第参話 素晴らしき日曜日(後編)

B-Part

 一方、こちらは婦人服売り場へとやってきた健と冴である。普段着を選んであげようと云う考えは健にはあったものの、どれにしたらいいのか皆目見当がつかずにいた。
「うーん……(今年の流行は割とおとなしめの色みてーだな。ちょうど昨日直美が着てたのみたいなね。でもどんなの勧めたらいいのかなあ……こうも選択肢が多いとどれにしたらいいのか困るよ)」
 あちらこちらを見回して悩む健。不意に冴が話し掛けてきた。
「健殿、何をウンウン言うておる。謡を唸っておる訳でもあるまいが」
「え? あ、いや、その……」
「妾の普段着を見立てると申したは良いが、最良の選択が分からぬ。そうじゃろう?」
 冴は悪戯っぽく笑って言った。
「さ、冴……! あー、その、お、俺はだな……」
 狼狽して弁解を試みる健に畳み掛ける冴。
「凡そ着飾ると云う感覚のないお主の服装を見るに、妾に似合う服を選んでもらえるのかどうか疑わしいのう。ここは店員に相談してみたらどうじゃ」
「いや、俺は決してどれを買えばいいのか決められずに困ってる訳ではないぞ。安易に決めるよりいろいろ吟味して……そうだな、その巫女服を着てる時とは違った冴の魅力を……あ」
 体裁を取り繕おうと必死で弁解していて健ははたと思った。さっきマリヤで一緒に朝食を食べていた時冴を見ていて浮かんだ、「エレガントなお嬢様」のイメージでコーディネートしようかと。
「どうした健殿?」
「妙案を思いついた。俺が思ったイメージ通りの服を見つけてきっと冴の魅力を引き出してあげるよ」
「言うではないか。ならば妾が健殿に似合う服を選んでもらえるかどうか、お手並み拝見じゃ」
 冴は健を揶揄う時いつもそうするようにニヤニヤして言った。ようしやってやると健は売り場を徘徊し、冴はその後に続く。売り場に飾られている幾つもの服と冴を代わる代わる見ながら考える内、一つのマネキンに着せられていたコーディネートが健の目に止まった。
「(あ、これいいかもしれねえな……白のシャツ、ああ、カットソーって云うのか。それとジャケット、うーん、色はこの紺色より薄いピンクの方がいいかな。春っぽくてさ。スカートの今年の定番は丈がちょい長めのプリント柄か。でも冴にあんまりこんなごてごてしたのはちょっとな……白の無地でいいやな。よし、これでいこう)すみません、こちらの服見せてください」
 健は店員に自分の選んだ服を伝え、店員はそれを揃えるために売り場の奥に引っ込んだ。
「これに健殿なりの演出を加えたものか。悪くないのではないか? 半袖ならこれから暑くなっても引き続き着られるしの。すかあとも白一色の飾り気のない物と云うのが良い。矢張りお主はその気になれば何事につけなかなかできそうな男よのう」
 いい感じのコーディネートを選んでもらって冴は上機嫌そうである。程なく店員が服を用意して健と冴のいる場所に戻ってきて、冴はそれを一式受け取って丁寧に店員に礼を言った。
「忝い。では試しに着てみるとするか……健殿、妾の着替えを覗くでないぞ」
「しねーよ!」
 冴はまたしても健を揶揄い、怒った健からスルリと逃げるように試着室に引っ込んだ。健はカーテンの前で冴が出て来るのを待っていたが、彼の姿を認めて近づく者がいた。
「やまぐち……」
「おや、小嶋じゃないか。もう仕事引けたのか」
「やまぐち……ふなおかのいちぞくのめかんなぎはそこか」
「船岡の一族? ああ、冴のことか。冴なら今着替えてるから少し待って……うわっ」
 有二は冴が試着室のカーテンの向こうにいると知るや、その前にいた健を強引に押し退けて入ろうとした。
「こら、何しやがる小嶋」
 健が慌てて、試着室に入ろうとする有二を健は後ろから羽交い絞めにして出そうとした。だが有二は健の引っ張る力を上回る抵抗力で前に進もうとする。とうとう有二は健を道連れに試着室に踏み込んで来た。
