第四話 我輩はカモである(前編)
B-Part
「では各班は遅くとも新歓コンパの直後までには企画書を俺まで提出するように。毎春恒例の撮影会をスムースに運営するためにも早目早目の準備をしておきたいからね。何なら平野神社や天神さん(北野天満宮)で花見とかそんなシンプルなのでも構わない。その中でどれがいいかみんなで決めていこう。俺からは以上だ。君達から何か話しておきたいことはないか?」
部室棟の中にある光画部の部屋。週に三回、ここでは昌彦を議長にした会議が持たれている。基本的に出席自由だが、こと写真に関して真面目な姿勢の健は律儀に毎回出席していた。
「なければ今日は解散する。お疲れ様」
昌彦が会議の終了を告げ、集まっていたメンバーは三々五々散っていった。この後はメンバー数人が一緒に食堂で夕食を食べながら適当に話すか、誰かの下宿でもう一度集まって宴会するか、部の備品のパソコンや暗室を使って写真の処理をする段取りになっている。そして部長の昌彦は甚く楽しそうに立ち上がって、鼻歌を歌いながら出て行った。健はその場に残っていた副部長を捕まえた。
「福本先輩」
「ん?」
「最近の部長、少しおかしいと思いませんか」
「分かるか。俺もこの間から大村がいつもと違うように思ってたんだ。ずっと授業は真面目に受けてたのにここ最近はいつも授業中は何か無気力そうで話聞く気もないし、会議の時も話し方がせっかちで一刻も早く終わらせたそうなんだよな」
「ええ、話してることはまともだけど、そわそわしてる感じですよね。それで会議が終わったら楽しげに部室を出て行ってますし」
「女でもできたかな……いやそれはあり得ねえ。あいつにとってのヒロインはほしのあきだしな」
福本一平はそう言って可笑しそうに笑った。昌彦とは対照的にヲタクとは程遠い爽やかそうな光画部副部長で、彼とは高校以来の同輩で短からぬ付き合いもある。
「それだけじゃありません、小嶋や稲森もあんな感じなんですよ。何か俺が話振っても聞く気なさそうで、どこか上の空なんですよね。授業も真面目に聞いてませんし」
「それはお前がやたらとフィルムで写真撮ろうってうるさいから避けられてるんだろ」
「……」
少し前までは表向きはそんなことはなかったものの、それも一理あるかもしれないと思って返す言葉のない健。確かに去年の奈々香達をモデルにしたコスプレ写真以上のヒット作をフィルムで撮りたいと思ってはいたものの、デジカメで写真を撮るのは自分が乗り気でないことを部員に読まれていたのだろうか。
「お主ほど分かりやすい者も珍しい」
とは冴が自分を揶揄う時の常套句だし、人より読心術に長けている冴ならずとも自分の思いが態度に出ていたなら……。
「お前は今更フィルムで写真を撮りたいと抜かすへそ曲がりなりに腕が立つ写真家なんだし、拘りを捨てろとは俺はもう言わん。だが程々にした方がいいぞ。お前だけで光画部やってる訳じゃない事、それから大村は腕の立つお前さんに特別に目をかけてやっているって事への感謝の気持ちを忘れるな」
「はい、重々肝に銘じておきます。さて、帰って企画練って来ますか」
「ん」
健は春先からいろいろあってできなかった分を取り戻そうと云う決意を胸に部室から出て行った。だが帰って来た健を待っていたのは不測の事態である。
「あ、ケンちゃん、悪いけどお店手伝って。修羅場の間だけでいいから」
元吉では既に冴が右往左往していて、厨房の中では直美と美春が次から次へと料理を作っていた。
「伯父さんは?」
「お父さんは商店街の臨時の会合で留守なの。木屋町まで行って来るって」
「よし分かった。今着替えて来るよ(あーあ、これでまた自由な時間が取れなくなったな)」
夕食の時間帯の元吉は多忙を極め、案の定健は他の事を考える余裕もないほど忙しく立ち回らされる事になった。そして翌朝には更に恐ろしい事件が待ち構えていたのである。
