第七話 ああ弟よ君を泣く
 

A-Part

 火の手が上がった病院の廊下は、避難する患者でいっぱいになっていた。消火器を噴霧する医師、患者を誘導する医師と看護婦。外科病棟で足の不自由な患者も少なくないだけに避難は一苦労である。
「焦らんと落ち着いて非常口から避難してください。消防署には通報してありますよって」
 避難誘導に当たる小野原女医。だがほとんど避難が終わった所で患者の人波の中に冴がいない事で不安になっていた。
「船岡冴はんはいてますか? 火の手がまだ収まりませんのよ。早う逃げへんだら……」
 冴がこの場にいるはずはない。何故なら冴は火事に気付いて逃げようとしたものの、何者かに病室に鍵をかけられて閉じ込められていたのだから。
「何故じゃ、何故扉が開かぬ」
 ガタガタと引き戸を揺すぶる冴。その音に気付いた小野原女医は慌てて同僚にその場を任せて冴の病室に飛んでいった。
「冴はん、そこにおりましたか。今開けますよってな」
 小野原女医は白衣から鍵の束を取り出し、開けようとした所で彼女目掛けて匕首が飛んできた。間一髪で小野原女医は避けたが、白衣が切られて穴が開いてしまった。
「誰や!」
 小野原女医の怒声が飛んだその先にいたのは、衣冠束帯姿の神主である。
「邪魔立てをされては困るのう。あと一歩で船岡の巫を葬り去れると云うに」
「あんた、今何て言わはりましたん?」
 キッと相手を睨み付ける小野原女医。
「邪魔立てしてはるのはどっちですやろな、高烏帽子の祭文の督」
「何、き、貴様何者だ」
 現れたヒールは冴のみならず、小野原女医にとっても顔見知りであったらしい。怒った小野原女医は明らかに凄まじい闘気を放っていた。いつもの温厚な女医の顔はなく、目は狐のように吊り上り、口元からは牙がこぼれていた。
「この病院のお医者はんです。それ以上でも以下でもおへん」
「いやそんなはずはない。貴様のその闘気、人間の物とは思えぬぞ」
「さあて……ま、お好きなように思ときなはれ。うちは何ぼでも受けて立ちますえ」
「うぬ、妙な所から援軍が現れたか……じゃがまだ勝機は我にある。ここは仕切り直しじゃ」
 ただならぬ空気を感じ、出直した方がいいと思って屋上に続く階段を上って逃げる祭文の督。そこでここは追うよりも冴を助けるのが先と小野原女医は病室の鍵を開けた。
「さあ、早う外に」
「忝うございます……ところで先生は何故祭文の督を知っておられたのですか」
「それを聞いてる余裕は今ないのとちゃいますか?」
「!?」
「貴女が船岡の一族の巫女である事、うちは存じてます。ここは貴女以外に皆さんを救える人はいはらへんはず。火事が鎮まってもあいつらがおったらきっと又患者さんらに危険が及びますやろ。早よ屋上に行きなはれ。寸刻を争う事態ですさけな」
 小野原女医がそこまで詳しいのはどうしたことかと冴は思いはしたが、改めて自分の使命を果たす時と思い直して階段を上って行った。そしてもう一人、小野原女医を追う第二の男が現れた。
「先生、先生!」
「あら、健はん……何で今こんな所に?」