「お、お主ら……」
 白衣を脱いで上半身裸になっていた冴は真っ赤になって、咄嗟に右腕で胸を隠した。左腕は恥ずかしさと怒りでわなわなと震えている。
「ち、違うんだ冴。これは小嶋が……」
「はっ!」
 冴は健の弁解も聞かずに、有二に掌底突きを食らわせて有二と健を吹っ飛ばした。ドシンと倒れる有二と健。
「いてて……あっ、小嶋?」
 強かに背中を床に打ち付けて健が痛がっている間に、有二はヒョイと体を起こした。彼の手には何時の間に奪い取ったのか、一蓮上人と云う名前の冴の数珠が握られていた。
「ふ、これでもくてきははたした」
「何だと?!」
「おっと、じゃまだてをするな。ふなおかのいちぞくにはでしゃばられたくないのがかぐらおとこさまのごいしでな!」
 有二は食って掛かろうとした健を突き倒し、足取りも速く逃げ去って行った。起き上がった健は背後に人の気配を感じた。脱いでいた白衣を着直した冴だった。
「あ、冴」
「……」
 無言の冴。その顔は明らかに怒っていた。肩も小刻みに震えている。
「その……ごめん。小嶋の奴が無理矢理試着室に……」
「分かっておる、何も言うな。お主と有二殿のやり取りはちゃんと聞こえておった。有二殿が付喪の妖術で操られておったようじゃな。それをお主が止めようとして……」
 冴の言葉はそこで途切れた。階下が俄かに騒がしくなり、キャーッと云う悲鳴まで聞こえてきた。
「(あれは……直美?)」
 悲鳴の中で聞き覚えのある声を聞いてハッとなる健。その間に店員が大慌てで階段を駆け上がってきて、彼の上司らしき人物を見つけて話した。
「どうしたの?」
「た、大変です、下の携帯売り場で携帯が蜂みたいに空を飛んで、あそこにいる人達を襲ってるんです」
「ちょっと、何言ってるの。そんなことある訳が……」
「いや、信じられないでしょうけど現に起こってるんですよ」
 冴は彼らのやり取りを聞いていて、シリアスな顔で合点がいったと言うように頷いた。
「矢張り付喪が現れおったか、ここは妾の出番じゃな。健殿、妾は一蓮を取り返しに行くからそれまで何とか階下の者の手助けに行ってはもらえまいか」
「え? あ、ああ。でも直美は……」
「直美? 直美殿も階下におるようじゃな。ならば尚更お主が行ってやるべきではないのか?」
「何でだ。知らないよあんな奴。何で盗人に追い銭くれてやらにゃならないんだ。第一ただの人間の俺が訳の分からねえ化け物と戦ったって……」
「何じゃと?」
 つい口を滑らせた健。「しまった!」と思う間もなく冴がキッと健を睨みつけ、手を上げて健の頬を打った。
 パーン
 甲高く響く平手打ちの音。痛烈な一撃に健は顔を顰め、頬に手を当てた。その場にいた客や店員が驚いて冴と健の方を見た。
「たわけ者……どうやらお主、直美殿と仲違いしたらしいな。なれどお主は直美殿とは妾より長い付き合いであろう? そして血の繋がりもあるではないか。仲違いしてお互いを嫌うこともあるとは言え従兄妹同士ではないか。喧嘩もしたであろうが逆にお互いが助け合うこともあったのではないか? 近しい存在のお主がこの場にいながら何故行ってやらぬ!」
「……」
 冴に叱責されて、無言で俯く健。
「確かに一般人のお主は付喪の前には無力であるやも知れぬ。なれど我が身大事で身内や友を放って逃げる程お主は手前勝手な男であったか。直美殿の心の支えにもなってやれぬ小心者であったか」
「……」
「行かぬなら好きにするが良い。じゃがそんな健殿とは妾はでえとなどしとうない。お主は気骨や親類縁者を思う気持ちはあると思うておったが、間違いのようじゃったの……健殿、二度と妾の前に表れるな。顔を見るのも不愉快じゃ!」
 冴は健に背を向けて憤然と言い放つと、有二が逃げていった道に向かって走って行った。健の脳裏に直美のことが浮かんだ。

