だったでしょ? 早く起きてよ」
 ストーカー事件の解決した週末の土曜日。祐子と直美は奈々香を誘って河原町まで繰り出すべくアパートにやって来た。いつもの如くインターホンを鳴らしたが返事がない。ドアに鍵はしっかりかかっていたけれども。
「奈々ー!」
「奈々香ー!」
 二人が大声で呼んで漸くドアの向こうから足音が聞こえてきて、
「おはよう二人ともー」
 貞操の危機が迫っていた事など忘れたかのように能天気な声と格好で宿主は直美と祐子を出迎えた。奈々香は人前にもかかわらず裸にワイシャツ一枚しか羽織っていない。
「昨夜は暑くってさ、裸にならないと寝付けなかったのよ」
「……」
「……」
 唖然として言葉の出ない二人。直美は息を荒げたと思うや、
「奈々香、いい加減にしなさい!」
 ピシャッと言い放った。
「で、でもナオ、ストーカーはもう捕まったんだし……」
「だからってそんな格好はどうなの? また痴漢とかが出ないとも限らないじゃない。せっかく奈々香がしっかりしたと思ったらまた元の木阿弥、これって何なのよ? お部屋もまた散らかってるし……」
「何だ又騒がしい……あ、直美来てたのか。おはよう」
 鉄の階段を誰かが降りて来る音がして、現れたのは健である。前の晩は大村部長の部屋に泊まりこんでいたらしい。
「あら、おはようケンちゃん。頭グシャグシャだし顔色もあんまり良くないわよ、大丈夫?」
「ちょっと昨夜は遅くまで盛り上がっててな……でもまあ店の手伝いはきっちりやるよ。それじゃ又元吉でな」
 立ち去ろうとした健の目にふと異様な光景が飛び込んだ。あろう事か、奈々香のヌードである。
「な……」
「え、ちょっと、ケン?!」
 仰天して言葉に詰まる奈々香と健。見る見るうちに奈々香の顔はトマトの如く真っ赤になって、慌ててワイシャツで裸を隠して、
「きゃあああああああー!」
 アパート中に響く悲鳴を上げた。身の危険を察して健はスタコラサッサと逃げ出していた。
「(冗談じゃねえ、俺があの管理人さんに捕まったら一溜りもねえよ。ここはさっさと逃げなきゃ……!)」

 健「……とまあ、そんな事があったって訳さ」
 冴「成る程な」
 奈々香「おかげで世間のあたし達に対する目は冷たくなるばっかりよ。あーあ、肩身の狭い思いする事なくヲタライフを楽しめる時代が来ないかしらね」
 健「(ボソリと)もうちょっと現実を見ようぜ現実を」
 奈々香「ケン、今何て言ったの? もう一度言ってご覧なさいな」
 祐子「私は聞こえたわよ。さすが彼女候補に不自由してないだけあって、ケンさんは言う事が違うわね」
 健「ばっ、内苑、お前……」
 奈々香「ふーん、そうなんだ。ケンはあたし達をお嫁のもらい手のないヲタ女だって思ってるのね。これでも中学時代付き合ってた彼氏はいたし、あたしのヲタが元で別れた訳でもないのよ。さあ、今の発言の責任をケンにはどう取ってもらいましょうか」
 道枝「ちょっと奈々ちゃん落ち着いて。ケン君はいい人だしそんな事思ってやしないわよ。ただそう云う人もいるのが悲しいって、奈々ちゃんと同じ事考えてるんだと思うわ」
 奈々香「止めてくださるな桃谷殿。ヲタの気持ちが分からぬこの一般人に灸を据えねば気が済まぬ」
 健「や、やめてくれ奈々香。そんな怖い目で俺を睨まないでくれ(逃走)」
 奈々香「あ、こら待ちなさい!」
 冴「(まだまだ健殿は女子を上手く扱えぬか。まあ幼少の昔から今日まで気立ての優しい直美殿に甘えてばかりおったのかもしれぬがの。先ずはそこに気付いてもらわねば、健殿は一皮剥けまいて……さて、それは何時になるじゃろうの)」


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