第拾弐話 水無月の西陣へようこそ
 

A-Part

 一条通沿いに店を構える西陣の住人の憩いの場となっている和風喫茶「元吉」。今日もいつもと変わらぬ朝が来て、この店に下宿している大学二回生山口健の暮らす部屋の窓に太陽の明かりが差し込む。
「ん……」
 目を覚ました健はモゾモゾと布団から出た。そう言えばもうそろそろあの科目のレポートの締め切りが近かったよな、俺ちゃんとあれ書いてたろうか? まだなら図書館に篭もって仕上げだな……などと今日何をしようかと思考を巡らせていると、
「「おはようございます、お兄様」」
「のわっ」
 健を待ち構えていたのはステレオサウンドのモーニングコールだった。枕元には双子の巫女装束の少女が鎮座ましましている。ある事情から新たに健と一つ屋根の下で暮らす事になった湯呑みの付喪神の若菜と雪菜である。
「お兄様、お召し替えはこちらに用意してございますわ」
「お兄様、朝餉の前に梅昆布茶をお召し上がりください。食が進んで寝起きの気分も良くなりますから」
 引きつった笑みを浮かべる健。
「あー、わざわざありがとう。でもそこまで気を遣ってもらわなくてもいいんだよ。その気持ちだけでも俺は十分嬉しいから」
「あら、もしかして私達の為した事、お兄様にはご迷惑だったでしょうか」
「いやそう云う訳じゃないけどさ……」
「でしたら私達をお兄様にお仕えさせてください。本当のお兄様が亡くなった今、私達にとっては山口のお兄様のお側にいられるのが心の拠り所なんです」
「この世に生を受けて幾百年、その間私達姉妹は持ち主の方に買われたり売られたりする内に離れ離れになって、その間どれほどお互いやお兄様が恋しかった事ですやら……」
 胸の内を語る若菜と雪菜の顔は今しも泣き出しそうだった。健が慌てたのは言うまでもない。
「あー分かった、分かったよ。あんたらの親切は受けるから」
「本当ですか?」
「嬉しいですお兄様。これからもどうか私達をよろしくお願いしますね。ささ、お召し替えをなさってくださいませ」
「ちょ、ちょっと待てよ。パジャマぐらい自分で脱げるからいいよ」
「まあそう遠慮なさらず」
「私達は一向構いませんわ」
「あんたらが構わなくても俺が構うの。一人で着替えさせてくれよ」
 そんなドタバタ劇を繰り広げていると勿論それはウザがられる物で、
「もううるさいわね、ケンちゃん何して……」
 襖を開けて、巫女二人がかりで裸にされかかっている健を見た直美は暫しの思考停止状態の後、
「きゃああああああああああああああああああああーっ」
 パニックに陥って悲鳴を上げていた。

