第拾四話 オオサカ買い出し紀行
 

B-Part

 なんばCITYから地上に上がって西へ向かい、カメラのナニワを通り過ぎて初めての通りを南へ下がるとそこは関西のオタクの聖地「オタロード」である。
「いざ行かんや、萌え立つ聖地に。さあ井村奈々香が、勝利を目指して!」
 歌うように上機嫌で宣言して先頭を歩く奈々香。道枝と祐子、冴、篝、直美が後に続く。
「何に勝つんだ何に」
 最後尾に控えている健がツッコむが奈々香は意に介さない。
「さあね。敢えて言うならこの日本橋界隈かしら?」
「意味分かんねえよ……あー、小腹減ったな」
「何ですって?」
 奈々香が振り向いて健をキッと睨み、怒鳴った。
「せっかくの雰囲気打ち壊して! お腹空いたなららーめん缶でも買って食べてなさい」
「ラーメン缶? そんなのあるのかよ」
「まあ付いてらっしゃい。オタロードで売ってるから」
「……」
 冴と直美の窘めるような視線を受けて、健は無言でオタロードへと入っていった。奈々香が一台の自動販売機の前で足を止めた。普通のジュースよりずんぐりした缶が見本に並んでいる。
「はい、ラーメンにおでん、肉じゃがもあるわよ。好きなの買って食べなさい」
 健は百円玉三枚を出して、味噌味のラーメンを狙って買った。だが缶を握った健の顔は冴えない。
「どうしたのじゃ健殿?」
「……間違って冷たいの買っちまったよ」
「知るかっ!」
 憤然と背を向けて奈々香はとらのあなに向かった。去り際に
「さっさと食べてあんたもいらっしゃいよ。あんまり遅かったら罰金だからね罰金」
 と吐き捨てるように健に言い残して。
「(相変わらず怒った女ってのは怖いもんだよ全く)」
 その存在が倍以上に増えて俺の立場ないや、と憂鬱になりながら健は冷たいラーメン缶を食べていた。

「あ、こないだ買いそびれた網タイツのタマ姉売ってるじゃない。速攻購入♪。あら、この朝倉さんもいいじゃない。買っちゃおうっと」
「あ、キョン君みっけ」
「よかったじゃない。これで古泉君が揃えばあのED再現できるわね」
「うん、するする。アニメも作っちゃおうかなー」
「作ったら見せてよね。一方で私はなのはさんゲット」
「……(わ、高いんだなフィギュアって。一体お前等幾ら軍資金持って来たんだ。水着だけでもそんな安い買い物じゃなかったろうに)」
 健は去年のクリスマスに奈々香のアパートを訪れ、チラリとしか見ていなかったものの小さな物から大きな物まで百体くらいフィギュアがあった事を思い出した。
「(あれだけでもスペースに難儀してたろうに。その上まだ買うかよ)」
「ほら何呆けてるのケン。次行くわよ次」
 フィギュアを買った奈々香達は同じビルの上の階に上がった。同人誌のフロアである。週末の常で売り場はヲタ客でごった返し、小型スピーカーで
「本日入荷の新刊はこちらです」
 と呼び込みがかかっている。奈々香は迷わずそこの、エロパロ同人誌が山積みされているコーナーに向かって行った。
「(いきなりそこかっ!)」
 健が引いているのもお構いなしで、これと思った物をスーパーで野菜を買うが如く次々と同人誌を買い物篭に入れて行く奈々香。祐子は表紙をチラリと見ただけで購入を決めていた。
「ねえ奈々、このミクミク可愛いと思わない?」
「……だめね、画竜点睛を欠いてる」
「え?」
「初音ミクならパンツは緑と白の縞パンが基本でしょう? そりゃこの人はパンツの影のつけ方とかクロッチの描き方に拘ってるのは認めるけど、そこまで拘るなら縞パン穿かせるくらいどうって事ないじゃない。悪いけどあたしはそれ買わない」
「(さすが奈々香。下着のお洒落には私より力入れてるだけの事はあるわ)」
「(ヲタクの拘りってのは何につけ凄いもんだよなあ)」
「(それより空気読まぬか奈々香殿。踏み台に乗ってまで恥ずかしい事を喚くでない)」
「(……幾百年の間に斯くも上方の風紀は乱れ切ってしもうたか)」
 一般人は引いたまま何も言えず、四者四様のツッコミを心の中で入れていた。
「そう言えば道枝はどこだい? 俺達とは別行動取ってるみてーだけど」
「『わっち』の本探してもらってるわ」
「わっち?」
 健が店内を見回してみると、道枝が困り切った顔でそこここをうろついていた。店員に相談しようとするが人並みの中で思うようにいかない。ようやく店員を一人捕まえて、
「すみません、『わっち』の同人誌ってどの辺ですか?」
「わっち? ……ああ、『狼と香辛料』でしょうか。それならこちらです」
「あ、すみません、ありがとうございます」
 店員の指差す方向にあたふたと道枝は駆けて、これはと思った物を次々と選んでいった。
「通称くらい覚えときなさいよ」
「えー、だって咄嗟には分からなかったし……」
「ま、今日はとらの買い物はこのくらいにしときましょうか。『わっち』はめろんちゃんにもあるでしょうしね」
 奈々香は戦利品をレジへ持って行き、さも当然と云うように健に紙袋を渡した。
「(はいはい)」
 健も何が入っているかすぐバレるような紙袋を持つのは嫌だ、と云う態度は表に出さずに受け取る。その事でガタガタ言うまいと決めていたから。一行は次の店へと向かった。

