第拾八話 あけてくれ!
 

A-Part

 ジリジリと太陽の照りつける夏の京都の昼下がり。縁側の向こうに広がる林では油蝉が求愛の合唱を響かせている。蹲でカコーンと音を立てる鹿威し。その様を書生風の男は煙管から立ち上る煙越しに風雅そうに眺めていた。
「大原野 割れよとばかり 蝉鳴きぬ……どうかな楓?」
「そうですなあ、今一つ在り来りですよってに『人』くらいですやろか」
「『人』? そりゃ参ったな。せめて『地』ぐらいの評価は貰えると思ったが」
「おほほほ」
 書生は苦笑し、釣られて差し向かいに座敷に座っていた巫女も可笑しそうに、しかし上品に笑う。巫女の名は大原野楓。この大原野稲荷の守護神を務める化け狐である。今日は八月十三日。この日から始まるお盆に、心待ちにしていた来客を迎えられて楓は大層上機嫌でいた。
「清兵衛はん、お茶のお代わりどないですやろ」
「どうするかな……」
 清兵衛と呼ばれた書生は煙管をくゆらせてお茶を貰おうか迷っていたが、
「楓が入れてくれるなら、ご好意に甘えさせて貰うかな」
「よろしおす。ちょっと待っとくれやす」
 楓は清兵衛から茶碗を受け取ると座敷の片隅にしつらえてある釜の側に座って抹茶を点て、茶碗をクルクルと回して清兵衛に出した。
「はい、出来ましたえ」
「ありがとう……うむ、結構なお点前で」
「おおきに」
 型通りに茶を嗜む清兵衛と楓。清兵衛は書生のようで実は高名な陶芸家の作った茶碗の化けた付喪神で、楓が古門前の古道具屋で買い求めたお気に入りの茶碗として大原野稲荷で暮らしていたが、ある時楓の妹の篝が誤って割ってしまって花壇にこっそり埋められ、社に造園屋が来て花や木の植え替えのために花壇を掘り返した折に発見されて改めて葬られたと云う晩節がある。今年は清兵衛が往生して初めて現世に帰って来る盆とあって、楓はかねてからこの日を待ち望んでいたのであった。
「どうもごちそうさま、楓、ついでと言っては何なんだが……」
「はい?」
「電気ブランはないか」
「は、お酒ですか。そら清兵衛はんのために用意したありますけど、まだこんな時間ですえ?」
 楓の眉がピクリと上がる。
「駄目かい? まあそんな殺生な事言わずに一杯くらいいいだろ? あれを飲まないと娑婆に帰った気がしねえんだが」
「あきまへん。お陽さんが落ちるまで我慢しときなはれ」
 いつもの静かな微笑のままそこはピシャリと断っておいて、すぐにガラリと口調を変えて楓は言った。
「でもうちの事欲しいんやったら今でもよろしおすえ?」
 白衣に手を掛けて、楓は胸元を肌蹴た。プルンと零れる豊満な乳房。ストリップの効果は覿面だった。
「い、いや、それは遠慮するわ。これから妹にも会いに行きたいのに、疲れた顔で無用の心配をされてはかなわん(楓との睦み合いは確かに心地は良いのだが、どれだけ精気を吸われるか分かったものじゃねえ)」
 慌てて清兵衛は片手で目を覆い、もう片方の手を振って楓の誘いを謝絶した。
「しはらへんのですか? 阿呆らし……」
 楓は乳房を仕舞って、清兵衛に訊ね直す。
「ところで、これから若菜はんと雪菜はん訪ねていかはりますのん?」
「ああ、そのつもりだ。息災にしておることは聞いておるが、今若菜と雪菜はどこに居るのかな?」
「大将軍の『元吉』云う茶店で暮らしたはります。ここからやったら阪急で嵐山行かはって、そこから嵐電で北野白梅町で降りはるんが近おすえ」
 楓は元吉の名刺を清兵衛に手渡した。裏に北野白梅町駅から店までの順路を記した地図が印刷してある。
「ありがてえ。じゃあまた夜にでも一献傾けながら話でもしようか」
「そうしましょ。お早うお帰りやす」
「ああ」
 楓に門前まで見送られて、清兵衛は大原野稲荷を後にした。久しぶりの妹との再会をただ楽しみにしながら。

