第拾九話 わたしのだいじなひと
 

A-Part

 八月二十五日 天気 晴れ
 今日は福島の田舎から遊びに来てるいとこのケンちゃんが帰る日でした。ウサギのえさをあげる当番だった私はケンちゃんを誘って学校に行きました。
「直美ちゃん、俺もう少し寝てたいよ」
「そんな事言わないでいっしょに学校行こうよ。いいもの見せてあげるから、ね?」
 ケンちゃんは暫く考えてから、
「いいよ。直美ちゃんと一緒に学校行くよ」
 と言って、一緒に行ってくれました。
「はーい、こはるちゃん、あきちゃん、はなちゃん、としお君、たくろう君、御飯よー」
 私は籠を開けて、先生から預かっていた牧草と、家で分けてもらったお野菜を袋から出しました。
「直美ちゃん、俺もえさあげていいかな」
「うん、いいよ」
 ケンちゃんも籠の中にえさを入れるのを手伝ってくれて、みんなおいしそうに御飯を食べてくれました。
「可愛いウサギだね。直美ちゃんは俺にこれを見せたかったんだ、ありがとう」
 ウサギを見ながらケンちゃんも嬉しそうで、私は喜んでもらえてとても嬉しかったです。だけど……
「あー、橋本が男といちゃついてるー」
「熱いよお二人さん、ひゅーひゅー」
 サッカーの練習に来ていたクラスの男の子が私達を冷やかしてきました。
「ケンちゃん……」
「ほっとけよ、相手にするのも莫迦らしいや」
 ケンちゃんは知らん顔。
「さ、早く帰ろうぜ」
「え、う、うん……」
 ケンちゃんが先に行って、私はその後を追いかけましたが、クラスの男の子は私達を通せんぼしてきたのです。
「おいお前、どこの誰だか知らねえけど、誰に断って橋本と一緒にいるんだよ」
「……」
「何黙ってんだ、何とか言えよ」
「関係ねえだろ」
「け、ケンちゃんは悪くないもん、私が……」
「君は黙ってて」
 ケンちゃんが私に言って、男の子に何か言おうとしたら、
「ふうん、じゃあ橋本がこいつに惚れてるから、朝っぱらからデートに誘ったって訳かい」
「橋本、お前実はエッチだったんだな」
「やめろ!」
 ケンちゃんが怒鳴って、私も男の子もビクッてなりました。
「直美ちゃんは関係ない。俺だけ狙え。どんなに殴られたって蹴られたって……あっ」
 ザッ
 男の子が運動場の砂を掴んで、私に投げつけてきました。
「橋本ぉ、親戚だからって勝手な真似すんなよな」
「いくらこいつに惚れてるからって……何だよお前その目は」
「お前ら……俺だけ狙えって言ったろうが」
 ケンちゃんは泣きたいのを堪えてる私を見て、小さな声で言いました。
「ごめん、直美ちゃん。俺、今日は父さんと伯父さんとの約束破るよ」
「えっ……」
 ケンちゃんは飼育箱の横の掛け金にかかっていた箒を手に取ると、それを竹刀のように構えて振り回しました。
「この野郎、ふざけやがってー!」
 バシーン、バシーン
 ケンちゃんは男の子を箒で叩いて、男の子はそれで驚いて逃げ腰になりました。私は……私は泣きながら職員室に向かって、先生を呼びに行きました。
「貴方達、何やってるの!」
 先生が駆けつけてきて、結局みんな先生に怒られて、ケンちゃんと私は沈んで帰りました。お家に帰って、
「伯父さん、ごめんなさい。俺、今日人を叩いてしまいました」
 ケンちゃんは最初にお父さんに謝りました。お父さんは怒ったような顔で、黙ってお料理をしてました。後でお母さんが学校から電話があって、何があったのかを話して来たって教えてくれました。
 お昼頃になって、今朝のクラスの男の子二人がお母さんに連れられてお家に来ました。
 ケンちゃんと私が二人の前に呼ばれて、
「ほら、橋本さんとケンちゃんに謝りなさい」
 お母さんに言われて、クラスの男の子は私たちに謝りました。そう言えば男の子の頬っぺたは赤くなってました。お母さんに叩かれたみたい。でも……ケンちゃんが私のために怒ってくれた事、私はちょっぴり嬉しかったかな。