「おはよう直美」
「おはよう」
「おはようケンちゃん、冴さん。パン切らしちゃってて、今お母さんが買いに行ってくれてるからもう少し待ってて」
直美はレンジの前でオムレツを作っていた。そして程なく美春が帰って来たが、その顔は曇っていた。
「ただいまー……どうしてだかパン屋さんが軒並み臨時休業だったわ」
「えっ?」
「店はシャッター降りてて、『本日臨時休業』って書いた張り紙が張ってあるだけなのよ」
「何があったんだろうね。昨日の会合とやらで店の人が飲み過ぎて店開けられないとかじゃ……」
「ううん、そんなことないわケンちゃん。うちの商店街のパン屋さんはどんなに辛そうでも滅多な事で休むなんてなかったもん」
「なれど店が閉まっておるとなれば仕方あるまい。妾が千本通まで足を伸ばして買って参ろうか」
「お願いできる? 済まないわね。じゃあ食パン一斤買って来てちょうだい」
「いや、お安い御用じゃて。では行って参る」
「行ってらっしゃい」
美春は冴に千円札を渡して、お使いに出て行く後ろ姿を見送ってから表情を変えた。
「さて、お父さんにも起きて貰いましょうか。会合でベロベロになって帰って来たけどこっちもそれで寝たきりじゃ困るしね……お父さん、お父さん、起きて朝御飯食べてお店の準備してくださいな」
「う〜……今日は起きたくない」
「何言ってるんですか。お父さんが居ないとどうしようもないでしょ」
「何か働きたくないんだな俺」
「莫迦なこと言ってないで起きてちょうだい、ほら」
「あー……」
伯父の部屋で繰り広げられている夫婦のやり取りを聞いて健は苦笑し、そして言った。
「直美、俺今日の講義は午後からだからそれまで開店準備手伝うよ。冴もいるしな」
「ありがとう……でもお父さんもお酒飲んでも二日酔いでもちゃんと普段通り仕事してたし、どうしちゃったのかしら」
健に礼を言いながらも、何かおかしいと思わずにはいられない直美だった。
「こんにちは。あれ、部長は?」
授業が終わって、健が光画部の部室に入ると、そこにはパソコンで画像データを弄っている一平しかいなかった。会議のない日でも昌彦と一平はいつも部室に屯して写真、カメラ談義に耽っているはずなのに昌彦がいないことに健は違和感を感じた。
「今日は来てないよ。昨日の夜いきなり呼び出されて飲み会に付き合わされたけどそれからどうしたか分からないんだ。二日酔いかと心配して携帯かけてみたけど繋がらないし、下宿行ってみても留守で行方知れずだ。一体どこで何やってんだかなあ……あ、山口」
「はい?」
「実は……あー、いや、何でもない」
一平は何かメッセージがあって伝えようとしたものの、思い直して口を噤んだ。
「何ですか。呼ばれたのに何でもないって言われると気になるじゃないですか」
「いや、お前が知ったらきっと卒倒するような話だ。知らない方がいいんじゃないかと思ってな」
「一体何なんですか。去年一年で俺は大抵のことは経験しました。今更何があっても動揺しませんよ」
「よし、じゃあ話そう。実は明日の新歓コンパなんだが……昨日の深夜に昌彦の下宿であった飲み会であいつの一声で決まったんだが、木屋町の巫女カフェですることになったんだ」
健はそりゃ一体どうしたことだと言いたそうに顔を顰め、一平は話を続ける。
「言わんこっちゃない……あー、何でもあそこの若女将と昌彦が仲良くなったそうでな、格安で宴席をセッティングしてもらえることになったらしい。俺も正直あんな所でコンパするのは気が引けて反対したんだが、昌彦があんまり熱心にあそこでやろうと言って聞かなくてな……おい山口、聞こえてるか?」
健は卒倒こそしなかったものの、手を床についてガックリしていた。
「何が悲しくてそんな所で……アニ研や現代視覚文化同好会じゃあるまいし」
「何か夕陽が嫌らしい色になってら……不吉な予感がするぜ」
