第六話 再会の街
 

A-Part

 俺は山口健。京都文科大学二回生。大学に入ってからと言うもの光画部活動で撮ったフィルムの現像や誰かの家で催される宴会の付き合いで夜型生活が続いていたけれど、最近すっかり朝が早くなってしまった。何故かと言えば……。

「ほれほれ、もっとしっかりせぬか」
 パシーン、パシーンと竹刀のぶつかり合う激しい音。俺の面を打とうと俺に向かって来るのは京都の山奥からやって来たと云う巫女の船岡冴だ。昔から京都に現れる妖怪を退治していた一族の血を引くだけあって武芸の腕は超一流(どころの強さじゃないと俺は思うけど)。俺は冴の竹刀を押し出すように受けて捌くが、冴は俺の動きを見通しているかのように動きを変えて来る。俺も必死で反撃に転じようとするが冴はなかなか隙を与えない。そして冴は僅かな隙を見逃さずに、
 パシーン
 俺の額に面打ちを一本決めた。勝負あり、俺の完敗である。
「やれやれ、ブランクが長いとこうだよな。まして冴は戦闘じゃプロ中のプロなんだし」
「何じゃ、妾はこれでも三割も力は出しておらぬぞ?」
「あのなあ……」
「お主と妾の間には越えられぬ壁があると言いたいのか? それはその通りじゃろう。なれど高校入学以来久しく剣道をやっておらぬと言うにしては健殿はいい線行っておったように思うぞ」
「嘘だろ? 毎度毎度押されっぱなしでストレート負けしてるのに」
「いやいや、手加減をしてやっても常人で妾の刀を続けて十合以上受けられるなどそうできる事ではない。このまま修練を積めばそれなりの実力は取り戻せるのではないか?」
「そうかなあ」
「まあそんな不満そうな顔をするな。この調子で気長にやれば少しは妾の域に近づけるじゃろうて。この先どうなるかを気に病む事なく日々頑張ろうぞ」
「ううむ……」
 余り乗り気でない俺が返答に困っていると、
「地道にやれば結果は必ず出るものじゃ。これを機に男子に磨きをかけようぞ、健殿?」
 冴はいつものおっかない雰囲気とは打って変わった爽やかな笑みを俺に向けてきた。 俺の胸はドキリと鳴った。顔もさぞ真っ赤になっていただろう。俺は気恥ずかしさから黙って下を向いてしまった。そこで冴は毎度の如く悪戯っぽく笑う。
「ふふ、相変わらず可愛いのう健殿は」

 少年時代に剣道を習っていた事を知られた途端、俺は朝早い内から庭で冴と剣道の稽古をするのが新しい日課になっていた。朝はつらいし、「日々の鍛錬」で俺ごときがスーパーガールの冴の相手になるはずないと言うのをそれでも何もしないでいるよりはましじゃてと強引に布団から引っ張り出される形で。
「ケンちゃん、冴さん、御飯よ〜」
 直美の呼ぶ声で、俺達は母屋に戻った。