「で、結局ナオはケンのハートを掴み損ねたって訳?」
 身体検査の順番待ちの列で奈々香と直美は会話を交わしていた。奈々香の問いに直美は無言で頷いた。
「はぁ〜、ナオも可哀想に。これでどうしてケンはナオに対するフラグが立たないのかしらね。お洋服はデート用ので、下着も勝負用の着けてたんじゃないの? 今日の赤と白のチェックのも可愛いけど、それよりもっと上等なのを」
 自分の下着姿をエロオヤジ的な目でねめつける奈々香に困惑しながらも直美は答えた。対するに奈々香の下着は派手にレースをあしらった大人っぽいブラとパンツである。
「うーん、やっぱりケンちゃんって恋愛自体にあんまり興味ないんだと思う。中高時代に親戚回りでこっち来た時も誰かと付き合ってるって話聞いた事ないし」
「ナオからそんな話振った事ってある?」
「うん、ストレートに『ケンちゃんって好きな女の子いるの?』って聞いた事あるよ。高校の時」
「ケンの答えは?」
「苦笑いして『そんな事考えた事もねえよ。直美こそどうなんだ?』って言われた」
「で、それに対してナオはどう答えたの?」
「……答えられなかった」
「どうして?」
「面と向かってケンちゃんが好きって言うのが恥ずかしかったから。今にして思えばケンちゃんの答え聞くのが怖かったってのもあるかもしれない」
「ふーん、それで時が経って二人とも大学生になって、ケンと同居できたまでは良かったけどそこから進歩なし、と。好きな男の子にはっきり好きって言えない気持ちは分からなくもないわ。ある意味当然だもん。でもナオのケンに対する想いってその程度で満足しておしまいってもんなの?」
「……」
 直美は答え倦んでうつむいてしまった。ここぞとばかりに悪戯っぽく笑って言う奈々香。
「ケンには誰のフラグも立ってないみたいだし、あたしも立候補しちゃおうかなー、ケ・ン・の・か・の・じょ・こ・う・ほ」
「ええっ?」
「ああら、あたしだってケンの事少しはいい男かなって思ってるのよ? カメラマンとモデルの一線越えちゃってもいいかなーって思う事ってあるもん。書生スタイルで絶望先生のコスしてくれたら化けると思うわー……」
「な、何言ってるの。ケンちゃんのお洋服くらい私だって選んであげられるもん」
「ほらご覧なさい。ナオのケンへの想いは偽物なんかじゃないじゃん」
「ちょっと奈々香」
 私を揶揄ったのね、と直美が怒ろうとしたのを奈々香は遮った。
「怒らない怒らない。でもねナオ、冴さんと言い彩乃ちゃんと言い、新しく出て来た双子の巫女さんと言い、ライバルはもう四人いるのよ。いきなり大富豪の二の四枚揃いくらいの強い札は出さないと勝てない、あたしはそう思うわ。ナオには昔からケンを知ってるって切り札を持ってるんだしそれを活用しなさいな。あ、そうだ」
「なあに?」
「今度あたし達で西陣の町家借りて期間限定のカフェ開くのよ。そこにナオが参加して、ケンを招待してあげるってのはどうかしら?」
「カフェ?」
「うん、コンセプトは『大正浪漫』でね。あたし達『はいからさんが通る』みたいなあの服でお給仕するの。ケンは確かそう云うの好きそうだったし、いけるんじゃない?」
「だけどケンちゃんは……」
「貴女達、おしゃべりしてないでさっさと検診受けなさい」
 担当の教授の怒声が飛んだ。
「「す、すみません……」」
 奈々香達の前には医者と看護婦以外誰もいない。後ろの順番待ちの生徒も奈々香達を睨んでいる。奈々香は後ろの生徒に頭を下げて、医者の前に進んで行った。
「(うう、奈々香の言う事は分かるけどそれはやっぱり恥ずかしいよ。でもケンちゃんに私の想いを伝える事なら小さくてもコツコツやって着実にポイント上げてるもん。それを積み重ねてるうちにきっと振り向いてくれるわ。今朝だって頑張ってみたんだもんね、うん。今度の喫茶のウエイトレスもケンちゃんの気に入るようにセッティングしたらきっと……)」

「こんにちは」
「おう、山口か」
「毎度精勤ご苦労さん。お互い食堂や外で弁当食えないってのはつらいよな」
 昼休み、部室にやってきた健を出迎えたのは昌彦と一平であった。健は直美から弁当を持たせてもらった時食べるのは決まってここである。他の場所で食べると
「愛妻弁当(他称)を食べる幸せを俺達に分けてくれたっていいじゃないか、親友だもの」
 とほざく輩に奪われるからだった。その点部室なら昌彦が有二を始めとした弁当泥棒に諫言してくれるし、彼女に弁当を作ってもらっている「理解者」の一平もいる。そして……
「あー、先輩今日はお従妹さんのお弁当ですか。見せてくださいよー」
 彩乃もいたりする。彼女もいざと云う時には「女の子の立場から」健の味方になってくれるのでその存在は健にはありがたかった。その声に促されるように健が弁当箱の蓋を開けて、さて出て来たのは……
「おいおい、何だそのメシ。ラブコメ漫画じゃあんめーし」
「山口、お前の従妹ってもしか……いや、もしかせんでも相当なブラコンならぬカズコンだな」
「ベタいけど可愛いです、きゃっ」
 三人三様のコメントの中、苦笑するばかりの健の目の前には桜田麩の大きなハートマークで彩られた御飯があった。
「いえ、こんなぶっ飛んだ事ついぞしなかったんですけどね直美って……ちょっと彩乃ちゃん、それはやめなさい」
 彩乃はすかさずマクロタクマー50ミリF4の付いたオリンパスFTLを取り出し、健の弁当に向けていた。面白そうだと昌彦や一平も常携しているコンパクトデジカメを健の弁当に向ける。
「だからやめてくださいってば(直美の奴、また奈々香辺りにいらん知恵吹き込まれたんじゃあるまいな? 涼宮ハルヒとか朝比奈みくるでもこんな事はせんだろうけど……)」

