特別編 健のクリスマス
 

A-Part

『なあ、頼むからうちの下宿来てくれよ。ジュースも菓子もたんまりあるんだし一緒に飲み明かそうぜ。女の子と繁華街歩くなんて縁のない男同士集まって仲良く黒ミサやろうぜ。クリスマスが何の日なのか分かってないバカップルどもを呪ってやるんだ』
「生憎だな、一週間前から俺は直美と約束してたんだ。あいつの大学の合唱部が出る、新風館(烏丸御池にある商業施設。中庭にステージもある)のゴスペルコンサートに行くってな」
『ああそうだったなこん畜生。お前は可愛い従妹と一つ屋根の下で暮らしてたんだっけな』
 クリスマスイブの夕方である。健は有二からの男同士のシケたクリスマスパーティに誘われてはいたが、直美と先約があったのでそれを断るのに必死だった。直美は数箇月前にあったある事件でショックを受け、辛うじて立ち直ったもののまだ心に暗い影を持っていた。側にいてやって、そんな直美を元気付ける一助となれたならと思って直美を取った健だったが、もてない女好きの男がそんな健の気持ちを汲み取ってやれるはずがない。
『その新風館でラブラブデートした後、祇園辺りのラブホにしけこもうって魂胆だな。山口を親友だと思ってたけどそんなだったら仕方ねえ。お前も呪ってやるぜ』
「お好きなように。でも直美まで呪うのは勘弁してやってくれよ。あいつは今日の新風館のイベント楽しみにしてたんだからな。第一……」
『何だよ?』
 直美は悲しい出来事からやっと立ち直れそうな所まで来てるんだ、と言いかけて健は思い止まった。余り直美を悲劇のヒロインとして喧伝するのもどうかと思ったから。慎重に言葉を選んで健は後を続ける。
「俺は直美にとって昔から頼れる兄貴だったからな。でもまあそれ以上の事はないよ。お前が想像してるような事は俺と直美の間には一切ない。どうかそれは分かってくれや」
『ふーんそうかい。でもあれだろ、子供の時一緒に風呂入ったりとか……』
「(いい加減にしやがれ)」
 健はそこで携帯電話を切り、電源も切った。どっちみちこれから従妹と過ごす一時を電話の着信音に邪魔されるなど真平御免だと思いつつ。
「ケンちゃん、そろそろ出かけましょ」
「おう、俺も今行くよ」
 健が自室の襖を開けると、そこにコートと着て首にマフラーを巻いた直美が立っていた。
「ケンちゃんもマフラーしていった方がいいよ。ほら、この間私が編んであげたのがあったじゃない」
「あ、そうか、済まないな(そうだ、それがあったな。でも何処にしまったっけ……)」
 慌てて整理箪笥を漁る健。衣類の整理はいい加減にしているからこう云う時には困ってしまう彼であった。
「(ケンちゃん……)」
 苦笑する直美。普通のガールフレンドならここで文句を言う所だろうが片付けが下手な健の事を理解していればこそ、不機嫌でもない限りうるさく言われないで済むのが健には幸いである。どうにか衣類の山の中から「T.Y.」とイニシャルまで入った直美の手編みのマフラーが出て来て、ようやく健は出発できる運びとなった。
「もうケンちゃんったら。せめてこれくらいすぐ出せるようにしといてよね」
 バス停までの道すがら、直美は膨れっ面をしていた。少しは私の気持ち察してちょうだいよと言いたそうに。
「悪かったよ。そんなに使う機会ってなかったからさ……」
「ケンちゃんが風邪引いても私知らないから」
「いや本当済まなかったよ。あ、コンサートの前に大丸で飯食おうか? 奢るぜ。ファミリー食堂なんてケチなことは言わんよ。イタ飯でも蕎麦でも、直美の食いたい物でいいから」
「本当に?」
「おう、今年こっち来てから俺が直美に嘘吐いた事なんてあるか?」
「じゃあさ、私パスタ食べたいな」
「よしきた……あ、バスが来たよ。乗ろうか」
「うん」

