第拾壱話 偶然×偶然=番狂わせ
 

A-Part

「健はんこんにちは」
 大学帰りに大将軍商店街を歩く健に声をかける妙齢の女性があった。楓である。
「あ、ああ、こんにちは楓さん」
「うちこれから其方へ行くとこやったんですわ。店まで一緒に行きましょか」
「ええ」
「楓さんはどうしてまたうちに?」
「ちょっと篝に用がおますんやわ。お恥ずかしい話ですけどあの娘は……あら」
 会話を交わしつつ健と楓は並んで歩いて「元吉」の前まで来た。店の格子戸がガラガラと開いてどこかで見たような着物姿の男性が出て行き、次に店の中から聞こえてきたのは、

「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃー! どこの馬の骨とも知れぬ男と逢引なぞ嫌じゃー!」

 篝の金切り声である。健と楓が店に入ると、冴が篝を宥めている所に出くわした。
「まあそう言うでない。妾とてでえと自体には気が進まんのじゃ。なれど善三郎殿は古門前の古道具屋には詳しいと云う話なのでな、もしや何物かに姿を変えられたとか云う刀十郎の手掛かりをつかめるやも知れぬではないか」
 冴は更に続ける。
「それに先日助けて貰うた礼がどうしてもしたいとああも丁重に言われては断り切れぬ。精一杯妾を思っての事なのじゃから」
「ふん、無礼な事を言う。たかが狂言師の分際で船岡の一族の巫女と対等に口をきこうとはな」
「そう云う物言いは感心せえへんて……」
 ヒョイと篝の体が持ち上がり、篝は店の椅子に座った楓の膝にうつ伏せに寝かされて尻を捲られた。
「何遍言うたら分かるの篝!」
 ピシャンピシャンと篝の尻を打つ楓。
「痛い、痛い! やめてくれ姉上」
「おや、健殿帰っておったのか。楓も一緒とはな」
「偶々近くで一緒になってね……ところでさっき何があったの?」
「うむ、実は狂言師の桶山善三郎殿が店を訪ねての、先日付喪神に襲われた所を妾に助けて貰うて、その礼がしたいと言うて来たのじゃ。そこで明後日の土曜に古門前の古道具屋巡りはどうかと話を持ちかけられての、妾は刀十郎を探す良い機会じゃなと思うたのじゃよ」
「そうなのか」
「例によってこの通り、篝は妾が男と一緒に居るのを嫌がってのう……知らぬ男に容易く靡く程、妾は尻の軽い女子ではない事位分かっておるはずなのじゃが」
 冴はそう言って、健に笑顔を向けた。どこか婀娜っぽいような笑みを。
「な……(おい又俺を揶揄うのかよ)」
「(さあて、それは秘密じゃ)」
 健が渋い顔をしたのを察して、目だけでそう語りかける冴。健はその冴の顔に多分に違和感を覚えた。
「(冴の顔、いつも俺を揶揄う時の顔とちょっと違ったような気がしたけど……何でだろう)」
 健の胸に込み上げる、何とも説明のしようのない思い。これは一体何ぞや……と考えている余裕など健にはなかった訳であり、
「山口、何を呆けておる」
 篝の怒声が飛んだ。
「え、いや、俺は別に……」
「さて、今日うちは篝にちょっとの間帰ってもろて話せんなん事があるんよ。ちょっと来よし」
 おおきに、今日はお邪魔さんでしたと冴と健に言い置いて、楓はむずかる篝を抱いて「元吉」を辞去した。健は尚も冴の真意を知りたかったが、
「健君、そろそろ入ってくれないかな?」
「はーい」
 矢張り考える間もなく義郎に声をかけられて、健は矢絣の着物に手を通して「元吉」のウエイターとして働く事になった。