 その翌日の事である。
「女給喫茶とな?」
「うん、イズミヤの前で奈々香達がチラシ撒いてて、その中に直美もいて『ケンちゃんも来てよね』って言って渡されたんだ」
 晩飯に冴の用意してくれたにしん蕎麦定食を食べながら、健は元吉のカウンター越しに冴と話していた。彼の傍らにあるのは矢絣の着物に海老茶袴、長い髪を大きなリボンで飾った可愛い女性のイラストが描かれたチラシが一枚。それは京都のレイヤーが主催する「大正浪漫」をコンセプトとした喫茶の案内であった。  

この初夏、西陣に大正浪漫の花開く

 ようこそご主人様、お嬢様方。この度「Focal Point」様のご好意により京都初の和風女給喫茶「紫陽花亭」を期間限定で開店させていただく運びと相成りました。古き佳き時代の一時、京町家にてお楽しみくださいませ。

開催期間:六月二十一日〜二十五日
女給頭
ななか(西陣歌劇団)
女給
みちる(西陣歌劇団)
ゆう (西陣歌劇団)
あゆむ(一発逆転)
みさ (一発逆転)
なお (友情出演)

「健殿、色物は嫌いと申して斯様な喫茶には意地でも行かぬのではなかったか?」
「普通ならな。だけど直美は先手打って少女漫画バリのキラキラの目で『ケンちゃん、素っ気無さそうにしないで来てちょうだい』なんて言ってきてよ。その辺の空気は他のキャストにちゃんと読むように釘刺すって言ってくれたし、奈々香もそこらは了承してくれたけどな」
「いつも健殿を振り回しておる奈々香殿が、お主に合わせてくれるかのう」
「まあ、そこに至るまでにいろいろあってな……それはまた機を見て話すよ。あ、お茶のお代わり入れてくれないか」
「うむ」
 冴の淹れた茶を一口啜って健は話を続ける。
「いいか、重ねて言うけど誤解してくれるなよ冴。俺はサ店は好きなんだ。落ち着いて寛げる一時を過ごせる場所としての、な。ただメイドカフェの、完全にヲタ共が支配する空気が俺は嫌なんだよ。まあ京都のごく普通のサ店はそれができるいい見本だって思ってるけど」
「妾は八乙女と一戦交えて以来、そのような喫茶には行った事はないのでようは分からぬが、そうした店の雰囲気が健殿の肌には合わぬようじゃな」
「まあな、でもこの間の事もあるし、俺がこの喫茶に行かなきゃ直美は悲しむだろうさ。俺に気持ち良く過ごしてもらおうって思ってこの喫茶の女給やったんだって言ったんだから」
「ふ、矢張り健殿は優しいのう。考えの及ばぬ所はあるようじゃが」
 冴は健を揶揄う時に見せるいつもの笑顔を向けてみせた。
「どこがだ。俺は世話女房やってくれてる直美にはダメ亭主なりに精一杯気は使って……」
 健の言葉はそこで慌しく格子戸が開く音で途切れた。そして奈々香が直美と道枝の肩を借りて苦しげな顔でホールに入ってきた。その後に祐子が続く。全員矢絣に袴姿で、後ろ頭には色違いのリボンを飾っている。
「どうしたんだ」
 目を丸くして訊ねる健。
「奈々香がイズミヤでおトイレ借りて、戻る時に階段でこけちゃったの」
「顔色悪そうだけど大丈夫か?」
「一応病院で手当てはしてもらったけど、暫くは普通に歩けないってお医者さんに言われたわ」
「どうしよう、冴さん、ケン君。奈々ちゃんは紫陽花亭のチーフなのに」
 奈々香の両脇で困惑してばかりの直美と道枝。傍らの祐子も無言のままだったが困っているのは明らかだった。
「奈々香殿。お主の代役、妾が買っても良いがどうじゃな?」
「えっ?」
 最初に反応したのは直美である。
「あ、あの、それならそれで私達で……」
 直美の発言を途中で止めたのは奈々香だった。
「やってくれる? ありがとう、お願いするわ」
「奈々香……」
 奈々香は直美をキュッと睨みつけ、耳元で囁く。
莫迦ね、あんた冴さんから逃げるつもり? どうしてそこで真っ向勝負しようって思わないの。これはライバルに差をつける絶好のチャンスよ。ここでケンに『持つべき物は頼れる従妹だよなあ』って言わせればあんたの勝ちなんだから!
「でも、私はケンちゃんに……」
それならケンがあんたにお給仕してもらいたいって思うように仕向ければいいでしょ。あんたなりのやり方で
「……」
「直美、何だか知らんがそんなに悄気るなよ。俺はカフェ楽しみにしてるからさ、いや本気で。頑張れ!」
 兄のような優しいトーンで声をかける健。その一言で直美は少しばかり元気を取り戻したように言った。
「……うん、私頑張るよ。だから絶対来てよね、ケンちゃん。冴さんも一緒に頑張ろう」
「そうか。それなら妾も精一杯やらせて貰おうぞ」
 冴は優しげに直美に笑いかけた。彼女もまた、健のハートを掴もうと云う思いを胸に秘めて。

