第拾話 ツンデレ狐と大将軍
 

A-Part

「ただいまー」
「おお、帰ったか健殿」
 混雑前の比較的暇な時間帯の元吉に帰って来た健。カウンター席に二人ばかり女性客がいる他は今は誰もいない。
「お帰りやす、お邪魔してますえ健はん」
 水色の紗袷姿の女性がカウンター席から挨拶して来た。大原野楓である。
「あ、ああ、楓さん。その節はどうも」
 風呂での一件以来多少楓を敬遠している健の愛想笑いは引きつっていた。だがその引きつった笑顔が更に引きつる客も登場したのである。
「ほら、篝もちゃんと健はんにご挨拶しなはれ」
 楓の隣の席にちょこんと座っていた巫女装束姿の篝は楓に促されて、渋々と言ったように
「久しぶりじゃな、山口」
 健に軽く頭を下げ、すぐ尊大そうな態度でそっぽを向いた。
「まあそないに棒立ちせんとって、健はんもこっちぃ来てお茶にしなはれ」
 楓に手招きされて、そのまま楓の隣に座る健。厨房の冴がすぐにお茶を持って来た。
「ところで楓さんは、どうして又此方にいらしたんですか?」
「実は篝の事です」
「篝ちゃん?」
「ええ、もう大分前になりますけど長いこと会えへんだ冴はんと会うてから、この娘お社に帰った後で頻りに冴はんが恋しい言うてましてなあ。この娘言い出したらなかなか聞けへんとこおますやろ? 最初はうちも冴はんらに迷惑やからあかん言うてましたんやけど、結局暫くの間此方でお世話にならしてもらおて話してましてん」
「……」
「店主は今買い物に行っておって留守じゃ。今日一日だけならともかく又居候が増えるとなるとまだどうするかは決められぬ……妾は篝が周りに迷惑を掛けぬなら構わぬがの」
「……」
 不安そうな顔をした健の言いたいことを読んだ楓が口を挟んだ。
「健はん、篝は苦手ですか? 心配あれしまへん。ツンツンしてますけどほんまは篝も健はんの事少しは気に入ってますねんえ。お稲荷さんの恩がおますよってな。時々『山口はどうしておるかの』なんて一人でいてる時ポツリと言うてたんをうち聞いた事ありますえ、おほほほ」
「余計な事を言うな姉上!」
 篝は叫んで、続いて健に向き直って食って掛かった。
「山口、儂は貴様が息災にして居るかを気にかけておった訳ではないぞ。呪いでも掛けられて死ねば良いのにと思うて居っただけじゃ。そもそも本来なら貴様など儂の神通力でお陀仏じゃ。なれど今の所貴様から冴に手を出す気配はないようじゃし、冴も冴で貴様を同居人以上として見ては居らぬ。何より儂が貴様を殺せば何の酔狂か貴様を気に入っておる姉上が怒るから手を出さないでやって居るのじゃ」
 楓は篝の発言に怒りもせず、無言でいつもの穏やかな笑いを健に向けている。冴はさも愉しげに笑っていた。
「冴! 何とか言ってやってくれよ。俺は……」
「篝がこうまで妾と懇ろにしておる者、特に男子に進んで話しかけたのは妾の知る限り健殿が初めてじゃ」
「おいおい、篝ちゃんは俺が冴と一緒に暮らしてる事を妬いて……」
「確かにな。なれど篝の顔、どこか他の者に盾突いておる時とどこか違うわ」
「そうですえ健はん。篝が本気で健はんを殺すなんて滅相な気持ち持ってんのやったら、うちもこうして無理なお願いしに上がったりしてまへん」
「そうは言っても楓さん、キンキン声で俺に憎まれ口叩いてるばっかりじゃあ……」
 不器用な子供の愛情表現なんて物じゃない、と健は言いたかったが楓はその先を封じるように徐に健の手を取って、自分の胸元に引き寄せながら続ける。
「健はんにならこないされたかて構へんとまで思てるうちが、何で健はんを困らすような事しますかいな……」
「わっ、わっ……!」
 楓は着物の胸元を緩めて、健の手をそこに入れていった。
「姉上!」
「楓、昼間からそんな事をして巫山戯るでない」
「あら、ええやおへんか。健はんはうちのお乳はお嫌いですか?」
「いや、いきなり触らせてもらっても……」
 たわわな胸の感触が健の掌に当たる。ひたすら焦るばかりの健。そこへ運悪しく買い物から帰って来た義郎と、丁度大学が終わって帰って来た直美が入って来た。
「た……健君、こんな所で何やってるんだ」
「ケンちゃん、何でそんな……」
 彼らは目の前の光景に、振り絞るようにそう言って硬直したまま。