「あ、この間買いそびれたハルヒもう入ってる。ちょっと高いけど買っちゃおうっと」
「私このワルキューレ欲しかったのよね〜」
「みっちゃん、このモリガンもいっとかない? 胸元がエロエロでいい感じよ」
 その後スーパーポジションに入った奈々香達が買い漁っていたのはガチャポンのカプセルフィギュアであった。
「これも高いよなあ。普通に買えば一個三百円くらいの物だろ?」
「でも必ず欲しいのが当たるとも限らないでしょ? それ引き当てるまでに違うの幾つも買っちゃったら損じゃない。だからちょっとくらい高くたって欲しいのが買えるならあたしはそっちの方がいいわよ」
 ギャンブルは好きではない健はそれは一理ある、と割と素直に共感できた。それにしてもここもある意味凄い店だよなあ。カメラ坊や(カメラを買いたい人を相手にローンを組んでいたカメラ屋のマスコット)なんて初めて見たよと思いつつ店内を見回していた健はふと懐かしい物を発見した。
「お!」
「どうしたのじゃ健殿?」
 冴の質問にも答えずに健が向かった先は、男の子向けの玩具が陳列してあるショーウインドーだった。彼の目に留まったのは電車や新幹線をモチーフにした合体ロボットの超合金模型らしい。
「あら、マイトガインかしら? ケンも渋いのが好きなのね」
「勇者シリーズは俺らがガキの頃の定番アニメだったしな。これと同じ玩具、誕生日プレゼントに買ってもらったんだよ。すぐ壊しちゃって叱られて、いつの間にかどっか行っちゃったけどな」
「そうなんだ。どうする、買ってく?」
「いや、又にするよ。ここは確か京都にも店出してたろ? そっちにもあればって事で……」
 じゃあな、久しぶりに再会できて嬉しかったよ。と心の中でマイトガインに別れを告げて、健は奈々香達の後に続いて次の目的地に向かった。

 ジリリリリン、ジリリリリン……
 メロンブックスに入るなり、黒電話のベルが鳴った。健の携帯である。
「おや、部長からか。悪い、俺ちょっと話して来るわ」
「今時黒電話なんてダサいわね。どうせなら着信音『嵐の勇者』(マイトガインのOP)にでもしたら?」
「うるせえ、放っといてくれ……はい山口です」
 健は自動販売機と椅子の並ぶ休憩所で通話を始め、女性陣は漫画と同人誌を物色し、例によって野菜を買う気で棚から漫画を取っていった。
「あ、いいなあこのわっち。ああ、こっちのルイズもいい感じに描けてる」
「サンクリやコミコミの新刊が入ってて、有名どころのが結構目立ってるしね」
「んふふー奈々香さん」
「ど、どうしたの祐、いきなり気持ち悪い笑い方して」
「これなんかどう? ルイズがいじめまくられなハードエロだって」
「そうね、どんな逆境に追い込まれても強気な顔してるとこがルイズらしいわ。買っちゃおうっと。あ、リン×ミク、これもいいわね。リンの穿いてるパンツが風俗のお姉さんみたいにエロいのがいいわ……ふふふふ」
「そう言えばケン君はもう電話終わったかしら」
「あ……そうね、そろそろあいつの出番だわね。何油売ってるのかしら……ってあら」
「呼ぶより謗れ(ボソリ)」
「ん、何か言ったか内苑?」
「ううん、別に……」
 奈々香が丁度辺りを見回した所で、彼女の前に立っていた祐子が同人誌売り場にやって来た健と鉢合わせした。
「ま、グッドタイミングで来てくれたのは良かったわ。はい、これ持ってレジの順番取ってちょうだい」
「ああ……」
 健は別に嫌な顔もせず奈々香達の買い物を預かり、そして言った。
「ところで、帰りしなに一箇所俺の買い物に付き合って欲しいんだが……」
「え、ケンどこ行きたいの?」