 大学入学式の前日、新幹線を降りて京都駅のホームに降り立つ健。
「(ええと、直美と伯父貴が迎えに来てくれてるはずだけど……どこかな)」
 春の京都観光の客で賑わうホームを見回していると、彼に向かって走って来る少女がいた。
「お父さん、ケンちゃん見つけたよ! ケンちゃ〜ん!」
 子供のようにはしゃいで健に駆け寄る少女。
「おう直美、久しぶ……わっ」
 直美が主人を見つけた犬のように健に飛び付いた。そこを義郎がオリンパスOM−1でパチリ。
「ちょっと伯父さん、恥ずかしいよ」
「まあいいじゃないか。健君がこっちに来るのは何年ぶりかだし、直美も俺らも健君に会えるのをずっと楽しみにしてたんだから」
「いや、先月入学試験の時泊めてもらったじゃないですか」
「あの時はあんまりゆっくりお話できなかったもん。ケンちゃんは最後の追い込みだって言って参考書とにらめっこばっかりしてたし、ご飯の時も私が話しかけても生返事しかしてくれなかったじゃない」
「ああ、あの時は第一志望校に合格したいって思いで頭が一杯だったからさ……あれが気に障ってたならごめんな。でもこれから少なくとも四年はずっと俺は直美と一緒だぜ」
「きゃはっ、嬉しい! ね、ケンちゃん、これからお茶しようよ。東広場においしい喫茶店があるの」
「ああ、直美が行きたい所ならどこでも付き合うよ。折角だから直美の食べたい物奢ってやろう」
 その後お茶を飲んで、さて勘定しようとして……
「しまった、財布の中もう千円しかない……すまん直美、銀行行って来るからちょっと待っててくれないか」
「もう、ケンちゃんたら。いいわ、私が出してあげる」

「ほらケンちゃん起きて。朝ご飯食べてくれないとお店始められないでしょ」
「……昨日は試験準備で徹夜したからもう少し寝かせてくれ」
「嘘言わないで、本当は徹夜でフィルム現像してたくせに。お風呂場から水流す音聞こえてたわよ。ほらさっさと起きなさい」
「うわあ、いきなり布団剥ぐなよぉ!」

「行ってきまーす」
「あ、ケンちゃんちょっと待って」
「ん?」
「はい、お弁当。ケンちゃん今日は夕方まで授業の日でしょ?」
「あ、俺今月ピンチだったんだよ。ありがとう直美、恩に着るぜ」

「げほっ、げほん……あー、だりぃ。薬飲んだけど熱下がらねえや……ん、誰か来たな。ああ、直美か」
「ケンちゃん、リンゴ汁できたわよ」
「いや、いらね、食欲ねえから」
「何言ってるの、ちゃんと食べないと治る風邪も治らないわ。私『ケンちゃんの風邪が早く治りますように』って思いながら作ったんだからね。ほらちゃんと飲みなさい」

「(……京都に住んでから、ずっと俺は直美に世話になりっぱなしだな。光画部に入って、フィルムで写真を撮りたいって我侭言って周りから冷たくされてた俺をずっと支えてくれたのも直美だったよな。無論誰も相手にしてくれなくて、それでも奈々香達と知り合ったのも直美の伝手で、今時フィルムなんてーって言ってたみんなを一緒に説得してくれたのも直美だった。おかげでアニメやゲームのコスプレ写真だけど、ポートレートは撮れたんだ。こんな俺のために、どんな時も嫌な顔しないで直美は俺のこと助けてくれてたんだ)直美……」
 痛む頬を手で押さえたまま、健は呟いた。そして顔を上げ、拳をぐっと握り締めて、下りのエスカレーターを駆け降りて行った。

