第拾参話 どっちのティータイムショー
B-Part
冴は懐から一蓮を取り出して構えた。
「妖討の……うわっ!」
冴が武器を出す間もなく、バイオリンの付喪神は弓をその手に握り、弦を擦って不協和音を発して周囲の人々を苦しめた。
「あ、頭が痛え……」
「はははは、護法童子の武器が使えぬ間ならまだ我らの方に勝機もある。そこまで計算せずに計画に臨むと思うか!」
「(うぬ、弦を切るか弓を手放させるかできたなら血路を拓く事もできようが……)」
冴は腿のベルトで留めてある短刀を持って、バイオリンに挑みかかろうとしたが体が思うように動かない。冴はそのまま床に座り込んでしまった。
「(何、これはどうした事じゃ)」
「更に教えてやろう。この提琴の付喪神の音を聞いていると人間の体の力は衰弱し、最後には死に至るのだ。船岡の巫、お前の最後しっかり見届けさせてもらうぞ」
「(くっ、そうはさせぬ。妾の力が尽きる前にせめて奴の音だけは封じられたならば……!)」
冴が床に這いつくばった格好になりながらも、力を振り絞って何とかバイオリンに挑みかかろうとしたその時、
「「えいっ!」」
ツープラトンアタックをバイオリンに仕掛ける二人の巫女があった。バイオリンはショックで弓を落とし、不協和音の演奏はそこで途切れた。
「何者だ」
「お兄様を苦しめるのはやめてください」
「お兄様に仇を為す者、何人たりとも私達は許しません事よ!」
「若菜、雪菜!」
「お兄様、大丈夫ですか?」
若菜が健の側に駆け寄った。
「大丈夫じゃねえけどまだ生きてはいるよ、この通りな。俺よりも先ずは冴の事を頼む。俺達を救えるのは冴以外にいねえんだから」
「雪菜、冴様にあれを」
「畏まりました。冴様、これをお召し上がりください」
雪菜が緑茶の入った湯呑みを冴に差し出した。
「ん、忝い……」
冴は湯呑みを雪菜から受け取って、少しばかり体を起こして飲んだ。
「む……」
体力が体に漲ってくるのを感じた冴は、体を起こすとポンと軽く飛び上がって立った。
「うぬぬ、提琴の付喪神よ、今一度船岡の巫の力を抜け」
バイオリンが落とした弓を拾おうとしたバイオリンに冴の札が飛んだ。
「ぎゃああああっ」
苦しみ出すバイオリン。それと共に少しずつではあるがその場にいた人々は体力を取り戻していく。冴は改めて一蓮を手にして怒声を飛ばした。
「無駄な足掻きは止せ! ……雑音を封じたならこちらの物じゃ。護法童子の力で調伏してくれようぞ。妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
冴の手が光り輝き、それは大きくて重い、棘の付いた金属の棒になって冴の手の中に収まった。
「何じゃろうこれは。武器か?」
「これか? これはオルゴールのシリンダーだな。これを交換して違う曲をかけられるのもあるんだ。奈々香の下宿で読んだ漫画で見た事あるよ」
健が解説する。
「成る程な。して、そのおるごおるはこの町屋にあるのか?」
「あそこのロフトの上にある大きな木の箱がそれだ。ゼンマイを巻いて曲をかけられたらあいつらには効くかもしれねえ」
「分かった。やってみようぞ」
冴は階段を上ってロフトに上がろうとした。だがそれと入れ替わりにそこにいた手拍子の神楽男がロフトから飛び降りて、健を人質に取った。
「しまった!」
ほんの一瞬の隙を突かれて神楽男に健は捕らえられ、喉元に苦無を突きつけられていた。
「おっと、船岡の巫、そのオルゴールをかけるでないぞ。かけようものならこの男の命はない」
「おのれ……!」
「お兄様!」
「お兄様をお放しになって!」
若菜と雪菜が哀しげな目で健を見遣る。神楽男は取り澄まして尚も二人に言った。
