第拾話 ツンデレ狐と大将軍
B-Part
「うぬ、又しても我らの邪魔立てをするか船岡の巫」
「邪魔立てとな? お主こそしゃしゃり出てらじお局の企画を邪魔しようとしているのではないか」
冴は荒太郎を睨みつけ、敢然と言い放った。
「今お主が矛を収めて去るのなら妾は追いはせぬ。嫌だと申さばこの場で護法童子に代わりて成敗してくれようぞ」
「俺を誰だと思っておる。付喪神随一の戦士の誇りに賭けて尻尾を巻いて逃げる訳には行かぬわ」
「ふむ、ならば妾の次の手はたった一つじゃ」
いつものように一蓮を懐から取り出して念じる冴。
「妖討の巫……」
ボンッ
鈍い爆発音と共に辺り一面濛々と煙が立ち込め、そこにいた人々は咽て咳き込んだ。
「げほっ、げほっ……おのれ!」
「ああ、目と喉に沁みて痛おすわ……」
「お前のために何の手も打っておらぬと思うか。祭文の督に煙玉を用意してもらったのだ」
「ぜえぜえ、み、皆の衆、この場は楓と妾に任せて逃げませい」
「こっちです。さあ付喪神が襲ってこないうちに早く!」
「させるか!」
健が薄ぼんやりとした視界の中で人々を誘導するべく手を振った。その前に通せんぼしようと立ちふさがる荒太郎。
「おっと!」
「ぬおっ」
突然飛び出した何者かに当身を食らって荒太郎は怯んだ。
「さあ、今のうちに逃げてください」
声の主は桶山善三郎だった。軽く目礼して、健は他の人々と一緒に大将軍八神社から逃げて行った。行きがけに篝を見つけ、その小さな手を引いて。
「山口、貴様何故儂を連れて逃げる!」
「篝ちゃんを危ない目に合わせられる訳ねえだろ」
「なれど儂は冴が心配じゃ」
「だからって危ない真似させられるかよ」
「分からぬ奴じゃな。儂は行くぞ。冴〜」
「あ、おい! 篝ちゃん(分かってないのはどっちなんだよ全く……)」
健の手を振り解いて今来た道を戻っていく篝、健は放っておけまいと篝の後を追った。必死に走って、鳥居の前に立ち尽くす篝を見つけたと思うや、
「冴! 姉上!」
健は篝が恐怖の色を顔に浮かべて叫ぶのを見た。更に神社の境内に目を移すとそこでは冴と楓が神社の木に縛り付けられて煙で燻されていた。傍らには桶山善三郎もいる。
「わははは、良い様ではないか」
「おのれ荒太郎……げほっ、げほん」
「こないな卑しい真似しやはって、げほん、只では、げほ、済ましまへんえ……げほ、げほっ、げほっ」
「いつまで強がっておれるかな? 弱った所でお前達をじっくり甚振ってやるから楽しみにしておれ」
「我らはともかく、げほ、罪無き者まで巻き込むな、げほっ、げほっ」
冴達が苦しむのをなすすべもなく悔しそうに眺める篝。健が追いついて訊ねた。
「これは……」
「煙で燻されると我ら化け狐は神通力が出せぬのじゃ。せめて縄を解くことができたなら、冴の力なら助かるのじゃが」
悔しそうに呟く篝。健は暫しの沈黙の後、油揚げを一切れ篝に差し出した。
「篝ちゃん、これを食べてあいつを攻撃するんだ。それで隙ができて冴や楓さんはチャンスを作れるかもしれない」
「うむ、微々たる物じゃろうが神通力を得られるかも知れぬな。よし、やってみよう」
篝は油揚げを食べると両手を上げて祝詞を唱えた。
「掛巻も恐き稲荷大神の大前に恐み恐みも白さく、枉神の枉事有らしめ給はず過ち犯す事の有らむをば。神直日大直日に見直し聞き直し、坐して夜の守日の守に守り幸はへ給へと恐み恐みも白す」
カッ
「こ、これは……?!」
一筋の稲妻が境内に走り、煙を出すために焚かれていた焚き火が消えた。同時に冴達を縛っていた縄も切れ、三人は自由の身になった。
「さて……」
冴は目顔で楓に「善三郎殿を頼む」と語っておくと不敵に荒太郎に笑いかけ、袴の裾を捲って腿に止めている短刀を取り出して構えた。
「お主が如き横着者、成敗してくれよう」
「ふん、そんな玩具で俺と渡り合おうとするか。笑わせるな」