大学からの帰り道、夕焼け空を見ながら健は呟いた。商店街に入ると健の不安は余計に深くなった。雑貨屋、花屋、洋服屋、漬物屋、ラーメン屋……普段ならどの店も客の結構いる時間帯なのに妙に静まり返っている。シャッターを降ろして「臨時休業」の張り紙を出してある店も一軒や二軒ではない。健は言いようのない不気味さを覚えた。
「(一体どうしちまったんだ。伯父貴と言い、会長と言い、他の商店街の店と言い)」
健は入るともなしに開店だけはしている荒物屋に入ってみた。
「なあ、しんどいのに無理して店出る事もないやんか」
「何言うてんの、あんたが店出んかったらどうしようもないやん」
入るなり聞こえて来たのは夫婦喧嘩の声。健が奥に入ってみるとこの店の中年の女性が顔を出した。
「あら山口君。どないしたん?」
「あー、いえ、何か悪い時にお邪魔したみたいで……」
「いやいや、それはかめへんねんけどうちの人何でか昨日の商店街の集まり行ってから店に出たがらへんのよ。理由聞いても『仕事したない』しか言えへんし。酔っ払いみたいにヘロヘロになってるし。何か買うもんあったらおばちゃん売ったげるで?」
「あ、いえ、今日は失礼します」
「ちょっと、山口君?」
「(伯父貴も似たような事言ってたっけ……これはきっと何かあるぜ)」
逃げるように荒物屋を出た健。不意に後ろから声が掛かる。
「健殿……健殿!」
「うわ、びっくりした……冴か」
健が振り向いた先に立っていたのは冴だった。背中に荷物がぎっしり詰まって膨れ上がったリュックを背負っている。
「今帰って来た所じゃな。妾も買い出しから戻ってきた所じゃ。商店街の店が軒並み閉まっておるか、開いておる店も店主が気力を失うておっての。千本通の店も似たり寄ったりじゃ。故に西の京の業務すうぱあまで足を伸ばして来たのじゃよ」
「何か伯父貴が会合とやらに行ってから、この界隈の様子がおかしいよな。大学でも普段勉強する気のない奴がいたりするし。どうしちまったんだろ」
「さあな」
「とにかく帰ろう。あ、荷物持つよ。長い道中で疲れただろ?」
「これしきの荷物は別に知れておるが……健殿が持つと言うなら半分ほど持って貰おうかの。忝い」
冴はナップザックを下ろし、大きなビニール袋を二つ取り出すと健に手渡した。
「うん、重いのは重いけどこれなら大丈夫だ。さあ行こうか」
「うむ」
そうして元吉に帰ってくるなり、冴と健は殺伐とした現場に出くわした。
「お父さん、いいかげんにしてください」
「うるせえな、俺は何もしたくないんだ。放せ!」
店の奥から聞こえてくる夫婦喧嘩の声。健の物問いたげな視線に直美が答えた。
「お父さんお店開けてからずっとあんな調子なの。店に出たがらないで布団に潜り込んでばっかり。お母さんはカンカンに怒っちゃうし」
「嘘だろ。仕事には熱心なはずの伯父貴がさぼりたがるとは思えねえよ」
「……先ずはこの諍いを止めた方が良さそうじゃな」
冴は荷物を置くと二階に上がって、義郎の寝室に行った。布団から出たがらない義郎と引っ張り出そうとしている美春が騒いでいる。
「念!」
冴は手を組んで印を結び、気を送るように掌を義郎に翳した。
「ううっ」
途端に義郎は低く唸って、ヘナヘナと脱力して眠ってしまった。
「冴、伯父貴に何をした」
「案ずるな、殺したり気絶させたりした訳ではない。霊力を送って眠ってもらっただけじゃ。明日の朝には何事もなかったように目を覚ますじゃろう」
「で、伯父貴は一体何でこんなになっちまったんだろうな」
「さあ、それは疑問じゃな」
「まさか付喪に呪いでもかけられたか?」
「有り得る。なれど本当にそうなのかはまだ分からぬな。はてさて……」
冴は困ったような顔で、仰向けに倒れた義郎の側に立っていた。
第伍話に続く
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