第参話 素晴らしき日曜日(後編)
 

A-Part

「待たせてごめん、ナオ」
「ううん、私もついさっき来たばっかりよ。奈々香、新しい携帯はどんなのがいいの?」
「そうねえ、電話とメールができて、あと音楽も聴けるならどんなのでもいいんだけど。あ、そうそう、ハルヒが持ってそうなの、そんなデザインのだったら尚いいわ」
「またぁ……」
 イズミヤ白梅町店の携帯売り場で新発売の携帯電話を物色する女子大生二人。否、携帯を買いに来たのは奈々香と呼ばれたその内の一人で、もう一人ナオと呼ばれた女性 ―本名は直美であったが― は見立てを手伝うために付いて来たに過ぎない。携帯を買いに来た女性が自分の好きなアニメキャラの名前を出し、他方でアニメにさほど興味がある訳でもない相方は「彼女の病気が始まった」と苦笑していた。アニメオタクで元気系少女の好きな奈々香は、自分もあんな感じの女の子になりたいと云う願望からコスプレを始め、今では涼宮ハルヒに自己を投影していた。
「これなんかどうかな? パナソニックW51P。ボタン押すだけで簡単に開けられるし、見た目も女の子っぽくていいと思うわよ」
「うん、いいわねこれ。パネルが光るのが面白いじゃない。これの赤いのってハルヒが持ったら様になりそうだし……でも他のも見てみたいな」
 春の新機種は奈々香にとって興味を惹くモデルが多く、当人はどれにするかなかなか決められない様子であった。
「奈々香、こっちのAQUOSはどう? ワンセグでテレビ見られて、マイクロSDに番組録画できるわよ。カメラも203万画素だって」
「そうねえ、ワンセグって結構いいかも。でもカメラにはあんまり拘らないわ。兄さんがこの間デジカメ新しいの買って、今まで使ってたデジカメくれたし。ほら、アユがCMやってるあれよ。あれの方が写メよりきれいに写るし。あー、でも真剣勝負ならケンがいるしね。カメラは旧式でもケンが一番きれいに撮ってくれ……ちょっとどうしたのナオ?」
 健の名前を出されて、直美が不機嫌な顔になったのに奈々香が気づいて言った。
「え、あー……ううん、何でもない、何でもないのよ。気にしないで」
 ハッと我に返って焦る直美。
「あーもう、どれもこれも素敵で迷っちゃ……あら、噂をすれば影ね」
 ふと正面玄関の方に目をやった途端、知った顔が店に入って来たのを奈々香が認めて言った。
「どうしたの?」
「ケンよ。今エスカレーターを上るのが見えたの。それも冴さんと一緒にね。うん、あれは巫女服着てた女の子だったから間違いないわ」
「……」
 直美は無言のまま下を向いていた。怒りで肩が小刻みに震えている。
「(何よそれ、嫌がらせのつもりなの?)」
「ちょっと今日のナオ少し変よ。一体どうしたの」
「ど、どうもしないわよ……早いとこ選んで、その後新京極でも行きましょ」
 辛うじて怒りを表に出すのを堪えて直美は言った。
「え、ええ……」
 奈々香はあえてそれ以上詮索することはしなかったが、直美のことは勘付いていた。
「(事情は知らないけど、ナオはケンと喧嘩したみたいね……どうしたのかしら)
 その時機種変更契約の手続きを終えた店員がツと立ち上がった。二十歳を少し過ぎた程のうら若い男前の男性である。
「あら神楽さん、どちらへ?」
「悪いけどちょっと用足しに行くよ」
「はあ……あの、ちょっと、神楽さん?」
 別の女性店員が曖昧に返事をした時にはもう男性店員の姿は売り場から見えなくなっていた。上階へ移動しながら、彼はこんなことを呟いていた。
「(厄介だな、船岡の巫がこっちに来ているか。計画を実行する前にそっちも手を打っておかねば……! 昨日の画像が思わぬ所で役に立つとはな)」

