第拾七話 裏切り許可します
 

A-Part

「ふう、納得いかねえ出来だとスッキリしねえや……おや」
 さきの合宿で撮った写真をプリントして、不満げな顔で暗室から出て来た健は光画部の 部室でティータイムと洒落込んでいる彩乃に出くわした。
「彩乃ちゃんか。暗室使うなら今空いてるよ。俺は一通り水洗まで終わったから」
「いえ、私は今日はいいです。それより山口先輩、一緒にクッキーでお茶にしませんか? 私が焼いたんですよ」
「お、いいね。ありがとう……いただきまーす」
 甘い物に目のない健は一応上機嫌になって彩乃と差し向かいの椅子に座り、クッキーを摘んだ。
「山口先輩、浮かない顔して暗室から出てきましたけどどうしたんですか?」
 健の分の紅茶を淹れながら訊ねる彩乃に、健は一度暗室に引っ込んで生乾きの印画紙を差し出した。
「あー、合宿の時の写真ですね」
「うん、でも今一つ納得行くように撮れてないんだよな」
「それは先輩の考え過ぎじゃないですか? 私は写真展に出しても恥ずかしくないって思いますけど」
「考えすぎねえ。確かに俺は一発必中主義って言ってるけど、実は構図とか露出とか悩み過ぎて、 気づいてないシャッターチャンスを結構逃してるのかもな。かと言って『下手な鉄砲も』って撮り方は俺はあんまり好きじゃないし……」
「ねえ山口先輩」
「ん?」
「そう云う事なら一度肩の力抜いてお気楽に写真撮ってみませんか? 何かヒントがつかめるかもしれませんよ」
 彩乃は小さなカメラを健に手渡した。アガート18K。石鹸箱のような形の玩具カメラで、ロシアカメラブームの頃トイカメラ好きの女の子に人気を呼んだカメラの一つである。しかもどこかの工房で片面を赤く塗装された特殊仕様だった。
「何だ玩具かよ」
 健の一言に膨れっ面で返す彩乃。
「玩具だなんて言わないでください。これでもそこらのトイカメラより良く写るんですから。反射防止もしてあるんですよ。ほら!」
 彩乃は健からアガートを引っ手繰ると、本体を割ってみせた。画面枠の中には反射防止の植毛シートが貼ってあり、ファインダーの下の隙間もそこから光が入って感光しないように車のシーリング材で埋めてあった。
「とにかくフィルム一本撮ってみてください。お話はそれからです」
 彩乃は有無を言わせないと云った調子で二十七枚撮りのフィルムも健に差し出した。これを詰めて撮れと言いたいらしい。
「……彩乃ちゃんがそう言うなら、撮ってみるよ」
「はい、頑張ってくださいね。いいのが撮れたら、私が学園祭の写真展に推薦しますから!」
「え、ああ、ありがとな……(幾ら何でもそれは有り得ないと思うけどよ)」

 翌日は健の取っていた講義は午前中だけだったから、健は彩乃から貸してもらったアガート18Kを手に新京極をぶらついていた。四条通りの少し手前の、眼鏡屋の奥の細道にある公園に差し掛かると、見覚えのある男女が何やら深刻そうに話しているのが聞こえた。二人とも白衣と袴で装っていたから嫌でも目立つ。
「だから頼むよ。この間の事は見逃して貰うように俺からも頼むから戻って来てくれ」
「……」
「俺達はいろいろあったけどよ、一緒にやって来た仲間じゃないか。家族も一緒の共同体のはずだろ?」
「……」
 男の方が何を言っても、女は悲しそうに首を横に振るばかりで何も答えない。
「お前も古文先生に忠誠を誓ったじゃないか。今一度俺達の都を築くんだと。あれは嘘だったのかよ」
「……」
「なあ、頼むから考え直してくれ。もう一度俺達の悲願を達成するために……」
「ごめんなさい」
「何も謝る事無いんだよ。お前が俺達の所に戻ってくれるなら……」
「いいえ、私はもう戻れないの」
「ちょっと待て八乙女。さてはお前、あの不思議な力を持っているらしい少年に……」
「やめて! 私の事は放っておいてちょうだい。さよなら」
「(八乙女? やっぱりあの女は前に俺を監禁した小鈴の八乙女とか云う付喪神なんだ)」
 健はそっと近づいて物陰から様子を窺おうとしたが、
