第拾六話 八乙女に明日はない(後編)
B-Part
「そうです。久しぶりにお会いできましたね、姉様」
「ああ、そうじゃな。お主の気、刀十郎と同じ物を感じる。やっと会えて姉様は嬉しいぞ」
「でも今はほんの少しの間しかこうして姿を現すことができません。ですから今は姉様のために僕が精一杯できる事をするしか……」
寂しそうに笑う刀十郎。幾分気持ちの落ち着いてきた冴に刀十郎は静かに語りかける。
「僕の力、姉様にお貸しします。今一度気を強く持って、付喪神に負けないで戦ってください。僕達が必要な人がそこにいるのですから」
「ふ、お主も言うな。姉様にそこまでの口を叩くとは」
「それでこそ姉様ですよ。それならきっと付喪神に勝てます。では、行きますよ」
刀十郎はにっこり笑って、右手を差し出して冴に力を送った。
「おお、妾に再び力が漲ってくる……刀十郎、忝い。お主の力しかと受け止めたぞよ」
「ありがとうございます……」
刀十郎の影がスッと薄くなっていった。
「と、刀十郎……」
「姉様、どうか忘れないでください。姿形は見えなくても、僕は何時も姉様のお側に居ると云う事を」
刀十郎は冴に背を向けて去って行った。
「刀十郎、それは一体……あ、あれは、健殿?」
刀十郎の姿は彼が健の前に立った所で消え去った。
「(いや、それよりも今は小鈴の八乙女を討つのが先決じゃて。刀十郎、お主から受け取ったこの力、無駄にはすまいぞ)」
冴は刀を握り直し、小鈴の八乙女に向き直った。
「い、今のは……収まったの?」
「さあ、ここで仕切り直しじゃ。健殿の前で妾を辱めてくれた礼はさせてもらうぞよ」
八乙女の前に仁王立ちになる冴の目は怒りに燃え、凄まじいまでの闘気が放たれている。最早勝機の薄い事を感じた八乙女は震え上がった。
「いいでしょう。受けて立つわ」
それでも何とか気を取り直し、鈴を構えて妖術を使おうとするが……
「コーン!」
凄まじい咆哮と共に八乙女を横切る影。
「きゃあっ!」
現れたのは小さな狐だった。それは凶悪な目で八乙女を睨むと、パッと八乙女に飛び付いて今しも喉元目掛けて噛み付こうとした。
「な、何するのよ、ちょっと、やめて! きゃあ、こ、この、離れなさいよ!」
「離れてたまるか。この、よくも冴を甚振ってくれたな! 貴様は絶対許さんぞ」
「おや、何者かと思えば篝ではないか」
冴は意外な乱入者に驚いたようだが、篝をどうこうする素振りなど見せずにいた。篝は執拗に八乙女を攻めようとして、八乙女が追い払っても引き剥がそうとしても離れようとしない。
「いやあ、もう、やめてよぉ……」
八乙女の白衣も袴も篝の爪で引っ掛かれてズタボロにされて、腕や足も噛み付かれて傷だらけになっていた。とうとうその場にへたり込む八乙女。
「これ篝、もうその位で許してやれ。妾ならもう案ずる事はないでな」
冴に言われて、やっと篝は八乙女から離れて冴の肩にポンと飛び乗った。尚も睨み付ける威圧的な視線を八乙女に向けて。
「妾の前で醜態を晒し、失禁までしてしもうたか。ふ、無様よの……さあ、お主の取る道は二つに一つじゃぞ。妾の手で調伏されるか、護法童子にお主の所業を詫び、民と共に平穏に生きるかじゃ」
「……」
八乙女は暫く黙っていたが、やがて一言。
「生きるわ」
「八乙女……」
「主、古文先生を裏切るか」
「ふふ、御免なさいね。私はまだ死ぬ訳にはいかないのよ。付喪神やその幹部である前に、女としての未練があるしね」
「未練とな? お主はまだ何か良からぬ事を考えておるのか」
