第拾九話 わたしのだいじなひと
 

B-Part

 直美は両親に伴われて、神社の結婚式場の席に座っていた。向かいに座っていたのは健の両親と、厳格そうな中年男性と人品卑しからぬ女性の夫婦、そして神楽に合わせて祭壇にやって来た新郎と新婦は……和装に身を包んだ健と冴であった。
「(えっ、これってケンちゃんの結婚式なの? しかも何でお嫁さんは私じゃなくて冴さんな訳?)」
直美の隣には奈々香、道枝、祐子も列席していて感涙に咽んでいる。
「ケンも幸せ者ね。あんなに出来過ぎた人を貰えるなんて」
「うん、寂しいけど……私も思うよ、ケン君が幸せになってくれたらいいって」
「ケンさん……冴さん悲しませたら私達承知しないからね」
「(みんなまで……)」
「掛けまくも畏き船岡神宮の大前を拝み奉りて恐み恐み白さく、風の音の遠き昔、伊邪那岐、伊邪那美大神天の御柱を廻り給ひ、結婚の道興し始め給ひし神事の随に、今度橋本夫婦の仲立ちに依りて山口の真名男、健と船岡の真名女、冴とが妹背の契を結び固むるに依りて……」
 神主が神前で祝詞を奏上し、健と冴が指輪を交換し、固めの盃を交わす。
「ちょっと、何よこれ」
 居たたまれなくなった直美は思わず立ち上がって叫んだ。一同がギョッとなって直美を見た。
「何でいきなりケンちゃんが冴さんと結婚式挙げてるの! こんなの納得できない」
「いや、そう言われても……」
 健は苦笑し、何か話そうとしたのを神主が制し、直美に歩み寄った。
「貴女のお気持ちはお察ししますが、どんなに貴女が納得できなかったとしてもこれはもう既定の事なのですよ。新郎も新婦もお互いを選んだ、これが結果なのですから」
「そんな、そんなのってないよ、ケンちゃんまで私から居なくなるなんて……」
「直美、俺もお前の気持ちはわかる。でもこれは結果なんだ。俺には冴しかいないんだよ」
 神主が式場に控えていた巫女に目配せした。若菜と雪菜である。
「直美様、申し訳なくは存じますがここはお引き取りくださいませ」
「直美様、お兄様の心を乱す真似をなさらないでください」
「ちょっと、やめて、離してよ……ケンちゃーん!」
 若菜と雪菜に式場から連れ出されて、健の名を呼んだ所で直美は夢から醒めた。体を起こし、机の上にある兎の縫いぐるみに向かって直美はポツリと一言。
「ね……ケンちゃんはどこへも行かないよね? 私を置いて……」
 縫いぐるみの傍らの写真立てに飾ってある京都駅で撮った写真の中で、健は直美と並んで優しく微笑んでいた。この微笑が自分に向けられる事がなくなる日が来たら……直美はそんな不安を感じて、思わず身震いした。

「おう、冴じゃないか」
「健殿か、今大学から帰って来たのかえ」
 夏祭りの始まっていた大将軍八神社の門前で、健と冴はバッタリ出会った。冴は浴衣を着て、祭に参加する所だったのである。
「山口、貴様大学で教官に油を絞られておったのではなかったか? 儂は知っておるぞ」
 一緒に来ていた篝が食って掛かる。
「や、そのはずだったんだけど予定より早く事が進んでね。夕方までかかるはずが今し方放免してもらえたって訳さ」
「そうかえ、ならば妾と祭に参加せぬか?」
 いや、それなら改めて直美を誘うよ。約束があったからと健は言いかけたが、
「こりゃ山口、冴が貴様を誘うてやっておるのじゃ。好意を有難く受け取れ」
 篝に一喝されて、
「あ、ああ……それなら一緒に行こうか」
 健は冴と大将軍八神社の鳥居をくぐった。

「ああ、又しても破けてしもうた……おい、儂はもう一度やるぞ」
「はいよ、頑張んな」
 篝はスーパーボール掬いに挑戦していたが、一個も掬えずにむきになって何度も再挑戦を繰り返していた。
「えいっ……ああ、今度も駄目か」
