第伍話 我輩はカモである(後編)
 

B-Part

 人の気配がなく、辺りを照らす灯りも塀の向こうの街灯以外にはない「木屋町大明神」の裏に出て来た巫女が二人。道枝と祐子である。彼女達の前にあったのは壊れて大型ゴミに出すのも忘れたきり放置されているような古ぼけた業務用冷蔵庫。そこから不気味な唸り声とドスンドスンと内側から扉を叩くような音が響いているのに祐子が気づいた。
「みっちゃん……」
「ええ、きっとここだわね……開けるわよ、準備はいい?」
「ええ」
「「せーの、よいしょ!」」
 二人は冷蔵庫の取っ手に手を掛けて、勢い良く扉を開けた。
「んぐぉっ!?」
 ドシーン
 冷蔵庫の中から動揺したような悲鳴と共に巨大な芋虫が出て来て、地面に倒れた。芋虫はモゾモゾと頭を動かし、顔一面にガムテープをベタベタと貼られた人間の頭をニョッキリ生やした。
「きゃあ」
 吃驚する道枝とは対照的に、祐子は落ち着き払って芋虫に駆け寄った。その正体が誰なのかをちゃんと分かっているかのように。
「ケンさん、大丈夫?」
 祐子はそう言って顔見知りが現れた事を告げておいて、顔に付いているガムテープを剥がす。
「ふぐっ、あぢ、いだだだだ……内苑、そこにいるのは内苑なのか?」
 祐子は答える代わりに、無言で健の眼鏡に貼り付いていたガムテープを剥がしてやった。健の目の前にいたショートカットの女性は間違いなく顔なじみの女子大生レイヤー、内苑祐子である。傍らに心配そうに健を見守る道枝も立っている。
「奈々香から私の携帯にメールがあったの。ケンさんが狸みたいな化け物に襲われて、簀巻きにされてここの冷蔵庫に閉じ込められたって」
「そうか。偶々俺が襲われてる現場を見て、機転を利かせてくれたんだな。それがなけりゃあ明日には俺は窒息死してた所だったぜ。ありがとな、内苑に道枝」
「うん、ケン君が無事で本当に良かった……」
 泣きそうなのを堪えて道枝が言う。
「いや、まだ体の自由が利かないんだけど俺」
「あっ……」
 健のツッコミでうっかりしてたと慌てる道枝と祐子。彼女達がきつく丸結びされた紐と悪戦苦闘している所に、
「健殿……健殿!」
 パタパタと足音を響かせて、冴が駆け付けて来た。
「さ、冴!」
 待ち人の存在に気付いて、健は捲し立てる。
「良かった……早く、早く俺を縛ってる紐を解いてくれ」
「ああ、待たせたな健殿。今解放してやろうぞ」
 冴は袴の裾をめくり、腿に帯で留めている護身用の短刀を出して健を縛っている紐をプツリと切った。拘束を解かれて自由を楽しむように手足をブンブン振り回す健。
「ありがとう冴」
「礼には及ばぬ。それでお主はどうしてこんな所におったのじゃ?」
「宴会がウザかったんで逃げて来てな、別の座敷を通りかかったら怪しげな声が聞こえてきたんだ。変化大明神がどうとか言ってたよ」 「何と、変化大明神とな? それで……」
「襖を開けてみたら巫女が神像の前でお客を相手に怪しげな儀式をしようとしてた。で、祈祷してもらった人達は伯父貴みたいに気力無くして出て行ってたよ。それでお客の中に知り合いがいて、連れ出そうとした所を巫女に見つかって、手下の狸みたいな化け物に捕まって酒を無理矢理飲まされて、簀巻きにされて冷蔵庫の中に閉じ込められたんだ。死ぬ前にこうして道枝と内苑が助けに来てくれたけどな」
「そうか、何はともあれ健殿が無事で良かった……ところでお主、酒は飲めないのではなかったかの。以前に飲むと目が回ると言っていた割には元気なようじゃが」
「あれ、そう言えば気分全然悪くねえや」
 そこで満足げに笑う冴。
「妾の作った煎じ薬が効いたようじゃな。飲んでおいて良かったの、健殿」
 結果オーライだからそんな事言ってられるんじゃないかと健は思ったが、また顰蹙買って怒らせると不利になるのは自分だと思って改めて言った。
「冴、中谷のおやっさ……いや、あの怪しい儀式に参加させられてる人達を助けてくれ。伯父貴や商店街の人達みたいな人がこれ以上増える前に」