 毎月二十五日は「天神さんの縁日」と称して北野天満宮に露店が出る。午前中の目玉は当て物や食べ物の屋台より古道具を売るガラクタ市で、朝早くから毎月多くの骨董ファンで賑わう。骨董好きの義郎は毎月このイベントを楽しみにして朝食後に見て回っているし、健と直美も掘り出し物に出会える期待を寄せて、義郎と一緒に参加していた。今日は四月二十五日。今回は冴も同行して古道具の屋台を見て回っている。
「刀十郎は付喪神の呪いで古道具に変えられたかも知れぬでの」
 出掛けにそう言った冴はこれはと思った露店の道具を、本当に弟を探すようにあれこれ見ていた。
「うーん……」
 露店の主人の中には商売上手な者もいて、
「姉さん、何か欲しいもんあるか? 安うしとくで」
 と何度となく声をかけられたが、冴は
「どうも妾の趣味に合わぬ」
「昔弟が持っておったのと同じのを探しておるのじゃが違ったようじゃ」
 等とスルリとかわして別の露店に移って行った。
「どうだ、見つかりそうか?」
「駄目じゃのう……どこの古道具屋からも刀十郎の持つ『気』を感じられぬ。呪いで何かに変えられたとしても元の人間の持つ『気』は同じ故、あったとすれば分かるはずなのじゃが」
「そうか……ところでさ、冴」
「何じゃ?」
「いい物あげようか」
 そう言って健が冴に差し出したのは、銀色の小さな丸い鏡を鎖で繋いだペンダントだった。鏡には「吉報御守」と彫刻された飾りが付いている。
「弟を探してる冴にピッタリの御守りだし、似合うと思って買ったんだ。それにこれはちょっと面白い仕掛けがあってね、光に反射させると文様が浮かび上がるんだってさ」
「ふむ、これは魔鏡の一種じゃな」
「魔鏡?」
「鏡面に目には見えぬ凹凸面を作って、光を当てると壁なり襖に像を映し出せるように細工した鏡じゃ。これ程の小さい物を作るのはさぞ大変じゃったろうの……」
 冴は暫く健から貰ったペンダントを繁々と眺めていたが、顔を上げると爽やかな笑顔を作って言った。
「忝い健殿。この首飾りは大切にするぞ」
「どういたしまして」
 健も笑顔で答え、露店の更に奥へと進んで行った。暫くそろそろ神社の奥の本殿前に差しかかろうとした時、不意に彼らの前が騒がしくなった。
 甲高い悲鳴。次いでドドドドドッと激しい足音とガシャーンと参道に出ていた露店のテントが倒れる音。本殿の方から現れたのは巨大な黒牛だった。神社の職員が必死で牛を止めようとするが、牛は彼らを振り解いて今しも神社に来て人々に突進しようとしている。
「何だありゃ、ここに生きてる牛なんているはずが……いや待て、あれは?」
「うむ、牛の石像が化けた付喪神じゃろう。ここは妾の出番のようじゃな」
 冴は露店の並ぶ参道脇から進み出て神社の脇に入り、動く牛の石像に立ち向かった。
「皆の衆、下がりませい。妾は妖討の一族の者じゃ。この場は妾に任せて速やかに避難めされよ。お主らは皆が安全に逃げられるように誘導めされ」
 牛を押さえようとしていた神社の巫覡は、冴に大声で促されて一般客を誘導しにかかった。
「(さあ、後は妾の領分じゃ。お主は直美殿と伯父を連れて帰るが良かろう)」
 冴は健の方を見て、目だけでそう語りかけた。健が頷いて直美と義郎と空いた道を戻って行くのを認めて、冴は牛に向き直る。牛は拘束から解放されたものの、怒りの形相の冴の眼光に脅えて、その場に立ち尽くしていた。
「妖討の巫覡、船岡が族の名に於て畏み畏み申す。古に付喪調伏せし護法童子よ、我に力を与え給う!」
 冴は一蓮を手に掛けて念じ、光と共に現れた刀を持って構えた。
「妾が相手じゃ付喪神。大人しく調伏されるが良い」
 啖呵を切る冴。それを宣戦布告と感じ取った牛は迷わず冴に突進する。冴はジャンプしてかわし、牛の背中に一太刀浴びせた。
「グモオオオオオオオーーーッ」
 牛は悲鳴を上げて、着地した冴に向かって来る。冴は落ち着き払って刀を構え直し、牛の延髄目掛けて斬りかかった。
「在るべき物に還るが良い……はっ!」
 急所を攻められて、牛はバタリと倒れて元の石像に戻った。それまでは良かったがもう一体の牛が冴の後ろから攻めてきた。
「何じゃ……うわあっ」
 振り向いて刀を向ける間もあらばこそ、暴風のように猛然と掛けてきた牛に体当たりされて、吹っ飛ばされた冴は石垣に頭をぶつけてしまった。
「う、くっ、不覚……」
 刀が落ち、それを拾う余裕もない程冴は頭と腕の激痛に苦しんでいた。ツーッと頬を伝う涙。体当たりを受けた腕の骨が折れたらしい。牛が尚も倒れた冴に襲いかかろうとしたその時、
 ヒュウッ……ドスッ
 突然どこからか何者かが矢のように牛の背後から飛びかかり、延髄目掛けて刀で一突きを決めた。その場に崩折れる牛。そして進み出て、冴の傍らまで来てしゃがんだ白衣に水色袴姿の男がいた。手には冴が持っていたのと同じような刀を持っている。
「姉様、大丈夫でしたか?」
 冴の目の前にいたのは健と見紛うような線の細い青年。彼こそは冴が探していた行方不明の弟、船岡刀十郎であった。
「刀十郎……お主は本当に刀十郎なのか? ああ、今度こそ会えたな……」
 薄ぼんやりとした意識の中で冴は刀十郎の名前を呼んでいた。
「姉様……腕が腫れてます。御気分も優れないようですね。早く病院へ参りましょう」
「刀十郎……世話を掛けるな。宜しく頼む」
 冴は刀十郎の向けた背中におぶさって、病院へ連れて行ってもらった。一般人が避難して行く中、物陰から一部始終を見ていた一人の女性がいた。ベージュのスーツを着て、前髪を額で切り揃えたロングヘアの女性である。人目を憚るようにかけているサングラス越しに、冴が運ばれて行くのをじっと無言で……。