 紫陽花亭開店を一週間前に控えた昼下がり、最後の授業が休講になって解放された健を待っていたのは冴と義郎、そして篝だった。
「帰ったか健殿」
「お帰り健君。済まないけど手伝ってくれないかな?」
「あれ、冴はどうすんだよ。直美は?」
「冴はもう少ししたら女給喫茶の準備に行かねばならぬし、橋本は冴の作った食後の茶菓を食べたと思えば思いつめたような顔で物置に潜り込んで、何か見つけ出したと思えばそれを大事そうに抱えて足早に出て行ったきり留守じゃ」
「直美が? 直美一体どうしたのさ」
「そんな事儂は知らぬ。大方女給喫茶を営むに当たって何か思う所があったのじゃろう。冴はぱい生地を幾重にも積み重ねて果物を挟んだ、みる……あー、その……」
「ミルフィーユ?」
「それじゃ、みるふぃいゆを作ってくれての。『大層美味しく出来たわ』と冴は上機嫌での。事実そうじゃったわい」
「へえ、それなら俺も食べたいな」
「生憎じゃったな。最後の一つは遠慮の塊と思って儂が食ってしもうた。故にもう残ってはおらぬ」
 篝は健を憐れむような目で見ながら笑って言った。
「そうかい、しょうがないな。でもいずれ又食う機会はあるだろうさ」
「(ちっ……)」
 悔しがるかと思いきや、健に大人の対応をされて篝は渋い顔をした。更に厨房に戻って来た冴は言った。
「お主の分のみるふぃいゆなら冷蔵庫に入れてある故食べるが良い。是非とも健殿にも食べてもらいたいものよ」
「本当に? ありがとう冴」
 甘い物には目のない健が喜んだのは言うまでもない。
「(それにしても直美、物置から何か引っ張り出したらしいけど一体何を探してたんだろう……?)」
 健が直美の行動に首を傾げていると、傍らに篝がやって来て脛をパーンと蹴った。
「あぢいっ! 藪から棒に何だよ篝ちゃん」
「ふんっ」
 健の質問など全く無視して去る篝。
「(全くすぐ子供みたいに怒るんだから……篝ちゃんの相手するのは疲れるよ)」


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