「分かった。健殿、その儀式が行われている場所に案内してくれぬか」
「よしきた。ところで奈々香はどうしたんだろ」
「さあ?」
「変ね、後で合流しようってメールにはあったんだけど」
「……」
 健は嫌な予感を感じた。自分を拉致した化け物を追いかけていて、勘付かれて捕まったのではないかと。読心術に長けている冴は健の予感を目だけで感じ取ったようだが、それに気づかないかのように先を促した。
「急ごう、幾人もの民に危険が迫っておるのじゃ」

「お集まりの皆様、ご低頭願います。これより変化大明神様の祝福の儀式を執り行わせていただきます」
 怪しげな神事が行われている座敷。大層な美人でグラマラスな巫女は右手に鈴を持ち、テーブルの前で頭を垂れている出席者の頭上でシャンシャンシャンシャンと鈴を鳴らして回っていた。
「そうです、日々の憂いを忘れ、変化大明神様に身も心も委ねて下さい。そうして何もかも忘れて変化大明神様の膝元で……あら?」
 バンッ
 荒々しい音と共に襖が開かれ、乱入者が現れた。
「そこまでじゃ。怪しい儀式を止めろ、小鈴の八乙女!」
「やいやい、よくも俺を冷蔵庫に監禁してくれたな」
「街の人達を腑抜けにしたのは貴女なのね」
「でも貴女の悪巧みもここまでよ」
「とうとう現れたわね、船岡の巫さん」
 小鈴の八乙女は冴とその顔馴染の一般人が現れて啖呵を切っても動揺する素振りも見せない。それどころか不敵な薄笑いさえ浮かべている。
「京の民を誑かして無気力にし、あまつさえ健殿を簀巻きにして監禁したお主の悪行、妾は許さぬ!」
「ああら、許さなければどうだと言うのかしらね?」
 八乙女は手に持っていた鈴を軽く振った。シャンシャンと云う音に反応するように冴の後ろでピシャリと襖が閉じる。
「決まっておろう、船岡の一族の名においてお主を成敗してくれる。妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
 冴は懐から数珠を取り出して念じた。しかし何も起こらない。
「(何故じゃ、何故一蓮は妾の思念に反応せぬ?)」
 動揺する冴に、八乙女は楽しそうに言う。
「ふふふ、その出しゃばり坊主さんの力なら封印させてもらったわ。この部屋に張った結界を使ってね」
「何?」
「武芸にも秀でる船岡の一族の事だから体術で我らを痛めつけることはできても、霊力さえ封じれば調伏する事まではできないでしょう。まして物理的な攻撃で受ける痛みなど、高位の妖の我らには大した痛手でもなし。さあ、今度は此方から行くわよ」
 シャンシャンシャンシャンシャン……
 八乙女は再び右手に持っていた鈴を鳴らした。祭壇にかかっていた注連縄が蛇のようにスルスルと動き出し、冴めがけて蠢いていった。
「妾を搦め取るつもりか。なれど妾を捕えるなど……何っ?」
「甘いわね、それっ!」
 冴はジャンプして自分に向かって来た縄をかわそうとしたが、八乙女はそれに合わせてもう一度鈴を振った。もう一本の縄が冴の背後に伸び、冴は胴を縛り上げられて体を持ち上げられ、宙吊りにされてしまった。
「おほほほほほ、良い様でなくて? その名だけで我らの残党を震え上がらせた船岡の一族の巫が、縛られて宙ぶらりんとはね」
 冴は八乙女を睨み付けたが、八乙女は別にそんなの怖くないわとばかり楽しげに笑う。
「おのれ、冴の力を封じて攻撃するとは卑怯な真似しやがるぜ」
「ふん、卑怯も長岡京も平安京もあるものか。京の地を征するためなら手段を厭わぬのが我らのやり方よ。まして船岡の一族が相手ならばな!」
 健の抗議に今度は八乙女の傍らにいた、狸を模して作られたような妖怪が答えて前に出て来た。
「さっきも鼠を一匹捕まえたが、今度もまた我らの邪魔になりそうな者がいるようだな」
 妖怪は更に言葉をつなぎ、八乙女に目配せして、八乙女は頷いて言う。
「ええ、私もこれ以上邪魔立てされたくはないわ。少しの間静かにしていてもらいましょうか」
 シャンシャンシャンシャンシャン……
