お茶濁し編 お約束的策謀
「ふう……」
 健と冴の使っている部屋に、汗を拭き拭き冴は入って来た。暑い昼下がりに竹刀の素振りを終えて、汗だくで部屋に戻って来た所である。冴は竹刀を片付けるといそいそと出かける準備を始めた。
「冴様、どちらへ参られるのですか?」
「冴様、少し休まれた方が宜しくありませんか?」
 若菜と雪菜の問いに、冴はまだ荒い息を落ち着かせようとしながら答えた。
「銭湯じゃ。妾は汗も流したいし、疲れた体も癒しておきたいでな」
「あの、私達も冴様とご一緒して宜しいでしょうか?」
 冴は普段自分に進んで関わって来ようとしない若菜と雪菜がそう言ってきたのにへえ、と意外そうな顔をしたが、
「ああ、別に構わぬが」
「「ありがとうございます」」
「ただ、人間に迷惑はかけぬように。それだけは頼むぞよ……と言ってもお主等はそのような真似はせぬか」
「勿論ですとも(冴様を怒らせると滅ぼされるのは私達ですし)」
「行き先は京極湯じゃ。行くならお主等も支度して参れ」
「「はい」」
 若菜と雪菜は桶とタオルを取りに階下の風呂場に降りて行った。
「夏の合宿から帰ってから、お兄様の心は冴様に傾きかかっているよう。何か私達に真似のできる事はないかしら。それを盗み出すのよ」
 との乙女の野望を胸に秘めて。

「ああ、風呂はええわえ。疲れも憂き世の嫌な事も忘れさせてくれる……のは良いのじゃが」
 裸で湯船に浸かって寛ぐ冴。だが今日は心の底からリラックスできない要因があった。
「お主等、何故にさいぜんから妾を見ておるのじゃ」
 冴のジト目が若菜と雪菜に向けられる。
「あ、その、別にいやらしい事を考えてた訳ではないのですよ、ねえ雪菜」
「は、はい。ただ、冴様の裸身が余りにも綺麗で、見惚れてしまいまして……」
「お主等とて女である故気持ちは分からぬでもない。じゃがお主等の裸身とて魅力的な事では妾に引けを取らぬと思うがどうじゃな?」
 ザバ……
 若菜と雪菜は立ち上がって、お互いの裸身と冴を見比べた。二人も至って胸と乳房の均整の取れたプロポーションで、世の男が見たらさぞかし欲情をそそる事であろう。それでも彼女達にはどうしても冴が自分達の綺麗さを誉めてくれても納得のいかない点があり、素直に喜ぶ事ができなかった。
「どうしたのじゃ?」
「いいえ、冴様にお褒めいただけるのは嬉しいですよ」
「まだ私達にも機会はあるって事ですもの」
「機会? 何のじゃ?」
「それは冴様には秘密です」
「女同士でも話したくない事もありますわ」
 些か不機嫌そうに言う若菜と雪菜。冴もそれ以上追及する事はしなかった。
「(一体どうしたのじゃろうの。お主等も見目良い女子と妾は申しておると云うに)」

 翌日のお茶の時間の事である。
「いらっしゃいませー……あら、ちょうどいい所にいらしてくださいましたわ」
「な、何よ急に」
「若菜ちゃんも雪菜ちゃんもどうしたの? 妙に真剣な顔して」
 元吉の常連客でもある西陣歌劇団の三人娘を出迎えた女給の若菜と雪菜は、まず奈々香達をカウンター席に案内しておいて、深刻そうにある質問をぶつけた。そして怪訝な顔で返す三人。
「そんな事聞かれても困るわよ。あたし達特別にそう云う努力した訳でもないし、ねえ」
「そうよ。私なんてそれで却って男の人から変な目で見られて困った事だってあるのよ。若菜ちゃんも雪菜ちゃんもあんまり気にしない方がいいんじゃない? ケン君はそれで女の子の価値決めるような男の子じゃないと思うし……」
「私はあんた達といい勝負だけど、別にそれでもいいって思ってるしね。そんな事で安易に女の品定めするような男なんか嫌いよ。他にケンさんの気を惹く方法なんて幾らでもあると思うけど」
「でも、お兄様の気持ちは今冴様に傾いてるみたいですし……」
「お兄様は直美様とも懇ろにしていらっしゃいますでしょう? 他にもあのお稲荷様もお兄様の事がお気に入りみたいですわ」
 私達は遅れてお兄様争奪戦に参加した分の劣勢を取り戻したいんです、と言いたそうな若菜と雪菜。聞き分けのない相手を前に祐子はため息をついて、渋々と云った感じで口を開いた。
「どうしてもって言うなら、かなり前に深夜のラジオ番組で言ってたネタで良かったら教えてあげる。参考にする必要がなかったから誰にも言わなかったけどね……」
 祐子が当のネタを若菜と雪菜に話している所へ、買い物に行っていた直美が帰って来た。
「ただいまー……あらいらっしゃい」
「お邪魔してまーす」
「あら、祐子と若菜ちゃんと雪菜ちゃんは何話してるの?」
「ああナオ、実はね……」
 奈々香から自分が留守の間の出来事を聞かされた直美がどんな顔をするか、道枝と祐子はは心配そうに見ていた。彼女もまた立場が立場だけに双子を諫言すると思っていたのだが、直美は妙に真剣な顔になって言い放った。
「そう云う事なら私もできるだけの協力はしてあげる。とりあえずはちょっと予定を変更する事からね。お母さんにそれ提案してみるわ。理由くらいどうとでも付けられるもんね」
 直美は二階へ駆け上がり、両親の部屋に直行した。ケンちゃん争奪戦には私も負けてられないのよ、との思いを胸に。