「行ってきます」
「じゃあ直美、気をつけてな」
「はーい」
 八月も終わりに近くなったある日、直美は朝から出かけていった。小学校の頃の担任だった先生の定年退職のお祝いも兼ねてクラス会が開催される事になっていたのである。
「直美殿、いつになく上機嫌じゃったな」
「ああ、直美は今日のクラス会楽しみにしてたからな。幹事は直美なんだよ」
「ふむ……聞けば直美殿の出た小学校で、去年兎が殺されたそうではないか。それで直美殿は甚く悲しんでおったとも聞くが……」
「ああ、直美は小学生の頃生き物係を率先してやっててな。兎を大層可愛がってたんだよ。学校が休みの時も世話を引き受けてたくらいだし。それだけにあの時直美はどれほど悲しんだか……」

「直美ー、御飯よー」
「……」
「直美、御飯だってよ。来ないのか?」
「……」
 直美の部屋に健が呼びに来ても、直美はうつ伏せになって肩を震わせたまま答えない。健は直美の背中に近づいて、
「直……」
「来ないで!」
「来ないでったって……直美もう晩飯三日も碌に食ってないじゃないか。ちゃんと食べないと……」
「私の事は放っといてよケンちゃん」
 直美は涙声でそれだけ言い放って、あとはただ肩を震わせてシクシク泣くばかりであった。
「直美……(こうなったら時間が解決してくれるのを待つしかないかな)じゃ、直美の分食わずに置いておくよ。レンジや鍋で暖め直して後で食べてくれ」
 健はそれだけ言い残して、直美の部屋を辞去した。その取っておいた分も翌日の健の夜食になってしまう、朝や昼の食事も残ってばかり。そんな日々が一箇月は続いただろうか……。

「もちろん直美ばかりが悲しんでた訳じゃねえ。同じ頃に生き物係してたり、兎を可愛がってた元同級生も泣いてたってよ。今度のクラス会ではまたみんなで楽しく思い出話に花を咲かせようって事で直美が企画したんだ。『いつもみんなの心に太陽を』が直美の願いだからな」
「うんうん、それこそ大和撫子のあるべき姿よの。妾は直美殿が気に入ったぞよ」
「ほおん、じゃあ直美が冴と俺の彼氏の座を真っ向から争う事になったらどうする?」
 健はいつも揶揄われている意趣返しのつもりでそう言ったが、冴は落ち着き払って答える。
「その時は恨みっこなしで正々堂々と勝負するまでの事よ、じゃが健殿」
「え?」
 冴が思わせぶりに自分の名前を呼んだのを感じて焦る健。
「お主が誰を伴侶に選ぶか、最後に決めるのはお主ではないかえ? まさかそれを決め倦んでおるから今のような問いを発した訳ではあるまいな?」
「ば、莫迦言っちゃいけねえ。そう聞かれたら俺の答えはたった一つだよ」
「ほほう」
「もちろんそれは……」
「「お兄様ー、どうして私たちを放っておいて冴様達とお話してらしたんですかー!!」」
 健の答えは若菜と雪菜に遮られ、健は両側から双子に飛びつかれてオロオロする羽目になった。
「それがお主の答えかえ。一人の女子では飽き足らぬとは大した助平じゃな。そうしたければどうなりとするが良いわえ。妾は知らぬ」
「あ、ちょっと待ってよ冴」
 怒ったように言い放って健から離れる冴と引き止めようとする健。
「ああんお兄様、もっと若菜と雪菜と一緒の時間作ってくださいまし」
「お兄様、私達の生きる便はお兄様ですもの」
 若菜と雪菜はひたすら健にベタベタするばかりであった。