 その翌々日の事である。健は直美と一緒に商業施設ビル「COCON烏丸」の小さな映画館「京都シネマ」の席に座っていた。
「(すっかり当てが外れちゃったなあ……)」
 すっきりしない思いの健である。本当は健は古門前町に出かけた冴と善三郎をこっそり追うつもりだったが、
「ケンちゃん」
「ん?」
「明日映画見に行こうよ。奈々香が京都シネマの割引券くれたの」
 健がレポートを書いている所へ直美がやって来て、デートに誘って来た。直美の差し出した映画のチラシを見る健。
「どんな映画だ……『夜を焦がせ 〜Candle Tonight〜』……京都が舞台のラブロマンスだって?」
 直美の好きそうなやつだぜ、と健は思ったが、どちらかと言えば健の興味を惹くジャンルではない。健が乗り気でないのを見て取った直美は言った。
「久しぶりにケンちゃんと二人っきりで出かけられるって思ったんだけどな……(私今年になってから初詣以来二人きりのデートしてないわ)」
 寂しげな直美の目はその胸中を語っていた。個人的にしたい事はあったし、直美の健への想いが分からなくても直美を泣かせるのは健の本意とする所ではなく、
「分かった、付き合うよ」
「ありがとう、ケンちゃん」
 健が同意すると、直美は忽ち満面の笑みで感謝を示してくれた。
「(参ったな。冴達が行く所とは全然逆の方向じゃないか。映画の後で冴を見つけられるか心配だよ)」
『喜世子、今夜は俺と一緒に踊ろうぜ』
『勿論ですとも、政光さん』
 映画が始まり、一心不乱にスクリーンに見入っている直美の横で健は梅塩味のポップコーンを食べつつボーッと流していた。今頃冴と善三郎はどうしてるだろうと云う事ばかりを気にかけて。直美はこの日のために初夏らしい薄緑のカットソーとお揃いの膝上のスカートでお洒落をしていたのだが健がそこに頓着するはずもない。
『うるせえ、何で俺が喜世子以外に……もういい、そんな喜世子なんか知らねえよ』
『政光さんの莫迦……うっ、ぐすん』
 映画は主人公のカップルが喧嘩して、関係に罅が入る場面に入っていた。
「すん……」
 鼻息の音に健がチラリと横を見ると、直美はハンカチで目尻を拭っていた。泣くヒロインを見て貰い泣きしているらしい。
「(まあ落ち着いて見ようぜ。まだ先があるんだから)」
 映画の筋を追ってはいなくても、カップルの関係がやばい事になっているのは声の調子で分かる。健はそう言うように直美の頭を軽くポンポンと叩いてやった。それで直美は少しずつ泣き止んでいった。
『俺にはやっぱり喜世子がいないと駄目なんだ。その代わり俺も精一杯お前を幸せにしてやる。ここまで言っても駄目か?』
『……政光さん、やっぱり政光さんは私の事好きでいてくれたのね。嬉しい!』
『もう絶対お前を離しはしないよ……何があってもな』
 映画は結局カップルの和解と云う形で幕となり、二人が南座前から河原町の方へ四条大橋を渡っていくラストシーンで終わった。BGMに流れるのは情熱的なエンディングテーマ。直美が健にそっと体を寄せ、健の手に自分の手を重ねてきた。
「(おおっと……)」
 突然の攻撃に動揺する健。
「(さては奈々香にチケットのついでに俺のハートを掴む方法も入れ知恵されたな?  こんな形で俺に迫ってくる事なんて滅多にないもん……後で感想聞かれて上の空って答える訳にもいかんし、ここは直美の顔どうにかして立てておくか)」
 健は黙ってそっと直美の手を握り返した。
「ふふっ」
 直美が静かに、でも嬉しそうに笑ったように思えたのは健の思い過ごしだっただろうか。
 その後同じビルの中にあるお洒落なイタリアンカフェ「スーホルムカフェ」で健と直美は昼食を食べ、直美は上機嫌で健に話し掛ける。
「私ね、京都でデートするのっていい感じって思うの。何も新京極や河原町だけじゃないわ。季節が変わる度にいろんな景色が楽しめる哲学の道とか、鴨川の川辺とか。あ、西陣西陣、これは大事よね。お食事もおやつも美味しい物いっぱいあるし、昔ながらの京都の街並みもいっぱいあるし。そこんとこの魅力があの二人のデートって形でいっぱい詰め込んであったのが良かっ……ちょっとケンちゃん、聞いてる?」
「え? ああ、聞いてるよ」
「本当に? さっきから御飯食べるのに夢中みたいだったけど」
 ビーフトマトクリーム丼を掻き込んでいた健は慌てて口元を拭って言った。
「あー、その、直美の言いたい事は俺もよく分かるよ。京都って絵になる景色が多いし、それをあの映画は上手く採り入れてあったよな」
「それだけ?」
 一応その場を取り繕った健だったが、直美はまだ不満そうである。健は困惑して暫く黙っていた。
「ケンちゃん、それ以外に映画の感想ないの?」
 直美が畳み掛ける。
「いーい? 映画見た後で『デートしようぜ』ってケンに言わせたら勝ちよ。そこまで頑張りなさい。ライバルがいっぱい出てきた以上、ここでフラグ立てておかないとケンを他の女の子に持っていかれちゃう危険は大きいわ。ケンがナオ以外の娘にフラグ立てる可能性だってなくはないんだからね」
 健が推測した通り、直美はチケットを渡される時奈々香にそう言われていた。そして歯切れが悪そうに健は直美に問う。
「言っていいか?」
「勿論よ。ケンちゃんが思った事素直に言ってちょうだい」
「正直俺ラブロマンス物ってあんま楽しめないんだ。あの映画ありがちな筋だったし」
 顔を曇らせた直美。だが健は続ける。
「けどな、あの二人見て思ったよ。そう言えば俺はあんなふうにしばらく直美と二人っきりでどっか行く事ってなかったって……だからさ、直美」
「なあに(あら、もしかして脈ありかしら)?」
「この後ちょっと一緒に歩かないか。俺、古道具屋でウインドーショッピングしたいんだよ」
「いいわよ(感激!)。それじゃ寺町上がっていきましょうか」
 心なしかはしゃいで言う直美。健の顔が翳ったのを見て取って、
「ケンちゃん、どうしたの? そっち行きたいんじゃないの?」
「いや、そんな訳じゃ……あー、兎に角これから寺町に行くとしますか」
 口ではそう言ったものの、又しても思惑が外れたのが面白くない健だった。