「直美も伯父さんも待ってくれ、これは誤解だ」
 健の弁解は聞いてもらえるはずもなく、
「ケンちゃんのエッチー!」
 ホールに直美の素っ頓狂な声が響いた。

 健は冴、楓、篝と一緒に大将軍商店街を歩いていた。健の横顔にはくっきりと紅葉の跡が付いている。流石にこれはフォローした方がいいのではないかと思った冴が取り成してどうにかその場は収まったものの、直美はその後もジト目を健に向けるのをやめようとはしなかった。ほとぼりが冷めるまで外に出たいと思った健は、自分の住む大将軍商店街に楓と篝を案内しようと言って出てきた。五月とは思えぬ暑い屋外である。
「全く……悪巫山戯も大概にしてくださいよ楓さん」
「そうじゃ。此処はお主の社ではない。少しは時と場合を考えぬか」
「すんません。このお詫びはまた後でしますよって」
「また体で払うとか有難迷惑な事、俺は御免ですからね」
「あらバレましたか、おほほほ」
 涼しい顔で笑う楓と、渋い顔をして頭を抱える冴と健。篝は相も変わらず健への憎まれ口を叩く。
「ふん、そうしてあの従妹に打たれて嫌われたなら儂は本望じゃがの」
「篝、大概にしよし! 人の不幸を望むやなんて神さんのする事違うよ」
「もうそのくらいにしておけ。そんな篝、妾は好かぬぞ」
「くっ……山口、せいぜい優しい冴に感謝しておけ」
 楓に叱られ、冴の一言で不服そうな態度を出しながらも黙る篝。そうしている間にも一行は一条通を進んで行った。
 京都市内には昔からの風情を残す商店街が幾つもあるが、此処大将軍商店街もそうした地域の一つである。「付喪神」の百鬼夜行の件に登場する一条通り沿いにあると云う事で、妖怪を使った町興しが行われている事で有名であった。毎年秋に妖怪の仮装行列が行われている他、今年は映画村や京福電鉄との協賛で新しいイベントが開催される予定になっていた。それだけでなく、店先にはカラーコーンに廃物を利用して作られた妖怪が看板代わりに立てられている。最初に健達を迎えたのは、急須が頭の妖怪が目印のお茶屋であった。
「ここがうちが世話んなってるお茶屋ですよ。店主は日本茶に詳しくてさ、直美は伯父貴だけでなくて此処の店主にもお茶についていろいろ教えてもらってるんです」
「直美はんがあれ程のお茶を淹れはるからには、旦那さんは相当な腕利きですやろな」
 楓は直美が淹れてくれる、絶品の緑茶の味を思い返して目を細めた。
「おや、琵琶の妖が居るぞ」
 篝が指差したその先には、浴衣姿で頭が琵琶の形の妖怪が立っていた。
「山口、此処は楽器屋か?」
「違うよ。此処は子供服と婦人服の店さ。どちらかと言えば子供とそのお母さんに合わせた品揃えだな。伯母さんの服は大抵此処で揃えてるけど」
 そこから少し西へ入ると、箪笥の妖怪が立つ家具屋があった。
「健殿、何故こんな奥に?」
「いや、やっぱり此処は紹介しておいた方がいいと思ってさ。元吉御用達の店その二。店の食器棚や家の家具で世話になってるんだよ。この店では家具の販売の他に桐箪笥の削り直しや金具やガラスの交換もやってくれてるんだ。リサイクルできる物はとことんまでリサイクルする。これがこの商店街のポリシーの一つな訳だし」
「うむ、矢張り今日日そのような店は貴重な存在じゃな」
「他にも布団屋は布団の打ち直しもやってるし、荒物屋は刃物の研ぎ直しもやってくれてるんだ」
「そうして少しでも長く所有主に大事にして貰えるなら、道具も本望じゃろうて」
 冴はどこか寂しげに呟いた。
 もう一度一条通に出て少し歩くと、和菓子屋が目に入った。
「冴」
「何じゃ篝?」
「儂は饅頭が食べたいぞ」
「篝、あんたさっき氷小豆食べさしてもろたばっかりやないの。それに晩御飯ももうすぐねんし」
「そう言われても食べたい物は食べたいのじゃ」
 駄々をこねる篝。冴と楓が困惑している所へ健が一言。
「じゃあ俺が買ってあげるよ。何なら油揚げもどうかな? この近くに豆腐屋もあって、そこで売ってるんだよ」
「あら、えらいすんまへん健はん……」
「(もしも一緒に暮らすとなりゃ嫌われたままってのも愉快なもんじゃないしな。ここで機嫌取っとけるならその方がよかろうよ)」
「良かったな篝。健殿に感謝するのじゃぞ」