「そこの人間に与する愚かな付喪神もおかしな真似はするなよ。俺に触ろうものならこいつは殺す。船岡の巫はそのシリンダーを捨てて投降しろ」
「くっ、健殿……」
「ケン君……」
「「お兄様……」」
冴達の不安な視線の中、健は死の恐怖に震えながらもどこか冷めた気持ちもあった。
「な、なあ、神楽男さん」
「何だ? 命乞いなら俺は聞かぬぞ」
「そうじゃない。この命はお前にくれてもいいさ……俺一人の犠牲で他のみんなを助けてもらえるならだけどな」
「何じゃと?」
「お兄様!」
「そんな、お兄様と今生のお別れなんて……」
「ケン君、早まった真似はやめて!」
驚く女性陣を制して健は続ける。
「まあ待ってくれ……だがな、その前にせめて彼女の淹れてくれる美味い茶でも一杯もらってお別れしたいんだ。俺の愛する京都名物のお茶だよ。それくらいの猶予はもらってもいいだろ?」
手拍子の神楽男は健の怯まない様に驚いて暫く何も言えないでいたが、ややあって一言。
「いいだろう。そこまで覚悟できてるなら上等だ」
「そう云う事だ。だから冴、悪いけど茶を頼むよ。熱いのをな」
熱い、の所にアクセントを置いて健は冴に目配せして言った。
「うむ、健殿が望むなら……」
冴は階段を降りて厨房に向かった。すれ違い様、健の目を見てこっくりと頷いて。
数分後、冴は熱い茶を並々と湛えた湯呑みを持って厨房から戻って来た。
「待たせたな。今生の別れに存分に味わうがよかろう……」
冴は冷淡にそう言ったと思うと、湯呑みを掴んで神楽男の背後から茶を引っ掛けた。
「あっ、あつつつつつつつ」
火傷を負わされて焦る神楽男。自分を拘束する腕が緩んだのを感じた健は
「とりゃっ」
肘鉄を食らわせて神楽男から逃れ、
「若菜、雪菜!」
双子に向き直って名前を呼んだ。
「「はいっ、お兄様」」
若菜と雪菜は素早く行動を開始し、ロフトにあったオルゴールの蓋を開けると、シリンダーを交換してゼンマイを巻いた。
町屋の中に響くオルゴールの音色。それは心が洗われるような澄んだ旋律であった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」
「ぐ、く、苦しい……」
バイオリンの付喪神と神楽男が苦しんだのは勿論である。やがてバイオリンはどんどん縮んで元の直美が持っていたバイオリンに戻り、神楽男は体力を消耗したようにやつれて、
「お、おのれ……だが我らの悲願を達せぬ内はやられる訳にはいかぬ。覚えておれ、船岡の巫」
身を翻して姿を消した。
「(あれ、この音楽俺聞いたことあるぞ? 確か京都のどこかの大きなお屋敷で、蔵の中にあったオルゴールだったかな。確か直美も一緒で……)」
健の脳裏に薄ぼんやりと少年の頃の記憶がフラッシュバックした。薄暗い蔵の中、子供達だけで探検して偶然にオルゴールを発見し、彼らはその音色に聞き惚れていた。
「(何回も聞いているうちに、直美はいつしか気持ち良さそうに健の腕に体を預けてすやすや眠っていたっけ。それで見つかって、勝手に蔵に入るなってこっぴどく叱られたけど……ん、あれ? その時いたのは俺と直美だけじゃない? 他にも俺と年の近い子供もいて……こ、これって一体誰なんだ……?)」
「……殿、健殿、健殿!」
冴の声で健は回想から現実に引き戻された。
「あれ、冴?」
「冴ではない。騒動はもう収まったぞ。直美殿も正気を取り戻しておるわ」
冴は呆れたように言い、健の背中をポンと押して続けた。
「ほれ、直美殿の側に行ってやれ。お主が居てやらんでどうする」
「ああ……」
健は漸く我に帰り、倒れていた直美の側に行った。
「直美、直美! 大丈夫か?」
「え、あ……ケンちゃん?」
「ああ、俺だよ」
「私、どうしちゃったのかしら……」
「付喪神が襲って来てたんだよ。でも冴が倒してくれたしもう大丈夫さ」