 一方で古門前に桶山善三郎を伴ってやって来た冴は、古道具屋でこれぞと思った商品を見つけては手に取って矯めつ眇めつ眺めていた。冴も善三郎もカジュアルな感じながら小洒落た和服に身を包んでおり、傍目には小粋なカップルに見えている事であろう。
「さっきから随分熱心に見られてますね」
「うむ、心惹かれるものはあるのじゃが、仔細に見るとどうも妾の趣味に合わなくての。どうせなら長く手元に置いておきたい物を選びたいではないか?」
 まさか弟を探しているとは言えないから、そう答える他ない冴である。すると善三郎は一つの湯呑みを差し出した。
「これなんかどうですか? 冴さんに似合うと思うんですけど」
「どれ、見せてくれ」
 それは優雅に舞を舞う巫女の絵が描かれた、清水焼の湯呑みだった。どことなく冴のイメージと重なるようにも思える。冴は善三郎から湯飲みを受け取って、例の如く仔細に観察した。
「(どうもこれも刀十郎ではないようじゃが……ん?)」
 やや大ぶりのサイズのその湯呑みに描かれた巫女は、自分の言いたい事を分かって貰えそうな人物が現れたから言いますけど実は……と冴に語りかけてくるような感じを冴は覚えた。側面に貼られたシールを見ると、古そうな湯呑みである割に手頃な値段が付けられている。
「(妾が引き取ってゆっくりお主の話を聞かせてもらうか)」
 冴が財布を出して勘定してもらおうとするのを、善三郎が押し止めた。
「お気に召されたなら僕が買ってあげますよ」
「いや、そこまで善三郎殿に気を遣って貰うのも悪い。これの代金は妾が払おうぞ」
「何の、これぐらいお安い御用ですから」
 善三郎は冴の遠慮を押し切って、湯飲みを冴にプレゼントする事に成功した。
「ああ……これは忝い」
 一応の礼を述べる冴。
「いやいや、お礼には及びませんよ」
 善三郎は気を良くしていた。彼は以前公演で訪れた舞台の近くにあった神社で買った、恋愛成就の御守を首にかけていたのである。偶々市が開催されていて、そこの店主にご利益覿面と勧められて買ったものだった。
「(どうやらその効果はあったようだな)」
 願わくば冴を懇ろになりたいと思ったが、それは成功しそうだと嬉しくてたまらない善三郎であった。それが思わぬ災難を呼ぶ事になるとも知らずに。
「(どうやら彼女の心を掴むのには成功したと見える。この後食事にでも誘って更に気を引いてみろ)」
 善三郎にそんな御守の声が聞こえ、彼はそうしてみようと思って言った。
「さあ、ちょっと一休みしてお昼御飯にしましょうか」
「何処へ行くのじゃ?」
「ちょっと張り込んでホテルにしましょう。蹴上のホテルに美味しい京料理のレストランがあるんです。まずはタクシー拾いましょうか」
「蹴上? ここから近からぬ所じゃろう。そこまで出してもらってはお主に悪い。もっと近場で済ませぬか?」
「いやいや、いいですからいいですから」
 彼らが店を出て数十分経った頃、店の電話が鳴った。中年の店主は大儀そうに立ち上がって受話器を取った。
「はい……ああ、兄さん。え、湯呑み? どんな湯呑みかな?」