 海の物、山の物、あらゆる食材が集まる京都の台所錦市場。健は自ら手伝いを申し出て来た若菜と雪菜を伴って、店で使う食材の買い出しに来ていた。
「やれやれ、たくさん買って疲れてきたな。若菜、雪菜、ちょっと休んでいこうか」
「そうですねお兄様、私達もちょっとつらいです」
「お兄様、どこへ行かれますか?」
「いや、考えてないけど……そうだな、俺はたこ焼きが食いたいな。若菜と雪菜はどうだい?」
「お兄様がたこ焼きを召し上がりたいなら、私達もご一緒しますわ」
「お兄様とご一緒なら何だって美味しく食べられますもの」
「ふっ……(お前らどこまで俺に従順なんだよ。実兄ならいたんじゃなかったかい)じゃあ行こうか」
「「行きましょう、お兄様」」
 三人はたこ焼き屋に入っていった。本作で取り上げるまでもなく、「魔法のレストラン」等マスコミに出る機会も少なからずある店である。たこ焼きを一皿ずつオーダーして、彼らは和気藹々とおやつの時間を楽しむ事になった。
「お兄様、はい、あーんして私のを召し上がってくださいませ」
 若菜がフウフウと息をかけてたこ焼きを軽く冷まし、健に差し出した。
「え、あ、ありがとう、いただくぜ」
「ああ、若菜ったらずるいですわ。お兄様、雪菜のも召し上がってください」
「ありがとう。うん、葱付のは初めて食べたけどこれもいけるな」
「雪菜、貴女いつの間にそんな……ねえお兄様、すぺしゃるたこ焼きも悪いとは申しませんが素朴なのもいいですよね?」
「えっ、そ、そうだな、若菜の言う通りどっちもどっちなりの良さがあるんだし」
「あらお兄様、口の端にそーすが……」
 健が若菜の問いに答え倦む隙に、雪菜が健の口元をペロリと一舐め。
「わっ」
「雪菜、こんな所で恥ずかしい事しないで。お兄様もそんなに雪菜にでれないでください。そんなだったら私……んー」
「お、おい若菜、たこ焼き咥えて俺に何期待してんだ」
 傍目から見れば健は莫迦ップルどころかハーレムの主と映っているであろう。二人とも胸を押し付けんばかりに健に擦り寄ってたこ焼きを健に食べさせている。窮屈なイートインスペースに陣取るカップルや若人も呆れたように健達を見ていた。そして彼らより遅れて錦に来ていたこの御仁も……。
「(あの店で娘から妹がここに居ると聞いて来てみれば、実兄を差し置いて人間ごときといちゃついて……ああ絶望した! 娑婆に戻ってみれば妹が兄よりも他の男に心を奪われている事に絶望した!)」
 清兵衛は辛うじて怒りを堪え、逃げるように錦市場から去って行った。

「くそっ、若菜も雪菜も何故人間に心を売ったのか……おい給仕、酒がねえぞ。もう一杯寄越せ! 金なら閻魔様にたんまり持たせてもらってんだ!」
 その日の夕刻、新風館の屋外テラスで浴びるように日本酒を飲む清兵衛の姿があった。札を握り締めた手を振り回し、怒りと酔いで真っ赤になった顔で清兵衛はウエイターに絡む。
「お客さん、もうぐでぐでに酔っ払っておいでじゃないですが。それ以上飲んで倒れられても私共はどうしようもありませんよ」
「うるせえ、俺は一回死んで今こうして娑婆に戻って来てる身なんだよ。死ぬのが怖くて自棄酒なんて飲んでられっか莫迦が」
「お客さん……」
「待て」
 その時恰幅のいい男が清兵衛と給仕の間に割って入った。
「この書生に一杯差し上げてはもらえぬか。倒れたら俺が介抱するでな」
「……」
 どうなっても私は知りませんからね、と言いたそうな視線を投げかけてウエイターはオーダーを通しに立ち去り、男は清兵衛の席に陣取った。
「お前は俺と同類の者だな」
「ん? じゃああんたも付喪神なのかい」
「いかにも。俺は手棒の荒太郎だ」
「ほう、あの手棒の荒太郎ってのはあんたなのか。こうして同胞でも名高い付喪神に会えるとは俺も妙な所で運のあるものだな」
