特別編 おじいさんのアルバム
 

B-Part

 橋本忠行。故郷の西陣の風景を撮る事をライフワークとしていたその写真家の名は京都人にすら知られていなかった。生涯彼は自らの作品を進んで売り込む事をせず、どこの写真家の組合にも所属してはいなかったから。尤も京都第一中学校(現在の洛北高校)を卒業した後京都新聞社に就職し、写真部で働いていたので家族を養うのにそれ程苦労はなかったようだが。
 小柄ながら滅法バイタリティのある人で、ニュースがあるとスピードグラフィックやモータードライブ付きのニコンF ― 何れも相当大きなカメラである ― を手に疾風の如く駆け付けて、シャッターチャンスを物にできなかった事は殆どないと云う伝説を残している。仇名はその頃現役名ショートとして活躍していた阪神タイガースの吉田義男に因んで「牛若丸」だったと云う。
 定年退職してからは長男の家に住み、悠々と好きな写真を撮って暮らしていた。西陣にかつてのような賑わいがもうない事を寂しがりつつ。孫が中学生になってからやつれたようになっていたのは寄る年波の所為だけではあるまいと息子は密かに心配していた。
 健が忠行の部屋に行くと、忠行は火鉢に当たって暖を取っていた。
「あの、善哉……」
「ありがとう」
 忠行は穏やかに笑って、健から善哉の鉢の乗った盆を受け取った。そうして蓋を開けて美味しそうに食べていたが、やがて健に話し掛けた。
「健君、君はどうして写真を始めたんじゃな?」
「……」
 首を傾げて沈黙する健。
「分からないか。じゃが儂には何となく分かるぞ」
「え?」
 忠行は笑って、無言で本棚に置いてあったカメラを健に差し出した。
「これを見てごらん。儂が散歩の時持って行ってるカメラさ」
「……」
 健は息を飲んだ。彼が手にしたのは正真正銘の本物のライカである。小さいながらもズッシリした感触、今のカメラにはないひんやりした手触り。噂に聞いてはいたがそれを手にした者の誰もがその魅力の虜にされると云うカリスマ性を持つあのカメラだった。
「職人が精魂込めて作ったカメラじゃよ。今こんなカメラはちょっとあるまいて」
「じいさん、これ弄ってみていいかな」
「ああ。フィルムは入ってないからの。でも壊さんようにな。と言っても造りが簡単じゃから余程乱暴に扱わぬ限りは大丈夫じゃがの」
 健は静かにフィルム巻き上げダイヤルを回してみた。それは驚くほど滑らかに回転した。ファインダーを覗いてみる。その向こうに広がっているのは現実に見ているよりも遥かにクリアーな世界のように思えた。シャッターを切ってみる。パチッと云う作動音の、現代のカメラと比して何と優雅な事。健はライカのカリスマ性を今身を持って体験することになったのである。
「(こんなに凄いカメラが世の中にあったのか……)」
「健君、君は寧ろカメラが好きで、写真を撮る行為は二の次なんじゃないのか?」
 健はそこで又ハッと息を飲んだ。その頃健が使っているカメラはペンタックスMZ−3である。昔のカメラ程ではないにせよ弄る楽しみのあるカメラだったし、使えるレンズも多かったので健はそれを取っ替え引っ替えしては楽しんでいた。肝心の写真の腕となるとそれ程のものではないのは否定しようのない事実ではあったが。
「いや、儂はそれが絶対にいかんと言っている訳ではないぞ。儂とてこのライカと云う舶来のカメラには首っ丈じゃったからの。生憎と家一軒分もしたこのカメラを買うほど儂は金持ちではなかったから、自分用のカメラと言えばこれじゃったがの」
 忠行がそう言って引き出しから取り出したカメラは、ヤシカ35であった。コンタックスIIaにそっくりのコンパクトカメラで、それでもまたずっしりとした感触があった。
「見た目だけあちらの高級カメラに似せた安物のカメラじゃよ。それでもこれがよく写っての、記念写真だけでなくてこれで京都の街をよく撮ったものじゃ」
 続いて忠行はアルバムを出して、開けてみせた。そこに写っていたのは今の新京極にも劣らない、沢山の人々で賑わう西陣の風景と、橋本家の人々であった。
「これが戦後少ししてからあった西陣商店街のネオン祭、これは大将軍に義郎が店を持った時の記念写真、これは市電に乗ってる義郎と美春さん……」
「へえ、西陣って凄い繁華街だったんだ」
「戦争が終わって、街が復興していく姿を止めておきたい。そんな思いから儂は写真を始めたんじゃよ。移ろいゆく世の中でこんな西陣もあったんだよと健君や直美達の世代に伝えられたら、のう」
「……」
「こんなカメラでも儂は宝物のように思っておったよ。こんなに綺麗に儂の愛する西陣や家族を写し取ってくれたのじゃから」
 健はただ驚きの顔で、自分が知らなかった西陣の風景を眺めていた。
「儂がライカを手にしたのは新聞社を退職して大分経ってからさ。写真家になって、少しは元新聞社の写真屋じゃなくて写真家として見た人に褒められるような作品が撮れるようになってからな。それで漸くライカを楽しむ余裕も出てきたように思えたからの。尤もこのアルバムに入ってる写真はヤシカで撮った写真じゃが」
「……」
分厚いアルバムのページをめくっていくと、今度はカラー写真が出てきた。場面もガラリと変わって、どこかの山村で写したようである。
「あ、父さんと母さんだ。母さんに抱っこされてる小さい子供って……」
「そう、健君じゃよ。あんたが遼子達に連れられてこっちに療養に来た時の写真じゃ」
「その頃の事俺は記憶にないけど、体が弱かったって事だけは覚えてるよ」
「その所為で健君は随分大人しかったがの……今では元気になったとは言え、相応のやんちゃくれじゃないか」
「よしてよ。そんなに喧嘩した覚えってないのに……これは伯父さんと伯母さんで、その隣が直美かな……あれ、見覚えのない人がいる。じいさん、この巫女装束の女の人って誰?」
「この人かい? この近くにある神社の宮司さんの奥さんじゃよ。うん、康則さんのお父さんとは昔からの付き合いで、健君と同じ位のお子さんもこの時二人いらして……」
「健、健ー!」
 階下から遼子が健を呼ぶ声。
「いつまでいるの? もう帰るわよ」
「ああ、アルバム見てる間に結構時間経っちゃってたな……じゃあ又ね」
「ああ」
 忠行は静かに孫を送り出し、健は直美に手製のおはぎを貰って両親と「元吉」を後にした。この時ホールで善哉を食べていた義郎の親類、友人知人の中でこんな会話が交わされたのをその時は気付いてなかったけれど。
「日名子さん、長坂さんの所のお孫さんが行かれますよ。お声を掛けなくてよろしいんですか?」
「いえ、まだあの子にはあの真実はまだ重過ぎます。せめてあの子には普通の男の子として過ごしてもらいたいですから。それがお館様の御遺志でもあることですし……お館様は我が子のようにあの子を可愛がってらしたのですもの。勿論あの子が自らそれに立ち向かうのなら別ですけどね。でも私としてもそんな時が来て欲しくないですよ……」
 人品卑しからぬその妙齢の女性はそう言って、哀しそうにうつむいていた。