 その日は健も直美も大学から帰ってから店でバイトすることになっていた日だったから、彼らが北野天満宮の近くにある病院に冴の見舞いに行ったのは翌日であった。ノックして引き戸を開けると、冴の傍らに長袖シャツにジーパンの少年がいる。さっきまで二人で談笑していたらしい。
「「こんにちは、具合はどうかな?」」
「おや、健殿に直美殿か」
「あ、お邪魔だったかな?」
「いやそんな事はない。妾は頗る気分が良いでな、来客は嬉しいぞ。丁度良いから紹介しておこうか。これが妾の弟の刀十郎じゃ。そして此方は妾が今世話になっておる家の娘の直美殿と、同じく寄宿しておる健殿じゃ」
「どうも初めまして、船岡刀十郎です。姉様がお世話になってます」
「初めまして、山口健です」
「初めまして、橋本直美です。よろしくね」
 刀十郎は健と直美と握手を交わしたが、すぐに机の上の時計に目を遣って、
「姉様、僕は今日はこれで失礼します」
「刀十郎、もっとゆっくりして行ったらどうじゃ」
「そうさ、俺達なら構わないよ。俺もあんたと話ができれば嬉しいのに」
「いや、僕は僕で別の用もありますし。また明日来ますよ」
 刀十郎はそれだけ言い残して慌しく冴の病室を後にした。おかしな奴じゃと言いたそうに刀十郎を見送る冴。
「はい、替えのパジャマと下着と洗面具よ。文庫本も入れてあるわ」
 直美はベッドの側に大きな鞄を置いた。続いて健が菓子折りをテーブルに置く。
「これは澤屋の粟餅。俺からのお見舞いだよ」
「忝い。心配を掛けて済まぬな」
「いやいや、頭ぶつけて入院して、熱も出てたって聞いたけどひとまず元気そうで良かったよ……左腕のギプスが痛々しいけど」
「ああ、利き手が使えぬのはつらいが、こればかりはどうしようもなかったわ。れんとげんを撮られて、単純骨折しておると言われたからの。食事もいつものように出来ぬわ、はぁ」
「で、頭は大丈夫なの?」
「分からぬ。痛み止めと熱冷ましの座薬を出してもらって一晩寝たらこの通り症状は収まった。なれど三箇月先、半年先になって突然おかしくなるやも知れぬと医者は言うての、そのー……何と云う検査じゃったかな、えむあーる……」
「MRIだな」
「そうそう、そんな名前の機械で頭の輪切りの写真を撮って調べるそうじゃ。一先ずは安静にして体調を整え、明後日か三日後にえむあーるあいの検査をする予定になっておる。何にせよ早く出られる事が分かって、その事では安心しておるのじゃが……」
「船岡さん、船岡冴さん、回診のお時間です」
 話の途中で担当の医者が入って来た。年は健より五つ程上だろうか。長い黒髪の、知的な感じのうら若い女医である。小さい眼鏡の奥の細い目は狐を思わせる所があり、物腰と口調はいかにも京都の女性と云ったような柔かい感じだった。
「船岡さん、気分はどうですか?」
「ああ、あれから熱も頭痛も収まったし気分も良くなりました」
「そうですか、それはよろしおしたな。でも油断は禁物ですえ。吐き気や頭痛が再発したらすぐ言うてくださいね。危険信号ですさけ……ええ、熱はもうあれへんみたいですね」
 白衣の胸の部分に「外科 小野原」と書かれた名札を付けた女医は掌を冴の額に当てて、脈を取ると首から提げていた聴診器を耳に掛けた。健はこれから何があるかを察して病室を出ようとしたが、冴が優しい口調で引き止めた。
「出て行くには及ばぬぞ健殿。妾はお主を信頼しておるでな、窓の外でも見ておってくれれば良い」
 クスリと笑う小野原女医。健は言われた通り冴に背を向けて、窓の外を見た。そこには別段面白い景色はなかったが。向かいの警察署と横断歩道の先にある北野天満宮、辺りを通る警官と通行人と車。健の見慣れた物ばかりだ。後ろから聞こえる、上半身裸になる冴の衣擦れの音。ポン、ポンと小野原女医が冴の裸の胸に聴診器を当てているのも音で分かる。健が横目でチラリと直美を見遣ると、直美は不安そうに診察の様子を見守っていた。窓の外の歩道を風船を持った小さな男の子と、数歩送れて母親らしき女性が歩いていく。はしゃいで駆けて行く男の子に母親が○○ちゃん、車に気をつけなさいと呼びかけている。
「(あんな無邪気な時代が俺にもあったよなあ……ってあれ? 俺はあの子くらいのガキの頃外で遊び回った事ってあったろうか)」
 幼時の記憶に引っかかる物を感じた健。思えば小学校に上がって強い男になりたいと両親に泣き付いて、剣道を習い始めた事は覚えているのだがそれ以前の記憶がほとんどない。覚えているのはとかく病弱で、どこかの親類の家で療養してやっと回復した事で、それすらも健はもう薄ぼんやりとしか覚えていなかった。直美ならひょっとしたら何か覚えているかもしれないと思った健は問いかけようとしたが、口を開きかけた所で、
「はい、結構です。服着てください」
 小野原女医が促し、冴はそそくさとブラジャーとパジャマを身に付けた。冴以上に物問いたげな顔の健と直美を一瞥して、小野原女医は言った。
「通常ならもう問題はおませんやろ。どこも具合の悪い所はないみたいですし。でも何度も言うてますけど頭の怪我はある日突然おかしくなる場合がありますさけ用心してくださいや。それが今日明日かもしれませんし、半年、いえ一年以上先に起こるかもしれません。頭痛や吐き気があったらすぐ連絡してください」
「はい」
「ほな今日の分のお薬です。食事の後に飲んでくださいね。で、うちは次の患者さん診に行きますよって、それでは」
「ありがとうございます」
 小野原女医は薬を渡すと病室を出て行った。
「おや、もうこんな時間か。さて、俺もそろそろ失礼するよ。直美は非番だからもう少し居られるけど、俺は時分どきには入ってないといけないから。お大事にな、冴」
「うん、じゃあねケンちゃん」
「気を付けてな」
 二人の京美人に見送られて、健は冴の病室を後にした。出掛けに健はかなり前に別れたはずの刀十郎らしき人物が外来受付のコーナーをうろついているのを見つけた。
「おや、刀十郎君じゃないか」
 先刻会ったばかりの人物の登場で刀十郎はちょっと驚いたようだった。
「いや、ちょっと用があって……あー、うん、姉様の他にも知り合いがいたんですよ。でももうそっちも終わったばかりですから。じゃあまた」
「おいおい、そんなに焦る事もないだろう」
 健が引き止めようとするのを刀十郎はかわして病院から出て行った。健が追いかけて彼の行った道を見ると……そこにもう刀十郎の姿はなかった。
「(はて……これは一体どうしたことなんだろう?)」