「(あれは……!)」
 有二を追いかけていた冴の目の前にいたのは、カメラ屋の前で待ち構えていた男に有二が駆け寄る所だった。
「ご苦労。さあ、その数珠をこちらへ寄越しておくれ。これで奴の霊力を封じ……」
「(あれは付喪の一味か? まずい、一蓮を奴の手に渡してなるものか!)」
 冴は袂から札を取り出し、今まさに男と相対しようとする有二めがけて投げつけた。
 パシッ
「ギャアアアアアアアア」
 札が有二の背中に貼り付き、同時に有二は喉の奥から搾り出されるような悲鳴を上げた。
「あれ、俺どうしたんだろ……何か下の方が騒がしいな」
 しばし叫んだ後、我に帰る有二。冴は怒りの形相で、ぐっと有二の腕を掴んだ。
「気が付いたようじゃな。有二殿、この『いずみや』で人々が付喪に襲われておるのじゃ。その数珠を妾に返してくれ。妾は奴らを討ちに行かねばならぬ」
「え、付喪って……そいつを操ってるのは冴さんじゃ?」
「何?」
 冴は男の方をチラリと見た。当の男は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「お主、誰かと思えば手拍子の神楽男ではないか」
 男は俯いたまま否定も肯定もしない。だがその顔は「バレちゃしょうがない」と明らかに言っていた。
「(矢張りこいつは騙されたようじゃな……)果たしてその通りか、今からお主の目で確かめてみるが良い。ついて参れ」
 冴は怒気を含んだ声で言うと、そのまま有二の腕を引っ張って階下へと降りて行った。
「うぬ、船岡の巫め……」
「邪魔立てするな!」
 去り際に男は冴を追いかけようとしたが、冴が投げつけた札の直撃を食らってしまった。
「ぐわあっ……おのれ、覚えておれ。このままでは済まさん」
 手拍子の神楽男は札を貼り付けられて苦しみにのたうち、必死で額にくっ付いた札を剥がそうともがいていた。