 カーン
 足を踏み出した途端空き缶を蹴ってしまい、男の気づく所となった。
「誰だっ!」
 顔色をサッと変えて健の方にやってくる男。大慌てで逃げる健。彼らは追いつ追われつで狭い路地をどれくらい走っただろうか。突然健の前に八乙女が現れて、
「坊や、こっちへいらっしゃい」
 健の手を引いて先導して走った。
「おい、何するんだ。俺をどこへ連れて行く気だ!」
「何もしやしないわよ。坊やを神楽男から保護してあげるの。安心しなさい、私は坊やの味方なんだから」
 そうは言われても一体何をされるのか分かったもんじゃないよ、と不安ばかりを感じつつ健は八乙女に引っ張られていった。
「ちょ、ちょっと、ああっ……いずこへ?」

「ただいまー」
「こりゃ健殿、どこをうろついておった!」
 何事もなかったようにアッケラカンと元吉に帰って来た健を、厨房の冴は開口一番叱り飛ばした。
「え、ちょっと、何藪から棒に怒ってるの?」
「何が藪から棒じゃ。お主は今日は二時間ほど前から店に入る予定があったろう。遅刻しておいてよくも平然として居れるの。早く着替えて降りて参れ」
 健は冴の剣幕に恐れをなして、
「す、すみません。そゆ事なら早く準備してきます」
「詫びを申すよりその気持ちは行動で示さぬか。これから忙しくなるのじゃから……」
 怒ったままの冴。だが健の失態はそれだけでは済まず、二階に上がって襖を開けた途端、
「え、ちょ、ちょっと、何よケンちゃん……」
 いつもの矢絣の着物に着替えようとパンツ一枚だけ身に着けた姿で、予想外の出来事に慌てる直美に出くわして、
「きゃあああああああああっ! ケンちゃんの莫迦、エッチ!」
 直美は着物で裸体を隠して、近くにあったクッションを掴んで投げ付けた。それは健の顔にヒットして、健は廊下に跳ね飛ばされて尻餅をついた。
「ごめん、わざとじゃないよ。ついうっかり、さ、その……」
「知らない!」
 直美の部屋の襖が乱暴にピシャンと閉まる。これ以降その日の直美は健に仕事以外の事では口を利いてくれなかった、のは又別の話であるとして、健がホールに降りて来ても……。
「兄ちゃん、いつもの奴頼むよ」
「え、いつもの奴って……何ですか?」
 常連客の注文を取りに来てキョトンとしている健。
「いつもの奴はいつもの奴じゃないの。何言ってんの兄ちゃん」
「健君、忘れたのかい? 紳士服屋の旦那さんの定番ならサントスだよサントス」
 義郎が助け舟を出して、健は俄かに甦った。
「あ、ああ、そうでしたね。少々お待ちくださいませ」
 バツが悪そうに厨房に戻ろうとする健。
「すみません、アイスグリーンティと蜜豆お願いします」
「こっちはアイスミルクティねー」
「俺はまだ注文取りに来てくれないの? 日替わり定食欲しいんだけど」
「えっ、あー、その……んん」
 呼び止められて複数の注文をされ、健は慌て出した。
「(これは面妖な。普段の健殿ならこれしきの事態など落ち着き払って収拾できるのに)」
 流石に何かおかしいと感じたか、冴が厨房から飛び出した。
「健殿、この場は妾に任せおけ。お主はどこか具合でも悪いのじゃろうて。今日の所は無理をせず休んで居るが良かろう。ほら自室で大人しくしておれ」
 冴に背中を押されて、健は渋々と云う感じで自室に引っ込んだ。それから何時間か経って店の混雑が一段落した頃、冴が戻って来た。冷えた日本酒の小瓶とグラス二つを手にして。
「健殿。今日は災難じゃったの。まあこう云う事もあるじゃろうて。気を落とさずに明日又頑張るが良いわ。どれ、酒が冷えて居るがお主も飲まぬか」
「酒か。そりゃどうも。有難くいただくよ」
 健は上機嫌になって冴からグラスを受け取り、二人で乾杯した。
「健殿の明日の幸福を願って……」
「乾杯」
 冴は自分でも酒のグラスを傾けながら、健がキュッと酒を呷るのを眺めて言った。
「おお、男気のある見事な飲み様じゃな。気に入ったぞよ。どれ、褒美に妾の乳房を触らせてやろうか。何なら乳首を吸うても良いぞえ」