「篝ちゃん、そんなに網をジャブッって漬けたら駄目だよ。破れるに決まってるんだし」
「何じゃと。そないに口出しするなら貴様やってみろ」
「いいとも。俺に任せな」
「ふん、山口の分際で大口を叩きおって。一個も取れずば脛にきつい蹴りをお見舞いするぞ」
「ああ言った以上健殿はやるじゃろうて。篝、ここは大人しく見守るが良かろう」
「すんません、そう云う事で一回お願いします」
 健は的屋に小銭を渡して、水槽の前にしゃがむとサッと浅く網を水に漬けて、素早く手首を返してボールを受け皿に入れた。
「ね? 金魚やスーパーボール掬いは網を水に漬ける加減とスピードが命なんだ。それと一度にたくさん取ろうと欲を出さない事……ほら」
 赤や青、マーブル模様もあったりする色とりどりのスーパーボールの入ったビニール袋を健は篝に渡した。
「な、何じゃ貴様唐突に」
「これ篝ちゃんにあげるよ」
「……」
 篝は顔を赤くして暫く無言で俯いていたが、
「篝、お主これが欲しかったのであろう? 健殿に礼を言わぬか」
 冴に言われて、
「か……忝い」
 小声で健に言った。
「冴、篝ちゃん、あそこに飴細工の店出てるよ。作ってもらわないかい?」
「飴細工とな。覗いてみるか」
 乗り気で健に付いて行こうとする冴。だが嬉しそうに先導しようとした健に篝が噛み付いた。
「貴様、今邪な事を考えておったな」
「そんな事ないよ。俺は冴も女の子だなって可愛く思ってギャッ」
 篝の蹴りが健の脛に炸裂する。
「ふん、貴様は女心を分かっておるようで分かっておらぬわ。そう云う態度を表に出すでない。冴が男勝りと言われるのを気に掛けておるのを知らぬのか」
「まあそうかりかりするでない。楽しい祭なのじゃから。ほれ篝も健殿も参るぞ」
 冴が篝を宥めてその場を収め、一行は飴細工の屋台を覗いた。
「いらっしゃーい」
「狐じゃ、儂には狐を作ってくりゃれ」
「妾は鶴を作ってもらうとするか」
「はいよ、ちょっと待ってね」
 待つ事数分。的屋に優美な狐と鶴の飴細工を作ってもらって、冴と篝は嬉しそうである。
「ふむ、これはなかなかの職人芸じゃな」
「よくできた狐じゃのう。尻尾や耳の先を白く染めてある所等芸が細か……ああ」
 篝は感心して狐の飴細工を眺めているうちに、竹串からポトリと落としてしまった。
「あう……」
 半泣きの篝。小走りに駆け寄って落ちた飴細工を拾おうとしたが体をかがめた拍子に健から貰ったスーパーボールも落としてしまった。
「ほら篝ちゃん、落ち着いて」
「五月蝿い山口。突っ立ってる暇があったら球を拾って来い!」
「へいへい」
「返事は一度で良いわ!」
 怒る風もなく転がるスーパーボールを追いかけていく健。結局本堂の裏手まで転がった所で健はボールを拾って、冴と一緒に追いついてきた篝に渡した。
「はい」
 怒ったように無言で差し出されたボールを引っ手繰る篝。冴は篝の後ろで穏やかに健に笑いかけていた。
「矢張り健殿は女子には優しい男じゃの。篝に代わって礼を言うぞ」
「え、いや、ああ……」
 戸惑う健。そこで冴が悪戯っぽく笑う。
「何じゃ健殿、これだけでは妾の気持ちが伝わらぬかえ? ええわえ、ここなら人目もさほどはないしの……」
 冴は健殿にスッと近づいて、抱きついてきた。浴衣越しにボリュームたっぷりの胸が健の胸板に押し付けられる。
「さ、冴……」
「んふふ……」
 シャンプーの香りが健の鼻を擽る。健は理性が吹っ飛びそうになっていた。
「健殿、お主が妾を抱きしめても良いのじゃぞ?」
「(そ、それじゃ遠慮なく……)」
 健が冴の背中に手を回そうとした時、
「ケンちゃん!」