訝りつつ冴が発した問いに、八乙女は人を小莫迦にしたような笑みで答える。
「あら、女の子の貴女がそれを聞くの? そんな事簡単に白状できる訳なんてないじゃない」
「八乙女、お主は一体……」
「じゃあ、縁があったら又お会いしましょ、さようなら皆さん」
「八乙女!」
八乙女は姿を消し、慌てて冴が追い掛けたときにはもう八乙女の姿は夜の闇の中に消えていた。そして……
「地鳴りがする……地震か?」
「や、やべえ。天井がガタガタ揺れてるぜ。このままだとこの海の家はペシャンコに潰れちまわあ」
ようやくしゃべれるようになった健が叫ぶ。
「こうなったらお主をさっさと助けて脱出するのが先決じゃな。一蓮、頼むぞ」
冴は刀と一緒に一蓮を手に掛けて念じ、檻を斬って自分が入れるだけの隙間を作ると檻に入って、
「やあっ」
健を縛っていた縄を斬って、解放された健をお姫様抱っこの形で受け止めた。
「「おのれ、逃がすか船岡の巫」」
荒太郎と神楽男が両面から冴に襲い掛かったが、
「悪いが今はお主等と遊んでおる暇はないでな」
冴は慌てずに健を自分の側に立たせ、手刀を二人の付喪神に叩き込んで吹っ飛ばして道を拓いた。
「さあ、逃げるぞ」
冴に手を引かれて脱出する健。間一髪で彼らは海の家から脱出できた。
「おーい!」
遠くから聞こえる声。昌彦を先頭に直美、若菜、雪菜、西陣歌劇団の面々が冴達の前に現れた。
「地震があったから心配してたけど、どうやら帰ってこれたみてーだな」
「ケンちゃん、無事だったのね! 良かった……」
直美が健を見つけるなり駆け寄って抱きつき、健の胸の中で泣き出した。
「直美、心配かけてすまなかったな。俺はこの通り元気だよ、よしよし」
優しく直美の頭を撫でて慰める健。だが、
「「お兄様、若菜(雪菜)もお兄様が無事で嬉しゅうございます」」
健の両脇から若菜と雪菜が縋って来た。
「おいおい、危ないじゃねえか。気持ちは分かるけど再会できたんだから取り敢えずは目出度しじゃないか。さあ、宿に帰ろうぜ。明日はお前等を目一杯綺麗に撮ってあげるから」
「ケン、その言葉嘘はないでしょうね。ブスに撮れてたら承知しないからね」
「ケン君なら大丈夫よ。私ケン君の腕信頼してるもん」
「おうよ、そこらへんは俺を信じてくれて大丈夫だよ。任しといてくれや」
「(うむ、何はともあれ健殿が無事で良かったわい)」
「のう冴」
「何じゃ?」
「冴はあんな軽薄な男、良いと思うかえ?」
「軽薄とな? そうとも言えぬぞ。健殿は二度三度ならず付喪神に命を狙われておる。そうして仲間にも散々心配をかけておった。ああして明るく振舞う事で心配かけまいとしておるのじゃろうて。この旅行を通夜にしとうないと思えばこそじゃろう。健殿とてこの旅行を楽しみにしておったのじゃから。まして……」
「まして、何じゃ?」
「……いや、妾の話じゃ。健殿は総領の甚六のようで、どうして芯は強い男じゃて。左様な男は妾は決して嫌いではないぞえ。お主も刀十郎の事を思い起こせば分かるじゃろう?」
「そうじゃろうかの(山口健、確かに心底まで憎む事のできぬ男よ……まあ儂も稲荷明神として人々の幸福を司る神の端くれではあるからかの?)」
じゃれ合う健達の後ろ姿を、冴と篝はそんな会話を交わしつつ静かに眺めていた。
「じゃあ今度は三人でちょっと前屈みになってみようか。うん、胸を目立たすような感じでさ。おー、なかなかセクシーじゃん。いいよー」