「はい、ミクロファインとフジフィックス、それからドライウェルね。毎度あり」
 健は大学の同級生でもあるバイト店員からフィルム現像用の薬品を受け取って、勘定のためにキャッシュカードを差し出した。
「いつもすまねえな、無理な注文ばっかりで」
「なに、いいってことよ。山口のためだもん。また道枝ちゃん呼んでくれるんだろ?」
「ああ……多分な」
「そんな気のない返事じゃ困るよ。俺が何のために掛け持ちしてまで光画部に入ったってんだ。それもこれも道枝ちゃんや直美ちゃんのポートレート撮れるからに決まってるだろ」
「あのな、そんなこと言われてもあっちにも都合がある訳だし。第一お前ちょっと自重した方がいいぜ。道枝の事は知らんが直美は写真撮る時妙にはしゃぐお前の事ちょっとウザがってるし」
「そんなこと言わずにさ、頼むよ。第一俺が山口に協力してるのだって……」
「健殿、妾を放っておいて何をウダウダ話しておるのじゃ」
 カメラ屋に入る前に暫く隠れておいてくれと釘を刺され、訳も分からずそうさせられて苛ついた冴がひょっこり顔を出した。
「おい……」
 慌てる健。そして店員は突然の美女の登場に目を輝かせていた。
「や、山口! お前巫女さんなんて連れて来てたのかよ」
「え、ああ……」
 咄嗟に言葉が見つからずに健は困惑するばかり。冴は店員が健の知り合いと見て取って型通りの自己紹介をした。
「何故妾が隠れておらずばならなかったかは知らぬが、健殿の朋友とあっては見知って貰う方が良かろうて。妾は船岡冴。山奥の神社の巫女じゃ。由あって健殿共々直美殿の家に世話になっておる。これから宜しく頼むぞ」
「あ、こちらこそ宜しく。俺は小嶋有二。山口の同級生です。いつも山口や直美ちゃんが世話んなってます。良かったらこれから一緒に小川珈琲でお茶でもいかがですか? 俺もう少ししたら仕事上がるんで」
 有二はへらへらした態度で冴をナンパしようとした。
「いや、済まぬが生憎と妾は健殿とでえとの最中での、これから一緒に服を選びに行くのじゃ」
 素っ気無く返す冴と失望の色を露にする有二。その直後に彼はカウンターから手を伸ばして健の胸倉を捕まえて問い詰め出した。
「や〜ま〜ぐ〜ち〜、お前は幼なじみの直美ちゃんにレイヤーの美知枝ちゃんとその仲間だけでは飽き足らず、この上まだ巫女さんにまで手を出すかこの女誑し! 大してイケメンとか勉強やスポーツができるって訳でもない平凡な男なのによう。そりゃ映画や写真はちょっとイカしてるけどさあ。ああ、世の中って理不尽だよな。大した男じゃないって点じゃどっちもどっちなのに山口ばっかり女の子が集まってくるんだもん。おお神よ、何故貴方は山口ばかりをよしみ給うのですか」
「し、知らねえよ、女の子の知り合いは多いけどそんなに深い仲って訳でもなし」
「ええい、散々おいしい目にあっておきながら自覚なしたあ勿体無えにも程がある。今この場で制裁してくれよう」
 有二にガクガク揺すぶられながら、健は懇願するような目つきで冴の方をチラリと見た。それだけで健の言いたいことを察した冴は健の腕を掴んで有二から引き剥がした。
「ほらさっさと参るぞ、我らは他に行く所があるであろう?」
 冴は健を引っ張るように、階下に続くエスカレーターへと向かった。
「あ、おい、ちょっと待て山口」
 有二はカウンターを飛び出して健と冴を追いかけようとしたが、一人の客に呼び止められた。
「ちょっと失礼。このプリンターを使いたいんだが」
「え、あー、はいどうぞ。パネルを押して案内の通りに操作してください」
「ん」
 客の男はプリンターにメモリーカードを差し込み、一枚の写真をプリントアウトして、カウンターに立った。
「君はさっきここにいた、巫女と男の二人連れの知り合いかね?」
「いや、巫女さんは今日初めて会ったばかりですよ。男の方は俺の友達ですけど」
「そうか……実はあの巫女は船岡の一族と云う邪教に関わっている一派でね、付喪神と呼ばれる妖怪を操り京都を恐怖に陥れようと企んでいるのだ。ここ数日、突然何者かに襲われた人達が君の身の周りにもいるだろう?」
「ええ、ニュースでは度々聞いてます」
「それこそ実は奴らの仕業なのだよ。昨日の事だが太秦映画村で忍者の人形が化けた妖怪に君の友達に襲われていてね。その首謀者があの巫女って訳さ……信じられないと言いたそうな顔だね? 証拠はこの写真だよ」
 男が差し出した写真には、腰を抜かす健の前に忍者を従えて不敵に笑う冴が写っていた。本当の所は妖術で作り上げられたでっち上げの写真なのだけど。
「奴がここに来たのも、何か企みがあってのことだろうさ。君の友達に何かあってからでは遅い。奴らはあの通り暴力も厭わないからね。そこであの巫女が持っておる数珠、あれを奪えば巫女は妖力を使うことができなくなる。今すぐそれを奪って来てはもらえないか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺そんなことできませんよ。盗みは犯罪だし、俺喧嘩は苦手でああ見えてタフな山口とやっても勝つ自信なんてないし、第一そんな不思議な力も使える巫女さんを相手にするなんて無茶です」
「そう言うと思ったよ。だけど悪いが君に選択の余地はないんだ……」
 男は有二の顔の前でパチンと手を叩いた。その後、何かに取り憑かれたように健たちを追って階下の婦人服売り場へと降りて行った。
「ふなおかのいちぞく……そのめかんなぎはどこだ……」
 男は熱に浮かされたように呟いて歩いていく有二の背中を見ながら、満足げに笑っていた。
「これで邪魔は封じられるな。そしてそろそろ君……いや、君達にも目覚めてもらおうか」
 男は携帯電話売り場に引き返しながら、さっきの客から受け取った旧い携帯電話を見つめてニヤリと笑った。

