第四話 我輩はカモである(前編)
 

A-Part

 京都の遥か北、船岡山のまだ向こうの人里離れた山奥にある古びた社。そこは平安時代中期、付喪神が自らの本拠地と定め、「変化大明神」なる氏神を祀っていた場所であった。物が豊かになり、様々な古物がいとも容易く使い捨てにされていく昨今を憂う付喪神達はここ京都で今一度自分達の繁栄をもたらすと云う悲願を達成しようとしていた。変化大明神の社の中では、頭領の古文先生を中心に五人の付喪神が話を交わしていた。
「うぬぬ、返す返すも憎らしいのは船岡の巫よ……」
 古文先生は自分達の野望が、古来より付喪神を討つことを生業としていた船岡一族の末裔、船岡冴に邪魔されて失敗に終わったことを悔しがっていた。
「「申し訳ございません、古文先生」」
 頭を下げ、上司の古文先生に自分達の計画の失敗を詫びる荒太郎と神楽男。
「全ては我らの力量が足りぬ故でございます。今後は尚一層の精進を重ね、必ずや船岡の巫を……」
「ちょっと待て荒太郎、俺も焼きが回ったと言いたいのか?」
 荒太郎の一言にカチンと来た神楽男が口を挟んだ。
「お互い野望を船岡の巫に打ち砕かれた事では同罪であろう。己も失態の末にあ奴を倒せず、民を殺すこともできなかったのだからな」
「くっ……」
 神楽男に一矢報いておいて、荒太郎は古文先生に向き直った。
「この度は私に今一度機会をお与えください。暴虐の限りを尽くし、船岡の巫共々今日の民を葬り去ってご覧に入れましょう」
「だからお前は阿呆なのだ。無差別に殺戮を為すだけで屠れる船岡の一族だと思うのか」
 再び神楽男が口を挟んで言葉を繋ぐ。
「荒太郎、船岡の覡と三年前に我らが一戦交えた時の事、よもや忘れた訳ではあるまい。俺が術で何とかしたものの、お前が不覚を取ったまま反撃を許していたら勝ち目は無かったのだぞ? お前が愚かしくも無策のまま奴を攻めるから……」
「いい加減にしろ神楽男。言わせておけば俺を散々愚者呼ばわりか。己こそ妖術に頼らずば何もできぬ力無しの分際で!」
 荒太郎は神楽男を睨んで立ち上がった。喧嘩か、来るなら来いと言わんばかりに神楽男も立ち上がる。
「おやめなさい貴方達。付喪神同士で揉めて何になるの」
 それまで黙っていた末席の巫女が怒声を飛ばして二人を止めた。元が妖艶な美人であるだけに怒った顔も魅力的で、そして恐ろしい。
「そうじゃ、古文先生の前で見苦しい真似は止せ」
 古文先生の側にいる高烏帽子の神主も二人を窘める。叱られてしおらしく座り直す荒太郎と神楽男。場が落ち着いた所で巫女が古文先生に向き直って話した。
「先生、今度はこの小鈴の八乙女に京の征服の任を命じていただきとうございます」
「八乙女、お前には何か策があるのか?」
「はい。荒々しい手で民を恐れさせるのも結構ですが、暴力や恐怖ばかりが京を征する手段ではありません。人心を惑わし、我々が京を侵そうとしている事に民が気付かぬように仕向けるのです」
「どうするのじゃ? 主の得意の霊力で民を操り人形にすると云う訳でもあるまいが」
「それは秘密よ祭文の督。却って我々の仕業と気づかれにくいようにごくありふれた手段を使うとだけは言っておくけど……勿論船岡の巫が邪魔立てした時の策も練ってございますわ。まあとくと仕込みをご覧ください、ふふふふふふふふふ」
 祭文の督と呼ばれた神主が疑問を投げかけたが、八乙女は白衣の袖で口元を隠して笑ってそれ以上は答えなかった。
「(八乙女め、余程の自信があると見えるな……さてどんな策を弄する事やら)」
 古文先生は疑念と期待をない交ぜにしたような表情で愉快そうに笑う八乙女の顔を見ていたが、やがて静かに言った。
「八乙女」
「はい」
「今回はお前に任せよう。好きにやってみるがよい」
 古文先生の言葉を聞いて、八乙女は深々と頭を下げた。
「有難うございます。任ぜられたからには必ずや京を我々の手に……」