「ふ、そう言われると面映いが……よかろう。ところでお前、こうして斗酒猶辞せずとばかりに飲んで荒れておるのは何か訳があるようだな。俺で良ければ愚痴を聞くが……」
「いいのか?」
「いいとも。遠慮せずに申してみよ」
 清兵衛は荒太郎に事の次第を話した。話を聞くうちに荒太郎の眉がピクリと上がり、
「その男、若しやお前にどことなく風貌の似た、頭に鉢巻を締めておる者ではなかったか」
「おや、よく分かるな、あの男はあんたと顔見知りなのかい?」
「そうだ。まだ確信は持てぬが、何か妖討の一族と縁浅からぬ者のようでな、底知れぬ力を秘めておる者よ。迂闊に攻めるのは決して得策とは言えぬ。たとえこの手棒の荒太郎の力をもってしても、な」
「何だいだらしねえな。妖討の一族如きでお前さんともあろう御仁が尻込みしてどうするよ。そりゃあ俺も冴や刀十郎の事はちっとだけど知ってるし、あの一族ならお前らもなかなか叶わねえだろうが」
「酒の勢いで物事を語るな愚か者。そんな事など分かりきっておる!」
 荒太郎は激昂した。
「さもあらば我らは手段を選ぶ事無く、その船岡の巫を攻めてきた。だが悉くあと一歩の所でおかしな邪魔が入ってその望みは潰えたのではないか。易々と奴を倒せておれば我らも今ほどこうして苦悩もしまい。山口健とか云う例の男も、今は只の人間の小僧に過ぎぬ。だがもしも罷り間違うて奴の力が覚醒したなら……」
「ま、要は正攻法でガツンと行くより搦め手を駆使しようじゃねえかって事なんだろ、荒太郎さん」
 荒太郎の怒声に怯む事無くサラリと返す清兵衛。
「そ、それはその通りだが……」
「俺に一計がある。若菜と雪菜を餌に奴を誘き出して痛めつけてやるのさ」
「……」
「何だ、俺の計略が上手くいくか不安か? まあお互いに失いたくない物を持つ者を見ろよ。それほど弱い存在ってのもないんだから……」
 ウエイターの運んできた酒を干しつつ、清兵衛は邪悪に荒太郎に笑いかける。
「よほど自信がありそうだな……よし、お前を信じて組もう。あの男を痛めつけられるなら俺もお前のために一肌脱ごうではないか」
「そうかい、じゃあ若菜と雪菜の心を取り戻してもらおうじゃないか。手段? そんなのどうだっていいさ。妹を我が物にできるならな、はっはっはっはっ……」
 清兵衛の迸るが如き哄笑に、新風館のテラスにいた一同が驚いた。

「おはようさんです」
 八月十四日の朝、元吉の開店を前に冴、健、直美が玄関先の掃除をしている所へ来客があった。
「おはよう、ああ、楓ではないか」
「今日は清兵衛はんから伝言を預かって来ましてん」
「ほう、清兵衛が帰っておるのか」
「清兵衛? 誰だっけ」
 名前に心当たりのない健の質問に冴が答える。
「覚えてないかえ? まあ健殿は名前しか聞いておらぬからの。若菜と雪菜の実兄じゃよ。同じ陶芸家の作った茶碗の化けた付喪神でな、楓は大層気に入って使うておったのじゃ。ちょっと健殿にも似ておって、お主がいい感じの壮年になったらさもありなんと云う感じの男じゃな」
「はい、それでお盆にこちらに帰ってきてますよってに、若菜はんと雪菜はんとゆっくり京都でも散策したい言うたはりますんや。そんで嵐山で一足先に待ってるよってに是非来てほしい言わはりましたえ」
「(それなら日頃お兄様お兄様と五月蝿い対抗者を気にする事無く健殿との一時を過ごせるわえ)」
「(それなら日頃お兄様お兄様って五月蝿いライバルを気にしないでケンちゃんと一緒にいられるのね)」
 期せずして冴と直美の口から容認発言が出た。
「妾は別に構わぬぞ。久しぶりに実兄に会えるとあっては若菜も雪菜も嬉しかろうて」
「私もいいですよ。ケンちゃんもいますし、ね?」
 直美が意味ありげな視線を健に向ける。
「ああ、俺もいいぜ。ここは三人で頑張ろうじゃないさ」