「わははははは、いくら攻撃したとて無駄なこと。叩き落された程度で俺達は倒せん」
 携帯売り場ではそこに監禁された客や店員が箒や手で蜂のように襲ってくる携帯の付喪を必死に叩き落していた。その中に直美と奈々香もいる。だが幾度叩き落されようとも携帯電話は再び宙に浮いて容赦なく攻撃を仕掛けてくる。そんな中、彼女達は見知った顔を見えないバリケードの向こう側に見つけて叫んだ。
「小嶋君!」
「冴さん?」
 二人とも冴の登場で何とかなるかもしれないと云う期待の目をそちらに向けていた。 更に直美が声を掛ける。
「直美殿! 奈々香殿!」
「来てくれてよかった……助けて。ケンちゃんも来てくれたんだけど付喪にやられて火傷しちゃったの。その後どっか行ったきり戻って来ないし……」
「冴さん、あんた山口だけじゃなくて直美ちゃん達とも知り合いで、それに……」
 持っていた数珠を見てハッとなる有二に冴が斬り込む。
「その通り、お主はあ奴に操られておったに過ぎぬ。付喪を煽動して京の罪無き民に仇為すのはあ奴らの方じゃ」
 それ以上は言わずとも妾の言いたいことは分かるじゃろ? と無言で語り掛けるように冴は有二の目を見た。冴の目には演技や冗談ではなく真剣に悪しき者に対して怒っている色が浮かんでいた。
「ごめん……」
 心底済まなかったと言うように冴に謝る有二。そして奪った数珠を無言で冴に返した。
「うむ、一蓮さえあればこっちのものじゃて。お主ら、散々好き勝手やっておったようじゃがそれもここまでじゃ。さあてどう料理してやることになるのかのう。妖討の巫覡、船岡が……」
「待たせたな。みんな、下がってろ!」
 冴が数珠を手にかけて念じた途端、猛然と走って来る男がいた。健である。手にはなみなみと水の入ったバケツを握っていた。
 バシャッ
 健は一声叫ぶや、バリケードの向こう側の人々が下がったのを確認してバケツに入っていた水を携帯売り場の床にぶち撒けた。冠水して機能停止し、パタパタと倒れこむバリケード係の携帯。
「ケンちゃん、やっぱり来てくれたんだ」
 嬉しそうに叫ぶ直美と、苦笑混じりの笑顔でそれに答える健。焦げた前髪と服、熱でフレームの歪んだ眼鏡が、つい少し前の彼の無鉄砲な行動を物語っていた。
「これで電磁波のバリケードは破れたぜ。さあ、早く逃げるんだ!」
 健に促されてその場から避難する客と店員。直美と奈々香は健に駆け寄って、側にくっついた。
「ケンちゃん、私、私……」
 半泣きで健に縋る直美。
「ああ、お前も奈々香も無事で良かったよ」
 健はそれ以上は言わずに、そっと直美の頭を撫でてやった。
「ケンちゃん、やっぱり私が心配で来てくれたのね」
「分かった。もう何も言うな。お前らが無事で良かったよ」
「何があったか知らないけど、ナオとケンが仲直りできてめでたしめでたしだわね」
「うむ、健殿は矢張り人並みの男らしさも持っておったの」
 彼らの傍らで微笑む奈々香と、うんうんと頷く冴。
「こらー、何ベタなラブコメやってやがる。お前ら、俺達をコケにしやがって……許せギャッ」
 怒った携帯が冴めがけて飛んで来たが、冴は予期していたかのように身構えて手刀と踵落としを決めて啖呵を切った。
「無駄な足掻きは止めぬか! お主らの恨み、罪無き民にまでぶちまける事は断じて許せん!」
 冴は改めて一蓮を手にかけて念じた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
 冴の両手が光り、その手の中に収まったのは……鞭だった。
「あれ、今日は刀じゃないのか?」
 健の疑問に冴はおかしな顔もせずに答えた。
「そこはそれ、護法童子は相手や状況に合わせた武器を与えてくれるのじゃ。前は偶々刀じゃったがの。こうした状況なら刀を振り回すよりこちらの方が使いやすい……さあお主ら、この船岡冴の手にかかって往生するが良い。案ずるな、痛いのは初めだけじゃ。直に極楽に往かせてやろうぞ」
 パシーン
 激しい音を響かせて、冴は空飛ぶ携帯電話目掛けて鞭を振るった。
 パシン、パシ、パシィィィン
 鞭がヒットする度、霊力でダメージを与えられた携帯電話は今度こそ機能停止してバタバタと床に落ちていった。だが相手は数が多いため一度に片付ける訳にはいかない。まだ攻撃されていない携帯電話が冴から逸れて、後ろの直美と奈々香に向かってきた。
「ちょっと、こっち来ないで」
 奈々香は携帯電話を叩き落そうとしたが、相手はそれをあっさりかわして低空を飛び、奈々香と直美のスカートの裾を掠めて飛んだ。 「「きゃあっ!」」
 スカートがめくれて、奈々香と直美のパンツが丸見えになった。慌てて視線を反らす健と対照的に「おおっ」と言いたそうな顔の有二。
「ピンクのレース付きの直美ちゃんは分かるとして井村はリボン付きのピンク地に赤の水玉か……性格に似合わず可愛い下着じゃん」
「何デレッてしてるのよ、この変態!」
 奈々香の怒りの鉄拳が有二に炸裂する。直美は手こそ出さなかったものの、顔を赤らめて非難の目で有二を見ている。
「へへへ、ドサクサにまぎれてお前らのパンモロ写真しっかり撮ってやったぜ。こいつをエロ画像掲示板にアップしてぎゃっ」
 スカートめくりの場面を床からローアングルで撮っていた携帯電話が言ったが、いきなり健に蹴飛ばされて陳列棚に激突してしまった。
「てめえ、直美に何てことしやがる」
「お前こそその態度が気に入らねえ、こうしてくれる」
 携帯電話は健目掛けて飛んだと思うと、横顔に張り付いた。
「な……」
 そしてスピーカーから流れてきたのは、オタクの間でちょっとしたブームになったエロゲーの主題歌だった。

[メイドさんラプソディ](詞:飯尾火薬 曲:非公開)

