第拾壱話 偶然×偶然=番狂わせ
 

B-Part

「これでどうじゃ?」
「む……」
「この突き歩が成って王手じゃ。妾の詰みは決まったの」
 楽しげに笑う冴。
「お見事。やられました」
 叶わないとばかりに冴に頭を下げる善三郎。冴と善三郎は蹴上の「都ホテル」の京料理レストランで昼食を済ませた後、チェックインして和室の縁側で将棋を指していた。付喪神と戦う時と同じようにひたすら王手を狙う強気の攻めで冴は善三郎を追い込んで、あっさりと勝利を物にしたのである。
「いやはや、将棋が強いと桶山家では評判のあった私をあっさり負けさせるとは、冴さんは相当な達人でいらっしゃいますな」
「妾とて将棋は大した腕ではない。偶々運が良かっただけじゃて」
 冴は謙虚に返した。
「いや、そんな事は……おや、どうやらお風呂が沸いたようですな。どうぞ冴さん、お先に入ってきてください。暑い道中でさぞ汗をかかれたことでしょう」
「忝い。では先にいただくとするか……おっと、覗くでないぞ?」
「覗きませんよ。安心してください」
 冴は分かったと言いたげに笑って頷き、浴室に引っ込んだ。
「好機は訪れた。善三郎、ここで主に協力してもらうぞ」
 何者かが善三郎に囁く。
「誰だ?」
 善三郎が振り向くと立っていたのは衣冠束帯の恐ろしげな顔の神主。仰天した善三郎が悲鳴を上げる間もなくそれは善三郎の体に憑依した。
「我はこの御守に宿されておった神だ。主はあの女と添い遂げたいと思うておったのであろう? その望み叶えてやっても良い……我に今暫しこの体を貸してくれれば、じゃが」
 取り憑かれた善三郎は浴室の扉を開けて、裸の冴に襲い掛かろうとした。
「善……いや、これは……」
 闖入者に驚く冴。だが善三郎の発するただならぬ妖気が冴を妖討の巫女の本分を発揮せしめた。
「はっ」
 手刀一閃、善三郎を床に叩きつけて、慌てて冴は襦袢で裸を隠し、護身用の短刀を取って構えた。
「善三郎殿の体を借りて妾を狙うとは横着な者よな。調伏してくれようぞ」
「良かろう、この勝負受けて立つ」
 ゆらりと立ち上がる善三郎。彼は印を結んで何事か念じると、棒が現れて善三郎の手の中に収まった。
「依代が狂言師だけに『棒縛』の次郎冠者を気取るか。なれど何を出したとて妾には同じ事じゃ。参る!」
 冴は善三郎の懐に飛び込もうとしたその時、
「ヤットナ」
 善三郎は棒を横向きに構えて、冴の背中に棒を翳したと思うや、冴の両手首を棒に縛り付けてしまった。
「うぬ」
「ふふふ、良い様ではないか船岡の巫。このまま刀の錆にしてくれようぞ」
 次いで善三郎は刀を出し、冴目掛けて斬りかかる。両腕の自由を奪われ、逃げるのが精一杯の冴。
「(迂闊に近づけば斬られる。今は何とか反撃の気を窺うしかないか……)」
 バサリ
 間一髪で刀をかわした瞬間、襦袢が切れた。
「おのれ!」
「ふふふ、どこまで冷静でいられるかな船岡の巫」

「ああん、ケンちゃん、もっとゆっくり走ってよー」
「何をトロトロ走っておるか山口、もっと急げ!」
「直美も篝ちゃんも俺を板挟みにしないでくれよ」
 一方、古門前にある、先の店の店主の弟が経営する古道具屋を訪ねてそこで冴と善三郎は蹴上へと向かったと聞かされた健達は、自転車で三条通を東へ向かっていた。 タクシーに乗ろうにも健も直美もそれだけの金を持っておらず、ATMも近くにないので川端通の自転車屋から借りてきたのだった。健の自転車には籠の上に子供用の座席がついていて、そこに篝が乗せられている。後でこの話を直美から聞かされた奈々香は
「ヤッターマンにやられたドロンボーみたい」
 と失言して健を怒らせた。これは又別の話ではあるが。
「俺は……俺は心配なんだよ、冴の身の上に何かあるんじゃないかって」
「山口、貴様何を根拠にそんな事を?」
「さあ、そんなの分からねえ。だけど誰かが俺の心にそう言ってる、そんな気がするんだ」
「ケンちゃん、何それ?」
 暫し沈黙していた篝がポツリと言った。
「……山口の言う事、強ち妄言でもないかも知れぬぞ」
「何ですって?」
「儂も今山口の近くで刀十郎がどこからか語りかける気配を感じる。恰も刀十郎がどこからか山口に冴の危険を伝えているかの如くな」
「ケンちゃん……」
「冴と刀十郎がまだ小さかった頃、彼らと親交のあった一族の館の家によく遊びに行ったと云う話は姉上から聞いた事がある。そこに東から館の孫息子が来た事があって、刀十郎と懇ろにしておったらしいが……山口!」
「あー、何だよ篝ちゃん」
 事あるごとに怒鳴られてゲンナリ気味の健。
「冴の霊気のある場所を通り過ぎたではないか。引き返せ!」
「何だよもう」
「何でもいいから早く引き返せ。寸刻を争うのじゃ」
「分かってるよ(全く勝手に喋るのに夢中になって肝心の事忘れちゃ困るじゃないかよ)」
「よし、目標はあの宿じゃ」
 一行は大急ぎで都ホテルへと入っていった。