健の拉致騒動があった翌日、光画部は前日のお通夜ムードを取り返そうと大盛り上がりの撮影会になっていた。真っ赤なホルターネックの奈々香、ボーダー模様のビキニの道枝、水色のタンキニの祐子を相手に光画部の面々は撮影を楽しみ、更に黒ビキニの冴と黄色いスカート付きビキニの直美もモデルになって、カメラに向かってポーズを取っていた。どちらかと言えば彼女達は健専属のモデルになっていたのだけど。
「うん、じゃあ二人で手を組んでみてくれ。そんで視線はこっちに向けてな」
「おー、いいねいいね、じゃあそのまま顔近づけていってみようか、ぶちゅーって」
「顔を近づけて……ん? 何をさせるかお主は!」
冴の怒りの手刀がヒットした。横からしゃしゃり出てきた有二の頭に。
「命知らずだなお前って。奈々香で懲りてないのか奈々香で。冴本気で怒らせたらこんなもんじゃすまねえぞ」
失笑する健。
「お兄様もお兄様です。冴様や直美様ばかり相手になさって私達は寂しいですわ」
「お兄様、私達も綺麗に写してくださいませ」
膨れっ面の若菜と雪菜がやって来た。二人とも直美が高校生の頃着ていたスクール水着を着ている。若菜はお腹の所に穴が開いている旧型で、雪菜は競泳用の新型である。ご丁寧に胸のゼッケンも達筆の字で「わかな」「ゆきな」と名前を記してあった。
「分かったよ。でも俺喉渇いたし何か飲み物買って来てもいいかな。皆の分も買って来るよ」
「そうか、忝いな」
「あ、それならあたし達もお願いしようかな」
注文を取って、健は売店を探しに行った。ところが人ごみの中に紛れたまま、健が帰って来ないまま数十分が経過する事になる。
「はて、健殿はどこで油を売っておるのじゃろう」
「山口を探しに行くのか? ならば儂も参ろう。儂の鼻があれば早く見つかるじゃろうて」
子供向けの水着姿の篝が冴に言った。
「そうしてくれるか、すまぬな」
「任せろ」
篝は健の匂いを頼りに海水浴場を歩き、冴はその後に続く。暫しの間歩き回って、
「どうやらあっちに山口は居るらしいな……なっ!」
そこで篝が目にした物は、あろうことか水玉ビキニ姿の八乙女の胸の中に顔を埋められている健であった。
「うふふ、坊や、柔かくって気持ちいいでしょ? 私のおっぱい」
「ん、んん、ぐ、ぐるじい、もういいだろ、離してくれよ」
「八乙女、お主何破廉恥な真似をしておる!」
「あらこんにちは、昨日の今日で又会えたわね」
八乙女は爽やかな笑顔で冴に挨拶した。
「お主はまだ懲りずに健殿を困らせるか。ならば今一度妾の手で懲らしめてくれるわ」
「冴、儂も助太刀するぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。刀を出す前に私の話を聞いてちょうだい」
八乙女は篝の剣幕に動揺しながらも冴を制して話を続けた。
「私はもう決めたのよ。人間に悪い事はしないって。これだってただ声かけてくる男の人がうるさいから、偶々ここで会った坊やに彼氏役をやってもらってただけよ、ねえ?」
「だからって胸掴ませたり俺の顔に胸押し付けて窒息させかかるなんてなねえだろ」
「いいじゃないのそれくらい。だって私坊やの事気に入ったんだし」
「何じゃと?」
「そんな訳で私坊やの側に居る事に決めたから。宜しくね、さっちゃん」
「さ、さっちゃん……」
耳慣れない呼び名で呼ばれて、又健の彼女候補宣言までされて一同はぽかんとした顔で、妖艶に笑う八乙女を見ていた。
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