「言っておくが妾はかなり怒っておるでな」
「尚笑わせてくれる、行くぞ!」
「参れ」
冴と荒太郎の戦闘が始まった。手棒で冴を殴ろうとする荒太郎。予期しているかのように軽々とかわす冴。間合いを取ったと思えば詰め、荒太郎を挑発するように動き回る。
「おのれチョロチョロと……だが今度は外さん!」
これじゃからお主は阿呆なのじゃ、と低く呟いて冴は一気に間合いを詰めると荒太郎の胸元に勢いに任せて手刀を叩き込んだ。
「やっ」
ドシーン
バランスを崩してよろめき、仰向けに倒れる荒太郎。
「冴はん、短刀を!」
「よし!」
楓の叫びに合わせて冴は短刀を掲げた。
「護法童子様、冴はんに助太刀を!」
楓の手から光の玉が放たれ、冴の短刀にくっ付いた。そのまま冴は短刀を荒太郎目掛けて振り下ろした。
「在るべき物に還るがよい……はっ」
冴の短刀は荒太郎の急所に刺さる……はずがすんでのところで荒太郎は体を捩り、短刀は急所を外れた。
「(しまった!)」
苦い顔の冴。荒太郎は刺された箇所を抑えつつゆらりと立ち上がった。
「俺は……俺はまだ負ける訳には行かぬ。今度相見えた時には……必ずや貴様を倒してくれよう……ぐっ」
荒太郎はそのまま姿を消した。
「又しても奴を逃がしてしもうたか」
「まあええやおへんか。善三郎さんもここに居った人らも命拾いしましたよって」
「うむ、なれど……」
楓に慰められても、荒太郎を仕留め損ねた悔しさで冴は苦々しい顔のままだった。
「(今度会った時、倒されるのは彼奴の方じゃて……)」
「このお風呂、昔の雰囲気を残してるんがよろしおすなあ」
「いやいや、儂は冴が一緒ならどこであろうと楽しいぞ」
「二人ともこの銭湯が気に入ったか。紹介して良かったわ」
戦いが終わった後、冴、楓、篝は千本鞍馬口にある「船岡温泉」の風呂に入って疲れを癒していた。大正十二年創業の銭湯で、当時の雰囲気を今に伝える貴重な場所として近隣住民を筆頭にファンの多い銭湯である。楓も篝も風呂は好きなのでいたく上機嫌であった。気乗りがしなかった所を楓に誘われて、健も男湯に入っていた。
「篝」
「何じゃ冴?」
「今日はお主のお陰で助かったわ。礼を言うぞ」
「ああ、冴の身の危機とあらば儂は火の中でも水の中でも参るぞ」
「でも健はんのお陰でもある事、忘れたらあきまへんえ。健はんかてあんたを心配して追い掛けてきやはったんやからね。それで健はんがおれへんだら……」
「それを言うな姉上」
篝は健の名前を出されてむくれて、更にこう続けた。
「儂一人でも何とかなったのに、あの男が要らぬ節介を焼くから……」
「でも健はんに買うてもろた油揚げはおいしかったんやろ?」
「う……」
「健殿も妾と同じで、今住まわせてもらっておる和風喫茶で働いておっての、料理もできる故素材を見る目は確かじゃ。心根の優しい健殿がお主に不味い物を食わせるはずがあるまいて。憎まれ口を叩いてはおっても、少なくともお主はその点に関しては健殿に感謝はしておるのであろう?」
冴に畳み掛けられている間、篝の口の中に健に食べさせてもらった油揚げの味が甦った。
「(むう、確かにあれはとても旨かったが……)」
「まあお主もいずれ分かろう。健殿はお主が思うほど悪い男ではない」
「(……冴がそう言うのならそうなのであろう。冴は儂に嘘をついた事は一度もないでの。)じゃが、じゃが……」
「どうした篝?」
「山口ー!」
二言言い募って絶叫する篝。
「儂は絶対に貴様の事など認めぬからなー! 冴におかしな事をしたら只では済まさぬからそのつもりでおれー!」
「やれやれ、また居候が増えるのか。しかも今度は扱いにくい子供がなあ……」
浴槽に浸かりながら、頭を抱えて呟く健であった。
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