 八乙女の鈴と共に再び祭壇から縄が伸びて、健達目掛けて進んで来た。
「みんな、バラバラに散って逃げろ」
「「ええ」」
「甘い、それ位は想定内よ」
 シャンシャンシャンシャンシャン……
 八乙女は更に鈴を振って縄をもう二本追加した。それぞれが別方向に逃げようとしていた健、道枝、祐子に伸びて彼らもまた冴同様に宙吊りにされてしまった。
「くそっ、何しやがる」
「痛いよ、この縄解いてよぉ」
「騒ぐな、お前らが騒ぐと船岡の巫の命はないぞ、勿論その後でお前らも殺してやるがな」
「私は船岡の巫を倒すこの好機を逃したくないのよ。今しばらく静かにしていてちょうだいな」
「待って、一つだけ教えて」
 それまで黙っていた祐子が口を開いた。
「鼠が捕まったってさっき言ってたけど……それって奈々香なの?」
「奈々香? ああ、うちで働いてる巫女ね」
「俺がそこの小僧を始末しようとしている所を覗いていたので捕えた巫がいるがそいつのことかな」
 古狸は祭壇に顎をしゃくった。供物台の上に野菜や果物に混じって巫女装束の奈々香が寝かされているではないか。

 酒漬けにされてぐったりした健を担いで、店の裏手へ悠然と歩いていく古狸。怪しい儀式の現場に健が踏み込んで、古狸に追い掛け回される様子を偶然見つけた奈々香はこっそりとその後をつけていた。そして自分の携帯電話で道枝と祐子にメールを送った。健を助けてあげてくれと。
 送信が終わった途端、奈々香は肩に何か落ちてきたのを感じた。それを払いのけて足元に落ちたのは足の長い、体長八センチ程もある大型の蜘蛛だった。
「きゃあっ!」
 自分が苦手な動物を見て悲鳴を上げたのが運の尽き。
「誰だ!」
 見つかった奈々香は逃げる間もなく健に続いて捕まって、古狸が腰に下げていた瓢箪の先端を口に押し込まれて酒を流し込まれる羽目になった。
「んぐぐ……(く、苦しい……ああ、随分強いお酒だわ……何か頭がボーッとなっちゃう)」

「奈々香!」
 祐子が悲痛に叫ぶ。
「口封じのために殺そうと思ったが、これ程の見目良い女子を簡単に殺すのも忍びぬと思ってな。酔わせて眠らせて変化大明神様の生け贄に捧げさせていただくことにした。儀式の後で他の供物と一緒に護摩壇で燃やしてくれよう。変化大明神様の御前で死ねると云う最期を用意してやった事に感謝するんだな、わははは」
「はい、閑話はこれでお終い。古狸、船岡の巫を存分に弄んでおあげなさい」
「御意!」
 古狸は喜び勇んで冴に駆け寄り、背後から抱きすくめた。
「船岡の巫、ここでお前が大人しく降伏するならあいつらも一緒に放免してやるぞ」
「ふざけるな、痩せても枯れても妾は船岡の一族じゃ。お主らに屈する気はない」
「そんな強がりを言っていられるのもいつまでかな? ふふふふふふ」
 古狸の手が冴の足を抑え、もう片方の手が縄で持ち上げられている冴の乳房に伸びて来た。
「な、何をする。やめろ」
 冴は体を捩って抵抗するが、古狸は感触を楽しむようにその手に余る冴の乳房を揉んだ。
「あらあら、目尻からうっすら涙が出てるわよ。船岡の巫さん。他の人に胸を触らせるのはこれが初めてなんでしょうね。貴女の恥辱に歪む顔の何て素敵な事。古狸、もっと彼女を恥ずかしい目に遭わせてあげてもいいわよ」
「ぐへへ……」
 古狸は尚も冴の乳房を揉む手を止めず、更に胸元を緩めて脱がせて直に触ろうとする。
「おのれ、やめぬか助平狸め」
 健は冴と同じように宙吊りにされて何もできない悔しさに腹を立てていたが、ふとある記憶が閃いた。
「(そう言えば奈々香って酔っ払うとあんなことする癖があったよな。今は酔いつぶれてグタってなってるみてーだけど、もしも少しでも酔いが醒めてたら……)」
 健は以前にあったことを回想し、意を決して祭壇に向かって叫んだ。
「奈々香ーーーーーーーーーーーーーー!」 「うーん……」
 健の声に反応して、祭壇の上の奈々香がモゾモゾと体を動かした。更に叫ぶ健。
「お前の好きそうなナイスバディの娘がいるぞーーー、降りて来い!」