 四月のある日の夕方。大学の授業を終えた健は下宿先で従妹の直美の家でもある和風喫茶「元吉」へと帰ってきた。バイト料が入って甚くご満悦と言った顔である。
「ただいまー」
 健に矢絣の和服を着た直美が声をかけた。
「お帰りケンちゃん」
「帰りしなにクリケットのゼリー買ってきたからさ、直美も後で食べなよ。冷蔵庫に入れとくから」
「ありがとう……あ、ちょっと待って、今冴さんが……」
 直美が制止したのを聞かずに健は自分の宛がわれた部屋に一直線に行ってしまった。直美はこの後大変な事にならなきゃいいけどと不安げに健の背中を見ていて、その顔は案の定しばらくして「あちゃー、やっぱり……」と言いたそうに歪んだ。
「きゃああああっ」
 二階から響く甲高い悲鳴とドシン、ゴツンと誰かが倒れる音。着替え中の冴の下着姿を見てしまった健が廊下に突き飛ばされ、弾みで壁に強か頭をぶつけたのである。階下で何があったのかと訝る客に、直美は苦笑で答えた。
「あ、あはは……べ、別になんでもありませんよ、気にしないでください」

「全く……ここはお主の部屋ではあるが妾も居ることは分かっておるじゃろう。襖を開ける前に叩くくらいできぬのか」
 ピンクのシャツとクリーム色の短パンを身に付け、畳敷きの床に座ってプリプリ怒りながら健の買って来たグレープフルーツゼリーを食べる冴。どうやらこの服は直美から借りたらしい。直美も胸は平均的なサイズはあるとは言え胸回りが巨乳の冴には小さめで、自前のブラジャーのカップがくっきりと浮き立っている。足は生足が丸見えなのでひどく艶かしい。健は目のやり場に困って視線を泳がせていた。
「ごめんってば。これから気をつけるよ。て言うか何で冴は直美の部屋に行かないのさ。女同士なら裸見られてもどうってことないだろうに」
「こっちの部屋は一条通に面しておるからの、窓からは船岡山の向こうの景色も見える。付喪どもに動きがあれば分かりやすかろうて」
「……?」
「妾は前にも話したじゃろう。ここは古より付喪には何かしら縁のある通りじゃと。あの物語を読んだ事のあるお主なら知らぬ道理はあるまいが? 付喪が船岡山の後ろに居を構えておった事を。奴らは妾の動きに合わせて必ず動き出す。焦らずともきっと刀十郎の事が分かる時は来る。それに……」
「それに?」
「前にも話したろうが、妾は出会うた時から健殿のことは憎からず思うておったしの」
 冴は健の顔をまじまじと見て、優しげに微笑んでみせた。
「え……」
 弟に微笑みかける優しい姉を思わせる笑顔を見て健はドキリとさせられ、顔が真っ赤になっていた。
「腰抜けのようでどうして気骨もあって、弱きを助け強きを憎む武士(もののふ)の心も持ち合わせておる。そんな所は刀十郎と健殿はそっくりじゃ。故に妾はお主と一緒にいたいと思うておるのじゃぞ? もしも刀十郎の行方がこのまま知れぬなら、妾はいっそお主と添い遂げるのも悪くはあるまいとも思うておる」
 そう言って健に迫る冴の体は前屈みになっていた。切なげに訴える顔にもドキドキさせられるのに、少し視線をずらせばそこにはたわわな胸があると思うと一層健の胸は激しく脈打った。
「なっ、ちょっと、冴……」
「冗談じゃ。ふふ、照れる健殿……可愛い奴よ」
 ムードを盛り上げるだけ盛り上げておいて、あっさり落とす冴と、ずっこける健。
「冴〜」
「まあ怒るな。今のは全てが冗談と云う訳でもないのじゃから」
「じゃあどこまでが冴の本気なんだ」
「秘密じゃ。知りたければお主自身で考えてみるが良い」
 口元に人差し指を当てて、冴は健を揶揄ういつもの笑顔で言って更に続けた。
「どうしても分からぬなら一つだけ手掛かりをやろう。『お主が晩熟である限り、それは謎のまま』要はそう云う事じゃて」
「……何だそりゃ、余計に訳分かんねえよ(全く女ってのは複雑なもんだぜ)」
 これ以上男にとって理解不能な話に付き合わされるのは御免だとばかり、健は机に向かってパソコンを立ち上げた。メールと光画部のホームページのチェックをするつもりで。
「お、メール来てるな……小嶋からか。何だろう」
 健はメールボックスの新着メールをクリックした。