「ああ……」
 篝は渋々と云った感じで健に軽く頭を下げた。健は先ず目と鼻の先にある豆腐屋で油揚げを買い求め、辺りを見回す。
「和菓子屋は何軒かあるんだけど……おや」
 少し先の和菓子屋に野次馬集団が集まっていた。どうやら有名人が来ているらしい。健達と入れ替わるようにその有名人らしい人物と取り巻きは店から出て行き、野次馬もそれに続いていった。健は饅頭を買い求め、店のおばさんにあれが誰なのか尋ねてみた。
「今来てた人? 狂言師の桶山善三郎さんよ。野村萬斎さんほどメジャー云う訳でもないけどイケメンで話も上手いて京都ではちょっとしたアイドルになってるわね。毎週土曜朝にFM ALPHAのDJもやったはるし」
「ああ、こっちのローカルFM局ですか。そんな人がどうして此処に?」
「再来週にここの商店街でラジオの公開放送しょう云う話があるみたいなんよ。で、その下見にスタッフの人と一緒に来てはるんやて」
「狂言師の人がねえ。面白なりそうですな、おほほほ……あら、何で健はんは黙ったはりますのん?」
「健殿は能や狂言とか云う古典芸能は今一つ好かんのじゃ。子供の頃祖父に習わされた事があったらしくての」
「……習ったと言うより泣く泣く年寄りの道楽に付き合わされたってだけですけどね」
 健は苦々しげに言った。
「まあそない言いなはんな。おじいさんかて健はんを苛めるべしで教えはった訳でなし、知っといたら楽しいやろな思わはって……」
「楓、臍曲がりの健殿にその諭し方は逆効果じゃぞ。余計に気持ちを逆撫でするだけじゃ」
「ほなこう考えなはったらどうですやろ? 狂言は節回しはおかしいか知れまへんけどやってる事は今のお笑いよりよっぽど上等なコメディやって」
「……」
 健は黙って苦笑した。節回しのおかしさにクスクスと笑って、
「何がおかしい。ちゃんとはっきりしゃべらんか」
 と怒られたトラウマが甦って言葉が出ない。楓はその辺りをちゃんと読んだかのように言った。
「そないやったら、健はんの方から理解してもらうのを待たなしようがおへんやろなあ……」
「そうかもしれませんね」
 健はそう言うのが精一杯。いつしか一行は大将軍八神社の前にやって来ていた。
「此方に簡単なブースとステージを設けさせてもらって、一つ宜しくお願いしますよ。ちゃんと機材一式置けそうですしね」
「ええ、そりゃもう。我々としてもこうして大々的に取り上げてもらえるのはうれしいですよ。しかもDJは善三郎さんなんですし。何ならキヨピーさんも呼んでいただければ……」
「いやー、あの方のハイテンションと僕が釣り合うかどうか疑問ですけどね、はははは」
 イベントに向けてのやり取りはラジオ局のスタッフと商店街の店員との間で和やかに進行しているかに思えた。だが不意に飛び出す者があり、ざわめきが起こった。
「おのれ、誰に断って一条通に踏み込んだ」
「な、何ですか貴方」
 ラジオ局のスタッフは仰天していた。現れたのは自分より遥かに大柄な男だったから。
「我は付喪神の四天王が一人、手棒の荒太郎」
「つ、付喪神……」
「我らの聖域たる一条通に土足で入り、何をしようとしておるか」
「ここをお借りして、ラジオ番組の公開放送をするんですよ」
「ラジオ番組とな? ほう、それは面白い。ならばその企画、我らに利用させてもらおうか」
「ええっ?!」
「ここに放送設備が置かれた暁には我ら付喪神が京都に住む人間どもに宣戦布告をさせてもらう。そして電波によって意のままに人間を操るのも一興であろうな」
「ええっ、それって乗っ取りじゃないですか……」
「ええい黙れ黙れ。我の要求を飲まなければこの手棒の露にしてくれようぞ」
 荒太郎は手棒を振り上げて人々に襲い掛かろうとした。その時である。
 ドスッ
 荒太郎に当身を食らわせる者があった。よろめきながらもすんでのところで立ち直る荒太郎。
「誰だっ」
「これはこの辺りに隠れもない巫女でござる。近頃京の街に、罪無き民に仇為す付喪神がいると聞いて参った次第でござる」
 狂言師のように大見得を切って、冴が登場した。


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