「え、どこ、どこにいるの?」
 健の声が届いた途端、奈々香は急に元気が出たように飛び起きた。
「健殿、もしやお主……」
「小僧、お前は一体何を考えてる」
「(まあ見とけ)」
 健はニヤリと笑って、冴と古狸の疑問に目だけでそう答えた。そして祭壇を降りてきた、まだ古狸に飲まされたアルコールが残っている奈々香は八乙女を見つけると、そっちに突進していった。
「あらー、貴女揉み心地のよさそうなおっぱいしてるじゃな〜い。ちょっと触らせてよ。女同士だし別にいいでしょ?」
 嬉々として飛びつこうとする奈々香に怯む八乙女。
「な、何よいきなり、そんな事……きゃっ?!」
 八乙女は不意をつかれて奈々香に背後を取られ、白衣越しに両方の乳房を鷲掴みにされた。
「んふー、柔かくて適当に張りもある極上のおっぱいだわー。きっと先っぽはキュッて上向いてるんでしょうねぇ」
「ひゃああああ……や、やめて、私胸は弱くて……ん、くっ、はううん」
 乳房を揉まれてゾクゾクと体の芯から沸き起こるおかしな感じに八乙女は脱力してしまい、持っていた鈴を落としてしまった。
「む、縄が……」
 自分を縛り付けていた縄が緩むのを感じた冴は体を捻った。スルスルと縄が緩み、冴は縄から抜けて自由の身になることが出来た。健、道枝、祐子を縛っていた縄も緩んで彼らも解放された。
「ぐわっ」
「八乙女、どうやらお主が鈴を手放した事で結界の力が弱まったようじゃな」
 古狸に肘鉄を食らわせてぶっ飛ばし、不敵な笑みで八乙女に語りかける冴。
「俺の思惑通りだ。小鈴の八乙女さんよ、奈々香に酒を飲ませてたのが間違いの元だったな。奈々香は酔っ払うと他の女の子の胸を触りたがる癖があるんだ」
 健が追い討ちをかける。執拗に奈々香に胸を揉まれている八乙女は言葉を返さなかったが、自分の負けを悟ったように顔を顰めていた。
「これで形勢は逆転したな。今度は妾から行かせてもらうぞ」
 冴は懐から一蓮を取り出して念じた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
 今度こそは一蓮は眩しい光を帯び、その光は二本の棒に形を変えて冴の手の中に収まった。
「ほう、太鼓の撥か……成程、これで太鼓を叩けと云うことかの」
 冴は横目でチラリと古狸の腹を見た。冴の思う所を察して古狸は逃げようとしたが、健に後ろから羽交い絞めにされてしまう。
「俺も個人的に殺されかかった恨みがあるんでな。その分の借りは返してもらうぜ」
「でかしたぞ健殿」
「う、うぬぬぬ……」
「さあて、お主を調伏してやろうかの。無論妾を辱めた礼もさせてもらうぞ」
 冴は古狸の前に立って、撥を両手に持って構えた。
「よ、よせ船岡の巫、お前の力で俺の腹を叩かれたら腹が破裂するではないか」
 ドンッ
 冴は古狸の抗議も無視して撥で古狸の腹を叩いた。雅楽の太鼓のような重厚な音が響く。
「うむ、なかなか良い音じゃ。このまま調伏するのは勿体無い程にの」
 ドン、ドン、ドンッ……
 尚も雅楽を演奏するように撥を古狸の腹に打ち付ける冴。テンポは決して速くはなかったが、その分一打一打に力が込もっているようで、叩かれる度に古狸は苦しそうにギャアギャアと悲鳴を上げていた。
「なあ冴、そろそろこいつ喚くのがうるさいんだけど」
 健が古狸の肩越しに意地悪そうに言った。冴は「言いたいことは分かった」と言うように無言で頷き、撥を高々と振りかざした。
「在るべき物に還るが良い……はっ!」
 ドドーン
 冴は止めをささんと腕を高く上げ、振り下ろした。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアー」
 古狸は光に包まれて消滅し、健の足元には黒くてずんぐりした形のウイスキーの瓶が転がっていた。
「や、やめて、そんな事……ひゃう、あ、んんっ」
 一方で小鈴の八乙女はまだ奈々香に胸を揉まれ、とうとう胸元を肌蹴られて直に乳房を揉まれていた。