 山口同輩

 いつもお世話になっております。光画部の小嶋です。

 最近木屋町にオープンして話題になっている巫女カフェに稲森と行って来ました。女の子は可愛かったし、スイーツやオムライスもなかなか旨かったです。
 キャパが広いこともあって、宴会もおkということなので決起集会、もしくは新歓コンパを開催したいと考えておりますのでご一考の程よろしくお願いいたします。


 メールにはそこでウエイトレスとして働いている巫女と、有二達が一緒に写っているインスタント写真が添付されていた。わざわざスキャナで取り込んだらしい。だらしなく笑っている二人の男の間で引きつった笑みを浮かべている巫女の写真を見て、健は気分が悪くなってきた。キーボードを叩いて返信する。

 そんなイロモノ系の場所で決起集会も新歓コンパもしたくない。イロモノは俺のデビュー作だけでたくさんである。お願いだからどこか別の場所を探してくれ。

 不機嫌そうな健の横顔に気づいて、冴が声を掛けてきた。
「健殿、何を怒っておる」
 健は黙って、もう一度有二からのメールの添付ファイルを開けてみせた。
「ほほう、有二殿と巫女が一緒に写っておるな」
「どうせ偽者さ。小嶋みたいな客を釣るためだけの」
 吐き捨てるように言う健。
「偽者とな?」
「ああ、アニメや漫画やゲームに出てくる、巫女やメイド……洋風の女給なんだけど、つまりそんな感じの女の子に惚れるような奴を相手に、ウエイトレスがあんな感じの格好して給仕する店だよ。京都にも何軒かあったらしいけどどこも今一つ儲かってないみたいですぐ廃業になってるけどな。今残ってるのは京都駅の近くに一軒あるのだけらしいぜ」
「健殿はそのような喫茶店に行って嫌な思いでもしたのか?」
「そうとも。気が進まないのに奈々香や小嶋に連れられて何回か行ったよ。ケーキがそこらのスーパーで売ってるようなのでオムライスも冷食のピラフに卵載せただけ。メイドのサービスもどこか行き届いてないと来たもんだ。注文の品は間違えるわ、皿を置く時にガチャンて音立てて置くわ」
「何じゃそれは、酷くないか?」
 冴の顔が曇り、健は百年の友を得たかのように話を続ける。
「それにどいつもこいつもヲタな話で盛り上がってばっかりでな……そっちに疎い俺は一人置いてけぼりだったよ。まあ時代劇、それでなくても昔の特撮を知ってる娘でもいりゃ違っただろうけどさ。おまけに店のBGMは私はメイドで貴方のためなら料理でもいやらしいことでも何でもするわ〜とか巫女巫女ナースとか変なのばっかりでよ……奈々香や小嶋はそう云うのも好きで喜んでたけど」
「ふむん、びいじいえむのことはよく分からぬが、たださえ気が進まぬのに仲間に入れず、面白からぬ思いをさせられたとあっては健殿はいい印象を持てなかったろうの」
「誤解して欲しくないんだけど俺は京都のサ店は好きだぜ。紳士淑女の憩いの場って感じのな。常連さんも一見さんもコーヒー飲みながら落ち着いた一時を過ごせて楽しく談笑できて、BGMはクラシックかジャズで、誰も莫迦な事言ったりしたりしやしない。それをあのイロモノ喫茶は悉くぶち壊してくれる。巫女やメイドを出すくらいならそれに相応しい空間作りくらいしてもいいじゃないかって思うよ」