 健に聞き覚えのありすぎる怒声が飛んだ。そして健が振り向いた視線の先には、怒りの形相で健を睨みつける顔なじみが立っていた。直美である。
「私に黙って……こっそりこの巫女さんと会ってたなんて……」
「待てよ直美。これがお前を傷つけたなら俺は謝るよ。でも行きがかり上……」
「……」
 無言で怒り顔のままの直美。目尻からは悔し涙が零れている。
「ケンちゃん……」
「な、何だよ直美」
「どうして……」
 直美はポツリと呟き、更に言葉を繋いだ。
「どうして私の大事な物、誰かが持っていっちゃうの?」
「直美……」
「うさぎさん達は殺されて……ケンちゃんも今持って行かれるなんて……そう、そこの巫女さんにね!」
 直美は木刀を取り出して構え、冴目掛けて切りかかった。冴は咄嗟に避けたが、浴衣の帯が切れて、パラリと浴衣の前が肌蹴てしまった。下着のない冴の裸身が一瞬露になり、健は慌てて視線をそらした。着物の前を押さえて体を隠す冴。
「冴、大丈夫か」
「ああ、何とかな。じゃが今の一振り、ただならぬ邪気が篭っておった。それであの木刀でも刀傷を付ける事はできるのじゃろうて」
「何だと、じゃあ直美は妖怪に……」
「うむ、健殿を想う気持ちを妾を憎む気持ちに転ぜしめて、悪の手先として操られておるのじゃろうて」
 そうなのか、と健は呟いて直美に向き直って言った。
「直美、やめろ。冴は関係ない。狙うなら俺を狙え。それで直美の気が済むなら俺は構やしない」
「ケンちゃん……?」
「そうだ、俺にかかって来いよ。怒りをぶつけたいなら俺が受け止めるさ」
 健に言われて、木刀を構えた直美の手が震え出した。
「う、うう、ケンちゃん……」
「直美、莫迦な真似は止せ。お前は人に刃を向ける事などできないはずだ」
「うう……」
 俯いて、苦悶したように肩を震わせる直美。直美の心の中の善と悪が葛藤を起こしているように。
「(効いたか?)」
 だが健の思いに反して、直美は髪を振り乱して顔を上げると、健をキッと睨みつけて飛び掛り、押し倒した。
「ぐうっ」
「貴方はちょっとお説教して私が戻ると思った? それは大間違いよ。そんなに死にたいなら先ずはケンちゃんからあの世に送ってあげるわ。そう、冴さんや楓さん、若菜ちゃんや雪菜ちゃんの手の届かない所にね」
「山口! 橋本!」
 篝が健から直美を引き離そうと飛び出しかけたが、冴に制された。
「待て、健殿は何か思う所があるようじゃ。それが証拠にあないに落ち着き払っておるではないか……己の命が掛かっておる時にそうしておられるなどなかなかできぬ事じゃがの……或いは刀十郎の加護が付いておるお蔭か……」
「うむ、確かに儂も山口から刀十郎と似た気合のようなものを感じる。何者も恐れず、そして人を優しく包み込むような……」
 健は直美の背に手を回し、努めて冷静に話し掛けた。
「直美、お前は俺が大学を受ける時、俺が無事合格するように北野天満宮にお百度を踏んでくれたじゃないか。俺が高校の修学旅行でこっちに来た時も、ガイドブックに載ってねえ観光スポットを教えてくれたじゃないか。中学の時、剣道の道場の対外試合で来た時も、俺達が勝つように好きな抹茶味の菓子まで断って願掛けしてくれたじゃないか」
「ううう……」
「勿論俺にだけじゃねえ、お前は小学校の友達が入院した時、率先して見舞いにも行って、千羽鶴を折ってたじゃねえか。あの兎が死んだ時も、誰より悲しんでたのは学校が休みの時も甲斐甲斐しく世話に行ってたお前じゃなかったのか?」
「……」
 少し鎮まった直美に健が止めをさすように言う。
「自分よりも他の誰かの事を思いやれるのが直美じゃないか。いつも誰かの幸せを望んでるのが直美じゃないか。お前は……俺が死んで、他の誰かが悲しむ事まで考えてるのかよ!」
「分かった、もう良い」