「ごちそうさま」
「いやいや、直美が喜んでくれりゃ俺は満足だよ」
 公約通り大丸の八階食堂街にあるイタリア料理店で食事した後、健と直美はエレベーターの到着を待っていた。到着したエレベーターからドッと人が降りた後、下りのエレベーターに乗った乗客は奇しくも健と直美の二人しかいない。今からブラブラと烏丸通を北に上っていけば十分コンサートに間に合うなと云う思いを乗せて動いたエレベーターは、六階から五階に降りる途中で突然止まった。
「えっ?」
「なんてこった……」
 突然の事態に焦る健と直美。何があったか気付いた直美は今しも泣き出しそうな顔をしていた。
「ケンちゃん、どうしよう」
「落ち着け、泣くんじゃない。泣いたってどうしようもないんだから。兎に角非常ボタンで通報して業者の到着を待つしかないよ」
 健は兄貴のような口調で直美に言い置いて、電話マークのボタンを押した。
『はいこちら管理センターです』
「す、すいません、エレベーターが止まりました。すぐ来てください」
『大丸京都店ですか。すぐ行きますので暫くお待ちください』
 焦りを隠し切れなかったものの、連絡はできた事で安堵の息を漏らす健。そう言えば今年はエレベーターの欠陥事故のニュースが何件かあった事を思い出していた。大丸のエレベーターは問題の会社の製品ではなかったけど。
「もう大丈夫さ。業者が来てくれるから……でも寒いな」
「ケンちゃん、こっち来て座って……うん、そうして背中私に向けて」
 健が言われた通りに座ると、直美は背中を健の背中に寄せて来た。
「ケンちゃんの背中、大きくて暖かい……」
 直美がようやく落ち着きを取り戻した感じで呟く。健も直美の柔かくて仄々と暖かい背中の感触を感じていた。
「ね、ケンちゃんも暖かいでしょ?」
「ああ……(この感じは俺がガキの頃夜寝る時に……)」
「昔、冬休みにケンちゃんの実家に遊びに行ったことあったでしょう。その時叔母さんが一緒に寝てくれてね、直美ちゃん寒いでしょ、こうすると暖かいわよって背中合わせで寝たの。そしたら本当に暖かくてね……それずっと覚えてたんだ」
「そうか、お袋の知恵か……(あれ、でも俺それよりずっと前の記憶はボケててはっきり覚えてないぞ? 直美も俺もお互い親戚回りで会う事は結構あったのは覚えてるけど)」
「ケンちゃん覚えてる? あの時ケンちゃんと叔父さんとでかまくら作って、その中で二人でお餅焼いて食べたよね。私は黄粉、ケンちゃんはお醤油とバター付けて食べて」
「うん、親父がやってたのを真似して食ってみたら案外に旨くてさ。あれ以来好きな食べ方なんだよ。それから直美は俺が餅食う時は黙っててもバター出してきてくれてるよな」
「それで次の年のお正月にはケンちゃん達が京都に来てくれたね……これも覚えてくれてるかな? ケンちゃんが帰る前の日に、お庭にタイムカプセル埋めたの」
「ああ、勿論さ。直美の二十歳の誕生日に掘り出すって約束もな」
「嬉しい、ケンちゃんその約束今も覚えてくれてたんだ。その日まであと二年だよね、忘れちゃ嫌よ。私ずっと楽しみにしてたんだから」
「忘れないよ。俺だって直美の笑ってる顔が見たいから……」
 そんな思い出話を健と直美が交わしている間にどれくらいの時間が経っただろうか。外は折からの雪と主にバカップルの出す車で烏丸通は渋滞し、エレベーターの業者は到着が遅れていた。話をしている間、閉じ込められた不安を忘れられていたものの悪い事は重なるもので……。
「あれはいつだったかな? 俺達がこっちで剣道の試合する事になって、直美が見に来てくれたの。俺が一本取ったら直美はすげー喜んでくれたよな」
「……」
「直美、どうしたんだよ」
「……」
「直美?」
「け、ケンちゃん……あんまり大きな声出さないで」
「どうした、気分でも悪いのか?」
「……」
 直美は何か小声で言ったようだが、健には聞き取れない。
「おいおい、はっきり言ってくれなきゃ分からないじゃないか」
「……お、おしっこ出そうなの
「ええっ」
 健は絶句した。密室監禁されている以上どうしようもない問題である。直美がエレベーターの中でするのは嫌な事は健にも分かったし、まして健がいるのでは直美は絶対に嫌だった。
「な、何とか業者が来るまで我慢できないか?」
「う、うーん……漏れそう」
 このまま後ろ向いてるから隅っこでしたら? と言いたかったが言い出せない健。何にせよそれでは直美が可哀想だとも思ったから。
「じゃ、じゃあせめて静かにしてるよ。大きな声出されると辛いだろ?」
「うん……」
 それから健と直美はじっと無言のままで時が過ぎるのを待っていた。ベルトケースから携帯電話を取り出して時刻を確かめる健。
「(ああ、もうコンサートは始まっちゃってるな。それどころかもう半分終わってる頃だ。やれやれ、クリスマスイブのデートがエレベーターの中とはな……折角元気出てきた直美に一層元気出してもらえる機会だと思ってたのによ。小嶋はバカップルを呪うとか言ってたけど俺だってあいつらを呪ってやりたい気分だぜ)」
 口には出さなかったものの健がそんなことを考えている内に、エレベーターが軽く振動してスーッと降りて行く感じがあった。
「(助かったのか?)」
 健が立ち上がった途端、エレベーターのドアが開いた。健の前には作業服姿のエレベーターの管理業者が立っている。
「お待たせしてどうもすみません。交通渋滞で到着が遅れまして……。大丈夫ですか?」
「え、ええ、俺達は無事です」
「ああそれは良かった。どうもご迷惑をおかけしました。せめてものお詫びに此方を……」
 店の責任者らしい中年男性が包みを差し出すのを遮って直美が言った。
「あの、すみません」
「はい?」
「お手洗いは何処ですか?」
「ああ、お手洗いなら此方の通路をまっすぐ行った所ですけど?」
「あ、ありがとうございます」
 直美は大慌てでトイレへと走って行った。