「山口、今日のおかずチーズ尽くしだな。チーズハンバーグにチーズを春巻きの皮で巻いたの、ブロッコリーのチーズ焼き、小っちゃいカルボナーラ……」
 大学の昼休み、いつもの如く光画部の部室で弁当を食べる健と一平と彩乃。
「何か昨夜から急に直美がチーズに凝り出してるんですよ。いきなり昨夜の晩飯に伯母さんに無理言って宅配ピザ取ったと思えば、今朝はチーズトーストにトマトの薄切りに粉チーズかけたのが出てきましたし。そんで妙にムキになって食べてたのが引っかかるんですよね。若菜と雪菜も直美と一緒にチーズを貪り食ってたんだけど」
 健は昨夜から今朝の事を回想してチーズ責めにうんざりしたような顔をしていた。夕食の時も危うく喧嘩になりかかったのである。
「直美ぃ、今日はカレー作ってくれるって言ってなかったか?」
 直美が注文した「ピザ・ビッグパーティ特製カルボナーラゴージャスチーズスペシャル」を前に不満を打つ健。ここでいつもの直美なら一応健には詫びの言葉は述べただろうが、
「うーん、まあね、ちょっと事情があったのよ」
 直美の曖昧な笑みと返答に健は更にムッとなって、
「事情って何だよ事情って。大分前から直美は今日カレー作るって言ってたから俺は楽しみにしてたんだぜ」
「しょうがないじゃない。私にだって都合があるのよ」
 直美も怯む事無く応酬し、滅多に抜かない「家主の娘の立場」の刀を抜いて一振り。
「ケンちゃん、下宿人の貴方がそう云う事にまで口出ししないでよね。出された物を食べなさい。カレーならまた今度作ってあげるから子供みたいな事言わないの」
 怒りのオーラを感じた健としては大人しく直美に従わざるを得ず、チーズ尽くしのピザのご相伴に与ったのだった。
 翌朝のチーズトーストにしても、直美には、
「私が食べたかったんだからいいじゃない」
 の一言で誤魔化されて、今朝方など顔を真っ赤にして、
「ケンちゃんには関係ないでしょ!」
 ときつい言い方をされたのである(その時直美は美春に窘められはしたが)。若菜も雪菜も無言でただピザや冷蔵庫にあったチーズを蚕が桑を食べるが如くの勢いで食べるばかり。話を横で聞いていて、彩乃は思い当たる事があったらしく暫く首を傾げ、そして言った。
「あのう、直美さん達ひょっとしてバストアップ目指してるんじゃないですか?」
「へ、チーズって胸大きくできるのか? 牛乳なら聞いた事あるし効果はありそうだけど」
「ラジオの投書であったんですよ。そのリスナーの人はちゃんと効いたって言ってました」
「ほおん……(でも直美だって胸なら平均以上だろうに。夏合宿で水着姿見た時もそう思ったしよ。あー、でもあれだけのヴォリュームでも冴には及ばなかっ……)ああっ!」
突然叫ぶ健。仰天した一平が飲んでいたパックの豆乳を吹いた。
「何だよ、吃驚させるなよ」
「す、すみません。そう考えると何かとてつもなく恐ろしい事になるんじゃないかって思えてきて……」
「恐ろしい事?」
「おっぱいの何が恐ろしいんですか、山口先輩?」
 怪訝な顔の二人を前に、健は青い顔をしていた。