「成る程な」
「ま、京都にメイドカフェがなかなか根付かないのは昔ながらの雰囲気を大事にしてるサ店が多くて、俺みたいなこと思ってる客が多いからなんじゃないかって勝手に思ってるんだけど」
「そんなに酷いものかの、めいどかふぇとやらは」
「ああ、本物の喫茶の雰囲気を求めるならやめた方がいいな」
 健と冴がそんな話をしている所に来訪者があった。
「ちわー! 直美ちゃん、山口いる?」
「ええ、ケンちゃんならついさっき帰って来たわ。上にいると思うよ」
「そんじゃお邪魔します」
 来訪者は遠慮会釈もなく階段を上ってくる。健は「やばいな」と言いたそうに立ち上がって押入れに隠れようとしたが、思い直して襖に向かってデンと胡座をかいた。
「どうした?」
「小嶋が来るんだよ。用件は大体察しがつくさ。よっぽど居留守使おうかと思ったけど、ここは逃げないでガツンと言ってやらあ」
 程なく有二がやって来て、健の部屋の襖を開けた。
「やっまぐっちく〜ん、こっんにっちは、巫女カフェ行こう」
「嫌だ」
「そうか間髪入れずにお断りか。じゃあしょうがない、冴さんこんにちは、一緒に木屋町に新しくできた巫女カフェ行こうよ」
「うーむ、先程までそれについて健殿から良からぬ話を聞いておったしの。妾も行く気にはなれぬな」
 冴も素っ気無く断った。健は「俺は梃子でも動かないぜ」と目で有二に語りかけている。それでも有二は諦める素振りも見せず、廊下の向こう側に合図を送った。現れたのは……光画部部長の大村昌彦その人だった。
「やあ」
「ぶ、部長、こんにちは……」
 でっぷり太った、典型的オタク青年を絵に描いたような部長の登場で、健の顔色が変わった。
「話は小嶋から聞いたよ。何でもイロモノってだけでなくてサービスも行き届いているし、食事もなかなかおいしい店らしいね」
「ああ、でもわざわざ光画部のコンパを其方で催すと云うのは俺としてはどうも……」
「賛成しかねると言うのか。でもサービスで非の打ち所がないなら別に構わんと俺は思うよ。それに行った事もないのに他のヲタ相手のイロモノ系カフェと同じと決め付けてしまうのもどうかと思うな。今後の予定はどうあれ、行ってみてからお前の態度を決めても遅くはないんじゃないか? 俺だってまだあそこでコンパするって決めた訳じゃないんだし。車も用意して来たからすぐ行けるよ」
 何だ、部長って実は巫女好きだったのかと健は一抹の不安を感じた。しかし入会以来へそ曲がりの自分を可愛がってくれている会長には頭の上がらない健だけに、そう言われると重い腰を上げない訳にはいかない。
「分かりました。それじゃ今回だけなら付き合います」
「いやいや、山口ならきっと今回と言わず何回も行きたくなると思うぜ」
「どうだかな(アニ研と掛け持ちしてる小嶋の言うことが俺に通用するかよ)……」
 健は渋々立ち上がって、冴に目配せした。
「どうだ、冴も行くか?」
「そうよの。健殿が行くなら妾も付き合うか」
 健は財布を掴んで昌彦と有二の後に続き、冴も健の後に続いて階段を降りて行った。

