第弐拾話 男の恋心いずこ
B-Part
「あ、あの、すみません、放してください、だだ大丈夫ですから……」
「あ、すみません」
苦手な男性から解放され、一息ついてレティシアは冴に訊いた。
「あの、貴女様は一体どなたですか」
「妾は妖討の一族の者。罪無き民に仇為す付喪神を成敗するのが倣いじゃ。妾が見た所、正にその付喪神の悪行が今ここで行われているようじゃが……」
途端にレティシアは地獄で仏に遭ったかのように冴に訴えかけた。
「ええ、あちらで突然展示されていたオートマタが暴れだして……千秋様が巻き込まれて大怪我をさせられたんです」
「何じゃと? お主……」
冴は怒りの形相でピエロを睨みつけ、懐から一蓮を取り出そうとした。
「おっと、武器は出すなよ。こっちには人質がいるんだ。この博物館の従業員と客がな。俺達に手出ししたら人質を全員殺る」
「じゃが大怪我を負っておるこの異人の主と思しき少女は救わねばならぬ。医者に手当てをさせての」
「救うだと? たかが人間風情が。これから俺達で外に出て一暴れしようってのによ」
「お主に人間の道理は通用せぬと思うておるのかえ? 少女が一人死んだ所でどうと云う事も無い、と。じゃが妾とその一族の名はこの辺りの寺社でもよく知られておるし、妾がこの地に参じておる事も神職は知っておる。我らのように妖を討っておった一族の末裔も少なからず居るのじゃぞ。こうして妾を怒らせる所業を為したとあれば彼らも黙ってはいまい。死人が出たとなれば尚更の事じゃ。お主は神罰を受け、一生苦しむ事になるぞよ。何なら妾が怪我を負うた少女の代わりに人質になろうではないか。勿論丸腰での」
「ふん、気に入らねえ女だ。妖討の一族か何だか知らねえが大口を叩きやがって。お前もろとも皆殺しに……」
「待ちなさい」
「シャーロット様」
ピエロが振り向いたその先には、赤いワンピースのセルロイド人形の少女が立っていた。右手には自分と同じくらいのサイズの縫いぐるみの熊を持って引きずっている。
「そこの日本人のお姉さん」
シャーロットと呼ばれた少女は冴に話しかけた。
「貴女、妖討の一族のシャーマンのようね。貴女が人質にいれば都合がいいわ。貴女を盾に、同業の人に手心をさせる事ができるのですもの」
「そうじゃな。妾ならどうなりとするが良い。お主が逃げると申すなら人質と共に参ろう。じゃが少女は妾の代わりに解放するのじゃな。先にも申したが、お主が人を殺めたなら妾と懇ろにしておる寺社の者がお主を許さぬぞよ。侍女のれてぃしあの様子から察するに医者も入用のようじゃ。どの道お主らはこのまま逃げる事はできぬ。ここは妾の提案を受け入れる事じゃな」
冴の言葉を聞いて、シャーロットはしばらく考え倦んでいたが、やがて一言。
「いいでしょう、いらっしゃい。お医者さんを呼ぶのも許してあげる」
「おら、ついて来い」
「待て、妾は武器を捨てねばならぬ。この男に預けて行くでな」
冴は一蓮と短刀を健に手渡した。
「あ、そこのお兄さんとあの娘のメイドさんも一緒よ。シャーマンのお姉さんに変な真似されたら困るから」
「さ、冴……!」
「またお主を巻き込む事になったのは申し訳ない。じゃが妾はきっと無事に一緒に戻ってみせる。こちらの勝機を落ち着いて待つ事じゃな」
「ほらごちゃごちゃ言うな、さっさと来い」
ピエロに急き立てられて、冴達はオートマタの展示場へ入っていった。
オートマタが展示されているホールは血の海になっていた。その奥でドレス姿の少女が肩から血を流して苦しそうにうめいている。千秋だった。
「(刃物で肩を一突きか。じゃがまだ息はある……死ぬでないぞ。今に妾が救うでな)」
オートマタのピエロが暴れ出した時、その場にいた客と従業員は恐怖に腰を抜かし、動きが取れないでいた。
「さて、先ずは病院と連絡を取らねばなるまいて。有線電話はあるか?」
「ありますけど、回線を切られて使えないんです」
「(外部との連絡を断つべしじゃったな……)」
「あ、俺携帯持ってるよ。この近くの病院の番号は分かりますか?」
「トロッコ嵐山駅の近くにあります。番号は……」
健は従業員の女性の一人に教えてもらった番号を携帯でダイヤルした。
「もしもし? こちらは嵐山オルゴール博物館ですが、急患です。大怪我で身動きも取れない重傷で輸血も必要なんです。大至急来てください」
「さあ日本のシャーマンさんよ、これで文句はねえだろ。変な真似は絶対するなよ。少しでも俺達を攻撃する素振りがあったら人質をすぐにでも殺すから覚悟しとけ」
冴は黙って頷いて、横で恐怖に震えている健とレティシアに目で語った。