 そして健が祖父と再会したのは半月後の葬儀の日であった。健は義郎に忠行のライカを手渡された。
「親父の遺言だよ。これを健君にあげてくれってな」
「要りません」
「えっ?」
 当惑する義郎に健は答えた。
「腕の程、身の程を考えるとそれは勿体無い代物ですから……いつかじいさんくらいの腕の立つ写真家になれた時、それを貰う事にします。その時まで伯父さんが預かっててください」
「そうか……健君がそう言うなら僕が預かっておくよ。僕はどうして健君も腕のある写真家だと思うけどね。その気になればお見事な写真が撮れるんだから」
 義郎は丁重な手つきで、セーム革の布でライカを元通りに包んだ。
「さあ、行こうか。もう少ししたら坊さんが来るから」
 義郎に促されて、健は「元吉」に入っていった……。

「ケンちゃんどうしたの、ケンちゃん?」
 隣の直美に声をかけられて、健はふと我に帰った。
「え?」
「さっきからお弁当に手をつけないでボーッと写真見てるんだもん。どうしたのかと思っちゃった」
「え、ああ……俺は別にどうもしないよ。ただじいさんの写真って改めてすげーなって思ってさ」
「ううん、ケンちゃんだって写真上手いよ。あれから私何枚も撮ってくれて、あの写真は私の宝物になってるのよ」
「そうかい、そりゃありがてえな」
「奈々香達だってケンちゃんは写真上手いって言ってくれてるんだし、ケンちゃんも自信持っていいと思うよ」
「ああ……」
 それから四年が経ち、健は学園祭でSOS団に扮した奈々香、道枝、祐子の写真で一席を貰い、コスプレ雑誌「雷撃レイヤーズ」のグラビアページに写真を使わせて貰う快挙まで達成していた。
「(あん時こそ複雑な思いはしてたけど、褒め言葉は素直に受け取ることにしたよ。だって直美や奈々香達は思ってた以上に喜んでくれたんだから。でもまだまだだって思うし、これからも俺いい写真撮れるように頑張るよ。じいさんも天国から見守ってくれよな)」
 今一度その思いを噛み締めるように、健は仕出し弁当を食べ始めた。


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