「そうですか。ほなうち改めて若菜はんと雪菜はんに声かけて来ますさけ」
 楓は格子戸を開け、開店準備をしている若菜と雪菜に会って連れ出して来た。
「「お兄様、それでは行ってまいります」」
「ああ、気をつけてな」
 若菜と雪菜が嵐電の駅に向かい、楓も後に続いて辞去しようとする。
「ほなうちは若菜はんと雪菜はんを送り届けたらお社のお仕事に戻らんなりませんし今日はこれで。また近いうちにお会いしましょ」
「うむ、妾も楽しみにしておるぞ。又な」
 楓を見送ると冴は健の方を向いた。
「健殿、今日は妾と昼餉を食べに出ぬか。旨い鰊蕎麦を出す店が出来たのじゃが……」
「ケンちゃん、私とお昼に行こうよ。ケンちゃん市役所前に前オムライスがおいしそうだなって言ってた店あったよね?」
 例の如く直美も割って入る。
「ちょっと待て直美殿、先に健殿を誘うたのは妾じゃぞ?」
「あら、どっちのお誘いに乗るかはケンちゃんに決める権利があるでしょ?」
 不敵に笑って見つめあう、目下の所尤も健に近い彼の花嫁候補二人。
「おいおい、何か穏やかじゃないぞ。昼飯なら……」
「ねえ、ケンちゃんはどっちがいい? 冴さんと鰊蕎麦食べに行くか、私とオムライス食べに行くか」
「健殿、我らが水入らずで過ごせる好機じゃぞ?」
 婀娜っぽく健を見つめる冴。お主の今夜の主食は妾じゃ、とでも言いたそうに。
「どうするのケンちゃん、私とお昼だよね?」
「妾を選ばぬのか健殿?」
「おいおい、二人とも落ち着いてくれよ。外に出なくてもさ、俺が何か適当に作ってみんなで食べるってのもアリだろ」
「確かにな。健殿の料理は一人前じゃて。じゃがここで健殿の手を煩わせるのも気が引けるわえ。今日の所は妾と憩いの一時を過ごそうではないか」
「わっ、おい冴……(ううっ、冴のおっぱいが腕に当たってら。しかもわざとグイグイ押し付けて……)」
「ちょっと冴さん、ケンちゃんにそんなにくっつかないで」
「妬いて怒る顔も魅力的じゃぞ直美殿。じゃがお主も申したであろう? 誰を選ぶかは健殿次第と」
「ケンちゃん、そんなので釣られるほどケンちゃんはエッチじゃないよね? なんならおやつは私がアップルパイ作ったげるわよ?」
「さあ、いい加減はっきり片をつけてもらおうかえ。今日の昼は妾と直美殿とどっちを取るのじゃ?」
「ケンちゃん、私に付き合ってくれるよね?」
 心が冴に傾いている所へ直美の必殺技「私のお願いを聞いてちょうだい光線」まで出されて健が慌てて、どっちを選べばいいかと悩んでいる所へ、
「お前達何やってるんだ。早く入りなさい」
 怪訝な顔の義郎に注意されてこの勝負はお預けになり、結局三人で「マリヤ」に行く事で一応の決着を付ける事になった。幸いそこで女の戦争は勃発する事はなく、三人で楽しく食事できたのだけど。

 健はいつしか夜の北野白梅町駅のホームに立っていた。わずかな蛍光灯だけが灯る暗いホームには彼以外誰もいない。俺は一体どうしてこんな所にいるんだと見回していたのも束の間、電車がホームに入って来た。中は少しばかり混雑していると云った所か。ドアが開くとそこに乗っていたのは数多の妖怪達。
「……!」
 怖気を感じて後退りする健。足が竦んで動けなくなっていると運転手が窓から顔を出して声をかけた。
「お客さん、電車乗らないの?」
 健を睨む運転手の不気味な目が光る。その光に操られるように健は電車に乗り込んだ。
「人間だ」
「人間が乗って来たぞ」
「ふひひ、線は細そうじゃがどうして肉付きは悪くなさそうな人間じゃ。とびきりとはいかずともそこそこは旨かろうて」
「いや、こう云う男、私は好みであるぞ。そちらが食わぬなら私が馳走になろうではないかえ」
「(何、俺を食うつもりかこいつら)」
 慌てて逃げようとした健の後ろで扉が閉まり、電車は夜の街を走り出す。