「(案ずるでない。妾は逆転の機会を窺っておる所じゃ。奴等に隙ができれば丸腰でも妾なら何とかできようて)」
「全く……妙な事になったもんだ。本当ならこいつら皆殺しにするはずだったのに」
ピエロのオートマタが呟く。
「いいじゃない、人質がいたらこの後外で暴れるのに都合がいい訳だし、警察屋さんやシャーマンさんやお坊さんが来た所でこっちには強いシャーマンさんがいるのよ。あのお姉さんの命をカタにすれば怖い物なんてないわ」
シャーロットは落ち着き払って言い、言葉を繋いだ。
「それよりお医者さんが来るまで退屈だわ。あんたたち、何か余興やんなさいよ」
「余興ったって……あ」
不意にピエロの一人の目がレティシアと合った。その顔は苦手な男に見られている恐怖から蒼くなっている。
「お前なかなかの美人じゃないか。スタイルも良さそうだしな」
別のピエロが口を挟んだ。
「え、わ、私……ですか?」
怯えるレティシア。
「立てよ」
「え、ええっ……」
レティシアはその場でしゃがんだまま動揺するばかり。
「おら、聞こえなかったのか? 立てっつってんだ」
三人目のピエロが彼女の腕を引っ張って無理矢理立たせた。
「よし、これから俺達がお前を可愛がってやるぜ。このドレス引ん剥いたらさぞかしエッチな体が出てくるだろうよ。殺す前に存分に善がらせてやるからありがたく思うこった」
「キャアッ、そんな、嫌です。やめて!」
「ああ、喚きたいなら喚くこったな。お前の泣き顔見てると余計に苛めたくならあ」
泣きながら懇願する甲斐もなく、レティシアはドレスの背中のファスナーを下ろされて下着姿にされた。上品な白いシルクのブラジャーとパンツに包まれたレティシアの肢体が露になる。
「(くそっ、好きすっぽやりやがる……無力な俺が情けないぜ)」
健はただその悔しさを噛み締めてレティシアが蹂躙される様を見ていた。ブラジャーが外されて豊満で稜線も美しい乳房がプルンと飛び出し、ピエロたちに思う様揉まれていた。
「へへへ、揉み心地のいいおっぱいじゃないか」
「い、嫌です、やめてください、触らないでぇ」
「嫌がっててもここは素直に反応してるんじゃないのかい。今確かめてやる」
「いや、それは駄目、駄目です、許してください」
ピエロが股を閉じて抵抗するレティシアの足に割って入り、パンツを脱がせようと手をかけた時、
「お医者様だわ」
誰かが言った。医者が鞄を手に入ってきた。後ろから看護婦も続く。
「看護婦さんも来たのね」
その誰かの声で医者は不審な顔をして看護婦に言った。
「おや、何だ君は。私は一人で来たはずだが……」
「でしょうね。貴方の看護婦とは仮の姿。ある人のピンチを知って、取る物も取り敢えず駆けつけたお節介な女ですもの」
「何っ」
白衣の看護婦はナースキャップを外し、白衣を脱いで正体を現した。健や冴とは顔見知りの、巫女装束の女である。
「またシャーマンか。おい、貴様も下手な……」
「はっ!」
シャンシャンシャンシャン……
巫女が鈴を鳴らすと共に、ピエロは金縛りに遭ったように動けなくなっていた。
「坊やが嵐山にいると知って追いかけてきたけど所在が分からなくて、あっちこっちうろついてる所へ携帯の電波が飛ぶのを感じたの。おまけに坊やはただならぬ状況に置かれてたみたいだったしね。そこでじっとこうして博物館に上手く入り込むチャンスを待ってたって訳……怖かったでしょ。待たせてごめんなさいね、坊や」
久しぶりの再会を果たしたかのように八乙女は感激して健に抱きついた。
「わっ、何だよ。恥ずかしいよ」
「こりゃ八乙女、何をしておるか」
「さっちゃん、今は私と喧嘩してる暇はないはずよ。他にする事はあるでしょ?」
「(面白からぬ思いじゃが、奴の言う通りじゃて)」
冴は人質になった客に言った。
「皆の衆、もうお主らの命を案ずる事はない。後は妾に任せおいて避難めされよ」
一斉に客と従業員は逃げ、医者は千秋を抱いて階段を下りて外に出て行った。
「レティシアさん、さあ早く逃げてください」
足が竦んで立つ事すらできないレティシアに健は言ったが、
「え、あ、はあ……」
「早く逃げましょう、さあ!」
じれったいと言うように健はレティシアを抱き抱えて行こうとした。
「あのちょっと、服を……」
「あ、すみません」
健はレティシアが下着姿だったのに思い至らなかった事を詫び、傍らにあった八乙女の着ていた白衣を半裸体を隠すようにレティシアに被せてお姫様抱っこで去った。行きがけに冴から預かっていた武器を返して。
「さあ付喪神、もう勝手気侭な振る舞いは許さぬぞよ」
冴は啖呵を切って、一蓮を手にかけて念じた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