 両腕を広げた態勢のまま、何とか客室まで脱出できた冴。
「そらそらどうした船岡の巫」
 善三郎は突きを繰り出してくる。冴は一度間合いを取ってジャンプし、善三郎の腕に蹴りを決めて刀を落とそうとした。
「(それっ……何?)」
 だが思うように体が跳ねない。力が抜けているかのごとく。善三郎はニヤリと笑い、更に突きを出して来た。冴はバランスを崩し、仰向けにバタリと倒れてしまった。
「今度は我が王手を掛ける番じゃな」
「その口調……お主は高烏帽子の祭文の督か」
「いかにも。この男の御守に我の分身を仕込んでおいたのじゃ。そうして主を狙う機を窺っておったのじゃよ。さあ一思いに殺してくれる……じゃが待てよ」
「何?」
「この男、心底主に惚れておったようじゃ。殺す前に主をこの男の思う様辱むるのも一興であろう。良い趣向ではあるまいか」
「くっ……」
 手も足も出ない状態でこのまま純潔を散らされる事が悔しくてたまらない冴に善三郎が挑みかかろうとしたその時であった。
「そこまでじゃ、付喪神」
「冴に汚い手で触るなスケベ野郎」
「そうよ、女の子を縛って乱暴するなんて酷いわ」
「ぬ、主はあの時の少年か」
 健は篝に目配せしておいて、更に言った。
「冴にこんな事しやがる奴を、俺は許さないぞ」
「だからどうした」
 健はその問いには答えず、直美を見遣って言った。
「直美、お前は下がってな」
「ケンちゃん、まさか……」
「そうよ。許せんとなれば立ち向かうまでだ」
「ほほう……丸腰で我に抗うその度胸だけは買おう。だがどこまで持ち応えられるかな?」
 刀を構え直して、祭文の督の憑依した善三郎は健目掛けて斬りかかる。だが彼の刃を健はことごとくかわして逃げ回った。
「我の刀を避けるとは、少しは出来そうだな」
「へっ、冴の竹刀の方がよっぽど怖いぜ」
「ならこれはどうだ?」
 一瞬の隙を突いて、善三郎は突きを繰り出す。健がよろめいた所でチャンスとばかり改めて刀を振り下ろそうとしたその時であった。
「やめろー!」
 篝が登場して、善三郎の背後からキックを見舞った。よろめいて倒れる善三郎。健は咄嗟に横に飛んで避けたが、それがあと数秒遅かったらブスリとやられていたであろう。
「冴、短刀と一蓮を持って来たぞ」
 篝は冴の側に駆け寄り、短刀でさえを縛り付けていた縄を切った。
「忝い、又お主に助けられたな」
 篝に笑いかけてゆっくりと立つ冴。だが力が抜けたままの冴は立ってもまだふらついたままである。
「(例によって一蓮に武器を出してもらえたなら……)」
 冴が一蓮を捌こうとしたその時、
 パァァァ……
 一蓮が輝き、縁側のテーブルに置かれていた湯呑みと、直美が持っていた湯呑みがそれに共鳴するかのように光り輝いた。
「な、何よこれ……」
「雪菜、やっと会えたわ」
「若菜、私も久しぶりに会えて嬉しい……そしてそこにいらっしゃるのは」
 健は二つの湯呑みが自分の方に向かう気配を感じて動揺した。程なく湯呑みは巫女の形に姿を変えて、
「「お兄様ー!!」」
 感激の声と共に二人して健に抱きついてきた。
「な、何だよお兄様って。俺は一人っ子だってのに」
「え、ちょ、ちょっと何よ。ケンちゃんがお兄様って……ああ」
 直美は額に手を当てて、ペタンとその場に崩折れてしまった。
「な、直美!?」
 健が更に動揺したのは言うまでもない。冴と善三郎は暫く鳩が豆鉄砲を食らったような顔で健を見ていた。
「主らも付喪神であったか。我らの同族でありながら人間に与するとは何たる事。先ずはそこをどけ。我は奴を殺す」
「嫌です。お兄様を殺さないで」
「どうしてもと言うのなら、私は貴方に抗うまでです」
「(何だか知らないけど、この付喪神は俺達の味方みてーだな)」
 健の前に立った若菜、雪菜と云う名前の巫女二人は玉串を捧げ持って祝詞を唱え始めた。
「「掛巻くも畏き 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎはら)に 禊祓へ給ひし時に成り座せる祓戸の大神等 諸々の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞食せと 恐み恐みも白す」」
「うぬ、く……ううっ」
「やや……妾の体に力が漲ってきた様じゃ」
 善三郎は苦しみ始め、対照的にそれまで調子の悪そうだった冴が急にシャンとしてきた。冴は自分を縛っていた棒を拾って善三郎に突きつけた。
「さて、お主は『棒縛』のさげを知っておろうな? 主に縛られた次郎冠者は最後には主に反撃せんと棒を構えて追い掛けるのじゃよ。そこまで再現してくれようか」
「ああ、ゆ、ゆるいてくれい。今の状態では我は反撃もできぬではないか」
「何じゃお主、しぶとさが足りぬのう。大人しく善三郎殿を解放して去るなら追いはせぬ……と言いたい所じゃが、妾の肌身を汚そうとした借りがあるでな。それは返させて貰おう」
「ゆるいてくれい、ゆるいてくれい」
「やるまいぞ、依代を呪いから解き放て……はっ」
 冴は善三郎の頭に棒で面打ちを決めた。善三郎はそのまま気を失っていたが、数分後に意識を取り戻した。
「あれ、僕は一体どうしてたんでしょう」
「お主は悪しき付喪神に取り憑かれておったのじゃ。妾が浄化したのでもう安心じゃがの」
「え、冴さんが? ……いやどうもすみませんでした。二度も妖怪の手から助けていただいて」
「なに、礼には及ばぬ。これが我らの務めじゃて」
「いやいや、このまま呪いが解けなかったら僕はどうなってたか……冴さーん」
「お、おい。いきなり何をするか善三郎殿」
「この、馴れ馴れしく冴に抱きつくな」
 篝は善三郎を突き飛ばし、ついで殴る蹴るの猛攻を見舞った。
「わっ、痛い痛い痛い。何なんだよ君は」
 結局冴が篝を宥めて事態が収集した時には、時刻はもう夕方になっていた。