「ケンちゃん……」
 健の前に直美が立っている。元吉の制服の矢絣の着物を着て、恥ずかしそうに顔を赤らめて。
「な、直美、どうしたんだよ」
「ケンちゃんの前で脱ぐの恥ずかしいけど、私やっぱり脱ぐ。ね、見て。私のおっぱい」
「な……!」
 健が慌てて止めるのも聞かずに、直美は着物の胸元を緩めて普段より増量した裸の胸を健の前に晒した。
「私ね、おっぱい大きくするのに頑張ったんだよ。ケンちゃんは冴さんみたいにおっぱいの大きい女の子が好きみたいだって思ったから。ケンちゃん、私のおっぱい気に入ってくれるよね?」
「え、おい、直美、お前何て事……」
 パニックに陥って声が裏返り、直美の問いにまともに答えられない健に更に追い討ちはかけられた。
「お兄様、私達の胸も見てくださいまし」
「お兄様のために私達も頑張ったんですのよ」
 直美の両脇から巫女装束姿の若菜と雪菜が現れ、同じように胸元を開陳して健に迫る。
「ねえケンちゃん、私を見て。何なら触ったり揉んだりしてくれてもいいわ」
「お兄様、私達なら二人で泡踊りして差し上げますわ。湯殿にいらしてください」
「お兄様に喜んでいただけるなら、私達どんな事でもできますから!」
 健の前に迫る六個の巨乳。
「だ……誰かああああああああ!」
 やっとの思いで声を絞り出すように、健は絶叫して……目を覚ました。

「お兄様、又悪夢に魘されてたんですのね」
「お兄様、でももう大丈夫ですよ」
 健の枕元で若菜と雪菜が「よしよし」するように健に語りかける。
「えっ、あ……」
 仰向けの健の前には若菜と雪菜の顔。そして……
「んん、若菜と雪菜か……」
 焦点の定まらない裸眼で、健は自分の顔を覗き込む若菜と雪菜を見遣る。彼女達の胸の辺りを無意識に見て、先ほどの夢が現実ではないと云う事を認識して、健はふうと安堵の息を吐いた。
「そうだ、そうなんだ」
「お兄様、どうかなさいましたか?」
「お兄様、私達をじっと見てどうなさいましたの?」
「ん……」
 健は大儀そうに上半身を起こし、若菜と雪菜を見て話し始めた。
「なあ若菜、雪菜」
「「はい?」」
「お前達がやたらチーズ食ってた事情は分かったよ。冴に負けない胸を作ろうって意地になってたんだってな」
「「えっ、あー、その……はい」」
「確かに俺自身否定はしないよ。胸は大きい方が好みだって」
「そうですか、やっぱりお兄様は大きい胸がお好きなのですか……」
「じゃあ私達、お兄様にとって一番の存在にはなれないのですか?」
「人の話はしまいまで聞いてくれ。若菜と雪菜が冴程胸が大きくないからって、それで俺はお前達を冴より下に見るなんて事はしないよ。『見目より心』って言うじゃないか。若菜と雪菜は元吉の女給としても頑張ってくれてるし、俺にも日頃何くれと気を配ってくれてるじゃないか? そうしてくれるなら胸の大きさなんて二の次さ。これからも俺の側にいてくれていいから、変な無茶だけはしないでくれよ、な?」
「じゃあお兄様、これからも今まで通りに私達を好きでいてくださるのですね?」
「ああ」
「お兄様、嬉しいです」
「これからも若菜と雪菜のお兄様でいてくださいませね」
「わ、ちょっと、そんなにくっつくなよ」
「だって私達感激してるのですもの、こんな私達でもお兄様は好きでいてくださる事が分かりましたから」
「お兄様でしたら好きにしてくださっても私達はいいですわよ。ほら……」
「ちょっと待て雪菜、胸出すなんてはしたない真似するんじゃない」
「あら、冴様や直美様はこんな事お兄様にはして差し上げませんでしょう?」
「わ、若菜まで脱ぐなよ。いいから服を着てくれ」
「嫌です、お兄様が若菜と雪菜の事大好きだって仰って、それを態度で示してもらえるまで着ません」
「お兄様なら私達の事好きにしていいって言ってるじゃないですか。触っても吸ってもいいですわよ」
「そりゃ気持ちは嬉しいけど、時と場合選んでくれなきゃ俺も困るんだってば」
「んん、騒がしいのう。何を騒いでおるの、か……た、健殿?!」
 朝もまだ暗いうちから健達の声に起こされて、その場の状況に目を丸くする冴。
「さ、冴……あー、これは、その……」
 冴は暫しの沈黙の後、ニヤリと笑う。だが怒っている事は冴の背負っている空気から明らかだった。
「健殿、妾と云う者がありながら、妾の目を盗んでそこな双子と乳繰り合うとはな……まあそこまでの甲斐性もお主にはあったのじゃろうが、当然こうなる事も重々覚悟した上での事じゃろうな?」
「ま、待ってくれ冴。誤解だ。俺は決して浮気した訳じゃなくて……」
「見え透いた言い訳とは見苦しい真似よな」
 剣道の修練に使っている竹刀を手に取って、構えて健の前に立つ冴。
「健殿、蔑ろにされた妾の恨み、その身に刻み込んでくれるわ。大人しくそこに直れ」
「待ってくれってば、話せば分かるって」
「問答無用!」
 朝焼けの光の中、バシーンバシーンと一条通りに激しい竹刀の音が響いた。


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