 冴が祭文の督を追って着いたのは病院の屋上。冴は祭文の督を睨み付け、一蓮を持って構えた。
「妾のみを狙うならいざ知らず、病院に火を放って罪無き病人や怪我人、医者までも巻き込んで民を恐慌に陥れたお主、妾は許さぬ。大人しく調伏されるが良い!」
「ふ、我が何の手も打たずに主に挑むと思うか。これを見よ」
 祭文の督が指差す方向には、柱に縛り付けられた刀十郎がいた。
「刀十郎!」
「姉様!」
「おっと、近づくでないぞ」
 二人の間に祭文の督が割って入る。その手に握った匕首を刀十郎の喉元に突きつけて言った。
「我に手を出すな。出せば主の弟の命はないぞよ。今生の別れになっても良いのかの?」
「くっ……」
「その一蓮を我に渡せ。今から我が十数える間に、じゃ。さもなければ弟は首をはねられるぞ」
「おのれ、どこまでも卑しい奴どもめ」
「何とでも言うが良いわ。真っ向から勝負を挑んで勝てぬ以上、こうでもせずば主を追い込めはしまい。さあ早く一蓮を渡すのじゃ。一、二、三……」
「姉様!!」
「(一蓮は妾にとって命より大切な道具じゃ。渡せと言われてはいどうぞと渡す訳にはいかぬ。なれど……)」
 冴はそう思いはしたが、同時に刀十郎の身も案じていた。やっとの思いで再会できた弟だ。自分の眼前でむざむざと喉を掻き切られて殺されると思うと胸が痛む。妖怪退治の巫女としての使命と、巫女である前に姉として、女としての心の痛みの間で冴の心が揺れた。
「さあどうした、我を睨んでおる時間はないぞ。四、五、六、七……」
 一蓮を渡すか渡さないかを決断した冴は凛とした声で叫んだ。
「断る!」
「何っ」
「妾が何のために此処にいると思う。お主らから京に住まう民を守るためじゃ。それが妾……いや、我ら船岡の一族の使命じゃわいの。いかな窮地に追い込まれ、この身が襤褸布のようになろうとも、我らはお主らの前に膝を折る真似などせぬわ!」
「そうかえ。ならば刀十郎は我の匕首の錆にしてくぐわあっ」
 祭文の督が刀十郎を刺そうとした瞬間、冴の投げつけた札が貼り付いた。
「ふん、読みが甘かったな。お主が勿体を付けたのが妾には幸運じゃったわ……さあ刀十郎、今縄を切ってやるぞ」
 札を貼られて苦しみにのたうつ祭文の督をよそに、冴は護身用の短刀で刀十郎を縛っていた縄を切った。冴の胸の中に飛び込む刀十郎。
「姉様……また姉様にはご心配をおかけしてしまいましたね」
「詫びるには及ばぬ。お主が無事生きておって姉様は嬉しいぞ。父上や母上もさぞかし喜ぶであろう」
 三年ぶりの再会を果たした姉弟はひしと抱き合った。だが冴の後ろに回った刀十郎の左手には短刀が握られていたのである。鋭い切っ先が冴の延髄に突き刺さろうとしていたその時、
「コーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!」
 狐の咆哮がその場の空気を引き裂いた。突然の声に驚いて冴から飛び退く刀十郎。その拍子に刀十郎の手から短刀がカランと音を立てて落ちた。冴はそれに驚き、次いで後ろを振り返る。冴の視線の先には今一人現れた新参者が立っていた。長い黒髪で、黄金色に輝く狐の耳と尻尾を供えた緋袴の巫女である。そして彼女の後ろにもう一人の男がいる。
「いよいよここが観念のしどころのようですな、偽の刀十郎はん?」
「おい、偽の刀十郎さんよ、さっきの借りを返させてもらいに、俺は地獄から舞い戻って来たぜ」
 巫女の後にやって来たのは健である。
「お主……楓か。健殿も」
 健はズボンのポケットから銀色の首飾りを出してみせた。三日前に天神さんで健が冴にプレゼントした魔鏡付きの首飾りである。これが眼前に現れた途端、祭文の督と刀十郎の顔色が変わったのに冴は気付いた。
「どうした、もしやあの首飾りはお主の妖術で作った物なのか?」
 祭文の督は黙って気まずそうな顔をしている。刀十郎は苦しそうに下を向いた。
「何とか言え。あれはお主の妖術で作った首飾りなのか?」


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