「ようこそのご参拝、ありがとうございます。四名様ご案内致します」
 新しくオープンした巫女カフェ「木屋町大明神」に入ると、健達は丁重に頭を下げる巫女の出迎えを受けた。
「此方のお席にどうぞ」
 フロア担当の巫女に案内されて健達は席に座り、店内を見回した。
「ふーん、祭壇があって、絵馬も奉納できるようになってるのか。凝ってるな」
 店の奥に小さいながら祭壇が設えてあるのを見て、健は意外そうに呟いた。
「毎日決まった時間に巫女さんの舞も見られるんだぜ。流石に神楽は生演奏じゃなくて録音だけど。絵馬は八坂神社に持って行って、ちゃんと神主さんに祈祷してもらえるんだってさ」
「なかなか細かい所まで行き届いておるようじゃのう。そこまで凝るなら手水舎も拵えて欲しいところじゃが」
「参拝の前に手と口を洗う所か。さすがにそこまではコストとか客層を考えると難しいんじゃないか」
「何を言う健殿。神社を再現するならそれがあってもいいじゃろう。食事の前に身奇麗にしておいて罰は当たるまいて」
「いや、山口の言う通りだと思うよ、冴ちゃんとやら。ヲタクを取り込んで商売するとなりゃどこまでもっともらしくするかってのが難しい話でねえ、あんまり本式にすると却って敬遠されるもんだよ。メイドカフェで客はスーツやドレス着て来いって言われたら高級レストランじゃあんめーし堅苦しいのは嫌だって言われるに決まってるさ。かと言って適当にヲタ要素を取り入れたらそれはそれでインチキと怒る人もいる。客が萌える空間作りをどう構成するか、そこら辺りがこう云う商売のポイントさね」
 昌彦は懇々と説明したが、古風な考えを持つ冴には今一つピンと来ない。それにまだ分からない概念もある。
「何じゃ、その萌えるとか云うのは」
「それを説明するのもなかなか難しいな。大雑把に言えばアニメや漫画やゲーム、つまりフィクションに出てくる異性に好きだって感情を持つ事だよ」
「すると何じゃ、例えば『源氏物語』の夕顔や紫の上に惚れ込むようなものかの」
「まあ狭い意味ではね。けど、その『萌え』って感情は実在の人物や特定の職業の人達に振り向けられることもあって、巫女とメイドはその最たる……」
 そんな話をしているとまた別の巫女がオーダーを取りに来た。しかも顔見知りの巫女が。奈々香の主宰するレイヤーチーム「西陣歌劇団」の桃谷道枝である。三人のメンバー随一のナイスバディの持ち主で、定番のコスプレは「涼宮ハルヒの憂鬱」の朝比奈みくるであった。
「あら、ケン君?! 小嶋君や大村さんに冴さんも……」
「そう言うあんたは道枝じゃないか。ここでバイト始めたのか」
「ええ、巫女装束って一度着てみたかったの。似合う?」
 道枝は健に科を作ってみせた。そこで飛びついたのは別の獣だったが。
「み、道枝ちゃん、凄く似合ってるよ。うんバリバリ正統派の大和撫子って感じ? 葵祭はその格好で一緒に見に行こうよ」
 有二にモーションをかけられて困惑する道枝と、引いて他人のふりをする健達。そこでどこからか有二に鉄槌を下す巫女が登場した。
 スパーン
 鋭い音と共に有二の頭に振り下ろされるクリップボード。
「痛えな。何しやが……ああっ!?」
「お客様、当店はナンパ禁止となっております」
 辛うじて怒りを堪えている調子で言う巫女。その正体は健とはまあまあの相性であっても有二にとっては天敵の奈々香だった。
「奈々香もいたのか。いや、毎度暴走させて済まないな。俺から言って聞かせておくよ。だから暴力沙汰は……」
「ケンが謝ることないわ。こいつの暴走はどうしようもないもん」
 この莫迦をどう料理してくれようかと睨む奈々香だったが、健と道枝の窘めるような視線で渋々ながら矛を収めた。
「ここは皆のための場所よ。それくらいは覚えておいてよね」
 それだけ言い残して去る奈々香。当の道枝に片想いの男(少なくとも有二ではない)がいるらしい事は遠回しながら健も知っていたし、どうやら奈々香は親友を害虫から守っているつもりでいるらしい。
「それじゃオーダー頼むわ。俺は腹減ってないからコーヒーだけでいいけど」
 健がその場を取り繕い、オーダーを通すと美知枝は厨房に引っ込んだ。
「今ので妾は『萌え』の何たるかが漠然とではあるが分かったな」
 苦笑混じりで冴は呟いた。
「妾ももしかすると有二殿のような輩に『萌え』られて付け狙われているかも知れぬ。向こうから手を出さぬ限りは構わぬが。なれど……」
「ん、どうした?」
 途中で口を噤んだ冴に健は問い掛けたが、
「いや、何でもない」
 冴はそこで黙ってしまった。冴がその前に隣の健をチラリと見ていたのは健の思い過ごしであっただろうか?
 やがて注文した料理が道枝によって運ばれて来た。一緒に絵馬が四枚付いている。
「お待たせ。今なら開店フェア特典で無料で絵馬が付いてるの。お願い事を書いて奉納してね。八坂神社でそれが叶うように祈祷してもらうから」
「うんうん、道枝ちゃんがそう言うなら書いちゃうよ」
「小嶋……」
「ううん、別にいいよケン君。それよりケン君も何か書いていって」
 健は有二を窘めようとしたが、道枝は別に気にする風もなく笑顔で健にも絵馬を書くことを勧めた。
「まあこんな所もあんまりないことだし、俺も付き合うか」
 健はアンケート記入用に用意されていたボールペンを取った。冴と昌彦もそれに倣って、各々は絵馬にこんな心願を書いた。