 漕げよマイケル ハレルヤ
 漕げよマイケル ハレルヤ
 ゴスペルボートを漕げよ ハレルヤ
 ヨルダン河は広い ハレルヤ
 主は岸辺におわす ハレルヤ
 罪を償え ハレルヤ
 私の母は何処に ハレルヤ
 私の父は遠くに ハレルヤ
 神は果物を賜った ハレルヤ
 船は音楽ボート ハレルヤ
 ガブリエルが喇叭を吹く ハレルヤ
 大河が溢れる ハレルヤ
 お前の土地はどうした ハレルヤ
 喇叭の音は世界に ハレルヤ
 喇叭は喜びの音 ハレルヤ
 喇叭は我らのために ハレルヤ

 烏丸通を上がって健と直美が新風館に着いた頃にはもうコンサートも佳境に入っていて、山西女子大学合唱団がポピュラーなゴスペル「漕げよマイケル」を歌っていた。彼らがステージに足を運んだ所で原曲のパートは一通り終わり、曲はオリジナルの歌詞へと続く。

 さあ皆さんご一緒に ハレルヤ
 楽しく歌いましょう ハレルヤ
 雪と寒さに負けないで ハレルヤ
 元気よくお願いします ハレルヤ
 大きな声で ハレルヤ
 小さな声で ハレルヤ
 女性の方だけで ハレルヤ
 男性の方だけで ハレルヤ
 お若い方だけで ハレルヤ
 お年を召された方だけで ハレルヤ

 観客と一緒に健と直美もいつしか「ハレルヤ」を歌っていた。さっきまで恐ろしい目に遭っていた事等もう引きずってはいない。その後に続いた曲も彼らは観客と一緒に大きな声で歌っていた。神様にこうして生きている事を感謝するように。
「今日は付き合ってくれてありがとう、ケンちゃん」
 直美は甚く上機嫌で健と帰路に向かっていた。
「いや、悪かったな。俺があんな事……」
「言わないで」
 直美が肘で健を突付いた。
「私もケンちゃんも予想できなかった事なんだし、ケンちゃんのおかげで私は冷静でいられたんだから。私ケンちゃんにはその事で感謝してるのよ?」
「……ふうん(俺には異様に甘い所あるよなあ、直美って。ま、そう言ってもらえりゃ少しは救われた気分になるんだけど)」
 気恥ずかしさでそれ以上の言葉が出ない健。直美は気にしないでと言いたそうに健に言った。
「帰ったらお風呂沸かすからね。暖まって寝ましょ」
「ああ、いつも直美には世話ばっかりんなってるな」
「だからそれは言わないでってば。ケンちゃんと私の仲じゃない」
 これが健が京都に住んで過ごしたクリスマスの第一幕であった。翌日には第二幕が待っていたのである。

「んふ〜」
「ねえ、これってやっぱり恥ずかしいよ。丈短くて、ちょっと歩くだけで見えちゃいそう」
「そんな事折込済みでこれ作ったに決まってるでしょ。あいつなら嫌らしい目で見る事なんて絶対無いし」
「それはそうかもしれないけど……私やっぱり恥ずかしいわ」
「そんな事言って今年の夏までりときゃぴで愛想振り撒いてたのは誰かしら?」
「貴女まで……あー、あそこはいいのよ。普通のデザインの服だったから」
「ほらほら、いつまでもブラとパンツだけでオロオロしてないでさっさと着た着た。冬コミ落ちたんだし、あたしはこのイベントであいつに喜んでもらえるのを何よりの楽しみにしてたんだからね! それとも何、あいつなら下着姿もおkってことかしらん? うぷぷ」
「もう、巫山戯ないで。分かったわよ。これ着ればいいんでしょ!」
(間合)
「おー、さすがね。スタイルいいと何着ても映えるって見本があんただわ」
「だからそうして揶揄うのやめてよ。エッチなおじさんみたいで嫌」
「ううん、お世辞抜きで似合ってるわよ。これならお堅い彼もきっと……」
「そうかな……そうだといいんだけど」
「だーいじょうぶ! さあ、後は明日を待つばかり。あいつどんな顔するかしらねー……」

 附記。本稿の「漕げよマイケル」の歌詞はこちらの曲紹介を参照させていただいたものである事をお断りします。


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