「はい、お待ちどう様。おちらし出来ましたえ」
 楓は健達に手製のちらし寿司を振舞った。京都の定番のそれらしく椎茸、高野豆腐、ちりめんじゃこ、人参、筍、干瓢を細かく切った具材と寿司飯が混ぜてあって、金糸卵と紅生姜で飾られている。それは健が京都の食卓を知って気に入った物の一つであった。見栄えの綺麗さは元より、中学〜高校時代にかけて本格的に料理を覚えた直美がよく作ってくれた事もあったから。
「健はんも直美はんも、篝のために骨折ってもろて済みませんでした」
「いえいえ、俺達が勝手にやった事ですからそんなに気にしないでください」
「生き別れになってはった若菜はんと雪菜はんがこうして再会できて、息災にしてはるのやったら清兵衛はんもさぞ喜んでますやろなあ」
「清兵衛はん?」
「この双子の兄に当たる茶碗じゃよ。楓が大事にしておったのじゃ」
 篝は決まり悪い顔で黙っている。
「お兄様が亡くなられたのは残念な事です」
「でも泣いてばかりもいられません。ご主人様に癒しの一時を差し上げるのが私達の務めですもの」
「それにお兄様なら今私達の御側におりますし」
「ちょ、お兄様って……お、おい!」
 健は両脇に陣取っていた若菜と雪菜に縋り付かれて狼狽した。そして直美も狼狽したのは言うまでもなく、
「ちょっとケンちゃん!」
「おっとっとっとっと、あー、もちろんデートがあんな事になっちゃったのは済まないって思ってるさ。あれが気に障ってるなら謝るよ。そうだ、梅雨入り前に二人で鴨川を散歩しようぜ。弁当なら俺が作るから。そんでな、三条大橋の辺りで座って又思い出話に花でも咲かせようじゃないか」
「ケンちゃん、本当にそうしていいって思ってる?」
「勿論だ。直美がそうして欲しいならコトクロスやひらパーにだって連れて行ってあげるとも」
「あらお兄様、あっちこっち出かけるお休みも悪いとは申しませんけど、おうちでゆっくり一時を過ごされるのも良くありませんか?」
「そうですとも、今度のお休みには私達がお茶を淹れてさしあげますからどうぞ落ち着いて過ごされてください」
「あらあら健はん、そないオロオロしてんと座っておちらし上がっておくれやす。せっかく健はんのために作ったんですさけに。なんやったらうちが食べさしてあげてもよろしおすえ?」
 楓は寿司桶にあったちらし寿司をおにぎりにして、健に差し出した。
「え? ちょ、待ってくださいよ楓さん。そんな事したら……」
「ケーンちゃん、私大学で新しいレシピ教わってきたのよね。最初にケンちゃんに食べてもらえると嬉しいなー」
 直美は満面の笑みで言ったが、負の感情で動いている事は目で分かる。まして滅多に怒る事のない直美だけにキレた時の怖さはいかばかりであろうか。
「はいっすみません、三日前から断食してでも味わって食べさせていただきます」
 そんな遣り取りを、冴はちらし寿司を食べながら穏やかに見守っていた。
「(やれやれ、健殿の女難は妾と知り合うた時以上に強くなっておるわい……ま、彼を巡る駈け引きの中で最後に笑うのは妾、と云う展開にしたいものじゃがの。それには健殿を見る限りまだ時間は要りそうじゃが……)」



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