お帰りなさいご主人様 今日も一日乙でした
これから始まるヒーリングタイム 癒されませねごゆっくり
貴方の明日への活力のために とことんご奉仕頑張ります

今宵のメインはオムライス ご主人様の大好物でしょ?
ケチャップで描いたハートマーク 貴方のハートにジャストミート
愛情こもったこの一膳 よく味わって召し上がれ
あら頬っぺたに御飯粒 お口で取って差し上げます(チュッ)
お飲み物には取って置きの 冷やしたワインがありますの
甘い香りの一杯で ディナーを楽しんでくださいね

「あー、やめろ、やめてくれー。俺はこの手の変な歌は苦手なんだー」
「そう言えば山口、メイドカフェでかかってた電波ソング嫌がってたよな」
 苦しむ健を見て、奈々香に殴られて出た鼻血をまだ出しながら有二が呟いた。
「いいかげんにしなさい」
 そう一喝して健の耳から携帯を引き剥がしたのは……電波ソングで元気と落ち着きを取り戻した奈々香だった。奈々香は携帯を取ったその手で冴目掛けて投げつけた。
 パシーン、パシーン
 すかさず冴の鞭が飛んで携帯を叩き落し、返す刃でもう一つ生き残っていた携帯もやっつけてしまった。
「これで終わったかの」
 足元に散らばる携帯を見て、冴がふうと大きく息を吐いた。そこへあたふたとやって来たのは冴が「手拍子の神楽男」と呼んだ携帯ショップの店員だった。
「遅かったな神楽男。お主の操っておった携帯電話は全て妾が調伏した」
「うぬ……」
 不敵な笑みの冴と、目論見が外れて悔しがる神楽男。
「妾はまだ武器を仕舞ってはおらぬぞ。お主もこの鞭の露と消えるが良い」
 冴は鞭を神楽男目掛けて振ったが、神楽男は敏捷にそれをかわし、
「船岡の巫、今回は私の負けだ。だが我らの悲願を成さぬ内はやられる訳にはいかぬ。必ずやこの京都を我らの繁栄の礎とする悲願をな。さらばだ!」
 捨て台詞を残して逃げて行ってしまった。
「ケンちゃん……」
 健の側に直美がそっと体を寄せて来た。
「な、何だよ直美」
 恥ずかしさと喧嘩の後の気まずさを隠そうとわざとぶっきらぼうに答える健。
「ケンちゃん……ありがとう」
「いや、礼なら冴に言ってくれ。事態を収拾してくれたのは冴なんだから(元々俺はこんなことしたくなかった訳だし)」
「ううん、私のためにケンちゃんが来てくれて、怒ってくれた、それだけでも嬉しいの」
「あらあら、ナオったらどこまでもお優しい事。ケン、ここまでいい女の子も他にそうはいないわよ。詳しいことは知らないけどあんたナオと喧嘩したらしいじゃない。ダメよナオを傷つけたりなんかしちゃあ」
「え、ああ……今朝は怒鳴ったりしてごめんな、直美」
「ううん、私こそケンちゃんの事誤解してごめんね。ケンちゃんはやっぱり私の事大事に思ってくれてたのよね」
 奈々香に促されて、幼馴染で、従兄妹同士でもある健と直美は和解の握手を交わした。
「これにて一件落着じゃな」
 冴は傍らで満足げに笑っていた。