「もう、あたし信じらんない!」
 大阪を離れて京都に戻る道すがら、奈々香はずっとプリプリ怒っていた。
「何でカメラ屋のショーウインドーで、買うつもりもない物ばっかりジーッと見て横道ばっかりうろついてるのよ。買う物決まってるならさっさとそれ買っちゃえばいいでしょっ」
 大村部長は伊根町へ合宿の下見に行って、健に電話してきたのだった。
「海水浴場は人が多いから背景整理のために望遠レンズはあった方がいいよ。一○○―三○○ミリの望遠なんか良さそうだな。広角派の山口はそこまでの長い玉って持ってなかったよな? だから安いのでも調達しといた方がいいぞ。ん、一眼レフ? 部室のニコンF2があるだろ。あれもう実質お前専用なんだし使ってやれよ。それでニコン用のレンズ探す手があるじゃないか……まあいい、お前今どこだ? ほう、日本橋なら丁度良かった。五番出口の辺りにいい店あるからそこ覗いて来いよ」
 果たして健はそこで二軒のカメラ屋を見つけた。しかもデジタルカメラだけではなく、フィルムカメラもお買い得な価格で結構な数が売られている。両方の店とも店の規模こそ大きくはないけれど、フィルムに固執している年寄りや健のようなカメラオタクには楽園のような品揃えである。しかも値段は京都のカメラ屋より安い物が多いのも魅力だった。
「奈々香も大概しつこいなあ。買い物で迷うくらいありがちな事だろ?」
「それにしたってあんたの財力じゃ碌に買えないような高いカメラを買う気もないのにあれこれ見て、『いいなあこのコニカ』とか言ったりして本番の買い物に行くまで十分くらいかかってたじゃないよ。そんでいざ本当に買うつもりの望遠レンズも使えるの片っ端からチンタラ物色して……あたしはケンが決断力使わない事で怒ってるの」
「け、決断力って……」
「あんたはその気になれば短時間ではっきり物事に片付けられる子のはずなのに。あーあ、今日はちょっとケンには幻滅したかな。それがケンの数少ない取柄だと思ってたけど」
「おい、てめ、言わせておけば……」
「奈々香殿、もうそのくらいにしてやれ。予定外の事とは言え健殿も大阪で楽しい買い物ができたのじゃから」
「本当はケン君はあんまりオタロードに行きたかった訳でもなかったし、それくらいはいいんじゃないかな」
「……分かった。ケンはここまで文句も言わずに付いて来てくれたしね。今日はどうもありがと。おかげで助かったわ」
 冴と道枝に言われて奈々香は少し鎮まって、ツン顔を作って健に礼を言うと道枝と祐子に目配せした。
「はい、後は荷物私達で奈々の家まで持って行くわ」
「今日は付き合ってくれて本当にありがとう、ケン君」
 奈々香の後ろで何度も頭を下げる道枝、祐子と別れて元吉まで帰って来た健がホールの奥に入ると、彼に呼びかける声があった。
「お帰りなさいませ、お兄様。大阪までの長い道中お疲れ様でした」
「お兄様、湯殿にいらして汗を流してくださいませ。準備万端整えてお待ちしておりましたの」
 健が声のした方を向くと、若菜と雪菜が浴室から首だけ出して健を呼んでいる。
「おいおいちょっと待ってくれよ。そりゃわざわざ風呂の用意してくれたのは有難いけどさ、俺よりも冴や直美や篝ちゃんを先に……」
「お兄様、そんなに遠慮なさらないでください」
「そうですとも、私達はこの時を楽しみに待っていたのですもの」
「留守居をしながらも若菜と雪菜は健殿が居らぬのが寂しくて堪らなんだのじゃろうて。お主、ここは好意に甘えてやるが良かろう。妾なら別に構わぬぞよ?」
「冴がそう言うなら儂も抗う事はすまい。行ってやれ山口よ」
「お行きあそばせ。私も冴さんや篝ちゃんと一緒で別に構う気はなくてよ、た・け・し・お・に・い・さ・ま」
 台詞は好意的でも、三人共そんな気持ちは殆どない事はジト目と暖かみのない声のトーンで分かる。特に直美が健を本名で呼んで、突き放すような態度を取った事実はそれを如実に物語っていた。