 寺町御池の古道具屋が軒を並べている界隈に、健と直美が足を踏み入れた時彼らは思わぬ顔見知りの少女に出会った。一枚の紙を手にオロオロしている篝である。
「おや、篝ちゃんじゃないか」
「な……吃驚させるな山口……と橋本」
 慌てふためく篝。文句を言いたそうな健を抑えて直美が篝に話し掛ける。
「篝ちゃん、こんな所で何してるの?」
「う、うむ……実は姉上の命令である古道具を探しに来……山口、貴様には関係ない話じゃ。聞き耳を立てる事はないわい」
「何でそう俺に憎まれ口ばっかり叩くかな篝ちゃんは」
「ねえ篝ちゃん、ケンちゃんは悪い人なんかじゃないわ。小学生の頃からケンちゃんを知ってる私が言うんだから間違いないわよ。きっと助けてくれるわ」
「……ならば恥を忍んで山口にも事情を話してやろう。下心はあるかも知れぬにせよ山口には先日の恩もあるしの」
 何だよそりゃと言いたそうな健をよそに篝は話を続けた。
「実は儂は姉上が大事にしておった茶碗を誤って割ってしもうてな。それが知られた時の姉上の怒りはいかばかりかと思うと恐ろしくて、儂は茶碗の欠片を集めて花壇に穴を掘って埋めたのじゃ」
「(……で、それがバレて楓さんに怒られたって訳だな。こりゃ隠す篝ちゃんが悪いと思うけど)」
 健が思わず苦笑したのを篝は見逃さずに怒声を飛ばした。
「山口、何を笑っておるか! 真面目に話を聞かぬなら雷を見舞うぞ」
「笑ったなんて誤解だよ。話を聞いて俺達が力になれるなら協力してあげようって思ってるのに。さ、話を続けてご覧な」
「そうして神社に造園屋が入っての、花壇の花の植え替えで土を掘り返したら割れた茶碗が見つかって儂のヘマが露見したと云う次第じゃ。あの手厳しい姉上の怒るまいことか! おまけに茶碗も口を揃えて儂を叱る始末じゃ」
「茶碗が?」
「ああ、姉上の茶碗は付喪神でもあったしの」
 実際に篝は割れた茶碗を前に、座敷で楓に正座させられて説教を聞かされていたのであった。

「篝、あんたが正直にこの事をうちに話してたらまだ許してあげなくもなかったんよ。せやけど隠した上にうちが茶碗何処にいったか聞いても知らんの一点張りてどう云う事やの。神さんがこんな事してええて思てるのん?」
「済まぬ姉上。儂はどうしても怒られたくなかったのじゃ」
「怒りたないんはうちも一緒やわ。せやけどあんたかてもう八百年も生きてんのやったらそれがあかん云う事くらい分かってるんちゃうのん?」
「……」
「黙ってないで何とか言え。お前に落とされて使い物にならなくなった俺の立場はどうなる」
 怒声と共に現れたのは、黒い羽織と袴を小粋に着た、健がもう少し年を取ったらさもありなんと云う感じの壮年の男性である。
「き、貴様はもしや……」
「そうだ、付喪神と化しておった楓の茶碗よ。俺を殺しておきながらそれを隠そうとするお前の子供のような性根には呆れた。それが故に死にきれずにこうして化けて出させて貰った次第だ。その罪はきちんと償ってもらおうか」
「で、儂にどうしろと言うのじゃ? 新しい茶碗を買って来いと?」
「そこまでは言わぬ。新しい茶碗はもう楓は顔馴染の陶芸家から買い求めたからな。お前に探して欲しいのは俺の双子の妹だ」
「妹?」
「うむ。同じ陶芸家の手による湯呑みでな、巫女の絵が描かれている。晩春の桜の中で雅に舞う巫女だ。ある好事家が求めていった後、彼はその後何らかの事情で古道具屋に手放したのは確かなのだがその後の行方が分からない。いや、何も買う必要はないぞ。両方とも息災にしておるか確かめて俺に報せてくれればそれで良い。それで俺も安心して眠りに就く事ができようと云うものだ。必ずや妹を探し出してくれ」
 茶碗の幽霊は一枚の紙を渡した。そこには彼の妹と云う、巫女の絵付けがされた二つの茶碗の絵が描かれている。これを手掛かりに探せと云う事らしい。
「篝、そう云う事なら妹はんを探してきなはれ。道半ばでお社や元吉に帰ってくる事は許しまへん。冴はんにあんたはちゃんとこのお茶碗の妹さんを見つけられたんか聞きますよって。ええね?」