「弟が無事見つかりますように 船岡冴」
「今年こそは俺の撮りたいと思う作品を作れますように 山口健」
「道枝ちゃん俺に振り向いて 小嶋有二」
「今年も皆がいい写真を撮ってくれますように 大村昌彦」

 四人を代表して健が美知枝に絵馬を渡した。それを受け取り、厨房へと戻って行った美知枝が心なしか嬉しそうな顔をしていたことまでは気づいていなかったけど。
「(うん、確かにコーヒーはうまいな。他の事も考えてあるのは偉いか……俺は通う気にはなれないけどな。だってイロモノだし)」
 わざわざ伏見まで汲みに行った水で淹れたと云う能書き付きのコーヒーを飲みながら、健は思った。
「皆様、本日は木屋町大明神にご参拝いただき誠にありがとうございます。只今より皆様のご多幸をお祈りして当社の巫女による舞を奉納させていただきます」
 店内にアナウンスがかかり、祭壇の両脇に置かれていた篝(かがり)に火が灯されて巫女が二人登場した。奈々香と道枝である。
「おおっ、みち……んぐ」
「もうそれぐらいにしとけ。お前さっき奈々香に怒られたろうが」
 美知枝の登場にはしゃぐ有二の口を健が押さえた。
「そうだ、大人しくしとけ。出入り禁止になるぞお前」
 昌彦も有二を窘める。アナウンスに続いて神楽がかかり、それに合わせて奈々香と道枝が舞を始めた。

あけの雲わけうらうらと
豊栄(とよさか)昇る朝日子(あさひこ)を
神のみかげと拝(おろが)めば
その日その日の尊しや


「豊栄の舞か。凝っておるのう」
 冴が言った。
「冴、これって有名な舞なのか? この神楽、初詣で聞いたことあるけど」
「初詣だけではない。結婚式や豊穣祭でもこの舞は奉納されておるぞ」
「ふーん、これってそんなにメジャーだったんだ」
「振り付けも本式よの。妾から見れば余り上手いとは言えぬがそれなりに厳しく仕込まれたようじゃな」
 冴の言った通り本職ならではの優雅さはなかったが、本格的に神社の要素を取り入れていたことは健にも窺い知れた。
「(ここのオーナーはよっぽど研究したみてーだな、よそのイロモノ喫茶の二の舞だけはしないようにって。俺は飽くまでここでコンパはしたくないけどな……)」


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