「はいお待ちどう様。元吉裏メニュー『和風抹茶パフェ山口健スペシャル』四人前でございますよ」
 厨房から矢絣の和服に着替えた健が現れ、盆にパフェを四つ乗せて直美達が座っているテーブルにやって来て配膳した。季節の果物の盛り合わせに抹茶アイスと抹茶シロップをかけただけのいたくシンプルなパフェである。
「ありがとう、ケンちゃん」
 好物を前にして直美は上機嫌だったが、奈々香は怪訝な顔をしている。
「ケン、これのどこが『山口健スペシャル』な訳? あたし達が普段ここで食べてる抹茶パフェとそんなに見た目違ってないんだけど」
「まあ食ってみな」
 ニヤリと笑って健はそれ以上は何も言わない。奈々香は一口食べて、忽ち顔を顰めた。
「うっ、何よこの苦いシロップ」
「そこがポイントさ。果物の味を邪魔しないように甘味を一切使ってない、抹茶だけのシロップだもん。普通のはちょっとだけ甘くしてあるけどね。それからお茶本来のほろ苦い風味も味わってもらいたいってのもあるから。果物の自然な甘さとお茶のほろ苦さのハーモニーが山口健スペシャルの肝さね」
「それ、威張って言うことかしら」
「おや、俺より長く京都にいるはずの奈々香の発言とも思えないな。お茶ってのはほろ苦さも持ち味じゃないか?」
「あたし京都人って訳じゃないもん、産まれたのは和歌山だもん」
「おいおい、京都に住んでりゃお茶の味くらいは……」
「あたし緑茶より麦茶の方が好き〜」
「おやおや、いたく賑やかじゃな」
 その時二階から階段を降りる音がして、冴がやって来た。いつもの巫女装束ではなく、健にイズミヤで選んでもらった洋服を着て。
「冴……」
 その場にいた者は冴の姿を見て息を飲んだ。健がイメージしていた通り、深窓の令嬢を思わせる上品な雰囲気の冴がそこにいたから。
「どうじゃ、健殿が妾のために選んでくれた服、似合うておるかの?」
「うん、とっても似合ってるわ冴さん。ケンちゃんもいいセンス持ってるじゃない」
「物静かなお嬢様って感じかしらね」
「そうか、忝い。健殿、さっきから恥ずかしそうに俯いておるがお主もどう思うか言うてみてくれぬか」
「え? あー……やっぱりその服と巫女装束ではガラッてイメージ変わるなって思ってさ。昨日の女侍とか、さっきの女王様って感じとは全然違……あ」
 咄嗟に拙いことを言ったと思って途中で黙る健。
「それはその通りじゃて。女子はいかようにも変われる生き物じゃ。その時々に応じての」
 冴は別に怒りもせずにさらりと返して、テーブルについて言葉をつないだ。
「そしていかようにも変われるが故に繊細でもある。健殿、お主も男子なら直美殿を傷つけるような真似はしてはならぬぞ」
 冴の何か言いたそうな顔を見てギクッとなる健。
「冴、ひょっとして……」
「分からいでか。今朝方のお主のあの大声、別室の直美殿にも聞こえておったことじゃろう。そして妾をダシにお主が直美殿に意地悪を仕掛けておったこともな」
 そこまでしっかり読まれていたのか、と健は顔を蒼くした。
「なに、妾はそんなに怒っておる訳ではない。妾とて健殿の事は憎からず思うておるし、健殿にはほっとけえきを御馳走になり、斯様に素敵な洋服まで買ってもろうたからの。でもまあお主が妾を弄んだことについてはちと不満じゃのう」
「ば、莫迦言うなよ。当て擦りだろうが何だろうが、冴の事が好きでなけりゃどうしてデートに誘うもんか」
「ほおん、ならばお主、こうして妾にぱふぇを食べさせてもらうのも容易い事じゃな?」
 冴はフォークで黄桃を突き刺し、健の前に差し出した。
「ちょっとケンちゃん、そんなら私のも食べてよね。はいっ、ケンちゃんの好きなりんごあげるわ」
「直美殿、いくらお主でも妾の邪魔をするなら容赦せぬぞ?」
「何よ、どっちを先に食べるかはケンちゃんが決める事でしょ」
 冴と直美は薄笑いを浮かべてしばらく見合っていたが、同時に健の方を向いて、
「さあはっきり片をつけてもらおうか。健殿は妾のを先に食べるじゃろう?」
「ケンちゃん、私のが先だよね?」
「さあ恋に燃える女のバトルの火蓋は切って落とされました。果たしてケンが口にするのはどっちのパフェでありましょう」
 健は助けてくれと言いたそうに奈々香を見たが、奈々香は逆に格闘技の実況中継よろしくこの場を煽り出した。健は顔一面脂汗だらけになった挙句、
「あ、お、伯父さんが呼んでる。俺厨房に行かなきゃ」
「「ああっ、待て、逃げるなー!!」」
 素っ頓狂な声で叫んで逃げ出す健を、少女二人は慌てて追いかけた。


第四話に続く

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