「そうだな、今なら時間まだあるし、篝ちゃんと一緒にその茶碗俺達も探してあげるよ」
「(山口の親切など素直に受けられるものか)」
 篝は健の申し出を断ろうとしたが、同時にはたと思った。
「(じゃが待てよ。山口が橋本と懇ろになれば冴に靡くと云うこともあるまい。まして山口は何人もの女を手玉に取る程の甲斐性など凡そない男じゃ。この際冴と山口を引き離すために奴と橋本の縁結びをしてやるのも悪くはなかろう)山口、橋本、儂は貴様らの申し出を甘受する事にしよう。逢引を楽しんでおる所悪いがよろしく頼む。礼には……そのー、貴様らのためにご馳走でも料ってやっても良いぞ?」
「へえ、篝ちゃんもお料理できるのね」
「あー、その……ま、まあな。ちらし寿司等どうじゃ(本当は姉上に頼んで作ってもらう事になるがの。山口は姉上のお気に入りの事で腕によりはかけてくれるじゃろうし)?」
「(嘘くさいな……まあそれはともかく今日の篝ちゃんはやけに素直だな)」
 山口は篝が見栄を張っている事を見抜いたが、それはあえて表には出さずに、
「それはありがとう。別に邪魔でも何でもないよ。俺は特に何を見るってあてもなかったし。いいだろ直美?」
「ええ、私も一緒に探してあげるわ。ところでケンちゃん、これからどうするの?」
「昔俺がカメラの事で何回か世話になってた店があるんだ。まずそこを当たってみよう」
 健はそう言って数分程歩いた先の、古めかしい構えの店に入った。
「いらっしゃい……おや山口君、随分とご無沙汰だったけど元気にしてたかい」
「あ、どうもお久しぶりです。去年京都の大学に入って、しばらくこちらでお世話になる事になりました。今日はこの近くまで来る用があったんで」
「どうだ、お父さんのキヤノネット、今も使ってくれてるかな」
「ええ、それはもう大事にしてますとも。俺が写真を覚えたのはこいつのお陰ですからね。今じゃフルマニュアルでも十中八九失敗はありませんね」
「ほうほうそりゃ大したもんだな」
「ま、昔こそ下手糞なんて言われてたけど今じゃあぢいっ!」
 突然健の顔が苦痛に歪んだ。篝が健の向こう脛を蹴飛ばしたのである。下を見た健の目に入ったのは無言で睨み付ける篝だった。
「(貴様、儂らは何のためにここに来たか分かっておるのか)」
 目で語りかける篝を直美は慌てて宥めた。
「ね、篝ちゃん落ち着いて……」
「どうしたんだ山口君」
「い、いやあ、あははははは……あー、そうそう、今日はちょっと探してる物があるんですが」
「探してる物?」
 健は篝に手を差し出し、篝は湯呑みの絵が描かれた紙を手渡した。
「こんな湯呑みです」
「ふむ……ああ、これならうちにあるよ。先々週うちの常連のコレクターが売りに来たんだ。スペースの関係でまだ売り場には出しておらなんだがね。何でもこれは二つで一組の湯呑みだったそうなんだが、その片割れがなかったって事でその分安いよ。どうかね?」
「いや、実はその片割れも儂らは探しておるのじゃ。店主に心当たりはないかの?」
「ええ、そんなこと言われてもそうおいそれと見つかるかどうか……そうだな、古門前の弟に問い合わせてみるか。でもあんまり期待はしないでくれよ」
 古道具屋の主人は電話の受話器を取って、弟が経営していると云う店の番号を回した。
「あ、もしもし。うん、俺だよ。ちょっと商品の事で聞きたい事があるんだが……ん? ああ、巫女の絵付けがしてある湯呑みなんだが……ああ、ちょっと待っててくれ、そっちのパソコンに写真を送るよ」
 主人は受話器を机の上に置くと徐に安物のデジタルカメラを取り出して、問題の湯呑みの写真を撮ってパソコンに転送した。そうしてもう一度受話器を持って返答が帰ってくるのをじっと待っていた。
「おお、届いたか。え、何? あったのか。あー、でも買われちゃったのか。それで……ふん、そうか、それじゃしょうがないな。ま、あったって事は分かったよ。忙しい所どうもありがとう」
 残念そうに受話器を置く主人。顔を曇らせた健にお察しの通りさ、と言いたそうに主人は言った。
「あったけど狂言師の桶山善三郎さんが来て、買って行ったんだってさ。そうしてそれを一緒に来ていた女の子にあげたんだそうだよ」
「何と、桶山善三郎とな?」
 健と篝は顔を見合わせた。事情が分からず面妖な顔の直美。
「直美」
「は、はい?」
「ちょっと遠いけどこれから古門前に付き合ってくれ」
「え、ケンちゃんがそう言うならいいけど……」
「それから篝ちゃん……」
「分かっておる、皆まで言うな」
「ありがてえ。油揚げは弾むぜ。じゃあ俺達はこれから古門前に向かいますんで。すみません、いずれ又」
「あ、山口君?」
 訝る店主をよそに、健達は店を出て南へと向かって行った。