 翌日、図書館で調べ物を終えて帰ろうとする健の所にに思いも寄らぬ来客があった。
「あ、ケンちゃん見つけた。ケンちゃーん!」
 健のよく知っている女性が駆け寄って来る。だが健はただ呆気に取られた顔で直美を見るばかりだった。
「直美……何だって大学に来たんだ」
「そんなのケンちゃんに会いたかったからに決まってるでしょ。私が来たんだからもう少し歓迎して欲しいわ」
「歓迎ったって、直美がわざわざこっちの大学に来るなんて絶えてなかったから俺も吃驚してる所だよ。それに何だその服」
「似合う? こっち来る前にOPAで買って来たの」
 直美が着ていたのは黒のフレアスカート状になっている丈の短い黒のワンピースで、その下にどぎついピンクのインナーを一枚着ていた。健の目の前でクルッと回ってみせる直美。フワリとスカートが捲れて、パンツが一瞬丸見えになった。ワンピースとお揃いの、黒いスキャンティである。健は慌てて掌で目を覆った。
「もう、がんばってコーディネートしたのに、直美きれいだよとか誉めてくれたっていいじゃない。それとも何、ケンちゃんがして欲しいのは……」
 直美は小走りに健に駆け寄って、ピョンと健に抱きついた。
「わっ、おい何すんだよ直美……おっとと」
 バランスを崩してよろめき、何とか持ちこたえる健。
「んふ〜」
 直美は健の首っ玉にしがみ付いて、ニンマリと幸せそうに笑う。
「こんな所で抱きつくなよ、恥ずかしいじゃないか。他の学生も見てんだぜ」
「いいじゃない、大学生でこんなカップルなんてザラでしょ? 見せつけたってどうって事ないわ」
「直美はどうって事無くても、俺は困るんだよ。こんな人目の……んん」
 健はそれ以上物が言えなかった。直美が首を伸ばして、目を瞑って健にキスしてきたから。健はしばしの接吻の後、口を離して直美を説き伏せるように言った。
「んえ……な、直美。こんな白昼堂々いちゃつくより、涼しい学食でも行こうや。話したい事があるならそこで聞くから、な」
「いいわ、ケンちゃんとお茶できるなら付き合うわ」
「ああ、とにかく行くぞ」
「ケンちゃん、ケンちゃん、ケンちゃんと素敵なティータイム♪」
 直美は今度は健の腕に縋って、二人は学生食堂へと入っていった。

