お茶濁し編 健が初めてデジカメに手を染めた日
「橋本さん、宅急便です」
「忝うございます。はんこはここに……」
「はい、確かに。ありがとうございました」
 運送屋のおっさんは冴に荷物を渡すといそいそと車に戻って行った。
「この荷物は健殿宛じゃのう。差出人は……かめらのなにわとなっておるが?」
「お、漸く来たか」
 俺はどうやら待ち望んでいた荷物が来たらしいと思って、冴に駆け寄った。靴の箱くらいのサイズの荷物を持った冴が尋ねる。
「健殿、又何か買い物したのかえ?」
「デジカメさ」
「でじかめとな? お主はそれを使うのを余り好まなんだ筈じゃが?」
「まあ、普通のデジカメならな。でもよ、これはガキの頃俺が憧れてた夢を現実にしたカメラなんだぜ」
「お主の憧れ?」
「ま、それは休憩ん時のお楽しみって事で」
 俺は冴から受け取った荷物を一先ず邪魔にならない場所にどけておいて、仕事に戻った。
「(くふふ、荷物開けるのが待ち遠しいぜ。手始めに冴に見せてやろうか。吃驚するぜきっと)」
 嬉しさの余りニヤニヤ笑いを隠し切れない俺。
「ちょっとケン、何笑ってるのよ。気持ち悪いわね。あたしの頼んだクリーム餡蜜まだできてないの?」
 奈々香の怒声が飛んだ。
「あ、し、失礼いたしました。只今お作りします……」
 欲しい一念で必死で金貯めてやっと買ったんだ。夢が叶えば嬉しくもなろうと云うものさ……なんて云ってもこの男のロマンは女には分からないだろうけどね。

「さてと……」
 休憩を貰って、俺は愈々待望の荷物の包みを破った。箱を開けて出てきたのは、パームトップパソコンにインスタントカメラの下半分(写真が出てくる所と思ってくれ)を合体させたような変わった機械である。
「何じゃなこれは。写真機ではなく小型のぱそこんではないか」
 つまらなそうな顔の冴。
「これかい? これは撮った写真のデータを落として印画紙にプリントアウトするための端末だよ。ま、街角にあるデジカメ用のフォトプリンターを小さいパソコンくらいのサイズにまとめた物かな。カメラの本体は別の所にあるのさ」
「それは一体どこじゃ?」
「秘密さ。まあ今にきっと分かるよ。ちょっと外に出て試写してみるから冴も良かったら来ないか?」
「うむ」
「ちょっと待て山口、儂を置いていくでない」
 やはりと言うか何と言うか、当然だと言いたそうに篝ちゃんも後からついてくる。
「ああ、篝ちゃんもおいでよ(俺が冴と一緒に何かしようとするとすぐこれだ)」
 半ば投げ遣りに俺は声をかけた。そうして俺達は店の前に立って、俺はパソコンを立ち上げてソフトを起動させた。画面上に出て来たのは日本の地図。それを京都の西陣の辺りまで拡大させて、今俺達がいる地域をクリックしてストリートビューを呼び出す。そこにちょうどこの界隈が映し出された。
「ええっと、今俺達がいるのは……この辺か。そしたら……ここに狙いを定めて、ズームはこれで良し、と。冴、ちょっと空を見上げてくれないかな」
「空?」
「うん、今雀が飛んで行ったあの辺。そこを見ながら笑ってみてよ」
「写真機は愚か青空と雲以外には何も見えぬが……面妖よの」
「そうそう。じゃあ行くよ。いちにーのーさん!」
 冴と、冴の腕に抱かれている篝ちゃんが上を向いたのを確認して、俺は端末のEnterキーを押した。暫くしてディスプレイにメッセージとバーグラフが出る。