 酔いの回った冴はトロンとした目を婀娜っぽく健に向けて、健を誘うように着物の胸元を肌蹴てみせる。
「うほ、いいのかい。そんじゃ単刀直入にいただきま……うおっ?!」
 男の本能のままに冴の胸にむしゃぶりつこうとした健だったが、そのまま掌底突きで跳ね飛ばされ、冴に組み敷かれた。鬼の形相で冴が問い詰める。
「どうもおかしいと思うておったら、お主は妖か何かの化けた健殿の偽者じゃな?」
「ひ、人聞きの悪い事を言うなよな。俺は山口健だ」
「嘘を申せ。今の件で偽者と云う事は分かって居るのじゃ。酒に弱く、色仕掛けも通用せぬ健殿が酒を飲んだり、助平な誘いに容易く乗るはずはないでの」
「ちちちち違う。一体何の事だ。小鈴の八乙女様の妖術で人形(ひとがた)から複製された山口健の身代わりだなんてたとえ船岡の一族の巫女に脅かされても言えねえぜ」
「やはりそうか」
 合点がいったと頷く冴。そして更に追及する。
「お主が何のために我等の元にやって来たか、本物の健殿は今どこでどうして居るのか白状してもらおうかえ。素直に吐かねばこれじゃぞ」
「ひいいい、言います、何もかも言いますからその短刀仕舞ってください」
 恐怖で顔を真っ青にして震えながら、健の偽者は事の次第を冴に説明した。
「成程な。じゃが健殿は連れ戻させてもらわねば困る。これから直美殿と篝も連れて直談判させてもらう。お主も案内役として付いて参れ。前のようにややこしい場所に居る事があるとして、無粋な強行突破もなるたけ控えたいでな」
「とほほ……」
 健の偽者は冴に促されるままに彼女達を本物の健が居る場所に案内させられる事になった。そうして彼女達が連れて来られたのは……
「ここ、大将軍八神社じゃないの」
「そうです。八乙女様は今、ここの巫女として奉職しておいでです。そうして今、八乙女様は……」
 健の偽者が冴達を案内する間もなく、本物の居場所はすぐに知れた。
「坊や、今夜は寝ないで愉しんでちょうだい。心行くまで気持ちよくさせてあげるから、さあ」
「やめろ、やめてくれ! こっちも困るんだよ」
「いいじゃないの坊や、ほら、遠慮しないで私のおっぱい、好きなようにしてくれていいのよ」
「そんな事困るって言ってるじゃないか。第一俺には……ん?」
「どうしたの、坊や?」
 白衣の胸元を肌蹴て豊満な胸を惜しげもなく見せ付け、健に迫る八乙女の後ろに立つ者があった。怒りに震える冴と直美である。
「な、何よ貴女達……」
 慌てて胸を仕舞って、二人と向かい合う八乙女。
「何よじゃと? それはこっちの台詞じゃ。ようも神聖なる場所で破廉恥な事をやれるものじゃな」
「逆セクハラもやめなさい。ケンちゃん困ってるじゃない」
「あの時きっちり調伏してやらなんだ妾はつくづく愚かじゃった。今一度成敗してくれるわ」
「あの、ちょっと……これはちゃんとした事情があって……キャー!」
「いいかげんにせい!」
「いいかげんにしなさい!」
 忽ち女の凶暴性剥き出しの大喧嘩が始まった。

「だからさっきから言ってるじゃないの。私は坊やを保護してるんだって」
 健が必死で抑えてその場を収め、八乙女は来客に茶を振舞って話をしていた。元は悪役であっただけに、誰も俄かには改心したと云う八乙女の言い分を信じようとはしない。
「ふん、お主の本心は先の一件で分かっておる。健殿の貞操が欲しかったのじゃろうて。この助平妖怪め」
「あら、男の子ならエッチな事好きなのは当たり前でしょ? それで文句言われる事なんてないわ」
「あち……(どこぞの誰かと似たような事を言うておるわ。妾の周りに直美殿以外にもう少し貞操観念のしっかりした女子は居らぬのか)」
 顔に手を当てる冴。直美が口を挟んだ。
「ケンちゃんはそんないつでも発情してるような男の子じゃありません」
「お嬢ちゃんは黙っててちょうだい。はっきり言わせてもらうけど私、坊やの事好きなのよ。まだ将来のお嫁さんなんて当の坊やは決めてないみたいだし、私が立候補したっていいんじゃない?」