「ああ直美がめっちゃ怒ってるじゃないかよ。若菜、雪菜、俺は後で直美に何てわああああっ」
「さあさあお兄様、早く湯殿にいらしてくださいませ」
「お兄様、汗だくですわ。早く脱衣所にいらしてください」
 健が焦るのも構わず、バスタオル姿の若菜と雪菜は健を拉致するように浴室に引っ張っていった。
「あーもう……分かった、入るよ。でも服は自分で脱ぐよ」
 健が言うと、若菜と雪菜は黙って静かに頷いて浴室に引っ込んだ。裸になって、股間をタオルで隠して浴室に入ると、いきなり健は顔に冷や水を浴びせられた。
「ひゃっ……何すんだ!」
「『さばいばるげえむ』ですわ、お兄様」
「これから私達と遊んでくださいませ、お兄様」
 若菜と雪菜はどこから見つけて来たのか、健と直美が子供の頃夏に風呂やビニールプールで遊ぶのに使っていた拳銃型の水鉄砲を持っている。しかも二人は直美の高校時代のスクール水着を着ていた。若菜が着ていたのはお腹に水抜き穴のある旧型ので、雪菜は競泳用のと同じ新型を着ている。
「遊ぶも何もこんな狭い場所でサバイバルもへったくれもあるかよ! 大体この歳で風呂で水遊びなんて……」
「いいじゃないですか。お兄様が勝ったら、私達お兄様の仰る事何でも聞いて差し上げますわ」
「私達、今日一日お兄様と遊ぶどころかお顔すら見られなくてどんなに寂しかった事でしょう……」
「あー、分かったからそれをグダグダ言うのはもう止してくれ。兎に角水鉄砲撃ちゃあいいんだろ?」
「はい、頑張ってくださいませねお兄様」
「私達も頑張りますからお覚悟なさいませ、お兄様」
 雪菜がもう一挺の水鉄砲を健に渡して、若菜が高らかに宣言する。
「只今から時間無制限、反則ありの若菜・雪菜対山口健お兄様のさばいばるげえむを開始致しまーす」
「それでは参りますわよお兄様、れでぃー、ごー!」
「は、反則ありって……お、おいおい、そんなに撃つな、冷てえじゃねえかよ」
 健のツッコミも聞かず、若菜と雪菜は執拗に健に水を浴びせて来る。
「(くっ……ひょっとしてあそこを攻めれば一発ずつで勝負は決まるに違いない。二人にあの「関西人のお約束」が通用すればだがな)」
 水飛沫の中でそう考えた健は水鉄砲を構え直し、狙いを定めて二発撃った。丁度若菜と雪菜の心臓の辺りを。
「喰らえっ! バーン、バーン!」
「きゃっ」
「やんっ」
 胸に水を掛けられて二人は狼狽したが、それも一瞬のことで意味ありげに笑いかけて、
「もう、お兄様ったら。そんな所を狙い打ちされるなんて存外淫猥ですのね」
「お兄様、私達の乳房を玩具になさりたいならそう仰っていただければ宜しいのに」
「(しまった、通じなかったか。ここで「ううっ」と苦しそうに呻いて倒れてくれると思ってたんだけど)」
「「誠に恥ずかしいのですが、お兄様が望まれるなら……」」
 若菜と雪菜は顔を桜色に染めて、健の見ている前で水着の肩紐を外した。冴や直美程ではないにせよ、平均的な女子高生くらいのボリュームはある四つの乳房がプルンと飛び出す。
「ちょ、ちょっと待てよ若菜、雪菜。誰もそんな事は……うひゃっ?!」
 目を覆いつつ健は抗議したが若菜と雪菜が聞き入れるはずもなく、健は前と後ろから裸の胸でサンドウィッチにされてしまった。
「お兄様、私達の乳房の感触は如何ですか?」
「お兄様にご満足いただけるなら、私達ずっとこうしていても宜しいですよ、うふふ」
「若菜、雪菜、やめてくれ! そんなに押し付けられるとあああああっ」
 裸の双子に抱きつかれている健がすっかりパニックに陥っているとドタドタと廊下から足音が聞こえ、乱暴に浴室のドアが開いた。

「いいかげんにしなさーい!」
「いいかげんにせぬか!」

 現れたのは目をキッと吊り上げた冴と直美だった。


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