「あ、開けてくれ! 開けてくれ!」
 パニックに陥る健。妖怪に束になってかかられては一溜りもない。ただ食われるのみである。ぐるりと健を取り巻き、じりじりとにじり寄ってくる妖怪達。
「まあ落ち着きなせえお前さん達。終点まではまだ遠いし人間もこの男しか乗ってはおらぬ。今此奴を食らっても後の楽しみがないのではないか?」
「清兵衛……」
 何者かに制されて妖怪達が一斉に声のした方を向いた。車掌の制服に身を包んだ清兵衛の登場である。
「初めまして、かな? 山口健とやら」
「冴が言ってた清兵衛ってのは、お前なのか」
「そうだ、お前さんの話は若菜と雪菜から聞かせてもらった。お前さんには妹がいつも世話になってるそうだな、と言いたい所だが……」
「何?」
「俺とても妖怪であるからには、妹が人間如きに現を抜かしているのは面白くない事でな。妹は俺に返してもらったよ。そして山口健、お前さんには死んでもらう。人間の分際で妹を誑かした恨みは大きいぞ」
「……(男の嫉妬かよ、格好悪い話だな)」
「何だその俺を憐れむような目は。益々気に入らないな。まあ良い。終点に着いたら俺の手で嬲り殺しにしてやろう。だが冥土の土産にこれだけは聞かせてやる。俺はお前に惚れたばかりに俺たち付喪神を裏切った小鈴の八乙女に代わって新たに幹部の椅子を用意してもらった。この妖怪列車を使って京都の民を妖怪の世界へ連れて行くと云う計略が認められてな。これで若菜と雪菜には茶店の食客でいるよりいい暮らしはさせてやれるのだし、俺は兄として妹を相応に可愛がるつもりだ。決して若菜と雪菜にとって悪い話ではあるまい」
「莫迦を言え莫迦を。京都の人達をさらってまでいい暮らしを手に入れたところで、若菜と雪菜が喜ぶかよ」
「それは分からんぞ? たとえ護法童子に諌められたとは言え、元々人間に対する恨みから生まれたのが俺達付喪神なのだから」
「莫迦を言うなっつってんだろ! 今や若菜と雪菜は冴や直美と同じ元吉の看板娘で、笑顔とサービスを振り撒いて人気を呼ぶ立派な女給だし、この仕事が好きだって事も聞いてる。それを妖怪の仲間にしてたまるかよ」
「ほう、道理で妖怪を煙たがると思ったぜ。そんな事を思わぬようお仕置きをしておいたのは正解だったな」
「お仕置きだと? この外道め……!」
 健は拳を握って、清兵衛に挑みかかった。だがパンチはあっさり清兵衛に受け止められ、健は清兵衛に嫌と言う程腕をねじ上げられた。
「あた、あたたたたた……」
「やれやれ、若菜と雪菜はそこまで人間に肩入れするようになっていたか。そう云う事なら尚更お前と人間共は許せないな。この列車の行き着く先は妖怪の世界だ。お前さんもこの列車に乗って連れ去れられた他の人間と同じく、じっくり甚振って食ってやろうではないか」
「う、うぐぐ……あ、開けてくれ、扉を開けてくれ! 俺を元の世界に返してくれ」
 健はふと座席の下にある非常用ブレーキを見つけた。
「えっ!」
 必死の力で清兵衛を振りほどき、健はブレーキレバーを掴んだ。
 ガタン
 激しい揺れと共に電車が止まり、健は電車の扉をこじ開けて外に出た。
「お兄様、そこにいらっしゃるのですね」
「お兄様、若菜と雪菜はここです。助けてください」
 健が声のした方を向くと、若菜と雪菜の姿が見えた。二人とも裸に剥かれて、両手首を縛られて宙吊りにされている。
「(ちっ、あいつはどこまでも趣味の悪い奴だぜ)おうよ、今行くから待ってろ」
 健は若菜と雪菜の方へ一歩を踏み出した、と思うや足元の感覚が無くなって……
「うわあああああああああああああああああああああああああ」
 健は何もない真っ暗闇の中に落ちていった。

「健殿、大丈夫か、健殿!」
 冴の声で健は悪夢から覚めた。
「さ、冴……ふう、俺は生きてたんだ」
