第拾弐話 水無月の西陣へようこそ
 

B-Part

「皆の衆、済まぬ。店が忙しくて遅れて……おや?」
 和風喫茶の舞台となる西陣の町家「Focal Point」に冴は慌しく駆け込んで来た。広々とした店内では開店準備がされている……と思いきや、キャストとして参加するレイヤーはお茶とお菓子が満載のテーブルを囲んで談笑していた。矢絣の着物と袴、そして髪を大きなリボンで飾ったその姿はさながらお茶会を開いている大正時代の女学生のようである。道枝が冴を認めて声をかけた。
「あ、こんにちは冴さん」
「遅れて済まぬな」
「大丈夫よ。今日はもうそんなにする事ってないから」
「そ、今してるのはお客さんに私達が出すお菓子の品評会ってとこかしら。冴さんもどうぞ。あ、その前にこれ着てみて」
 祐子が冴に吊るしの矢絣の着物と袴を手渡した。
「何じゃ。妾には馴染みのある和装ではないか。これなら元吉の服を持って来ても良かった気もするが」
「でもうちのはあっちと微妙に色合い違ってて、袴の色も違うのよ。オプションも付いてるし」
「りぼんか。以前奈々香殿に貸して貰うた『はいからさんが通る』と云う漫画でも見たがちょうどあの時代を再現するのが狙いのようじゃな。では着替えてみるとするか」
 更衣室代わりの和室に引っ込む冴。窓の外に見える坪庭の景色を愉しみつつ、巫女装束を脱いで裸になった時、冴は誰かが覗いている気配を感じた。
「誰じゃ!」
 大慌てで着物を羽織って裸身を隠し、怒声と共に障子を開けると……そこにいたのは祐子と、彼女とは別のチームのレイヤーの二人だった。
「何じゃお主等か。敵に狙われておるかと思うたではないか」
「ご、ごめんなさい。この娘達が『冴さんきっと脱いだら凄いわ』なんて言うから……」
「何よ、祐ちゃんだって興味津々で見てたくせに」
「……お主等、時と場合を考えてくれ。そう云う悪意がある分性質が悪いぞよ(健殿は粗忽で妾の裸を見た事はあっても、あれ以来気遣いはしておるのに)」
 冴は渋い顔をして、顔に手を当てていた。

「このチョコレートクッキーを作ったのは私で、このアプリコットジャムを挟んであるのは直美ちゃんが作ったの。どう?」
「うむ……なかなか良いではないか。これならお客様に満足してもらえよう」
「ありがとう。お料理の上手な冴さんに褒めてもらえると自信持てるわ」
 道枝は満面の笑みで喜んだ。
「ところで直美殿の姿が見えぬようじゃが?」
「直美ちゃんは最初のうちは手伝ってくれてたけど、それが一段落したらちょっと用事があるって言って抜けちゃったわ。どこで何してるかは私達も知らないけど」
「はてさて……おや、噂をすれば、か」
 冴の言った通り、直美がその場にやって来た。他のキャストとは違って普段着である。
「勝手しちゃってごめん。私ちょっとしたい事があって……あら」
 いつも通りの穏やかな直美の顔が強張った。その視線は明らかに冴に向いていた。
「どうした直美殿?」
「……べ、別にどうもしないわよ」
 平静を装ってはいても、その言葉に棘が含まれていたのを冴は聞き逃してはいない。
「直美殿、何があったか知らぬが何を怒っておるのじゃ」
「そうよ、今日の直美ちゃんいつもと様子違うみたいよ。何かあるなら私達に遠慮なく言ってちょうだい」
「……」
 暫しの沈黙の後、
「いいから放っといて。私は別に普通だから……ちょっとお手洗い行くわよ」
 不機嫌さを隠さないように直美は言って、トイレに引っ込んでしまった。
「女の子の日かしら」
「だとしても私達に八つ当たりするみたいな事、直美ちゃんは全然したことないけど?」
「……恐らく原因は妾じゃな」
 冴がポツリと漏らす。
「冴さんが?」
「そもそも健殿を持成したい思いから直美殿はここの女給として参加したと聞いておる。そうじゃな?」
「分かるわよ。『ケンちゃんが来たらヲタ話一切禁止だからね!』ってピシャッと言われたわ。それでケン君が怒った事って一回あったしね」
「であるからには直美殿が一番良い女給であったと健殿に思われたいと躍起になっておるのじゃろう。とりわけ彼と接する機会の多い妾には負けたくないのじゃろうて」
「あー、それ一理あるわ。直美はケンさんが彼氏的な意味で好きだって事、口に出さなくても普段の態度で分かるもん。あの娘は嘘つくの下手な方だし」
「席を外しておるのは、そうして妾に勝つための秘策を仕込んでおるに違いあるまい。妾は別に普段通りに女給を務めるがの」
 勝負など興味の外との思いからか、或いは別の思いがあってか、冴が意味ありげに笑ったのを見逃さずに祐子が切り込んだ。
「ねえ冴さん、ひょっとして貴女もケンさんを狙ってる訳?」
「さあて……そう思うならそれでも良かろうて」
 涼しい顔の冴。一同は本音を隠したがる冴の態度を面妖に感じるばかりであった。ただ道枝だけは何か不安を感じているような色を顔に浮かべていたけれども。