光と共に冴の手の中に鞭が収まり、冴はそれを振り翳す。
「在るべき物に還るが良い。道化師のみならず、お主とて逃がしはせぬぞ!」
鞭で打たれて、元通りのオートマタに戻るピエロ達。冴は次いでシャーロットにも鞭を向けようとしたが、
「よくも私の楽しみをぶち壊してくれたわね。またどこかでお人形を手下に暴れてやるから。覚えてらっしゃい」
シャーロットは熊の縫いぐるみと一緒に洋館の窓から逃げていった。
「くっ……(取り逃がしたか。これは妾の失態じゃな。付喪神の手の者ではない新手の妖じゃろうが、何者であれ勝手放題をさせる訳には行かぬ。奴は妾の手で調伏させねば!)」
「さっちゃん、行くわよ。坊やも外で待ってるでしょ。早くここを出ましょうよ……さっちゃん、さっちゃんてば!」
「さっちゃん、折角私が助けに来てあげたのにいつまでも怒らないで。せめてお礼の一つくらい私に言ってよ」
「うるさい。妾はお主に助けを求めた覚えなどないわえ」
「あら、私が来るまで丸腰で立ち往生してたのは誰かしら?」
「妾は手を拱いておった訳ではない。じっと奴等の隙を窺うておったのじゃ」
「その隙にしても私が居たから生まれたんじゃない。あの女の子も命拾いしたみたいだけど、もしも手当てが遅れたら……」
「ええい、ごちゃごちゃ言うのも大概にせい! 妾は健殿と逢引するために嵐山に来たのじゃ。お主は邪魔をせずに帰れ」
「なあ八乙女、そう云う事なんだ。悪いけど今日は冴と二人きりにさせてくれよ」
女二人を執り成すように健が言って、八乙女は一歩引いて矛を収めるような素振りを見せた。
「ふうん……」
値踏みするように冴を見る八乙女。
「な、何じゃお主」
「ふうん、確かに今日のさっちゃんは身嗜みに気合入れてるみたいね。それに……」
八乙女は冴に一歩近寄って手を伸ばし、冴のスカートをめくった。
「なっ……!」
その日冴が穿いていた青と白のハイレグ縞パンが丸見えになった。
「(おおっ)」
冴のパンツの眩しさに感激する健。
「まあ、かわいい。それが坊やとデートするための勝負パンツかしら? もっと大人っぽいのが普通じゃない?」
「わ、妾がどんな下穿きを着けようがお主には関係なかろう」
恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にして叫ぶ冴。
「健殿も喜ぶでないわえ、この助平!」
健に鉄拳制裁を下す事も忘れない。
「いててて……」
強かに鼻を殴られて鼻血を出しつつも、健は冴と八乙女の間に割って入った。
「もうガタガタ言うのは止しにしてくれ。それにセクハラなんてすんなよな……八乙女」
「坊や……」
そして健はさり気なく冴の肩に手を回して一言。
「俺は今週、今日と云う日を心待ちにしてたのさ。何故って、冴とデートできるんだから」
「健殿……」
「あの付喪神もそうだけど、茶々を入れられるのは嫌なんだよ。悪いけど八乙女、今日の所は俺の顔を立てて、冴と一緒に嵐山散策を水入らずで楽しませてくれや。尤も今の俺は冴に首っ丈なんだけどよ」
健は殊更に冴に抱きついてみせる。
「た、健殿、何をするか……」
八乙女は面白からぬ思いを露にして健と冴を暫く見ていたが、やがて寂しそうに笑って、
「坊やがそう言うなら、この場は私が引くわ。他の人間なら知った事じゃないけど、坊やに嫌な思いさせるのは私の本意じゃないしね」
「(八乙女、嫌に物分りが良いではないか)」
「でもね、さっちゃん」
八乙女は冴に向き直って言った。
「私は坊やの事諦めないわよ。今に見てらっしゃい。きっと坊やを私の虜にしてみせるんだから。それじゃごきげんよう♪」
八乙女はライバル心剥き出しで冴を挑発して去っていった。
「冴、次どこ行こうか」
その後先に口を開いたのは健だった。
「あー……そ、そうよの。そろそろ遅い昼餉にせぬか。鰊蕎麦を出す店があれば良いのじゃが」
「ほいきた。じゃあ鰊蕎麦のある蕎麦屋探そ……どうしたの冴。吃驚したような目で俺を見てさ」
「いや、ここで八乙女にああ言われた気持ちが尾を引いて沈むかと思うておったが……意外と切り替えが早くなったの、健殿」
「まあな。一々気に病んでても仕方ないし、俺はこういう時余裕持って心を構える事にしたんだ。八乙女には昼飯の事は近い内に諄々と諭すよ。そしたら俺が言うならって分かってくれるだろうし」
「ふ……お主も成長したものよな。では参るとするか」
「ああ」
冴は健に嬉しそうに寄り添い、秋風も爽やかな嵐山を歩いていった。
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