「良かった……ね、ケンちゃん」
「ん?」
「私、もう一回ケンちゃんのために頑張るわ。もう大丈夫だし……きゃ」
直美は立ち上がろうとして、フラッとよろめいた。慌てて健がキャッチして、彼は直美を抱き抱えて受け止める格好になった。
「おいおい、今日はもう無理しないで休めよ。直美が頑張って俺のためにおやつを作ってくれた。それで俺はもう十分嬉しいよ、な」
直美を抱きとめたままポンポンと軽く頭を叩く健。直美は嬉しそうに健の背中に手を回して来た。
「おい止せよ直美、冴や道枝や内苑だって見てんだぜ?」
「あらあら熱いわねお二人さん、人前で抱き合っちゃってまあ」
健の背後から飛んで来るテンションの高い声。拙い奴に会ったと健は顔を顰めた。
「あ、奈々香?! あ、あの、これは……」
「やっと大富豪の二を切ったのね、上等上等。この調子で頑張ってちょうだい」
「おい奈々香、訳の分からねえ事言ってんじゃねえよ。大富豪の二って何の事だ!」
松葉杖を突いて様子を見にやって来た奈々香は健の問いには答えず、彼の慌てる様を冴と一緒にニヤニヤしながら眺めるばかりであった。
その数日後の夕食の後である。
「はい、今日のデザートはこの間の仕切り直しよ」
「献立も作った者も前回と一緒じゃ。健殿はどちらがどちらの作った物か分かるかの? そして美味いのは果たしてどちらじゃ?」
直美が健のに「Focal Point」で出した二皿のデザートを置いた。
「ああ、あの時は思わぬ邪魔が入ったけど、今回は確実に当ててやるさ」
改めてソムリエの如く真剣に味見する健。甘い物には目のない男だけに両方とも美味そうに平らげ、健は答えを考えた。
「さあケンちゃん、どっちが美味しかったか答えて」
「そうじゃ、直美殿も妾もお主の忌憚のない答えを待っておるぞよ」
「……」
「どうした健殿、我らのどちらかを悲しませたくないとて答え倦んでおるようじゃな。案ずるな、どちらの答えを出したとてお主や互いを恨む真似はせぬ」
直美も無言で頷いて、答えを促す。
「ケンちゃん、どっちのデザートが美味しかったか早く答えてちょうだい、さあ」
「そ、そうだな……やっぱり、そのぅ……」
「その、何じゃ?」
「ケンちゃん、『どっちも美味しい』って云うのは無しよ?」
「あー……抹茶かな」
散々考えた挙句健の出した答えを聞いて笑ったのは……冴だった。
「え……?」
「お主が京都の茶を愛しておる事くらい知らいでか。先日のお主の言葉を待つまでもなく、の。その味を究極まで活かして健殿に満足してもらおうと思うておったのじゃよ」
「ケンちゃん、せっかくケンちゃんの好きなりんご目立つようにパフェに入れといてあげたのに……」
直美はジト目で健を見遣った。
「おい何だそりゃ、直美もどっちが美味しいって言っても怒らないはずだったじゃないか」
「なーんてね。これから冴さんに負けないように頑張ってケンちゃんに美味しい物いっぱい作ってあげるわ。だから楽しみにしててよね」
「え? ああ、それは勿論さ……」
「冴さん、これからも宜しくね。私絶対冴さんに負けないから!」
直美は挑むような笑みを浮かべて、冴に右手を差し出してきた。
「何とな、妾には負けぬ?」
普段大人しい直美の口から意外な発言が出た事に冴は驚いた素振りを見せたが、
「良かろう。その心意気、妾は気に入ったぞよ」
冴はにこりと笑って直美の右手を握り返した。
「(共に健殿の心を掴むべく頑張ろうではないか)」
と言いかけたのを飲み込んで。
「(変なの。何でここで女同士で握手なんてしてんだ)」
一方の健は冴と直美の思うところが皆目分からず、眼前の出来事を唯ポカンと見ているだけだった。
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