「データを転送中です。しばらくお待ちください」

 メッセージは更に「撮影データの転送が完了しました」に変わり、俺はディスプレイ上に現れた「今すぐ印刷する」にカーソルを合わせてEnterキーを押す。それから又暫しの待ち時間を置いて出て来たのは、カメラ目線で微笑む冴と篝ちゃんと俺の写真だった。
「何と、これは驚きじゃ」
 滅多な事では驚かない冴が吃驚している。辺りにカメラはないのに、今ここに立っている三人の笑顔が鮮明に写し出されていたのだから。
「山口、貴様伝書鳩の首に写真機を結わえて遥か上空を飛ばしたのかえ? 儂の見た所そう云う形跡もないようじゃが」
「おや篝ちゃん、伝書鳩とは上手い事言うね。でもそれよりももっとスケールの大きい話さ(そうしてスパイ写真を撮ろうって無謀な試みが第二次世界大戦中に西洋の某国であったのも事実だけど)。これはアメリカの元軍事光学メーカーが、昔飛行機に積んで上空を撮るスパイカメラを作ってた技術を応用して……」
「あ、山口先輩。もう衛星カメラ買ったんですか?」
 説明の途中で彩乃ちゃんが現れた。
「ほほう、種を明かせば宇宙衛星に積まれた写真機であったか」
 彩乃ちゃんの一言で合点がいったと頷く冴。ここで怒るかと思いきや、
「健殿も存外悪戯好きじゃのう」
 冴は意味ありげに俺に笑ってみせた。思わず伊根町での夜の事を思い出して赤くなる俺。
「へへへ……」
 その場にいる面子が面子だけに何があったか大っぴらには言えない俺は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
「ねえ山口先輩、私にもそれ使わせてください」
「いいぜ」
 俺は端末を彩乃ちゃんに渡した。横でディスプレイを見ていると、彩乃ちゃんが選んだ撮影場所は鴨川の辺だった。家庭裁判所のある辺りである。天気のいい日には猫の遭遇率が結構高くて、そこは彩乃ちゃんのフィールドの一つになっていた。
「あ、ほのかちゃんがいる。ほのかちゃーん」
 ほのかちゃんと云うのはメス猫の名前である。雪のように真っ白だけど、両目の上に太い眉のような模様がついている。そこが「ふたりはプリキュア」とか云うアニメに登場する「ほのか」と云うキャラのようなのでそう名付けたんだそうだ。ディスプレイ上のほのかはカメラを向けられてる事などお構いなしに川辺をうろついている。彼女は木陰に涼しそうな場所を見つけると、やれやれ、今日も暑いわねと言いたそうにだらーんと横になった。
「あーかわいいー」
 満面の笑みでレリーズボタン代わりのEnterキーを押しまくる彩乃ちゃん。成程これならカメラを向けると吃驚して逃げるような猫の無防備な姿も簡単に撮れるわな。
「ちょっとちょっと、まだSD挿してないんだからそんなに撮らないでよ。データなら後であげるからもうこれくらいにしといてくれや」
 彩乃ちゃんは恥ずかしそうに笑って端末を俺に返した。お返しにキュッと睨んでやる。そこで彩乃ちゃんは申し訳なさそうな顔で、
「ごめんなさい」
 俺に頭を下げた。うん、素直で宜しい。
「あらケン、それ衛星カメラでしょ」
 次にやって来たのは奈々香だった。
「そうだよ。俺ずっと前から欲しくてさ、漸く買えたんだ」
「ねえねえ、あたしにもちょっと触らせてよ。見たい所あるの」
 そう言って奈々香がマップで選択したのは……春日部市だった。「らき☆すた」の舞台になった場所である。
「あらあら、田んぼも神社も商店もきれいに映るのね。ねえケン、これって動画も撮れるんでしょ?」
「まあ、撮ろうと思えばね」
「だったらさ、今度これ使ってあたし達のPV撮ってよ。『もってけ! セーラーふく』を再現して」
「ああ、そりゃできるだろうけど、そろそろヘボくなってる、うー、俺のパソコンで合成とかできるかな」
「ちょっとケン、あたしの目は誤魔化せないわよ。オジャママンみたいに『アー』とか『ウー』があんたの台詞に混じってる時は適当に誤魔化して逃げを打とうって思ってるんだから」
「いやそうじゃないよ。今は他にする事多すぎてまとまった時間取れないからさ」
「本当に? じゃあ夏休み中にそれ片付けてPV企画しなさい。いいわね?」
「分かった分かった。分かったから端末返してくれよ」
「後で念書認めてもらうからね」
 約束破ったら承知しないわよ、と目で語りかけつつ奈々香は端末を俺に返そうとした。
「おいっす山口。お、お前衛星カメラ買ったのか、見せてくれよ」
 そこへ来たのは有二の奴で、案の定奈々香は怖い顔になった。
「駄目よ。あんたどうせ又このカメラで勝手に道枝を撮るとか言うんでしょ」
 どうやら図星を突かれたらしく、有二が一瞬苦い顔をしたのを俺は見逃していない。
「お前が不純な目的で使うんでなけりゃ俺はいいけどよ」
 俺は有二に釘を刺すように言った。
「ほら、山口はこう言ってるんだし俺はそんな事するつもりもないよ。第一それで怒るのは山口なんだし」
「でもやっぱりスケベのあんたがその通りするとも思えないわ」
「そんな事言わずにいいじゃん、ほら」
「駄目ったら駄目!」
 端末を両端から掴んで綱引きが始まった。
「おい二人ともやめてくれよ。俺のカメラなんだから」
「うるさいわね、ケンは黙ってて!」
「こうまで踏みつけにされたんじゃ業腹だ! 山口の許しは出てんだしいいじゃないかっつってんだろ」
「お前ら、いい加減に……」
 俺が二人の間に割って入って、端末を奪い取ろうとしたその時、奈々香が手を滑らせてガシャンと端末が地面に落ちた。
「ああっ」
 ディスプレイは真っ暗になり、スイッチを入れても反応がない。俺はショックだった。思わず二人に怒鳴り散らした。
「おいどうしてくれんだよこれ! 俺がこのカメラ買うのにどんだけの思いで金貯めたと思ってんだ。折角夢のカメラが実現したって喜んでたのに……」
 返す言葉もなくオロオロするばかりの有二と奈々香。絶望の余り百五十キロ上空の彼方から超望遠レンズ付きのカメラを積んだ衛星が今地面に手をついている俺の上にドスーンと落ちてくるんじゃないかと思えてきた。
「あ、あれは何だ?」
 有二が叫んだ方を見ると何やら気象衛星ひまわりのような巨大な物体が落ちてくる。俺の衛星カメラだ。
「ケン、逃げて、早く!」
 奈々香が叫んだが時既に遅く、衛星カメラが俺の上に落ちてきて……