「相当魘されておったな。物凄い悲鳴まで上げて……寝巻も寝汗でぐしょ濡れじゃぞ。ほれ寝巻を脱いで汗を拭け。風邪を引くぞよ」
 言われた通り健は上半身裸になって、汗を拭いた。
「どうじゃ、落ち着いたかえ?」
「ああ、少しはな。俺は夢ん中で嵐電に乗っててよ……」
 健は夢の内容を冴に話した。
「ふむん、清兵衛がな。楓に言わせると奴は若菜と雪菜の事は溺愛しておったようじゃし、有り得ぬ話でもあるまいの。なれど……」
 冴は静かに笑って続ける。
「正夢と決まった訳ではまだあるまい。幸いこうしてお主は生きておるのじゃ。もう案ずるでないぞ。安心してゆっくり休め」
「ああ、ありがとう」
 新しいパジャマに着替えて、もう一度布団に潜り込む健。傍らで冴が笑いかける。
「眠れぬか? 眠れぬなら子守唄など歌うてやろうか」
「よせやい、ガキじゃあんめーし」
「ねんねしなされ まだ夜はあけぬ あけりやお寺の 鐘がなる 鐘がなるかや 撞木がなるか 鐘と撞木の間がなる♪」
「おいおい、よせって言っ……(あれ、この子守唄どこかで聞いたぞ?)」
 健の頭に昔の記憶が甦った。まだ物心もつかない程の子供の時分だったかもしれない。病床に伏していた健の横で、綺麗な女の人が枕元でこんな歌を歌ってくれたっけ。その人はちょっと冴に似ていなくもなくて……
「(冴?!)」
「ねんね子守りは 日の暮れが大事 朝やねおきは なお大事 子守り大将さん 連れにしておくれ 豆の十粒も よけい上げる 守りは守り連れ 子は子ども連れ♪」
 健の横で二人の子供も添い寝していた。女の人の連れ子だろうか。まだ眠れない健の横でそのお姉さんと弟はすやすやと眠っていて……
「冴、なあ冴、俺は昔どこかで冴に会った事なかったかよ」
 健は冴に訊ねたが、いつしか冴は寝息を立てていた。
「(ちぇっ)」
 失くした記憶を取り戻せなかった事に失望しながらも、健も記憶を探って思いをめぐらせている内にいつしか眠りについていた。

「もう、ほんまにどこ行ってもたんやろ……」
 自分の部屋の箪笥から抽斗を引っ繰り返し、必死で探し物をする楓。放蕩息子で通っている宮司が顔を出して楓の部屋を覗く。
「こんな夜中に何なんだ楓。探し物なら又明日でもいいだろ」
「そんなん宮司はんには関係おへん。うちの大事なもんがどこ探しても見当たれへんのに」
「何をそんなに熱心に探す事があるんだ……あーあー、こんなに下着散らかして」
「宮司はん」
「な、何だ楓、そんな怖い顔して」
「あんたまさかうちの留守中に盗んだんちゃいますやろね。うちのお気に入りのパンツとベビードール」
「ば、莫迦な事言ってもらっちゃ困るよ。あんなエロ過ぎる下着俺の趣味じゃないもん」
「阿呆言わんとって。そない言いもってこっそりうちの下着盗んで、祇園や木屋町の女の子にあげてるんちゃいますのん?」
 宮司の一言でカチンと来た楓は宮司を締め上げた。
「ぐ、ぐるじい、俺は天地神明に誓って知らねえってば。そんなだったら自分で買うよ自分で。大方今帰ってる清兵衛の奴がくすねたんじゃないのかい? あいつも助平にかけては俺に引けとらねえんだし。第一あの付喪神に女を教えて味しめさせたのは楓じゃないか」
 潔白を叫んで、どうやらそれが嘘ではないと認められて宮司はようやく楓から解放された。
「宮司はんがそないに言わはるならそうですやろな。せやけど清兵衛はんも性質の悪い事。うちに隠れてパンツ盗むやなんて……それくらい素直に言うたら一枚や二枚あげますのに」
「それかよ」
 楓の性格に馴染めないでいる宮司は顔を顰め、楓はいつもの笑顔で清兵衛の事を考えていた。清兵衛がとんでもない企みに関わっている事も知らずに。


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