 直美の背後からかかる不気味な声。そして黒い一陣の風が直美目掛けて突進して来た。
「危ない、避けろ!」
 冴の叫びに反応して健が直美を抱えたまま転がる。彼らの元いた所に黒い影が立ちはだかった。
「外したか……余計な真似をしてくれたな、小僧」
「げっ」
 健は声のした方を向いて吃驚した。そこにあったのはクラス会から帰って来た直美が持って帰って来た兎の縫いぐるみが巨大化した化け物だったから。
「直美をこんなにしたのは、お前の仕業だったのか」
「ふん、この娘の心の中に眠る、負の勘定を増幅させて殺人鬼に仕立てようとしたのだが……思惑が外れたわい。もうこの娘に用はない。貴様共々死んでもらうぞ」
「待て!」
 凛とした怒声。そして兎の前に冴が立ちはだかった。斬られた浴衣の代わりに一蓮に出してもらった巫女装束を纏い、手には同じく一蓮に出してもらった大振りの刀も握られている。
「直美殿を操り、健殿や妾の命を狙おうとしたお主、妾は許せぬ」
「ええい、しゃしゃり出おって船岡の巫、大人しくそこをどけ」
「ならぬ。お主が先に相手すべきはこの妾じゃ。大人しく調伏されよかし」
兎は鋭い鉤爪で冴に応戦しようとしたが、それも軽くかわされて、冴の刀の一振りで前足ごと切り落とされてしまった。
「ぎゃあああああああああああっ」
 痛さに悶絶する兎。その一撃で兎を攻撃不能にするには十分だった。
「在るべき物に還るが良い……はっ」
 冴は刀で兎の心臓を貫き、後には前足をもがれ、胸に穴を開けられた小さな兎の縫いぐるみが残った。
「ん、私なんか頭がボーッとして……あ、ケンちゃん?」
 健に抱かれていた直美が正気づいて薄目を開ける。
「何、もう心配はないよ。またお前は付喪神に操られてたけど冴がやっつけてくれたさ。それに俺もいるしな」
「ケンちゃん、私、私……」
「心配すんな、俺はそんな事で直美を嫌ったりはしないよ」
 直美を抱きしめたままそっと頭を撫でる健。直美は感極まって、健の胸の中で泣き出した。

 パスッ
「ほら」
 健は射的で当てた、茶色い兎の縫いぐるみを直美に手渡した。
「ありがとう、ケンちゃん」
 好きな兎を貰って子供のようにはしゃぐ直美。
「ね、ケンちゃん、今度はコリントゲームしに行きましょ。それから○○焼と鯛焼き、あとそれからじゃがバターも食べて……」
「おうよ。直美が行きたい所なら俺はどこでも付き合うぜ」
 改めて夏祭りを満喫する健と直美。その様を篝を抱いた冴は静かに笑って見守っていた。
「冴、良いのか?」
「ああ、直美殿にとって、健殿と楽しい一時を過ごすのが何よりの薬じゃろうて。先の戦いで負った心の傷の、な。それに……」
「何じゃ?」
「お主、妾と水入らずで過ごすのも久しぶりではないかえ? 今日の所は妾に存分に甘えても良いのじゃぞ?」
「冴よ、誤魔化すでない。冴の顔にはちゃんと書いておるぞ、山口と一緒に回りたかったとな」
「何を言うか。妾は信じておるぞ。健殿の心は妾から離れてはおらぬとな。今はああしておっても妾の元に帰って来るわえ」
「……ふん、果報者じゃな」
「どうした?」
 篝が呟き、それを聞きとがめた冴が問う。
「そこまで冴に想われておる山口はつくづく幸せな奴よ。もし冴を泣かせてみろ、儂が許さぬわ」
「ふ、そうじゃな。篝にもそう言うてもらえるなら妾は嬉しいぞよ」
「ケンちゃーん、こっちこっちー。きれいなガラス細工があるのー」
「ああ、今行くよ……わっちゃっちゃ」
 直美に追いつこうとして、石廊につんのめって転びかかって体制を立て直す健。その後姿を冴と篝は微笑ましく眺めていた。


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