 大将軍商店街を横切るように流れる紙屋川。その辺(ほとり)にある児童公園で直美は一心不乱にバイオリンの練習に勤しんでいた。
「(久しぶりに持ち出すけど、どうして悪くないと思うわ。当日までに練習してればきっとケンちゃんを喜ばせる演奏ができるはずよ)」
 一頻り弾き終わると、そこにいた子供連れの母親や老人が一斉に直美に拍手を送った。
「あ、ありがとうございます」
 少し照れながらも頭を下げて拍手に応える直美。聴衆の中から上品そうな紳士が直美に歩み寄って声をかけた。
「なかなかお上手でしたね、お嬢さん」
「あ、どうも……」
 よく見るとなかなかの美青年であった。直美は余計に顔を赤くして礼を言う。
「コンサートでもなさるんですか?」
「え、いえ、そんな大層な事でもないんです。あー、その、い、イベントの余興程度のもので……」
「それにしては随分とご熱心に演奏していらっしゃいましたね。何か目標でもあるかのようにかなりの気合で」
「そ、それは、その……お客様に私のバイオリンを聞いて愉しんでもらいたいですから」
「だけど貴女、理由はそれだけではないでしょう?」
「えっ、あ……」
「誰かどうしても聞いてもらいたい人が、貴女の心の中にいるのでしょう?」
「あー、は、はい……」
 図星を突かれて口篭もる直美。それでも青年は別にそれを揶揄う風も見せず、穏やかに笑って答えた。
「ははは、どうやら正解のようだ。それにこのバイオリン……あ、ちょっと拝見しても宜しいですか?」
「あ、はい……」
 青年は直美からバイオリンを受け取り、繁々と眺める。
「うん、ごく一般的なものではあるけど、どうしてきちんと作られたいいバイオリンですな。大事に使われてたんでしょう」
「ええ。どうしても弾きたくて、お父さんにせがんで『ちゃんとまじめに練習する』って約束して買ってもらったんです。その時やっぱり聞かせてあげたい人がいたから」
「その気持ち、どうか忘れないで頑張ってください。その人に貴女の想い伝わるように応援しますよ。それでは」
 青年は直美にバイオリンを返して、目礼して公園を辞去した。
「(とりあえず仕込みは成功したな。あとは彼女のその思いにどこかしら歪みが生じたなら、その時こそ我らにとっての好機だ……!)」
 人知れず北叟笑んで去る青年。直美はこの時は自分の健に対する思いが災難を招くことなど知る由もなかった。


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