 青銅製の和鏡の鏡面に太陽光を当てる。反射して壁に当たった光の中に観音様の像が浮かび上がった。
「どうじゃ、今時珍しい代物であろう? 昨日天神市で買い求めたのじゃ」
「ちょっと素敵じゃない。ねえ祭文の督、その鏡私にちょうだい」
「駄目じゃ。吝嗇な主人と散々交渉を重ねた挙句、それでも大枚を叩いて買い求めた鏡じゃ。まして京を征する計画を遂げられなかった主に誰がくれてやるものか」
「何よ、貴方こそケチじゃない。鏡の一つや二ついいでしょ」
 付喪神の幹部にして変化大明神の神主、高烏帽子の祭文の督と巫女の小鈴の八乙女が話している所へ罷り出て来た古文先生の怒声が飛んだ。
「鏡で遊んでおる場合ではないわ」
 一息ついて祭文の督を叱り付ける。
「お前は昨日北野天満宮で牛の石像に魂を宿させ、民を襲わせたそうじゃな。だが物見遊山に来ておった者や、参道脇で食べ物を売っておった的屋数人に軽い怪我を負わせただけで、後は又しても偶さかそこにおった船岡の巫に容易く倒されたそうではないか。行方の知れなかったはずの奴の弟も援護に現れたと聞いておる。船岡の巫は怪我を負って病院に送られたらしいが……お前も又荒太郎、神楽男、八乙女と同じく結構な成果を上げた。そうじゃな?」
「まあそんなに激昂することもありますまい、古文先生。これも私の想定にあった事にございます。私の真の狙いは別の所にあるのですよ」
「何じゃと」
「船岡の巫が病院に入った時点で既に二の矢は仕込んでございます。近々吉報を先生に届けられましょう。事故に巻き込まれて船岡の巫は死んだ、と」
「…………」
 祭文の督の言葉を信じていいのかと、黙って眉根を寄せる古文先生。八乙女も怪訝な顔で祭文の督を見ている。当人は自身ありげな笑みを浮かべていた。きっと船岡の巫に勝ってみせると如くに。


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