「(あいつも好きだねえ)」
 健はエロい光景を男の好奇より呆れたような目で見ていた。道枝と祐子も苦笑している。
「お、おのれ、よくも男に私の裸を晒したな……このっ、いい加減にしろ」
「きゃんっ」
 恥辱と怒りで顔が真っ赤になった八乙女はやっとの思いで奈々香を振り解いて、慌てて胸元を閉じて冴に凄んだ。
「今日は潔く負けを認めるわ。だけど次はこうはいかないから。覚えてらっしゃい」
 八乙女は憤然と冴に背を向け、闇の中に姿を消してしまった。途端に周辺がザワザワと騒がしくなる。術をかけられていた人々が正気づいたのだ。程なく襖がガラリと開いて、昌彦以下光画部の面々が面妖な顔で健を見た。
「山口、今までこんな所で何してたんだ? もう帰るぞ」

 数日後、健が大学から帰って来た時の事。
「「「「ようこそのお参り、ありがとうございます」」」」
「なっ……」
 いつもと違う雰囲気に何事だと動揺する健。そして彼を出迎えたのは巫女装束の顔馴染の女性陣であった。
「おい直美、こりゃ一体どう云うことだ」
「あたし達がバイトしてた巫女カフェ潰れちゃったでしょ? 今日だけでいいからこの格好でバイトさせて欲しいって伯父さんにお願いしたのよ」
 苦笑したまま答え倦んでいる直美に代わって奈々香がサラリと答えた。
「いやー、俺もあれからまだ体本調子じゃないし、たまにはこう云うのもいいかと思ってね。この間会合行った店、なかなか良かったと思ってたしねえ」
 声のした方を見ると義郎がヘラヘラ笑いながら道枝に給仕してもらっている。
「ちょっと、この店は純然たる和風喫茶のはずでしょう?! 何が悲しくてこんな……」
「まあそううるさく言うでない。偶には良いではないか。お客を持成したいと云う思いは皆普段通りなのじゃから」
 そう言って罷り出て来たのは奈々香達同様いつもの巫女装束を着た冴である。手には大きな俵型おにぎり程もあるおはぎの乗った皿を持っていた。
「妾が健殿のために拵えておったおはぎじゃ。座ってこれでも食べて落ち着け」
「はい、お茶も入れてあるわよ。そんな怖い顔してないでいつもの優しいケンちゃんに戻ってちょうだい」
 直美はお茶の入った湯呑みを健の前に置いて、「ケンちゃん私のお願いを聞いて」の顔をしてみせた。
「ん……」
 直美がそう言うならと健は席に着いた。言いようのない敗北感を感じつつも。
「何じゃ健殿、浮かない顔をしおって」
 健は余計気まずそうな顔になって何も答えない。
「何とか言わぬか。手段は些か外道とは言え、妾を窮地から救ってくれた健殿には感謝しておるのじゃぞ。このおはぎはその礼も込めて作ったのじゃ。遠慮せずに食べるが良い。何なら妾が食べさせても良いが……」
 そこでビクッとなる直美と奈々香。どうやら「外道」の二文字に反応したらしい。
「け、ケンちゃん、一体この間何があったの?!」
「ケン、あんたやっぱり紳士の顔しててムッツリなのね」
 健の顔からサーッと血の気が引いていった。
「(げ、奈々香酔っ払ってた時のこと覚えてねえのかよ)いやいや、俺は冴も俺達も絶体絶命のピンチの中で、そう言えば奈々香がいれば何とかなるかもしれねえって咄嗟に思って……ああっ」
 健がうっかり漏らした一言で奈々香の眉がキッと吊り上った。
「あたしがどうしたって?」
 健は後悔したがもう遅い。
「ケン、まさかあたしにセクハラしたんじゃないでしょうね。返答次第では只じゃおかないからね」
 健は冴に視線を送ったが、冴は取り合わない。
「妾に助け舟とな? 情けないぞ健殿。お主も男なら自分で窮地を切り抜けぬか」
「「さあ、あの夜何があったか詳しく説明してもらいましょうか」」
 直美と奈々香に詰め寄られて言い訳に苦しみながら健は心の中で泣き出した。
「(もうイロモノ喫茶は懲り懲りだよ。二度と行くもんか!)」


第六話に続く

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