「うわあああああああああああああああああああああああっ」
 真っ暗になった視界が一転して今度は真っ白になり、見慣れた景色が開けてきた。ここは俺の部屋の天井で、冴、若菜、雪菜が心配そうに俺を見ていて……
「気がついたか、健殿」
「お兄様、良かったですわ」
「お兄様、また魘されていたみたいで心配しました」
「冴、俺は一体……?」
「お主は休憩中に庭先で写真機を弄っておって、熱中症で倒れておったのじゃぞ。どうなる事かと心配しておったがその元気なら一先ず大丈夫であろう。ほら、鉄砲水でも飲んで元気を出せ」
 冴が俺にサイダーの瓶を差し出した。
「そうか、カメラ……そう言えば俺の衛星カメラは?」
「衛星かめら? そんな物妾は知らぬぞ。さいぜんまでお主の夢に出てきておった夢想の産物じゃろうて。お主の使うておったのは大学の借り物のにこんであったぞ」
 冴は可笑しそうに笑う。確かに机には俺が大学の光画部から借りているニコンF2にタムロン90ミリF2.5が付いたのが乗っている。俺が普段使っているベッサではクローズアップには不自由なのでそう云う写真を撮りたい時に借りているのだ。傍らのパソコンも見慣れたデスクトップで、プリンターのくっ付いたパームトップパソコンなんてどこにも見当たらない。
「(そう言えば昨日はグーグルのストリートビューの話聞いて、面白がってそれで遊んでたっけ。あの小説に出てきた衛星カメラが実用化されたらこんな感じになるかもしれねえなって思いながら)」
「まあ今日は一日ゆっくり休むが良かろう。店の事なら妾に任せおけ。何なら若菜と雪菜も駆り出すでな」
 冴は優しく俺に笑いかけ、若菜と雪菜も俺の側でニコニコ笑っている。
「冴がそう言ってくれるなら俺は今日はゆっくり休むよ」
 俺はもう一度布団にもぐりこんだ。俺の夢の世界じゃなくて、衛星カメラが本当に実用化されるのは一体いつだろうなと思いながら。


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