 直美のしゃべり方が敬語になるのは熱くなっている証拠である。そこでカチンと来る一言を言われたならどうなるか。
「だからってエッチな店みたいな真似はやめなさいよ。お嫁さんになりたいならケンちゃんの気持ちも考えてあげてよ。貴女はケンちゃんが女の子をどう見てるか全然分かっちゃいないわ。ケンちゃんはそんな事普通女の子は嫌がるって分かってるし、そんな真似は絶対しない。それにベタベタし過ぎるのも嫌いでね、ベタつかず離れずがちょうどいいのよ」
「健殿には健殿の人生がある。楽しい学生生活を謳歌しても居れば直美殿や妾と暮らす日々も楽しんで居るのじゃ。それを何じゃ、斯様な所に監禁してお主の為すがままに翻弄するとは。健殿には苦痛以外の何物でもあるまいっ」
 怒りの収まらない女性二人に喧しく言われて、最初は居直りを決め込もうとしていた八乙女も折れた。
「もう、分かったわよ。そんなに言うなら坊やはお家へ帰してあげる。でもね、さっちゃんもお嬢ちゃんもこれは分かっておいて。坊やは行方の知れないさっちゃんの弟君について何か秘密を持っている。それは奴らも気づいてるわ。それはもう古文先生のお耳にも入ってるでしょうし、恐らく付喪神の一味はさっちゃんだけでなくて坊やも狙って来る。それは私も見過ごせない事なのよ」
「それくらい分からいでか。じゃが案ずるには及ばぬ。健殿には妾が居るのじゃ」
「ああら、これまであと一歩まで追い込まれて、誰かの救援がないと勝てなかったのは一体誰かしら?」
 自分の所業を棚に上げて、八乙女は意地悪そうに言う。
「それはお主等が汚い手を使うておったからじゃろうが。正々堂々と臨めばお主等など我等の敵ではないわえ」
「でも付喪神が正々堂々と貴女とやり合った事ってあるかしら? ないでしょう? だから私は必要ならさっちゃんを助けてあげるって言ってるんじゃないの」
 ピシャリと言っておいて、今度は妙にしおらしい調子で八乙女は言った。
「貴女は私がまだ悪い事すると思ってるみたいね。でもそれは違うわよ」
「そうかえ?」
「だ、だって……そんな事をしたら坊やが悲しむから」
「そら、妾はお主の不本意そうな素振りを見逃してはおらぬぞ。今お主は本音を覗かせたな。健殿の存在が今お主が人間に味方しようとする行動の原理じゃろうて。悪や正義のためならず、一人の想い人のためにのみ動く。実の所は京都も罪無き民も関係ない等と思うておるのではないかえ? そのような話は妾もあにめで知っておるぞ。確か『でびるまん』と云うたかの」
「(奈々香、また冴さんにアニメ布教してたのね)」
 直美は必死で笑いを堪えている。
「アニメですって? 貴女こそ巫山戯ないでよ。私は……」
「それをしもいかんと妾は言うておるのではないわえ。お主が本当に健殿の身を案じておるのなら少しは彼の気持ちも慮ってやったらどうじゃと言いたいのじゃ」
「さっちゃんの分からず屋! 私が折角貴女の方に付いてあげるって言ってたのに」
「お主ごときの手を借りるには及ばぬと妾も申しておろうが。二度も同じ不覚を取る事等我等にはない。お主の余計な手出しなど要らぬ。それと『さっちゃん』と云う呼び方は止めてはもらえぬか? 子供扱いされておるようで気に入らぬでな」
「私は千と四十年を生きている付喪神。さっちゃんやそこのお嬢ちゃんはたかだか二十年がとこしか生きてないじゃないのよ」
「年功など妾の知った事か」
 止まる所を知らない女同士の激しい口論。直美と健が止めようと立ち上がった時、
「こりゃ貴様、冴に何と云う暴言を吐くか!」
「え、ちょっと……や、やめて、こっち来ないで、きゃあああああっ!」
 先日の戦闘以来、八乙女にトラウマを植え付けた篝の登場でこの喧嘩の決着は付いた。
「篝、しばらくその付喪神と遊んでやれ。妾は健殿を連れて帰るでな」
「あ、ちょっと、待ちなさいよ……きゃあああああああ、いやあ、もう許して、許してよぉ!」


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