「祭文の督、お前の計画いかに進んでおるか?」
「万事私めの筋書通りに事は運んでおります。後は隙を窺い、桶山善三郎を利用すれば必ずや船岡の巫を倒す事が出来ましょう」
「祭文の督、本当に上手くいくのか?」
「主から桶山善三郎の名を聞いて閃いたのじゃよ荒太郎。あの狂言師は京都に名立たる狂言師の中でも殊更に女好きの男じゃ。となれば必ずや奴は船岡の巫に接触するに違いないと我は睨んでの。そしてその読みは当たった。これを見るがよい」
 付喪神の本尊、変化大明神の前で高烏帽子の祭文の督は祈りを込めて念じた。本尊の背後の鏡に、ホテルの和室で将棋に興じる善三郎と冴の姿が映し出された。
「善三郎に売り渡した御守から届けられておる映像じゃ。遠からず攻撃を仕掛ける機会はやって来る。その時こそ我の本領を発揮する時よ、ふふふふふふ」
「流石に祭文の督は強い霊力を持つ方だけに自信ありげでいらっしゃる。今度こそは我らの勝利であろう。のう八乙女……八乙女? どうした浮かぬ顔をして」
 神楽男は八乙女に訊ねたが、不安げな顔の八乙女は無言で答えなかった。
「どうした八乙女。気分でも悪いのか?」
「……ううん、どうもしないわ」
「隠し立てをするな。主は何か不足そうに眉根を寄せておるではないか? 含む所がないとは言わせぬぞ?」
 祭文の督に聞かれて暫しの沈黙の後、八乙女は苛立つように言った。
「じゃあ言わせてもらうけど祭文の督、貴方はそれで万全の手を打ったって言い切れるのかしら?」
「何じゃと?」
「船岡の一族の者、どう足掻いても真っ向勝負では到底私達の叶う相手ではないわ。あの護法童子が後ろ盾にいるんだもの」
「言われるまでもない。さもあらば我らは策を弄してこの京都を征しようとしているのではないか」
「加えて追い込んだと思ってもあと一歩で邪魔が入らないとも限らない。船岡の巫が街に来た時、私が憂慮しているのはそこなのよ。何せ訳の分からない味方まで付いたしね。そう云う不測の事態があったとすればどうするの?」
 カチンと来た祭文の督。
「黙れ。今度は抜かりはない。我の力を持ってすれば船岡の巫を殺すなど造作もないわい。主こそ正に不測の事態に……」
「騒ぐな」
「先生……」
 叱られて鎮まった祭文の督は古文先生を見遣った。
「同じ失敗を繰り返しとうないからこそ、八乙女はその事で怒っているのであろう。 我も同じ失敗をされる事は好かぬ。祭文の督も気をつけることじゃな」
「くっ……」
 苦々しい顔の祭文の督。八乙女は尚も不安げな顔で鏡に映された冴と善三郎の様子を見守っていた。


Bパートに進む

「京都現代妖討譚」トップに戻る

「かやく御飯の駄文置き場」トップに戻る