「はいお待ちどう」
 健は直美の注文した夏季限定ラージサイズフルーツパフェとメロンソーダ、自分のアイスコーヒーを持って直美の待つテーブルに戻ってきた。だが直美は不満そうだった。
「むぅ……」
「むぅって何だよ直美。俺はちゃんと直美の欲しがってたパフェとソーダ持って来たぜ? それと俺のアイスコーヒーとな」
「足りない」
「足りない? 何か食い物追加したいのか?」
「ソーダのストローが一本足りない。私ケンちゃんと一緒にこれ飲みたいのに」
 また奈々香に焚き付けられて「萌えシチュ」とやらを再現しようとしてるのかと言いかけたが、
「私ケンちゃんと一緒にこのソーダ飲みたいー」
 直美は重ねてそう訴えてきた。その目は「ケンちゃんはストローをもう一本持って来てくれればいいのよ、早くそうしてちょうだい」と健を脅迫するかのように語りかけている。
「ああ、いいよ、分かったよ……」
 健は一旦食べ物の乗ったトレイをテーブルに置いて、食器置き場へ行くとストローをもう一本もらって戻ってきた。
「ありがとう、ケンちゃん」
 打って変わって上機嫌そうにニッコリ笑う直美。それから従兄妹で幼馴染同士のティータイムになった。
「直美、今日は一体どうしたのさ。その服と言い、態度と言い」
 直美はパクついていたパフェをよく味わって飲み込んでから、
「別にどうもしないわよ。私は直美よ、橋本直美」
 素っ気無い答えを返した。
「いや、直美がこんなにも俺に迫ってくる事なんて無かったのにどう云う風の吹き回しだって俺は聞きたいんだけど」
 直美は悪戯っぽく笑いかけて(これもまた健が滅多に見ない表情だったが)言う。
「貴方のよく知ってる誰かさんもいつも言ってるでしょう? 女の子は変幻自在だって。変幻自在だからデリケートでもある、ともね。お主も男なら決して女子を傷つける真似をしてはならぬぞ健殿」
 冴の口真似をされて、健は目を白黒させていた。
「あははは……吃驚したケンちゃんの顔、可愛い」
「直美、ふざけるのも程々にしないと……」
「まあ落ち着いてちょうだい。一緒にソーダでもどう?」
 普段は健に怒られたらしおらしくなるはずの直美だったが、今はそんな様子が感じられない。健はいつも自分を揶揄って面白がっている誰かを思い出していた。直美は涼しい顔でストローの先を咥えて、目顔で健にもそうするように促す。健がソーダのグラスに挿された二本のストローの片割れを加えるのを見て、直美は嬉しそうにチューとソーダを吸った。
 一頻り一緒にソーダを飲んだ後で、直美は静かに言った。
「ま、いつもと違う私を見てケンちゃんは吃驚してるんでしょうね。でも今の私も私であって、おかしな事なんて一つもない。それだけは分かってちょうだい。ケンちゃんには今の私とも普段通りに付き合って欲しいの。変に余所余所しくされたり、気味悪がられるなんて嫌よ」
「いや、誰もそんな事は言ってないよ。俺は……俺は別に直美を嫌ったりはしないさ。こうして久しぶりにお前とお茶できたのも悪くないしな」
「ありがとう、そう言ってもらえるだけでも嬉しいわ」
「でもよ、直美なら直美らし……」
「言ったでしょ? 私を違和感ありありの目で見て欲しくないって」
 直美が鼻白んだ。そしてテーブル越しに体を乗り出し、挑むような顔で更に畳み掛ける。服の胸元が垂れ下がり、直美の乳房とブラジャーがそこから覗いて健はそこから目を逸らして明後日の方を向いた。
「ほらよそ見してないで、こっち見て私の話を聞いてよ」
 怒気を含んだ声で健に自分の方を向かせて、直美は畳み掛ける。
「どうしても今の私は馴染めないかしら? ケンちゃんにとって。でもそれは私のこんな所をケンちゃんが見た事がない、それだけの事よ。敢えて言うなら……そう、今日私はケンちゃんに思いっきり甘えたくなって、そうさせてもらった、って所かな」
「直美……」
 直美は椅子に座り直して、足を組んだ。そうしてスカートの奥の黒い布が健に見えたのを気にする素振りも見せずに、直美はアッケラカンと話す。
「はい、私からの説明は終わり。あとはケンちゃん自身で考えるのね。それとももう少しヒント欲しい?」
「ああ、正直俺まだ訳分かんねえ」
「じゃあ明日デートしましょ。二人っきりで」
「それはいいけど……どこへ行く?」
「そうねえ、ちょっと遠出して北山はどう?」
「北山か、悪くないんじゃないか」
「じゃあ決まりね。明日は朝御飯食べたら地下鉄で北山に行きましょ。遅れたら承知しないから」
「ああ」
「じゃあね、私は先に帰ってるわ」
 ウキウキ気分で学食から去っていく直美の背中を見送り、食器を片付けようとした健だったが、
「おう山口、ちょっといいかな」
「先生……」
 帰ろうとしたところ、担当の教授に捕まってしまった健。数分の後解放されて元吉へ帰った健は開口一番、直美が厨房に居るのを認めて、
「ただいまー……あ、直美」
「なあにケンちゃん」
「悪い、明日の約束駄目んなっちまったよ。この間出したレポートダメ出し食らってさ、一日中個人授業させられる事になったんだ」
「えー、話が違うじゃない」
「本当にごめん、この埋め合わせは必ずするから」
「……ケンちゃんの莫迦」
 更に弁解を重ねようとした健だったが、直美は気にしていないような顔で、
「って言いたいけどしょうがないよね。私だってそれが分からないほど子供じゃないもん。でもちゃんと埋め合わせはしてよね?」
「ああ、約束する……そうだ、大将軍八神社の夏祭り、明日から三日間あったよな? それ一緒に行こうぜ。冴や篝ちゃん、若菜と雪菜も一緒にな」
「え、ああ……ありがとう、ケンちゃん」
 やや複雑な顔で、それでも一応礼を言う直美。そこへ冴が降りてきて言った。
「直美殿、お疲れ様じゃな。ぼつぼつ交代の時間じゃ。健殿もこれから仕事じゃろう? 着替えて降りて参れ」
「あいよ、すぐ行くよ」
 健は冴に声をかけて直美と一緒に階上に上がり、向かいのお互いの部屋で別れた。直美は机に座ると、目の前に置いてある手の平サイズの小さな兎の縫いぐるみに話し掛けた。クラス会を開いてくれた礼にと元担任の先生から貰った物である。
「ねえ、ケンちゃんだけは私の側から居なくなるなんて事、ないよね? 大学出てもきっと私の所に居てくれるよね?」


Bパートに進む

「京都現代妖討譚」トップに戻る

「かやく御飯の駄文置き場」トップに戻る