「ナオ、あたしこれにするわ」
 散々迷った挙句奈々香が選んだのは、ピンク色のカシオW51CAだった。最新の機能は一通り揃っている機種で、丸っこい形が特徴のモデルである。
「そ、そう、それにするの? うん、これなら奈々香に似合うと思うわ。じゃあ待ってるから手続きしてきてね」
「うん」
 奈々香は機種変更の手続きのためカウンターに向かった。だがカウンターには新規登録や機種変更の順番待ちをしている客の列ができていて、大分待たされそうな気配だった。
「はい、手続書類確認しましたのでこちらの新しい機種にデータをコピー致します。少々お待ちください」
 店員がある客の機種変更手続を済ませて、彼がそれまで使っていた携帯をパソコンに接続しようとしたその時だった。
 ピロロロロ……ピロロロロ……
「あれ、おかしいな。スイッチは切ってあるはずなのに……もしもし?」
 客は面妖な顔で、まだ自分の前に置かれていた携帯を取って通話ボタンを押した。携帯の向こうから聞こえてきたのは地鳴りのようなおどろおどろしい声だった。
「この……尻軽男が……」
「え、あ、あのー、どちら様でしょうか」
「俺はまだ元気なのに、軽々しく弟に乗り換えようとしやがって……俺はもう用済みでポイかよ!」
「そ、そんな……俺は彼女いない歴=年齢でまして男なんて……はっ、もしやお前は」
「そう、俺は俺だよ。お前がつい昨日まで使ってた携帯だ」
 その時店の客の手や、店員に引き取られてカウンターの後ろにあった旧式の携帯電話が客の男の手を離れてスーッと宙に浮いて、キンキン声で叫んだ。
「こん畜生、どいつもこいつもカメラだのラジオだのテレビだの便利な機能が付いた新型が出るたびに昨日まで可愛がってた携帯から新しいのにホイホイ乗り換えやがって!」
 その場にいた人々が驚いたのは勿論である。携帯電話が自分の意志で空に浮いたりしゃべったりするなど俄かには信じられようはずがない。
「(あれは……昨日も出た『付喪』かしら)」
 既に一度付喪に遭遇している直美は思って、説得しようと反論を試みた。
「違うわ。ここには新しい携帯買いに来た人だっているし、奈々香みたいに一度買ったのを壊れるまで大事に使う人だっているわよ。私だって旧いけど高校時代からのを大事に……」
「うるせえ」
「きゃあっ」
 矢のように直美めがけて凄まじいスピードで携帯が飛ぶ。直美は間一髪で避けたが、携帯はすぐに方向転換して後ろから直美に体当たりした。
「目先の新しさばかりに釣られる愚かな人間ども、捨て犬の如く捨てられる我らの恨み思い知るが良い。かかれ同胞達よ。人間共に制裁を与えるのだ」
 掛け声と共に新機種と交換されてお払い箱に入っていた携帯電話が妖怪の如く空に浮かび、今にも飛び掛ろうと態勢を整え出した。その場にいた人々は慌てて携帯売り場から逃げようとした。奈々香と直美もそれに続く。
「おっと、逃がすかよ! そら行け」
 携帯が叫び、十台程の携帯が二手に分かれて携帯売り場の両端へと飛んでアンテナを伸ばした。
「ハッ、何よ。それでバリケードでも張ってるつもりなの? こんなの簡単に突破でき……きゃあっ」
 奈々香は売り場から逃げようとした途端、火傷しそうな熱気が襲ってきた。前髪の先が焦げて煙が出た。
「カラーコーンを置くだけのように間抜けな事をやりやがるとでも思ったか。我々の電磁波を利用して張ったバリヤーだ。手拍子の神楽男様の授けてくださった御力で強力な電子レンジ、いやその何十倍もの出力は出せている。ここから出ようとすれば忽ちお陀仏さ。どちらにせよここが貴様らの墓場になる、はっはっはっはっはっは」
「手拍子の神楽男ですって?」
 慄然とする直美。
「やっぱりこの間の付喪の仲間なのね。じゃあ尚更ここで死ぬなんて御免だわ、返り討ちにしてやるからかかってらっしゃい!」
 奈々香は涼宮ハルヒの如く携帯を指差して宣戦布告した。
「面白い。だがそんなことを言ってられるのも今のうちだ。かかれ!」
 直美と奈々香、そしてその場にいる客や店員めがけて携帯電話が飛んでくる。ある者は体当たりし、ある者は喚くように耳元で雑音や着信音をけたたましく鳴らして攻撃してくる。
「きゃあ……でもここで負けてたまるもんですか」
「こんな時、ケンちゃんがいてくれたら……ううん、あいつなんかいなくたって!」
 直美と奈々香は勇気を振り絞って付喪に負けまいと、蝿を追うように攻撃をかわして、次から次へと空飛ぶ携帯電話を叩き落していった。


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